天の仙人様

海沼偲

第190話

 目が覚める。無理やりに眠ろうと思えば何とかなるのだが、それがひたすらに苦痛でしかない。今日は久しぶりに眠ったが、ここまでして無理に眠ろうとするのは意味がないと思い始めてきているところである。苦痛を伴う睡眠では、それは休むことが出来るのだろうかという至極当然な話なわけである。しかも、夜になると出てくる不気味な視線をどうにかして追い払いたいのだが、どうしたものか。俺は頭を悩ませるわけであった。
 今日一日はとても不快感をあらわにしてしまっていて、使用人たちは全くと言っていいほど近寄っては来なかった。普通であれば、どんなに話さない人でも俺に挨拶くらいはするものだが、今日はそれがなかった。あまりにも静かすぎて、人がいなくなってしまったのかと思ったほどである。実際にはそうではなかったわけだが。ただ、俺の周囲にはヒトの気配というものを完全に消し去っているのだろうなと、わかってしまうのである。それが悲しくもあるが、自分はそれほどまでにいらいらとした感情をまき散らしているのだと客観的に理解できる。
 視線を感じているということはわかるのだが、それがどこからきているのかがわからないというのは非常にストレスを感じる。見られつづけてそれに慣れるということは永遠にないだろう。人の視線は、誰かから見られているのだとしっかり認識することで、害のないものへと変化するのが当然。であれば、人の存在しない視線は害をなすのである。すれば当然、より神経質になりそうだ。幻覚だと言われたい。俺は精神が壊れてしまっていて、幻覚を見ているのだと言われるほうがましだ。それほどの苦痛だ。いっそのこと、そう思って人生を過ごそうかとも思えてきた。

「大丈夫? 何かそんなに追い詰められるようなことがあったの? 何かあるのだとしたら、隠さないで教えてほしいわ」
「そうですよ。アランしゃんはへんにため込んでしまうところがあるのですから。そういう時は、誰だっていいから、とりあえず吐き出すべきだと思いますよ。それに、わたくしたちのように、話しを聞いてくれる人はたくさんいるのですから。一番相談に乗れるのはわたくしでしょうけれども」
「ありがとう、二人とも。ただ、今回のはしばらくすれば、時間が経てば自然と消えゆくような、大したことのない悩みでしかないさ。俺が真に抱えきれないと思ったならば、ちゃんと二人にも相談をするから。安心してほしい」

 俺は、彼女たち二人にも迷惑を、そして心配をかけてしまっていたらしい。そうしないようにとしていたというのに、それとは真逆のことであった。恥であろう。次からはあってはならない。それに、これは俺一人で解決しなくてはならないことでもあるだろう。彼女たちが頼れないというわけではない。彼女たちほど頼りになる存在はいない。だから、頼り切ってしまわないように、心が弱くならないように、そのために、自分自身で何とかしてみたいのだ。彼女たちが後ろについていると思えば、出来ないことはないだろう。気持ちの持ちようであった。
 今日はあえてどこにも外出はせず、家の中で気を巡らせていく。出来ればそんなことはしたくはない。効率が悪いし、何かの間違いで家が聖域に変化してしまうと、大きな問題へと発展してしまう。王都のど真ん中に聖域が発生してしまうとなれば、大きな騒ぎが起きるという程度で済むわけがないだろう。ただでさえ悩ませている頭を余計なことに使いたくはない。だが、あえてそうする。より感覚を鋭敏にとがらせていく。ネズミの足音どころではなく、その先の呼吸音まで聞き分けるほどに、アリが地面につけているフェロモンまでも感じ取れるほどに。気を巡らせることで、より知覚能力を鋭くさせるのであった。精神的につらくなるかもしれないが、それが一つの解決策かもしれない。
 チリチリとわずかに感じ取れる。今もまだどこかから見られているのだ。どうやら、昼間の間は、視線をおさえながらも監視されていたらしい。であれば、夜もその程度の監視に抑えてほしいところだ。眠れないったらありゃしないのだから。そして、そこから後をつけていく。魔力的な手段によって俺を監視していることがわかっているのだから。そこから逆探知をかけることは難しいことではない。魔力の流れをつかまえて辿っていくのである。
 するすると辿っていく。どれだけ離れているのかはわからないが、段々と近づいてくるのがわかる。もうすぐにでも正体にようやくたどり着けそうだ。そうすれば、どうしたものか。殴ってうっ憤を晴らすか。それもいいが、他にも案を考えるとしよう。暴力に訴えただけでは俺のこの気持ちがすっきりするとは思えない。暴力により解決は俺自身が好んでいないというのもある。やはり、愛によって解決できればいいだろう。それを俺自身が望んでいるのだから。
 ……見つけた。その正体をようやく見つけたのである。すぐに脳裏に映像を映し出す。光の屈折を利用して映像をここまで届けるのだ。魔法であれば、なんとかなる。相当な魔力は必要だが、俺にはそれを叶えるだけの量がある。伊達に十数年もの時間を生きているわけではないのだから、問題ない。そして、映像を見てみると、どうやら、貴族であるらしい。上位貴族らしき豪華な服装だ。しかも、女性であった。彼女はじっと水晶をのぞき込むようにしていて、動くことはない。時折ニマニマと口元をゆがませているがそれだけである。いや、それだけではないな。たまに股の間で腕をもぞもぞと動かしていて、そのたんびに顔を赤く染めている。だが、それだけしかない。像であるかのように微動だにしないのである。一体何をしているというのか。
 しかも、彼女は王都に住んでいるのだ。それを知った時には、まさか犯人が同じ町に住んでいるとは思わなかったが。森の中にでも潜んで隠れて監視していたと思っていたのだが。だが、そのおかげで、何か大きな事件に俺が巻き込まれているわけではないということがわかった。最悪の場合は他の仙人にでも監視されているのではないかと思っていたわけであるし。まあ、そうだった場合は、逆探知をかけられていると気づいたときに、すぐに切断していただろうけれども。そうではない時点で、彼女の技術はそこまで高くはないということがわかった。
 では、さっそく訪問するとしよう。彼女には俺の安眠を妨げたという罪がある。それを償ってもらうことにする。女性だからと言って、優しくしたりはしない。とはいっても、拷問するわけじゃあないので、彼女の心と体に大きな傷が出来るとは思わないが。ちょっとした説教で済ませる次第だ。
 そうして、彼女がいるであろう屋敷の前までやってくる。この区域には今まで用がなかったので立ち入ったことすらないが、やはり、上位貴族の区域はそれなりに緊張するわけだ。今もまだ心臓が高鳴っている。ゆっくりと呼吸をすることで落ち着かせていく。俺はルイス兄さんの弟としてそれなりの貴族には顔を覚えられている。むしろ、俺と仲良くしないと、王家の心証が悪くなる可能性もあるからと、正面切って喧嘩を売ってくるような家はいないだろう。虎の威を借りる狐でしかないが、この世界ではそういうものも大事だ。腕っぷしだけでは生きてはいけない。腕っぷしも大事だがな。
 ノックをすると、すぐさま使用人がやってくる。少し若い。まだまだ見習いという域を出ていないであろう、少女が出迎えてくれた。俺は彼女の心証を悪くしないようにと笑顔を作る。すると、彼女は照れてしまったようで顔を染めてうつむいてしまった。やはり、笑顔は素晴らしいものであるらしい。初対面の女性が恥ずかしがるほどの容姿の補正を与えてくれる。笑顔が上手いというのはそれだけで人生において優位に立てるということを、証明してくれるのである。俺の自慢として挙げられるいくつかのものの中に必ず入るであろうものなのだ。
 彼女に説明をして、この家に住んでいるお嬢さんを呼んできてほしいと伝える。理由は言わない。ただ、貴族の男が女性を呼んでほしいという場合は、たいていは求婚であったりとかが多いので、そういうことかもしれないと彼女は思ったことだろう。実際はそうではないわけだが。彼女の期待には応えられないだろう。仕方ないことだ。むしろ、人を監視している女性とはそんな気持ちになりそうはない。愛せるが、それとはまた話が違うだろう。愛とは多様だが、同時に、限定的でもある。いくつもの可能性を持ちつつも、全ての可能性を拒絶されるものでもあった。
 そして、俺の脳裏に映った女性の姿が現れる。俺が見た姿と全く違わない。家は間違っていないことが証明できた。そして、彼女が俺の顔を見た時の反応は驚愕に染まっているので、それからも、間違いはないであろうということはわかる。なにせ、自分が今まで映像の外で見ていた人物が目の前に現れて驚かない人などいないだろう。
 彼女は綺麗な女性ではある。俺よりも一つか二つ年下と言ったところだろうか。体内にある魔力の量でとりあえずの年齢を計算しているが、その計算は平均を基準としているだけで、確実に正しいとは言えない。難しいところである。だが、彼女の技術はそこまで高くはないので、俺の想像している歳であろう。
 話したいことがあるといって彼女の部屋まで上がらせてもらう。彼女は緊張でガチガチになっているが、よりそれを加速させるように手を握ってみる。ロボットみたいな動きへと変化し、もうまともに思考できていないことだろう。まあ、悪ふざけというか、お遊びというか、彼女の処理をパンクさせるのはこれくらいでいいだろう。
 そして、部屋へと入るわけだが、今までとは比べものにならないほどに女の匂いがする。雌の匂いといってもいいだろう。獣的なのである。人間の女性の部屋というのはここまでに獣欲的な衝動を駆らせるような、劇物的な匂いを持つのだろうか。どうやら、それに気づいていないようだが、もしかしたら、感覚を研ぎ澄ませているから俺だけが感じるのかもしれない。ここまで連れてきてくれた使用人を退出させる。勘違いしているままなので、この後は何が起きるのか変な方向で察してくれたようで、そそくさと出て行ってしまった。まあ、訂正はしなくていいだろう。
 ここで、俺はさっそくとばかりに本題に入るのであった。そうでなくてはならない。あらゆる雑談は今まさに必要ないのだから。

「さて……どうして俺のことを監視していたのかな? まさか、知らないとは言わせないよ。そこに置いてある水晶で見ていたことは知っているんだ。監視している側がまさか、監視されていたとは思わなったかもしれないけど、言い逃れは出来ないからね。魔力の流れを感じ取ってたどり着いたんだからさ」
「え? あ、その……わたしがあなたのことを見つめていたと知っているのですか……。しかも、この部屋を監視していたのですか? つまりは、わたしはあなたに見られていたということですか……。は、恥ずかしいです……」

 くねくねと、身を躍らせている。俺に見られていたということで頭がいっぱいになってしまったようで、俺のことは視界に入っていないように思える。どうしたものか。とりあえず、この水晶は没収しておくとしよう。また再び俺のことを監視しないようにしなければならない。そのためにはこれを回収しなくてはならないだろう。
 すると、気が付いたようで、懇願してくる。たしかに、この水晶は高価なものだろう。そう簡単にとられてはならないはずである。それはわかっているが、だからといって置いて行ってはならないわけでもある。俺のためでもあるし、彼女のためでもあるのだ。そう説得するのだが、聞いてくれはしない。強情な人ではあるが、大切なものを取られまいと懇願する気持ちもわかってしまう。
 とりあえず、水晶は元の位置へと戻し、振出しへと戻す。どうにかして説得する必要があるだろう。というわけで、俺は彼女のせいで眠れずにいるということを伝える。彼女の視線を感じてしまって眠れないのだと。そうすれば、俺のためを思ってやめてくれるかもしれない。安易ではあるが、可能性を信じるしか出来ない。少なくとも、彼女は俺に対して嫌悪的な感情を持っているわけではないだろう。むしろ、好意的に見ているはずである。だから、通用するのではないかと思うわけだが。

「そうだったのですか……。わたしのことばかりを優先させてしまって、あなたのことを何も考えていませんでした。申し訳ございません。…………。だ、だったら……もう見るのは止めてもいいですけど……条件があります」
「条件?」
「そ、そうです……それは……私と結婚してください!」

 衝撃であった。開いた口がふさがらないとはこのことなのだろう。全くと言っていいほど何も反応が出来ずに、ポカンとしたままであったのだ。なんと声をかければいいのか、全く空っぽの頭では思いつくはずもないわけであるのだ。

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