天の仙人様

海沼偲

第172話

 俺たちもとうとう卒業する季節になってしまった。六年間という年月も、思えばあっという間に過ぎ去ってしまったものである。そうしみじみと感じずにはいられない。いまだに入学した時のことを鮮明に思い出せる。そんな思いであふれる場所から卒業するとなると、思うものもあるということであろう。じっと、校舎を眺めていた。感傷的になってしまうのも仕方ない話である。もうここに来ることなんてないのだから。
 卒業前に行われた、最後の試験。それにおいて、ハルと俺の一騎打ちが行われた。いつも通りの試験内容で、いつも通りに俺とハルが最後まで勝ち残ってきたという話でしかない。だが、そうなるだろうというのは学年の全員がわかっていたようであった。そして、俺たちもである。誰もがこうなることを予想していて、俺は頬を叩いて気合を入れ直した。俺は六年間次席として過ごしていて、ハルには一度も勝つことが出来なかった。最初の一回を除いてすべてが引き分けているのだ。そして、今回もまた同じシチュエーションであった。ここで、引き分けになれば、俺は最後まで学年次席であり続ける。だが、ハルに勝つことが出来れば、学年主席を最後に奪うことが出来る。意地汚いと思うかもしれないが、俺の、俺自身の意地を張りたいのである。この最後の場面に、俺の持てる全てを使って勝ちたいという思いがある。仙人の力は使うことはお互いにしないというのは暗黙の了解であるわけだが、それを抜いた力は、お互いに互角であるというのが今までである。
 最後の試験であり、なおかつ俺とハルの戦いの結果というものを全て知っている先生たちは、今回だけは普段の二倍の時間を使って試験をしてくれた。つまりは、引き分けにならずに決着をつけられるようにである。長ければ長い程に、地力の差が出てくるだろうという考えからであった。そして、二人ともがそれに頷いて試験は始まったのである。
 最後の戦いにふさわしいものを出せたことだろう。皆が圧倒されていた。誰もが勝敗を読むことが出来ずに、暴力の渦が周りにまで飛び散ってしまっていた。少しでも弱ければ、その圧力に当てられて気絶をしてしまってもおかしくはない力である。それが無尽蔵にして、無差別に放られるのだ。先生たちもその場に立っているのが精いっぱいだったに違いない。だが、俺たちはそれであってもやめることはしなかった。最後の最後に決着をつけたいという思いは俺だけではないのだから。彼女もまた、俺と同じ思いを抱いているのだから。わざと狂気に落とされたかのように、魅入られたかのように、最後には牙をむき出しに笑みを浮かべていたのである。
 結局のところを言えば、最後もまた引き分けに終わった。どうあがいても限られた時間の中でハルを倒すことは出来なかった。その時点で俺の負けである。ハルも、俺を倒す気でいたようだが、それも叶わない。こういう運命であったと言われているかのように思えてならないのである。それを聞いたアキは、慰めるように俺のことを抱きしめてくれてはいたが……全裸で。もう少しのところで、関係を持ってしまうところ……既成事実を作られてしまうところだったが、なんとか引きはがして無理やり服を着せたというのは思い出に新しい。学生でもないというのに、しれっと部屋の中に入り込んでいるのだから油断も隙もあったものではない。さすが、仙人というところだろう。完全に気配を消していた。俺も油断をし過ぎなのかもしれない。気をより一層引き締めねばならない。勝てないからと落ち込んではいられないというメッセージかもしれないと受け取ることにした。
 卒業式は厳かに進んでいく。その中の一つに、学年主席の生徒が学校長から卒業証書を授与されるという項目がある。最後の試験は誰にも結果を知らされることはない。あとで、卒業証書を渡されるときに一緒に通知される。とはいえ、主席の人間が誰かということぐらいはわかる。だから、それが自分だと思っている人はたいてい先達が繰り返していた受け取り方を自主的に練習している。今回は当然、ハルであろう。むしろ、それ以外が思い浮かばない。他に候補があるのならば、誰か教えてもらいたいことだ。

「……卒業証書授与。ハル……そして、アラン。両名は前へ」

 学校内では、身分というものが関係ないということを示すかのように名前でしか呼ばない。名字を使えばそれは貴族であるということになり、貴族と平民を区別してしまうことになる。それをこの学校は許さないとして、たとえ誰であろうとも、名字を浸けることはないのだった。というのは置いておくとして、今まさに、響き渡る先生の声の中にあまりにも聞きなれない言葉が入っていた。それは、決して呼ばれることのない名前のはずである。というか、今二人の名前を呼んではいなかっただろうか。そんなことはあり得るだろうか。なにせ、今までの歴史の中で卒業証書を授与するときに二人の生徒が壇上に立つことはなかった。なにせ、学年主席だけが選ばれるのだから。二人も主席はいないだろう。
 だが、先生たちは俺にも立つように促しているのだから、おっかなびっくりというように立ち上がる。俺が立ち上がったからと言って誰からか注意をされるわけではない。何も言われはしない。むしろ、さっさと上にあがれと言わんばかりの視線を向けられるのである。ならばと、ハルと二人してそのまま、学校長の前まで歩く。二人の主席に来賓の方たちも驚いているようだ。そりゃそうだろう。なにせ、本人が驚いているのだから。むしろ、驚いていないのは学校関係者くらいだ。

「このたび、二人の学年主席がこの学年の代表として卒業証書を受け取ることとなった。本来であれば、二人の生徒がこの場に来ることはない。だが、彼らは六年間もの間拮抗した成績を残し続け、ただ、最初のクラス決めのための試験で生まれたわずかな差のために、主席と次席に座っていたのである。今回、我々は彼らの実力はともに、学年主席と呼ぶにふさわしい、むしろ、入学した時にあったわずかな差のために、彼らが同じ壇上に上がれないことに疑問に思い、こうして二人に立ってもらっている。それほどまでに、二人の生徒は同等の実力を持っており、優劣をつけることは難しいということの証左でもある。これから先、六年間もの間、全く同じ成績を出し続けた生徒が複数名いた場合は、同じような対応を行うとこの場で宣言させてもらおう。……さて、来賓の皆々様に伝えたいことは終わりましたので、本来の式に戻らせていただきたいと思います」

 学校長は、ハル、そして俺の順番に卒業証書を渡していく。俺は呼ばれるわけがないと思って練習なんてものはしていなかったので、ハルの受け取り方を見よう見まねで何とか再現することで、この場を乗り切った。そして、自分が座っていた席へと戻るわけだが、あまりにも想像していなかった事態が起きてしまったために、それから先のことがあまり頭に入ってこない。隣に座っているハルは、にこりと笑って俺たちが二人して学年主席で卒業できることを喜んでいるようであった。たしかに、俺と彼女がお揃いであるということは、喜ばしいことかもしれない。しかも、それが学年主席なのだというのだから、言い表せない、嬉しさというものがこみ上げてくるものだ。
 そうして、卒業式は終わった。俺たちはぞろぞろと自分たちが使っていた教室へと戻って、先生からの最後の言葉を聞いている。それと共に、彼は一人一人に卒業証書を渡していく。俺たちも先生にあずかってもらっていた卒業証書をもらった。そして、解散となった。今この瞬間に俺の学校生活は終わりを迎えたのである。
 ぞろぞろと帰っていく生徒の後ろを姿を何となしに見ていた。ハルたちはこの後帰るようだが、俺はしばらくここにいさせてもらうことにした。彼女たちもわかってくれたようで、それ以上何かを言うことはなく静かに教室を出て行った。
 たった今、俺は学生という身分ではなくなったのだ。まさにそうなのだ、という実感が湧くことはない。いいや、もしかしたら湧いているのかもしれないが、どうにも心にストンと落ちてこないわけである。急激にも変わってしまったこの感覚を受け入れがたいものとして処理しているのだろう。俺は昔からそういう人間であったのだから。何度も何度も変わっていく景色も人もそれを見ながらも受け入れているかのように演じ、そしてその中に大きな困惑と共に常にあり続けていたのだ。それを真に表に出したりはしなかったわけではあるが。でも、俺はただぼーっと教室を眺めている。今まで生活してきた、この部屋と別れることになるのだと感傷的になってしまっている。涙が出たりするわけではないのだが、こうして、最後になってしまうだろう、この教室とのかかわりがなくなってしまうことの寂しさが、俺を引き留めて離さないのだ。自分が座っている机をなでて、その感触を手のひらに覚えさせている。色あせないように。生きていた証を残しているみたいに。
 そんな中にポツリといると、ガラガラと扉が開いてキースが入ってきた。まさか戻ってくる人がいるとは思わなかった。帰ってしまえば、もうそれで終わりだろうに。そこですべてが切り替わり、新たな生が始まるのだ。羽化はもう終わっている。自分が脱いだ抜け殻を見に戻ってくる蝶はいない。だというのに彼は戻ってきてしまったのだ、それに疑問を感じている様子はなく、彼は俺の隣の席に座った。そして、どこを見るとかなしに中空を眺めているわけである。俺と同じである。全く変わりはないのだ。ただ二人して眺めるばかり。
 そういえば、キースは友達と一緒に話をしながら教室を出て行ったと記憶している。つまりは、友達と別れた後にこうして戻ってきたということだ。そこまでして戻ってきたかったのだろう。今もこうして教室にいるような生徒なんて俺たち二人ぐらいだろうか。なにせ、この空間には少しの音もなく静かに存在しているのだから。忘れ去られてしまっているかのように。
 だからだろうか。俺は忘れたりはしないと、彼らに言い聞かせているのかもしれない。ならば、こうして座っているだけというのも納得がいく。六年間を刻み付けている最中なのだから。色あせることなくしっかりとこの頭にとどめ続ける。記憶が残る限り、死ぬことはない。生き続けることが可能である。鮮明に今この瞬間であるかのように生命の躍動を感じ続けられるのだ。さらに、俺は永遠に近いのだから。彼らが永遠に、無常を感じることなく存在させることだって可能だろう。だからだろう。
 誰が言うでもなく、俺は席を立ち、教室を出て行く。あとをついていくようにキースも出てきた。そして、隣の教室へと入っていく。そして、記憶にとどめるように隅々まで眺める。それを何度も繰り返していく。俺たちが使ってきた、この全てを記憶にとどめるために、全ての教室を回っていく。先生たちとすれ違うが、彼らもまた俺たちに対して何かを言うことはしない。彼らもわかってくれているのだろう。俺たちが何をどうしてここに残っているのかを。だから、奪おうとしてくることはない。静かに、通り過ぎていくのみなのである。俺は、彼らのその対応がたまらなくうれしかった。
 こつんと靴音を響かせて、学校中をさまようようにして、俺たちは歩き続けた。そうして、校門前までやってくる。まだまだ、寮で過ごすことは出来る。完全に月が替わるまでは使うことが出来るのだ。だから、俺たち二人は同じ方向へと歩いているわけであった。これから先は、俺とキースの二人は別々のところへと帰るのだろう。なにせ、二人とも貴族であり、特に彼は跡継ぎなのだから。ならば、これが別れとなってしまうのだろう。寂しくなる。王都で初めてできた友人なのだから。彼と離れることは俺の心に小さな虚しさを覚えさせるには十分なわけなのだから。

「ぼくは、『さようなら』なんて言葉は言わないよ。そうだな……『またね』っていうかな。なにせ、再び会うことが出来るわけだからね。また再び会いましょうって言葉を短くしたものなのだからね。だったら、少しも寂しいなんておもうことはないでしょ。だから、ぼくは『またね』って言葉が好きなんだよ。とっても綺麗で、素敵な言葉だとおもわないかい?」
「そうだな……俺もそう思うよ。だったら、俺も同じ言葉を使うとしようか。……またな、キース」
「うん、またね……アラン」

 俺たちはそれだけを言って別れる。そうである。彼の言葉がすべてだろう。言葉は俺たちの思う以上に強い力を持っている。再び会うための言葉を言えば、それは叶うのだから。であれば、寂しさを紛らわせるかのように、歩くことはない。俺は真っすぐに胸を張るように歩くわけであった。

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