天の仙人様

海沼偲

第163話

 ハルはいらいらとした様子を隠すことは出来ていないようで、俺の腕を抱き寄せることで、なんとか暴れずに済んでいるのであった。今は、アキがいないためにこの程度で済んでいるかもしれないが、彼女が近くにいてしまえば、ハルは我慢が出来ていなかったことだろう。感情の爆発によって暴れまわっていたとしてもなにも不思議には思わない。それほどである。がちがちと爪を噛んで、ストレスを発散しているようでもあるのだから。だから、今はこうして、二人と、ルーシィも合わせての三人で歩いていることにほっとしているのかもしれない。今まさに、周りからストレスを感じることのない環境になることが出来ているのであろうか。
 彼女が腕を抱きしめているときの力の入りかたが強いために、骨が悲鳴を上げているが、俺の肉体を強化することでそこを無理やりに耐えきっている。少しでも気を緩めてしまえば、俺の腕がちぎれてしまって周囲にいる人たちから阿鼻叫喚の地獄絵図な反応をもらってしまうことが考えられる。だから、一生懸命にこらえているのだ。とはいえ、その様子を全く彼女に悟られずに行わねばならない。俺の気遣いというものである。最大限の慎重さでもって彼女と対面しているわけなのだ。

「ねえ、ハルちゃん。ハルちゃんはどうにかして、彼女たちがアランから離れてくれるようにしたいと思っているみたいだけどさ……それって無理なんじゃないかな? 少なくとも、アランに対して好意を積極的に見せてくるような人たちには、絶対に追い払うことは出来ないのだと思うよ。ハルちゃんが求めていることを完全なまでに求めようとするには、天地がひっくり返るような大事件が起きないとね。そして、それは決してあり得ないだろうということもまた確実に言えてしまうんだよね」
「何でそんなことを言うのよ。そしたら、今までの努力は全て無駄ってことになるじゃない。私の今までの行動すべてを否定されたら、さすがに泣き喚くわよ。まあ、確かに今のところは何一つ成功しているとは思えないけども。今この状況がわたしの努力を完膚なきまでに否定しているのだけれども。それでも、何度だって続けなくちゃいけないでしょ。アランと関わるためには、私が常に近くにいるから、私とも関わるぐらいなら、アランと関わるのは辞めようなんて思ってくれれば最高なのだけどもね。どうやら、私という障害一つでは簡単に乗り越えてくると言うのが本当に厄介極まっているわ」
「ハルちゃんってさ……本当に優しいよね。だから、そういうところも嫌いじゃないし、むしろ好きだよ。だからなのかな、あたしとハルちゃんが友達でいられるのは。アランとのことになると、いまだに喧嘩しちゃうようだけど、それをすっかり忘れて、友達としての関係も築いていられるもんね。そうそうあり得ることじゃあないよ。少なくとも、あたしの女友達の中では、そういう子はいないかな。……だからね、ハルちゃんの努力が、頑張りがとっても愛おしく感じるもんね」
「なにそれ、どういうことよ……。全く意味がわからないわ」

 確かに、ハルから見れば、ルーシィのその言い分の全てを理解は出来ないだろう。自分自身を客観的に見ることは難しい。だが、ルーシィ自身は彼女のことを客観的に見ることが出来る。出来ているのである。冷静に物事を考えられるのだろうか。主観を出来る限り混じらせないようにしているのかもしれない。どちらにしても、難しいことではある。もしかしたら、彼女だからこそ、ハルのことを一切の主観を混ぜることなく見ることが出来るのかもしれなかった。
 彼女はハルの顔を覗き込むように見ている。ニコニコと笑顔のままに。尻尾と耳がぴこぴこと動いてはいるが、感情を読ませないかのような仮面を振りつけたような笑顔であるために、それを向けられたことに戸惑っているようにも見えた。ぷいと目を逸らすように動かす。だが、それを見たうえでも彼女はしっかりと視線を向けたままに動かすことはしないのだ。
 非常に澄んだ瞳が、ハルのことをとらえて離すことはない。おそらく、世界で最も綺麗な瞳を持っているであろう。それほどまでに、透き通っているようで、宝石であるようで、そしてそれが陳腐で俗物的であるかのような、汚さを持つ形容さに変わり果てるほどであろう。それが、ルーシィの持つ瞳の魔力であった。きらきらと輝いており、心から飲み込まれてしまうようだ。見つめ続けていれば、意識が奪われてしまうのではないだろうか。それほどまでの錯覚を覚える。

「だって、ハルちゃんが本気でアランにまとわりつく女の人を排除したいと思っているんだったら、アランの悪口を言えばいいんだから。アランはこれだけダメな男だから、あなたには愛し続けることは出来ないって。アランのことを一番よく知っているのはあたしと、ハルちゃんだけなんだから、それを信じるしか相手には出来ないんだよ。なのに、ハルちゃんは絶対にアランのことを悪くは言わないでしょ。むしろ、自分のことを悪く見られるようにすることで、離れさせようとするなんて、心の奥底にある心優しい性格が覗けちゃうもんね。だから、なんだかんだ言って、他の女の人もアランに言い寄ってくるんだろうね。だからね、ハルちゃんがそうやって他の女の人から遠ざけるようにしている限り、あたしは何もしないことにしているんだよ。だって、本当の拒絶をしていないからね」
「何を言っているのかしら? 私がなんでアランの悪口を言う必要があるのかしらね。そんなことを言ってしまえば、私の愛が真実のものとして存在していないようなものじゃないかしら。悪口を言うのだったら、文句を言うといっていいかしらね。そういうのは、全てアランに直接言うわよ。だって、それが真実に正しいことではないかしら? 愛とは隠すことなくさらけ出して、相手に文句を言えることでもあるのよ。悪口は見えないとこでいってしまうと、そこに愛はないのだから。ただ醜い性質があるだけ」
「やっぱり、ハルちゃんは優しいね。そんなことを言っているから、皆アランに近づきたいと思っちゃうんだろうねえ。なにせ、そんなに心優しい女の子が真剣に惚れている人なんだもんね。むしろ、ハルちゃんが愛想をつかすことがあったら、アランに言い寄ってくる女の人はいなくなるかもね。ハルちゃんが最も望んでいる世界を作るためには、ハルちゃんがアランから離れなくちゃいけないんだって。そうしなければ理想となる世界は生まれることは永遠に来ないんだって。なんてかわいそうなんだろうね。あは、だったら、それはそれであたしとしては嬉しいかな。だって、アランのことを真に愛して、真に愛される女性があたし一人になるんだからね。アランの愛を一人占めしちゃったら、どうなっちゃうんだろうね。もしかしたら、愛に溺れて死んじゃうかもね。でも、それってとっても素敵なことじゃない。愛され過ぎて死んでみたいよね」

 最後の言葉は冗談ではなく本心だろう。少しの偽りを隠すことはなく、真正面から自分の心の奥底を見せてくるのである。だが、今話している言葉も、冗談臭く言っているようでもあるが、何年も一緒に生活していれば、大体本心なのだろうなと、なんとなく感じるわけではあるが。こうやって、奥底にしまうような気持ちも吐き出させているのは、もしかしたら、ハルの性格をルーシィ自身がそう思っているからなのだろう。こんなことを言ってしまっても、たとえ、自分たちの友情が崩れることはないだろうと思っている。だから、少しばかり自分が思っていることを吐き出してもいいのだと。絶対的な信頼を二人から感じるのである。ライバルとはまた違う。絶対に俺からの愛が途絶えることはないだろうし、相手からの友愛も消えることはない。そう信じ切っているからこそ、極限まで好き放題に言いたいことを言っているのだ。生半可な信頼関係では出来ないだろう。それだけがただ確実にわかるのであった。
 ハルはじとっとした目線を彼女へ向けている。呆れているのかもしれない。だが、それすらも気にしていないかのように彼女はにこりと笑っているのだ。しばらく、それが続いている。ハルも諦めたのか、笑った。静かに、そしてほんのわずかに。意識がかちりと変わったようなそんな気がするような柔らかな笑みであった。やはり、彼女は笑っている姿が一番愛らしくて、愛おしい。俺は開いているほうの手で、ゆっくり彼女の頭をなでるのである。それのおかげでか、先ほどまで強く握りしめられていた腕が解放されるように弱まっている。力を入れていなくてもちぎれる心配がなくて心の奥底でほっと一息ついた。
 それからというものは、アキやユウリが俺に近づいてきても大きく怒りを出さなくなってしまった。今までからは考えられないような事態である。もしかしたらルーシィに指摘されたことに関する気恥ずかしさが勝っているのかもしれない。それを見た、彼女たちはどうしたものかと逆に困惑している。それを見たハルは策士なのだろう。わざと涙を瞳に溜め込んで、泣き始めるのである。それを見れば、当然のように今までの対応とは違うのだからと、大きく動揺している。少しばかり面白さを感じたが、俺はとりあえず彼女のもとに近寄って抱きしめて、そして優しく頭をなでる。チラリと彼女の顔を見たが、にやりと笑みを浮かべていた。やはり、策士であったということだろうか。計算でもって、どうにかしてやろうという魂胆が隠れているのだ。俺は嫌いになれるわけがなかった。
 だが、俺はこの作戦も長くは続かないと思える。いつかはバレてしまうだろう。嘘で泣いているのだと。その時には彼女の涙なんて無視をして、俺に近づいてくることだ。それがあまりにも簡単に想像できるものだから、彼女になんて言ったらいいのかわからない。だから、こうしてゆっくりと彼女の頭をなでていることで、先送りにしているような気持ちもあるのだ。
 思った通りで長くは続かない。泣いていようとも関係ないとばかりに俺に抱きついてくることが起きたのだ。一週間しかそれは通用しなかったのだ。長く使えた戦略なのか、それとも、あまりにもあっさりと攻略されてしまったのか。どちらかはわからないが、その期間しか意味がないことを残念がってはいた。そうすれば、当然今までのように怒って追い払おうとするわけである。それはまた意味がないことなのかもしれない。なにせ、どれだけ条件を付けようとも、気にした様子なんて見せないで言い寄ってくるのだから。
 そんな日が続いていれば、時が流れるのも早く感じてしまう。それだけ充実した時間を送れているのだ。そして、もうすぐカイン兄さんが帰ってくるという時期までやってきていたのである。大体一か月くらいの時間この国を留守にしていた。その兄さんがもうすぐ王都の門にやってくるというのだから、俺たちは前に集まって門の先を見つめていた。集合しているのは俺たち家族と、後は王子殿下たちぐらいか。国王陛下は王城で待機している。国家元首から会いに行くことは、さすがにダメであるから。
 カイン兄さんの妻であるリリ義姉さんはそわそわしたように落ち着かないでいる。確かにそうだろう。国の外に自分の夫が行っていて、そして、そこで何かしら危険な目にあってはいないだろうかと心配をしてしまうのは至極突然のことである。一応手紙ではそんな様子は書かれてはいないようだから、心配のしすぎではないかと思うのだが、俺たちと彼女とでは、筆跡から感じる文脈の真意の読み取りに違いが生まれていることであろう。だから、母さんたちが隣に立って、落ち着くようにと、安心させるようにと言葉をかけてくれていた。この時には俺たちではなく、同じ女性の言葉が力になってくれるだろう。だから、母さんたちに任せるのである。

「なあ、アラン。最近マリィの様子がおかしいんだ。たぶん、一週間くらい前からだったと思うのだけどな。どうも、体調がすぐれないようで、よくトイレに駆け込んでいる。吐き気を催しているらしいんだが、俺が病院に連れて行こうとすると、どうも嫌がるんだ。そして、ミーシャと共に何かをひそひそと話しているんだよ。まるで悪だくみをしているかのような、にやりとした笑みを浮かべてね。何をしているのかわかるかい?」

 隣に立っていた兄さんに、そんな言葉を投げかけられて、俺はどう答えればいいのか。むしろ、兄さんはその状態の女性を見て、なにも思い浮かばないのか。おそらく、マリィ義姉さんはある状態になっているのだろうが、それを兄さんに隠しているということは、何かしらのサプライズを狙っているんだろう。一体どんなサプライズとなるのかは一切わからないが。ならば、義姉さんの真意が読めない状態で口走ってはいけない。だから、俺は適当にわからないなんて言ってその話を終わらせる。
 と、しばらく経ち、遠くから馬車がやってきている。ガラガラと音をたてながらゆっくりとこちらへ向かってきているのだ。ようやく、しばらくぶりにカイン兄さんが帰ってきたのであった。

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