天の仙人様

海沼偲

第158話

 あの事件の後、両国間で問題というものが発生することはなかった。キーリャが連れ去られてしまったことは確かだが、俺たちがすぐに救出したおかげでもあり、彼女自身の要望にもよるものであった。おかげで、亀裂が入らずに済んだ。国王陛下はこっそりと俺に対して感謝の言葉を述べてくれたのである。ルイス兄さんも同じように俺を呼び出して一言二言礼を言ってくれた。
 そんな日々もあり、そうして、キーリャたち共和国の面々は今日帰ってしまうことになる。もうすっかり、そんな日にちになっているのだ。彼女はこの国に残るなんてことを言いだしたりしてしまうのではないかなんて、心配はしたが、そういうことはなくおとなしく帰っていった。喜ぶべきことなのだろうが、もう少し駄々をこねてほしく思ってしまった。面倒くさい性格ではあるが、何も言われないままに帰ってしまうというのも悲しいものである。俺たちは、門の手前まで見送るのである。見えなくなるまで手を振っている。ガラガラと音をたてながら消えていってしまう。いた時は、毎日のように王城に呼ばれてそのたんびに騒がしかったような記憶があるが、いなくなってしまうと寂しく感じてしまうものである。ハルは、いなくなって清々したような表情ではあるが。
 今までと変わりなく、日々は過ぎ去っていくのである。空を見るが、景色は変わりなく、ゆっくりと雲が流れているのだ。静かな風景である。そして、下に視線をおろせば、パーティが開かれているのだ。日常から大きく離れたような、騒がしくも、喜びにあふれたような空間である。今日は、カイン兄さんの結婚式であった。もう、カイン兄さんも学校を卒業してしまい、そして、結婚式を挙げることになっているのである。来年には俺の番だろう。いつのまにやら、そんな歳になってしまったのだろうか。つい最近この世に生を受けたばかりだったと思っていたのに。
 兄さんたちの結婚式は、王都にある二番目に大きい教会で開かれている。男爵家の次男の結婚式であれば、ふさわしい大きさといえるだろう。むしろ、ルイス兄さんの結婚式に使われたような教会は、侯爵以上の爵位を持っていなければ、普通は挙げることはないのだ。王族が関わっているおかげであろうといえる。カイン兄さんの結婚相手となるのはリリ義姉さんだけだ。兄さんとしては、二人以上いないから、複数人の女性の機嫌をうかがわなくて楽だと言っていた。たしかに、そうかもしれないが、俺は今の状況に満足しているために、答えることはなかった。これは人それぞれの価値観だろう。それに、これから先、新たな妻が増えないとは限らない。なにせ、貴族の次男なのだから。それに、カイン兄さんもまた、主席卒業の優秀な人間である。むしろ、リリ義姉さんだけでそれ以降がいないというのも不思議な話であった。
 結婚式のパーティの最中に、ルイス兄さんが、近くに寄ってきて、何かを話しているようであった。その場には、兄さん以外にも父さんであったり、何人かの貴族で固まっている。俺は、気になったので、俺もその輪の中へと入っていく。他愛もなさそうな話であればいいのだが、兄さんたちの顔つきがこの場に似合わないほどに、あまりにも真剣であるために、気になって仕方がないのである。

「卒業前に、話があったと思うけれど……やっぱり、カインが行くことになったよ。これは議会で決定してしまったことだからね。どうあがこうとも覆すことは出来ないと思っておいてほしいんだ」
「やっぱりそうか。いやあ、まあ……オレが主席で卒業したわけだしな。これ以上ない程に適役だということだろうな」
「ああ、そうだよ。だから、帝国行きの使節団の一人として参加してほしい。いやいやじゃなくて、喜んで受けてくれると、さらに嬉しいところではあるかな」
「わかったよ、兄さん。まあ、これはどうあがこうとも断れるような話じゃあないしな。開き直るしかあるまいよ。だから、兄さんも別に何か変に考え込まなくても大丈夫だぜ。別に死にに行くわけじゃあないんだからな」

 どうやら、この後、兄さんは使節団として、グーズリマ帝国へと向かうらしい。そこは、獣人の人口が最も多い国家である。その国と友好を結ぶための使節団の一員として派遣されるという重役に重用されたのだから、父さんたちは涙がちょちょぎれるほど喜んでいるのであった。だが、俺は心配である。その国は獣人が多いために、皇帝も当然のように獣人である。俺が、キーリャの姿を見て、共和国の人間だとわかったのは、周囲を固めている兵士たちの姿が獣人ではなく多様な種族であったために、わかったわけであり、帝国の人間であれば、周囲の人間もまた獣人が多いことは間違いない。王国とは人口比率がちがうのだから。そして、獣人の国というだけあってか、国民性も少しばかり血の気が多いのだ。力が強いことに対する敬意が他国よりも高いのである。だからこそ、カイン兄さんを選んだということでもある。
 使節団の代表と帝国の代表同士で決闘を行うというイベントがあるそうなのだ。これは、使節団を向かわせるたびに行うそうだ。他国の使節団が来ても同じことをするそうなので、その部分だけで、どういう国なのかわかるものだ。そのための、我が国の代表としてカイン兄さんが選ばれたというところもある。なにせ、卒業時の成績も主席なのだから。六年間主席を守り抜けたのならば、何の問題もなく送り出すことが出来るだろう。帝国の代表も同い年をたてるそうなので、実力差が大きく離れるということはないはずである。
 ならば、どこに不安があるのかというところではあるが、兄さんが、他国で多くの女性に言い寄られてしまうだろうというところである。そして、それに対してそれなりの対応が出来るのかということもまた重要である。なにせ、獣人の女性というのは強い男に惹かれるのだから。そして、その強さが絶対的な視点でわかってしまえば、より多くの女性の注目の的になる。しかも、獣人の女性というのは、一度も子供を出産せずに、年を取るたんびに、発情期の衝動が強くなるといわれており、兄さんの強さに惚れてしまった、年を取っている獣人女性に襲われてしまうことだってあり得るだろう。一応は、年を取るほどに発情期の周期は伸びていくそうだが、それでも、兄さん滞在中にちょうど発情期の女性がいないとは限らない。もし、帰ってきたときには、父親になっているということになったら笑える話ではない。
 一応は、そのために護衛が何人かつくらしいが、それでもどうなることか。リリ義姉さんも、心の中では不安でいっぱいなことだろう。顔を青く染めているのだから。それに気づいた兄さんに、背中をさすってもらって何とか落ち着いているという感じであるのだ。しかし、それは仕方ないことではある。少なくとも、俺にはその不安を解消させることなどできないのだから。どんな言葉をかければいいかわかるはずもない。無事に帰ってこない限りそれに悩まされ続けることは間違いないだろう。
 そんな中で兄さんが使節団の一員として出発する前日となり、俺たち兄弟は兄さんの部屋に集まった。静かに三人でいるだけだ。何かを言うつもりはないかのようにだまったままでいるのである。仕方ないだろう。なんて声をかければいいのかわからないのだからな。冗談の一つでも言えればいいのだろうが、笑えそうにはないかもしれない。それほどなのである。ある意味では相当に危険な国だろう。内紛状態の国の方が平和ですらあるかもしれない。

「明日には帝国へ出発することになるな。三週間程度で到着するらしい。けっこうな長旅にはなるが、海産物で有名な国だから、美味しい魚料理を味わえることは間違いないだろうな。僕が行ってもよかったんだが、帝国的には魔法使いはあまり尊敬されるような戦い方ではないらしい。肉体としての強さを求める国だからね。自分たちの種族にも魔法を得意とした人たちはいるのにね。不思議なものだよ」
「そりゃそうだ。だけど、そういう価値観のあるせいで、兄さんが行けないとなるんじゃあ、オレが行くしかないんだろうな。結婚してそうそう離れ離れになるとは思わなかったけど、こればかりは仕方ないことだしな。今更うじうじというつもりはないけれど、もう少し余裕が欲しかったと思わなくはないぜ」

 カイン兄さんは、ふうと息を吐いた。自分が溜め込んでいるものをすべて吐き出すような、深い深い息である。誰もそれに対して何かを言ったりはしない。ただ、疲れたような顔をしている兄さんに、なんて言葉をかけたらいいだろうかという迷いが見えて仕方がないのである。俺は、眉間のあたりを抑えるようにして、もんでいる。ごまかしているようでしかないのだった。ただ、そうでもしないと兄さんから漂ってきている陰鬱な雰囲気とでもいうものが、こちらに届いてきてしまうのである。
 ぱちぱちという手持ち無沙汰な音が部屋に響いて仕方がない。あまりにも音がなく、深く考えてしまう空気が出来ているのだ。俺はどうにかしてこの空気を脱却しようとするしかあるまい。動かなくてはならないのだ。

「兄さんは、なんだかんだ言って図太いんだからさ。他の国に行ったとしても、それなりにこなせるだろうとは思うけどね。それに、兄さんみたいに戦うことが好きな連中が多い国なんだし、もしかしたらすごく楽しめる可能性だってあるかもね。一、二週間ぐらい滞在するらしいけど、その間ずっと戦い続けているかもしれないしね。兄さんはそういう人間だろう?」
「たしかに、それもあり得るだろうな……。楽しい旅行になるかもしれないな……。はは、死ぬわけじゃあねえんだけどな。むしろ、安全なほどだろうな。ただ、リリに心配はかけたくねえなあ」

 遠い目をしながら、水を飲んでいる。キンキンに冷やされている水は、俺たちの心を冷静にしてくれるようでもある。だが、カイン兄さんの緊張は水を飲んだ程度では消せないらしく、ぶるぶると震えたままそれを抑えられそうにはないのである。だが、俺たちはそれを指摘したりはしない。無理もないことなのだから。初めての国外であるし、その国がグーズリマ帝国であると知れば、そんな様子になってもおかしくはないのだから。
 途中から静かに涙を流し始めている。こらえるようにしながらも、それでありながら抑えきれないというようにこぼしてしまっている。俺たちはそれを見ないようにしている。男のやさしさという奴だろう。気づかないようにしてやるのである。そればかりが、俺たちが兄さんにできる唯一のことであったかもしれない。全ての慰めは全くの無駄であるかもしれないほどなのだ。
 涙を流しきったおかげだろうか、兄さんは次の日出発の時となったら、笑顔で俺たちに手を振って王都を出発していった。リリ義姉さんが大泣きしながら送っている光景は目頭に来るものがあったが、俺も泣いてしまってはダメだろうと無理やりにこらえる。何とか乗り切ることが出来たのであった。
 俺は一人外へと出ると、背後に気配がする。振り返ってみればお師匠様が立っているのである。タイミングがいいといえばいいのか、悪いといえばいいのかわからないところではあるが、聞きたいことがあるために、いいタイミングであったと思っておくことにする。
 キーリャを誘拐した謎の男とその裏にいるであろう組織。そのことについて聞いてみるが、お師匠様もまだわかっていないらしい。あれから、煙となって消えた男の後を追っているそうなのだが、尻尾を掴んでいる様子すらないらしい。おそらくではあるが、お師匠様たちの仙人の勢力とはまた別の勢力の末端に位置する者たちではないだろうかと思っているそうなのだが、それがどこの勢力なのかというところまでは分かっていないらしい。だが、それだけでも俺にとってみれば十分な情報である。少なくとも、俺たちと同程度の実力者、そしてそれ以上のもの達で構成されている勢力が俺を含めて、お師匠様たちとも敵対しているのかもしれないということが分かったのだから。
 とはいえ、彼らと戦おうにもどんな勢力なのかまでは分かっていないために、全面対決となるまでにはそれなりの時間がかかることだろう。それまではひたすらに実力をつけていかなければならない。前回ではただ追い払っただけでしかないのだ。確実に倒せるようになるためには、今のままではダメなのである。だからといって焦ってはならない。無理だけはしてはならない。無理程無駄なものはないのだから。一つずつしっかりと積み上げていかないとならないだろう。
 肩に乗っているアオが俺のことを心配しているかのように頬に舌を這わせている。冷たく、そしてくすぐったくある。ざらざらとした感触なのだ。俺は、彼の頭をゆっくりと優しく撫でる。笑みを浮かべる。考え込んでもいいだろうが、思い詰めてはならない。彼らに心配されてしまうようでは失格だろう。心配させないために力をつけなくてはならないのに、そのせいで心配されては本末転倒という奴である。

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