天の仙人様

海沼偲

第151話

 俺だけは、賓客の中から外れるようにする。客ではないのだから、当然である。そもそもの話として、俺があそこの中にいること自体がどうにかなっているのだから、今この状態こそが正常なのだ。そして、使用人たちに連れられて、中へと主要な人たちが入っていく。当然だが、護衛としてついてきている兵士たちは中には入ることはしない。外で待つか、どこかの宿にでも泊まるのだろう。十数日は滞在するそうなので、その間は、休暇ということになっているらしい。
 俺は、ルイス兄さんに腕を引っ張られて、少しだけ輪から外れたところへと連れていかれる。恐ろしい形相を見せている兄さんの顔を見るのは珍しい……いや、珍しいということすら間違っているように思える。。俺の人生では一度も見たことはないかもしれない。それほどまでに心当たりのない表情をしているのである。だが、この顔を見せてしまうのも仕方のないことではある。なにせ、迎えに来た隣国のお客さんから、弟が出てくるのだから。むしろ、先ほどまでの平静を取り繕っている顔をしていられたのが驚きである。
 とはいえ、俺の一番の驚きは、さらっと兄さんも迎えに上がる王族の中に入り込んでいたことではあるが。いつの間に婿入りしたのか。俺は少なくともそんな話は聞いていない。ルイス兄さんは今もまだルイス=バルドランのはずなのである。そう思っているし、それ以外の名前を聞いたことがない。それに、王族がわざわざ婿入りなんてさせるわけがない。跡継ぎ争いが起きてしまったらどうするというのか。

「どうしてあの中に平然とお前がいるんだ。あそこで、大声を出してしまえば、僕たちの国は無礼者の国なんて呼ばれることになっていたのかもしれないのだぞ。そう考えたら、逆に呼吸すら出来ないほどに、固まったから、なんとかあの場では笑顔のままでいられたけどな。そうでなかったら、悪評が永遠に語り継がれることになっていてもおかしくはないのだからな」
「いやあ、兄さんがここにいるとは思わないじゃないか。何も言ってくれなかったんだしさ。それに、俺だって、まさか馬車の中に乗せてもらえるとは思わなかったんだ。ずいぶん昔に、助けてあげた一団が、今回も来ていたらしくてね。そのお礼が言いたいからって、ああして馬車の中に入れてもらえたんだよ。恐ろしく緊張したけどね。無礼を働いたら、俺の首が飛ぶでは済まないからさ」
「だったら、馬車に乗ることすらも遠慮してほしかったけどね。そうすれば、僕の精神はもう少し安定していたことだろう。今後、永遠にここまでの動揺を見せることはないだろうね。あるとしたら、目の前にドラゴンが突然現れるとかじゃないか。まあ、そんなことなんて普通に生きていればある物じゃあないからね。ということは、やっぱり今日が一番心臓が止まりかけた日といってもいいだろう」
「そうだとしたらこっちもそうだけどね。なにせ、有無を言わさないという雰囲気をバシバシに出していたものだから。これを断ってしまったらと思うと気が気じゃあないよね。だったら、おとなしく従うというものだよ。そして、実際にはこうして生きて王城までやってきている。まあ、向こうも王国の子供を一人斬り殺したりはしないだろうとは思っているけれども」

 兄さんは、俺のことを呆れたように見つめているのである。そんな目で見られるのは悲しい。それに、兄さんだって、俺たちの精神をさんざん弄んできた前科がある。婚約者として、王女様を連れてきた罪は今もまだ忘れてはいない。心弱いケイト母さんの心臓が止まって本当に死んでしまうかもしれなかった。それが誇張ではないのだから。なのだから、兄さんも同じくらい反省してもらいたいものなのだけれど。とはいえ、兄さんが王女様と恋仲になってしまったことはどうしようもないわけではあるが。それでも、俺たちに事前準備をくれるだけの余裕は欲しかったところである。父さんも同じようなものである。
 だが、これで俺は帰れることだろう。さすがに、これ以上拘束されることはないだろうと思いたい。しかし、そうは問屋が卸してくれないようで、使用人の一人が兄さんを呼んでいる。そして、それと同時に俺の名前もである。何故かと思いたい。礼は先ほどの馬車の中でもらっている。もしかしたら、品もあるのかもしれないが、それも馬車の時に渡せばよかったはずである。そうではないのなら、何の用があるというのか。兄さんはこちらを睨んでいるように見える。明らかに、逃げることは許さないと言わんばかりの目である。逃げたりはしないさ。逃げたほうが、危険なのだからね。国同士の関係悪化が俺のせいで起きたとなれば、どんな責任を取ればいいのか見当もつかない。だから、これ以上嫌なことを考えることをやめるとしよう。
 俺たちが使用人に連れられて歩いていくと、一つの部屋に通される。中に入ってみるとどうやら植物園のようであるらしい。しかもこれは、ずいぶん昔の王妃殿下の趣味で作られたそうで。それ以来、庭師たちが何代にもわたって手入れをしてきたそうだ。しかも、庭師たちの間では、王城にある植物園の手入れを任されることは、名誉なことであるらしい。そんな説明をもらった。確かに、今も数人の庭師が手入れをしているようである。
 そして、その部屋の真ん中でお茶を優雅に飲んでいる少女が二人。片方は俺が先ほど一緒に馬車に乗っていたキツネの獣人の少女。そして、もう一人がルイス兄さんの妻である、マリィ義姉さん。……と、どうやらミーシャ義姉さんもいるようだ。席を外していたらしい。今この三人の輪の中に入れとでも申しているかのような目つきを使用人がしている。まるで、他人事のようであり、実際他人事なのだろう。だが、俺はあの身分の高い女性のみの空間に足を踏み入れる勇気はない。自分と同じ身分なら何でもないのだが、身分が高いと気後れしてしまうのだ。どうにかして、俺が関わらなくても済むような事態へと転がってくれないかと思うわけであるが、それを許さないという視線が向けられている。そうであろうな。ふうと小さく息を吐き出し、覚悟を決めるというものである。
 兄さんの後に続いて俺も彼女たちに近づいていく。彼女たちは俺たちの存在に気づいたようで、手を振って呼んでいる。そして、会話へと参加するのだ。やはり、彼女たちと一番かかわりが深いであろう兄さんはスムーズに入っていくことが出来ている。そのおかげで、俺も問題なく入れたことだろう。そして、獣人のお嬢さんと目が合うと軽く会釈を交わす。彼女がどれほどの身分なのかはわからないが、無礼を働かないに越したことはない。

「あなた、今はキーリャさんのこの国までの道中のお話を聞いていましたよ。あ、そうです。彼らのためにも、一つもう一度話していただけないかしら?」
「ええ、そうですわね……では、最初からお話ししましょうか。とはいっても、お耳汚しになってしまわないか心配ではありますが……」

 俺たちはそんなことはないと彼女に視線で伝えると、ほっとしたように、にこりと微笑んで、口を開いてくれた。
 どうやら、彼女の名前はキーリャというらしい。とても綺麗な名前だ。彼女にふさわしい名前だと思う。というか、馬車の中で名前を聞かなかったのは失敗だった。なにせ、二人しかいなかったものだから、名前を呼ぶ必要がなかったというのが要素としては非常に大きいところではあるか。それに、他国の人間とより深く密接な関係になることによる別れの寂しさを軽減させたいという浅はかな思いがかすかに紛れ込んでいた。名前を知っているか、知らないかは、非常に親密度に大きく影響するのだから。
 彼女は旅の道中の話をしてくれる。その中でも山を一つ越えるというエピソードはなかなかに大変だろうと思う。共和国と王国の間には大陸でも一、二を争うような大きな山脈が連なっているのだ。だから、それを超えてやってきているというのに、ひどく敬意を覚えるわけであった。どうやら、車を引く馬を乗り換えながら来たらしい。まあ、当然といえば当然なのかもしれない。山道は少し整備が行き届いていないらしく、馬ではだめだそうで、より馬力のあるものを使うそうだ。今回であれば牛だそうで。一時的に牛車になっていたわけであるらしい。
 山道を走ることを目的とした牛ならば、クールソンサンギュウが一般的だろうか。クールソン地方の山々に生息しているサンギュウと呼ばれる牛である。高山地帯を基本に生活しているサンギュウの中でも、特に険しいクールソン地方の山々を軽やかに移動していることから、山道を走る車を引かせる動物として、彼らの名前が多く上がる。どんな山道であろうとも歩くことが出来て、そしてその場所をたくさんの荷物を載せた荷車ですら牽引出来る。おそらくは、うちの国でも、ある程度の数は確保をしているだろう。一応、山脈とは別の場所に大きな山が領土内にあったはずである。そこを超えると、海が見えてくるそうだが、商人たちの会話と写真でしか知らない場所である。いつか行ってみたいとは思っている。ほんの小さな夢の一つであろう。
 そして、話を聞いていると彼女たち三人は前の訪問の時にも会っていたらしい。その時に仲良くなっていたそうだ。というか、あの時の訪問は何を目的としたものかわかっていない。なにせ、キーリャとその父親のみが訪問しに来ていたらしいのだから。まあ、俺が深く気にしても問題はないだろうが。
 話はだんだんと、兄さんたちの結婚生活へと入っていく。たしかに、久しぶりに会った友人が結婚していたと知れば、それなりの反応はあるだろう。だからだろう、根ほり葉ほりと聞いている。そして、そのたんびに俺のことをちらりと確認している。どうしたのだろうか。俺の顔に何かついているのだろうかと、顔をぬぐってみるが、汚れはないようだ。ならば、なぜ彼女は話を聞くたんびに、俺の顔をみるのか。疑問である。……疑問ということにしておく。彼女の奥深くから湧き上がってくる感情を確かにとらえているような気がしないでもないが、これに対して反応を示してはならない。いろいろと障害が多すぎるためである。彼女の幸せのために、彼女の感情に気づかないふりをするのだ。
 兄さん夫婦の結婚生活を聞くのはあまり好きではない。こちらが恥ずかしくなってくる。だから、周りの情報を閉ざしてしまうかのように、聞き流してしまうのである。それが最もいいことだろう。兄さんだって、弟には聞かれたくはないだろうからな。少しばかり気の抜けたような顔をして、明らかに聞こえていないように見える顔をする。彼女たちは三人で盛り上がっているから、俺のこの表情に気づいているようではない。それは少しありがたかった。
 そしたら、今度はキーリャは結婚する予定はあるのかとか、好きな人はいるのかとか、そういう話へと変わっていく。そして、一つ一つ答えてはいるのだが、そのたんびに俺の方へと少し熱っぽい視線を向けているのが少し気になった。そのため、試しにとその視線の理由を聞いてみたのだが、顔を赤く染め上げて、扇子で隠してしまう。まるではぐらかされているようである。そして、この様子であるなら、この期間中に大きな問題が起きることはないだろうという安心感も芽生えた。必要以上に緊張する必要はなさそうである。
 じとっとした目で、兄さんに見られているような気がしないでもない。だが、俺はあえて気づいていないようなそぶりを見せる。少なくとも、今ここで兄さんに反応してしまってはダメだろう。
 彼女は、王城の中に泊まる。その部屋を案内してあげるとばかりに、女性陣三人は部屋から姿を消した。俺たち男は残っている。先ほどまでとは比べ物にならないほどに静かな空間が出来上がっている。庭師が手入れのためにはさみを鳴らす音だけが響いているのである。今もまさにこの庭は美しく変化し続けている。それが少しばかりの音で表現されている。何故だか、それが心地よく聞こえてきてならないのであった。

「彼女……お前に惚れているのかもしれないね。少なくとも、あそこまで露骨な反応をするものかと逆に疑ってしまう程度には惚れているんじゃないのかな? そのくせ、アランもまた露骨なほどに気づいていないような雰囲気を出していたけれども」
「やっぱりそうか。そうなのかもしれないとは思っていたが、俺だけが感じてたわけではないとなると、やはり、そういうことになるのだろうな。いやあ、少なくともキーリャと俺とでは幸せになれるかはわからない。幸せにするつもりはあるのだが、実際に彼女がそう思えるかまでは保証できない。なにせ、外国人同士での結婚だからね。文化の違いや何やらが、ごまんとあるんだ。好き好きで決められる話ではないさ。出来ることなら、そっちの方が好きだけどね」

 兄さんは、どうするのかという視線を向けてきているが。俺は変わりはしない。もし、この滞在期間中に俺に告白をするのであれば、それなりに考えるだろうが、そうではないのなら、俺には婚約者もいるのだし、そのままにしておくさ。それに、何かのきっかけで、俺に婚約者がいると知って、それであきらめる可能性だってあるだろう。彼女がどういう関係性を望んでいるのかにかかっているところである。

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