天の仙人様

海沼偲

第150話

 街道の向こうから、馬車の一団がやってきている。そして、その全てがこの国で生産されるようなデザインではない。そういえば、ずいぶん前にも同じデザインの馬車を見たことがある。あの時は、襲われていたから助けてあげたというだけでしかないが、彼らの馬車はあの後、一体どうなったのだろうか。気にはなるが、わからない。何せずいぶん前の出来事なのだから。調べればわかるかもしれないが、そこまでの興味も湧いていないというのも事実である。だから、これ以上考えないことにする。考えてしまえば、どれだけ興味がわかなくても気になって仕方がないことだろうから。
 町の中へと戻ると、どうやら、隣国の国家元首が来ているようだ。あの馬車のどれかに乗っているのだろう。隣国の事情には疎いから、どの国かはわからない。馬車のデザインだけで国を特定できるほうが珍しいわけではあるが。馬車が、門をくぐると、歓迎ムードで待ち構えている国民たちに少しばかりの距離をおいてではあるが、群がられている。護衛として馬車の隣を馬にまたがって歩いている兵士たちは戸惑っているような顔をしながらも、歓迎されていることは喜ばしく思ってくれてはいるようであった。表情を作るのが上手い人は、にこやかに手を振っているのだから。とはいえ、少し仮面をつけているかのような平べったさを感じてしまうが。
 近くにいる、女性たちが笑顔で手を振っている兵士に黄色い声を浴びせている。確かに、彼は色男なのだから、女性から声援を浴びることは珍しくないだろう。それをからかわれているかのように隣を歩いている兵士に肘で小突かれているが。というか、女性の声援はより興奮してくると、猿が奇声を上げているみたいに聞こえてくるのだが、それはどうにかならないのか。今一人の女性が興奮しすぎで倒れてしまったではないか。イケメン欠乏症かなにかか。町の警備についている衛兵に引きずられるようにして連れていかれてしまった。痛そうである。

「初めて見る異国の騎士様だからって、キャーキャー騒いで倒れちまったらみっともないだろうがよ……」
「まったくだ……。確かに色男がたくさんいることは確かだが、彼らを相手に発情しているのかと間違うほどに騒いじゃあ、いかんだろう。この国の女は猿か何かかと勘違いされちまう」

 衛兵は呆れたようにぼそりと呟いた。哀愁漂う姿である。俺は彼らを見ていると、心に穴が開いたように虚しくなってしまうような気がして、目を逸らした。再び騒ぎの中心へと目を向けるわけである。
 その様子を遠くから眺めていると、一人の兵士が俺のことを見ているのに気が付いた。気のせいかとでも思っていたのだが、しっかりと目が合っている。あきらかに、俺のことを見ているのだとわかってしまうのである。少し体を動かしたが、その後を追うように目がついてくる。何か悪いことでもしてしまったのだろうか。いいや、そんなことはないだろう。少なくとも、俺はただ立って彼らのことを見ていただけなのだから。そこに対する罪は一切ない。なにせ、皆が堂々としているわけだから。それだというのに、段々と不安になってくる。知らない間に何かしら彼らの琴線に触れることをしたのではないかと。国が違うのだ。ほんの小さな仕草が彼らにとっては差別されていると思ってもおかしくはない。文化が違うというのは恐ろしいことなのだ。
 そして、彼はこちらへと近づいてくるのである。人の波をかき分けるようにして。民衆も、こちらへと近づいてくる兵士へと道を開けるように避けてしまうために、真っ直ぐに此方へと向かってきている。一本の道が出来ているのである。もう逃げることは出来ないだろう。俺は試しに、他の人と同じように、兵士の道を開けるように脇へよけてみたのだが、完全に俺の方へと歩いてきているのだが、それは全て無駄になっている。
 俺の目の前には、一人の兵士が立っている。なかなかの迫力である。すくなくとも、俺と同じくらいの少年であれば、恐怖に駆られてしまい、泣き出してしまってもおかしくない程に。そこまで睨んでしまってはダメだろうと言いたくはなるが、おそらくだが、この表情が彼の基本なのだろう。だから、直そうとしても直すことは出来ないだろう。表情筋が固まっているのかもしれない。

「あの、何か俺に用でしょうか? 隣国の兵士様が、この国のたった一人の国民に対して用事があるとは思えません。もしかして、人を探しているのでしょうか? でしたら、俺にはあなたのことは見覚えにありませんので、おそらくは人違いだと思いますよ。それでしたら、ここで油を売っている暇はあるのでしょうか?」

 俺は、そう優しく諭すように言う。少なくとも、彼に喧嘩を売るメリットがないのだから。それに、友好を結んでいる国同士の国民で争いが起きたとなれば、関係にどんな影響があるかわかったもんではない。しかも、兵士と貴族である。平民同士とはわけが違うのだから。だからこそ、より慎重にならなければならないといけない案件なのである。しかし、それでも、さらに近づいてくる。さすがにこれ以上近づいてくるようであれば、他の人に止められることは確実だろうから、そのギリギリのラインで立ち止まってはいるが。
 彼は驚いたような顔を見せた。俺の言葉を聞いてである。なんと言われると思ったのか。少なくとも俺の言ったことはほとんど本心であるし、それで立ち去ってくれるのであればより嬉しい。出来る限り穏便に何事もなくこの場を乗り切りたいのだから。そのためには、彼が何事もなかったかのように人違いであったとして、馬車の列へと戻ることが大切ということだ。俺の思いをぶつけるかのように真っ直ぐな目をわざとしている。彼がその気持ちに気づいてくれるかどうかは賭けでしかないが。

「なんと、忘れてしまったということですか。……ああ、いえ、忘れてしまっても仕方のないことです。なにせ、あなたにとってみればとても他愛のないことの一つに過ぎなかったのでしょうから。しかし、私たちにはそうではないのです。なにせあなたは、数年前に、私たちが襲われていた馬車を助けてくれた少年ではございませんか? たしかに、その時には、ほんの少ししか顔を拝見することは出来ませんでしたが、私はあの時に助けてもらった顔の少年を忘れたことはございません。いいえ、私だけではならぬ、あの場にいた全員があなたのことを覚えていることでしょう。あの時は、相当に急いでいるようでしたし、私たちも、あなたを探し出して謝礼を送るだけの時間を割くことが出来なかった。だからこそ、心の中でのみ感謝をしていましたが、今回はなんと、偶然にもあなたを見つけることが出来ました。あの時に助けていただいた全員が、今回の訪問に参加しております」

 そうして、手を差し出してきた。俺はとりあえず握手をする。というか、あんなずいぶん前のことをよくもまあはっきりと覚えているものだ。しかも、あの時あの瞬間にしか会わなかった俺の顔をそこまではっきりと覚えているなんて、どれだけ記憶力がいいのだろうか。やはり、死の淵にいると、いろんな能力が底上げされている状態になるのだろうか。記憶力とかも。確かめたりはしないが。
 そして、出来る限り穏便に事が運ぶことは決してないということが確定した。彼らの命の恩人なのだから。周りの人から、感嘆の声が上がっている。褒められることは嫌ではないが、どうして今この場所でなのだ。俺にとっては、俺自身を肯定してくれる存在は親と婚約者で十分なのだから。特に、仙人になってからはその気持ちがより強くなっている。
 そして、俺は彼に連れられて馬車の方へと歩くことになる。いいのだろうか。だが、誰もがそのことに何か言うことはない。ということは、問題はないということなのだろう。問題があってほしかったが、そうはいかないらしい。俺はおとなしく馬車の近くまで寄る。すると、扉を開けて中に入るように促される。良いのかと周りを見るが、問題はないというかのように笑っているのである。ならば、入るしかあるまい。少なくとも、それが礼儀なのだろう。
 そして、中に入ると一人の女性が座っていた。そして、にこりと目つきで笑みを浮かべながらお辞儀をしてきた。ならば、俺も同じように頭を下げる。彼女は扇子で顔の下半分を隠しているが、目元や顔の形を見る限り、キツネの獣人であるということが分かる。それも、顔全部がキツネのタイプである。ルーシィとはまた違う獣人である。だが、彼女の美しさは上半分だけでもよくわかるものとなっている。
 だが、馬車に乗るような位の人に獣人がいるような国だというと、ムルーシェア共和国が当てはまるか。あの国は、国民から選ばれた議員たちによって、政治が運営されているからな。種族による差別は存在しない。この国だってないとは思うが、政治に関われるのは貴族だけであり、貴族もまた他の種族は非常に少ない。三家しかいなかったと記憶している。
 とはいっても、共和国内でも議員になることが出来るのは一定以上の地位を持っている人間でなくてはならないらしいが。要するに、教養が一定の水準を超えていなくてはならないということである。バカに政治は出来ない。そして、すべての国民が高水準の教育を受けることもまた難しい。ならば、高水準な教育を受けた人間から選ぶのが理想だろう。当然の思考だ。だからこそ、今こうして目の前にいるお嬢さんも、どこぞの資産家か、貴族か。いろいろとある。

「ああ、ずいぶん前に見て以来ですわ。お会いしたかったわ。なにせ、あの時にはすぐにどこかへと行ってしまったものね。ですから、私はこうやって再び出会えることを楽しみにしておりましたわ。あの時に、ほんのわずかに窓の外から見た、素晴らしく美しく気品にあふれていたお顔。そして、野蛮に暴れまわっている獣たちを、軽くいなしてしまう実力。ほれぼれしましたわ。こうして、目の前で見ることが出来て嬉しいですわ。私が数か年もの間恋い焦がれていたお方が今まさに目の前にいるのですから」
「あなたのような美しい方に、こうして褒めていただけると光栄ですね。身に余るほどでございます。あの時は、至極当然のことをしただけですからね。困っている人がいて、俺の手が届くのならば、助けてあげようと思っただけですよ。そして、たまたまあなた方だったというだけです」
「あら、お世辞がお上手ですのね。ですが、あなたのようなお方に、たとえお世辞であっても、私のことを美しいなどと言ってくださるなんて、とても嬉しいですわ。それに、謙遜なんてしなくていいのですよ。私たちは心からあなたに感謝しておりますから。でも、そうして謙遜する姿も素敵ですわ」

 彼女と軽く話をしながらも馬車はゆっくりと動いていく。そして、あの当時のことを感謝されても本当に心苦しいところではある。なにせ、俺が原因で襲われてしまったようなものなのだから。まるで、自作自演をしているかのようである。ああ、俺は悪いことをしているつもりはないというのに、どうしてこうも罪悪感にさいなまれなくてはならないのだろうか。というか、彼女は俺のことを盲目的にとらえすぎてはいないかと心配になってしまう。騙されやすそうだとなんとなく思ってしまったのだ。
 だが、そのような感情を彼女に知られてしまえば、おそらくは彼女もまた心配してしまうだろう。少なくとも、彼女は俺のことを命の恩人だと思ってくれているし、実際にそうなのだろう。だから、彼女に心配をかけないようににこりと微笑むばかりである。それを見た彼女はさっと顔を隠してしまう。とても愛らしく思った。少なくとも、彼女は俺より年上のように見えるのだが、たまに出てくる仕草は、やはり可愛らしいと思える。まるで、自分より幼い少女に出会っているかのようである。
 そうして、馬車が到着した。結局最後まで乗っていた。しかも、降りる場所は王城の敷地内である。そして、王族の人間も何人か出迎えに来ている。そして、どうやらルイス兄さんもそこに混ざっているのである。ああ、少しだけ気怠い。どうにかして、逃げることは出来ないだろうか。出来ないだろう。仕方ないことだ。諦めるとしよう。
 俺たちが乗っている馬車の扉が開いた。まずは俺から降りるとしよう。そして、彼女に手を差し出す。手を掴んでくれたら、そのまま降りるサポートを行う。そして、その間にルイス兄さんは俺の存在に気づいた。驚愕している。当然だろう。隣国の馬車から自分の弟が出てきて驚かない人間などいない。俺だって、カイン兄さんでも、ルイス兄さんでもいいが、その二人のどちらかが、この馬車から出てきたら、度肝を抜くことには間違いないのだから。
 だが、兄さんはしっかりとこらえている。今すぐに驚愕に身を任せたいところを無理やりに抑え込んでいるのである。そこは、さすがであると尊敬できる。まるで、自分自身の動揺をまわりに、正確には俺以外に悟られないようにしているのだから。さすがに、弟である俺には気づかれる程度の動揺を見せてはいるが、それだけでしかない。俺も見習いたいものなのだ。

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