天の仙人様

海沼偲

第143話

 俺たちが一般の観客席にやって来た時も、まだ彼の体は光り輝いているだけで、他の様子は見られない。だが、いつ、光が収まってしまうのかはわからないし、そうなってしまったときに、何がそこにいるのか。いろいろと予想はつくだろうが、そのどれもが恐ろしく外れてほしいと思うものばかりなのであった。観客たちはその異常性に気づいていながらも、逃げずにいる。今すぐにでも逃げてほしいところではあるが、かえって余計なパニックを生んでしまいそうで、それを言いだすことは叶わない。
 俺はすぐさま、飛び降りて、舞台へと到着する。その頃になって、ようやくルイス兄さんも俺たちのことに気が付いたようである。確かに、今これから目を離してしまうほうが相当に危険だと思う。だから、目と鼻の先にまで近づかなければ、兄さんが気づいてくれないというのも仕方のないことであった。兄さんは俺たちの顔を見るとほっとしたような顔を見せているのである。逃げることは出来ないが、自分一人であったら命を散らしていたのかもしれないと、兄さん自身で感じていたことなのかもしれない。ならば、ひとまず安心させることに成功したことであろう。
 ハルたちは、観客席の上から、その様子を見てもらっている。出来るだけ、周囲の人間を守る力を持っている人は、彼ら彼女らの近くに置いておきたいというのもあった。だから、今この光り輝いている人の前にいるのは俺たち三兄弟だけである。だが、俺たちの連携はそこいらのパーティや部隊に負けているとは思っていない。どんな敵が相手だろうとも、最低でも足止めは出来ることだろう。皆が逃げるだけの時間を稼げなくてはならない。俺たちの本気では周囲を巻き込む可能性だってある。それでは本末転倒なのだから。
 と、もう一人俺たちの元へと駆け寄ってくる人が確認できた。彼は、真っ直ぐ俺の元へと向かっており、隣で止まる。彼はキースであった。今現在、特待クラスに在籍している。俺たちの学年で上位の成績を修めている生徒の一人である。彼の顔は汗を流しており、またその汗が疲れから出ているものではないとよくわかった。少しばかり、最悪のラインを変更しなくてはならないだろう。より悪い方向へ。その全てを彼の表情が物語っているのである。

「……少しばかり、いいや、とんでもないぐらい危険だね。ぼくの周りを飛んでいる精霊があまりにもうるさく騒ぎ立ててくるんだ。アランくん達が死んでしまうってね。だから、どうにかしないとって思って、とりあえず、ぼくが来たのかな。一応これでも、それなりに魔法の技術はあると思うから」

 その言葉は震えている。力なく感じてしまうのである。確かに、精霊が周りにいるために、量も技術もそこいらの魔法使いとは格別した力であろう。だが、それ以上に精神が危なっかしく思えてならない。こちらの方が大きく心配してしまいそうになるのだ。出来ることなら、今すぐにでも避難させたいが、彼がいないと俺たちはなす術もなく殺されるのかもしれない。俺は素直に感謝を述べる。キースがいてくれる心強さを伝えるのだ。それは彼に大きな力となってくれることだろう。
 視界の端でアリスがこちらへと向かってきているのに気付いたために、魔法を放って制止させる。その行動に兄さんたちも気づいたみたいで、三人で視界の端に光り輝いている彼の姿を収めながらも、アリスへと睨み付けるような視線を向ける。来てはならないと、伝えるのである。彼女はわかってくれることだろう。なにせ、兄思いの妹なのだから。信じているのである。彼女はここで飛び出さずに自制してくれると。そして、その通りである。俺は彼女に笑みを浮かべる。それだけで十分なのである。彼女の最大の兄孝行なのである。
 光はだんだんと小さくそして鈍くなっていく。消える。完全に彼の体から光が放たれることはなくなった。だが、その場に居たのは先ほどまでの彼の姿とは大きくかけ離れた異形の姿である。少なくとも、ヒトの姿をしてはいる。二本足で立っており、道具を器用に扱えそうな手の形だ。だが、俺が知っている人類のどの姿とも合致しない。この世に存在しない姿である。いろいろな生物の特徴をつぎはぎにくっつけてしまったかのような姿かたちであった。
 俺たちはすぐさま、魔法を発現させて、彼の足元の地面を泥のように変質させる。少しでも足が地面に埋まれば、そのまま地面を焼き固め。完全に固定させてしまう。そこまでを四人で一斉に行えば、瞬間の時間もかからずに終わる。そのあまりの発現の速さに驚いたような顔を見せている、異形の表情をよそに、俺とカイン兄さんの二人で同時に斬りかかる。完全に、首筋とわき腹をとらえたのだが、やはり、肌は完全に鱗でおおわれてしまっているせいか。一切刃物が通用しない。しかも、この鱗には魔力を流すことでより硬度を上げることが出来てしまうようだ。鱗をよく見れば、血管のように魔力を流すための筋が確認できる。俺たちは反撃をもらう前に、すぐさま後退し、距離をとる。そこから数瞬遅れて、拳が俺たちのいた位置に振られる。轟音と共に空を切り裂いているかのようである。当たったら骨が砕ける程度で済むといいが。しかも、足を地面に埋めているために、しっかりとした攻撃態勢を確保できていないというのにこの威力である。冷や汗が流れてしまう。

「キメラだ……人型のキメラ。今まで存在しないと思っていたが、今まさにその前例が崩れ去ってしまったみたいだ。ははは、人をベースにしているということは、それなりの知能を持っていてもおかしくはないな。キメラの疑似本能に汚染されてしまっていれば、対処はまだ何とかなるかもしれないけれども。まあ、唯一の人間の長所と呼べるべきものをキメラ化に伴って捨てるとは思えないが……」

 あの術式でどうしてキメラが出来てしまうのかはわからないが、少なくとも、今目の前にいるのは人型のキメラである。そして、それを今完全に対峙している四人で共有したのだ。キメラと戦ったことがあるのは俺だけである。今では当時以上に強くなったとはいえ、姿かたちも全く違う存在である。俺の実力がどこまで通用するかはわからない。出来ることなら、人格が完全にキメラに汚染されていることを祈る。ただ壊すことと、殺すことしか求めないような生物であれば、今の俺たちならば、それなりに対処できるだろうという自負はある。

「くくく……くく……」

 もしかして、笑っているのだろうか。何がおかしい。いいや、そもそもキメラが笑うなんてことはあるだろうか。基本的には雄たけびを上げながら暴れまわるくらいだ。こんなことは、おとぎ話にすら書かれるような当たり前の事実である。だからこそ、今この時の彼の笑い声は不気味に映って仕方がないのである。

「どうして笑っている? 気でも狂っているのか? ああ、いや、気が狂っているのは元からかもしれないが、今かすかに残っている人間の人格がキメラに侵されているのではないかと思ったんだ。見るからにそう思えるだろ?」
「たしかに、そうかもしれないね。だったら、どうする? 狂ったように笑っていながらもしっかりとこちらを警戒しているのは確か――」
「――あはははは! いやあ、なかなか素晴らしい力だ! こんなに力が沸き上がってくるとは全く想像していなかったよ! 少しばかり、獣どもの体に変わってしまっているのは残念で仕方がないが、それはまあいいとしよう。なにせ、今目の前にいる憎たらしい貴様たちを完全に殺すことが出来るのだからね!」

 どうやら、理性までもが完全に残っているらしい。キメラの本能に壊されているかと思ったのだが、それはないようだ。そう考えると、従来のキメラの製造方法とは大きく違うということに気づいた。だからこそ、人にキメラ化を施すことが出来たのかもしれない。そして当然ではあるが、それはより強力なものとなっていることだろう。なにせ、理性を保ったままに、強化が可能なのだから。今まででは、キメラを作ることは出来ても、管理が相当に難しいからと、多くの国は導入をすることがなかったのだ。キメラとしての実力を備えたままに、調教された獣のような理性を持っていたら、戦場はキメラが跋扈していることだろう。
 むしろ、今の彼は、キメラのような何かだととらえたほうが良いかもしれない。少なくとも、魔石を無理やり体から奪い取れば、勝てるような楽な相手ではないかもしれないのだから。俺たち四人で勝てるのだろうか。いいや、勝たねばなるまい。
 背後からごぼごぼと音をたてている。キースが何かしらの魔法を発現させているのだろう。アリスと似たような力も持っているのだから、より高度な魔法を扱えるだろう。少なくとも、キースを軸に戦ったほうが良いかもしれない。様子見という観点で考えれば、魔法は最適なのだから。
 足元が何やら不思議な感触に覆われていることに気づいた。ふと下に注意を向けてみると、ブクブクと泡をたてている黒い液体のように見える何かが地面を侵食しているのである。それはキースの足元から続いていた。そして、目を離したその瞬間の隙をつくかのようにキメラが俺のすぐ目の前まで潜り込んでいるのだ。完全に足元を固めて動けなくしていると思っていたのだが、それを無理やりに破ってこちらへと接近してきたのである。かすかに鱗がはがれて出血しているようにも見えるが、それもすぐに修復してしまうことだろう。今この瞬間に腕の一振りでもされたら殺されてしまうかもしれない。だから、無理やりに神通力を発動させて、少しの間、彼の体を硬直させる。一瞬だけかもしれないが、確かにその一瞬が俺に大きな時間を生んでくれる。その隙をつくように、振り回すように広げている腕の隙間に自分自身の腕をねじ込んで、そのまま引きちぎるように体を回転させる。そのついでに蹴りをくらわせて、完全に相手の腕を一本ちぎり落とす。腕がちぎられてしまえば、さすがに、無理やりに攻めてはこないようで距離を取ろうと動くのだが、それ以上の速度で黒い地面は侵食していっている。逃れることは出来なさそうだ。
 と、完全にこの場にいる五人全員の足元に黒い液体のようなものを侵食し終わると、今度は空まで完全に覆ってしまうかのように、周囲を完全な黒の世界へと閉じ込めてしまう。それには、俺たちですらも動揺を隠すことは出来ない。まさか味方に精神的なダメージを与えられるとは思わなかった。

「安心して、これは結界だから。彼から周囲の人たちを守るための結界。今は完全に内と外で隔離されてしまっている。精霊の協力のおかげで、この世界は独立していて、そして自立できているんだよ。あと、瘴気も充満させているかな。だから、ぼくたちがたとえ死んだとしても、彼はこの中から抜け出すことは出来ないよ。完全防御という奴かな」

 キースが自慢げに話してくれた。しかも、一応はキメラに対して警戒をしつつも、こちらの目をしっかりと見つめてである。やはり、完全に克服できたらしい。嬉しいことである。ただ、個人の性格だろうか、ある程度仲良くならないと目を見て話すことは出来ないそうだが。それは仕方あるまい。恐怖と恥ずかしさはまた別の話なのだから。
 そして、ルイス兄さんは何でもないかのような顔を見せているように見えるが、それは違った。ほんのわずかな口の動きから、またしても自分以外の魔法の才能を見せられていることに大きく落ち込んでいるのである。それを今は可能な限り表に出さないようにしているだけで精一杯なのだ。自分よりも優れた魔法使いに出会うたんびに動揺するのだろうか。自分の魔法に対する絶対的自身はとても羨ましく感じる。
 黒い床から人型の何かが這い出てくる。これもどうやらキースの魔法で生み出しているらしい。少し醜く感じてしまうのだが、どうやら、彼のそばを浮いている精霊はこういうものを得意としているらしい。だが、俺はこのどの属性にも属していないような魔法を見るのは初めてではあった。火も、水も、風も、土も感じることは出来ない。あとで聞くことにしよう。
 だが、こうして周囲の人たちに被害が出ないとなると、相当に戦いやすくなる。少しばかり被害が大きくなってしまうような魔法を使ってしまっても良心が痛まなくて済むというのは非常に心強い。特にそれを感じているのはルイス兄さんのことだろう。先ほどまでは落ち込んでいるようであったが、自分の好きなように魔法を使えると気づいたときの顔は、小さな子供かのようにキラキラと輝かせていた。ただ、しっかりと敵を倒せるように作戦を練らなくてはいけないが。
 この場にいる五人全員が、相手の隙を見つけるようにゆっくりと構えを取りながら、相手のほんの小さな呼吸の一つも見逃さないように集中しているのがわかる。ぴりぴりとした空気がこの場全体に張り詰めていくのである。呼吸するのすらだんだんと苦しくなってくるのだ。今息を吸って、吐いた瞬間にすら攻められる可能性があるのだから。どれを狙ってくるのかなんて、わからない。
 そして、最初に動いたのはキースが生み出した人形であった。べちゃべちゃと音をたてながら成人男性の全力疾走ほどの速度で、キメラへと向かっていく。しかし、それを何でもないかのように受け流し攻撃を加えて破壊していく。それと同時に攻撃へと向かおうと思っていたが、さすがに、あそこまで一瞬で反撃されてしまっては連携どころではない。何もできずに振出しへと戻ってしまうのであった。

「天の仙人様」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く