天の仙人様

海沼偲

第140話

 暴走していた獣たちによる被害の余韻とでも言うべきものが収まってきたころに、王都の中では受勲式が行われていた。今回の戦いで功績を収めたものへと送られる勲章である。そこには俺の姿もある。さすがに、クジラオオツバメを三体も倒しているのだから、呼ばれないということはありえなかった。もしかしたら、誰にも気づかれていない可能性も考えてはいたが、それはあまりにも話がうますぎるというものだ。目立つのは好きではないが、この時は目立つなというほうが無理であるということであった。
 基本的に受勲式には、全貴族家の当主と、招待されたものたちが参加する。そのため、式が行われるのは少しばかり時間がたってからなのだ。遠い地の貴族も呼ぶために、それなりの猶予が設けられているのである。だが、そのおかげで人々が落ち着きを取り戻したころに式を開くことが出来るのだ。受勲式の最中に興奮した民衆が半ば暴動のようなことをしだしたという事件が他国ではある。騒動からしばらく経って皆が冷静になってからというのは理にかなったことなのである。
 厳かに式は進むのだ。しんと静かに、勲章が与えられるときに大きく拍手の音が響き渡るのみである。いままでのどの式典よりも重く感じられることだろう。少なくとも、俺のような子供がこの場にいていいのだろうかとすら思えてくるほどなのである。しかし、実際に招待されてしまっている。どれだけ、緊張感でストレスを感じようとも俺はこの場にいなくてはならないのであった。さすがに、国王陛下からいただく勲章をいらないなどとはほざけない。
 俺たち三兄弟は三人とも、活躍をしていたと判断されたおかげか、みんなして呼ばれている。兄弟の中での最初はルイス兄さんから始まる。俺が一番最後に勲章をもらうらしい。そういう流れである。年長者から与えられていくというのがこの国での決まりであった。ルイス兄さんですら、最後から三番目だ。
 ルイス兄さんはクジラオオツバメ討伐の功績と、あとは一部隊の指揮を執っていたらしい。それの功績もあるようだ。今回の受勲式では死者が圧倒的に少なかったために、全指揮官が勲章をもらえている。みんなして、必死に笑顔を隠そうと顔を作っているのだが、我慢できていないようでこぼれているのが見える。必死に唇をかみしめているのだが、こらえられないのだ。
 兄さんはいままで男爵の息子でありながら王女様と結婚したからと、他の貴族の人たちからはあまりいい目で見られてはいなかったという話を聞く。どれだけ、結婚の身分の格差はないとは言っても、普通は男爵家の人間は遠慮をするものだから。だからこそ、今回の功績で、ルイス兄さんの功績はかなりの力を持つことが出来る。家の力以上に個人の力は尊重される。男爵家であろうとも重役につくことは叶う。今も何人か、優秀な男爵家出身の人間が政治の重要なポストについていたりもする。それでも、なんとかして兄さんに文句をつけるのだとしたら、クジラオオツバメか、それ以上の大物を討伐しなくてはならないだろう。それが出来るものなどそうそういないだろう。俺ですらお断りだといいたいほどだ。
 しかし、それに待ったをかけるかのようにこの静かで厳かな雰囲気を出している間へとどうどうと侵入してくる不届きがいるとは微塵も思いはしなかった。今までの張り詰められている空気を壊して、この場に現れたのである。バンと大きな音をたてながら扉を開いたのである。下手したら不敬罪で衛兵に捕縛されても文句は言えないようなことをしでかしている。しかし、それを衛兵たちがするには相当な勇気がいる人物なのである。なんと言うべきか、分別のつかない子供という感想を持つべきだろうか。お子様なのだろう。少なくとも、ルイス兄さんと身長は同じくらいであった。顔はどこかで見たことがある。どこだったのかは忘れたが。
 困ったことではあるが、彼は公爵家の人間なのである。しかも、国王陛下のいとこの息子だという。それを、衛兵たちが自分たちの判断で捕縛するには相当に勇気がいることだろう。たとえ自分たちが絶対的に正しいことをしているのだと思っていても、身分差を覆して捕縛できるほどの度胸を持つことは難しい。これで、誰が彼ら衛兵諸君を責めることが出来るというのだ。俺はむしろ、憐みの目を彼らに向けるのであった。

「僕は認めはせん! この男は、男爵程度の階級しか持たない家の生まれの男なのだぞ! そんなものが、このような場で勲章を与えられるなどと言うのはありえない! いいや、それどころか、マリィを妻として娶ったのもありえない! 全てがあり得ない! 一体貴様は、どんなあくどいことに手を染めたのだ! こんな下劣な男など、この場にいていいわけがない! どうせ、クジラオオツバメというのを倒したという話も嘘なのだろう! このような低俗な男にそんなことが出来るだけの度胸はあるまい!」

 なかなかの演説である。少なくとも役者として生きていくことは出来るだろう。あれほどの熱意を舞台で披露することが出来るならば、大スターとして劇場史において、後世に永遠に語り継がれる存在になることは間違いない。だが、今この場でするべきこと、していいこと、ではなかった。少なくとも、この国では最もやってはいけないことである。さすがにここまでの大バカ者を見たことはなかった。しかも、彼の父親であろう方が頭を抱えて嘆いているのである。しかも、隣の人も彼の嘆きに同情して背中をさすっているほどなのだから。
 彼の言い分から推測できることは、兄さんがマリィ義姉さんと結婚したことが許せないから、こうして嫌がらせをしているのだろうということなのであろうか。俺はただただ、開いた口を閉じることは出来ずにいた。たしかに、他の国家では王族と男爵家の息子では結婚は出来ないだろうな。むしろ、出来てしまうようなこの国の方が頭おかしいと思われても仕方がない。最近は、こういう国が増えてきているそうだが。とはいえ、今この国のルールでは身分差なんて言うものは関係なく婚約、そして結婚することが出来るのだ。少なくとも、ルイス兄さんはマリィ義姉さんを口説き落としたのだ。それを非難されるいわれはないだろう。
 今まさに一番の被害者は誰なのだろうか。皆等しく被害をこうむっているように見えるわけではあるが、どうも俺は身内びいきをしてしまいがちなのかもしれない。ルイス兄さんが今ひたすらに哀れに思えて仕方がないのである。あの哀愁漂う顔はそうそうみられるものではないだろう。悲しさがこみあげてきてしまうのだが、むしろ、ここで同情してしまうのは兄さんに失礼な気がする。だから、俺は気丈に振る舞う。誰にも、俺のこの心を知られないように見せるのであった。
 兄さんは、目の前で騒ぎ立てている男の話を聞いていながら、わずかに握られている拳を振り上げることはない。静かにしたままでいるのだ。そのせいで、余計に騒ぎ立てているであろうことは事実だろうが、それ以上に騒ぎを大きくしないために、黙って彼の言い分を聞いているのだろう。これは相当な人格者でなければ出来ないかもしれない。俺は素直に尊敬する。ついうっかり殴ってしまいそうになるところを、こらえ続けるというのは並大抵の根性では出来ないはずであるだろうから。
 俺は、今にも飛び掛かろうとしているカイン兄さんの腕を掴んで引き留めている。ここで、ルイス兄さんが頑張っているのに、弟の俺たちがその努力を無駄にしてはならないだろう。たとえ、一発殴った程度では不問にされそうではあるが、ここは、暴力を振るわないと決めた兄さんに従うだろう。それが弟というものだ。

「ほら見てみろ! この男は僕の言い分に対して一切の反論というものをしないではないか! つまりは、自分に非があるということを認めているということと同義なのだ! つまりは、この場にいてふさわしい人間ではないのだ! さっさと、このバカなで低俗な男をつまみだしてはどうだね! そんなところでボーっとしている衛兵諸君は、すぐにでも動かないのか! それでは、この国の衛兵として失格だろう! 僕の言うことが聞けないというのか!」

 彼らは目線を交わし合っている。今の論理に何の正当性もないのだから、聞く必要はない。だが、あまりにも熱心に訴えかけているわけで、それに追加するように公爵家の人間ということもある。どうすればいいのかと混乱しているようでもある。そのグダグダとした行動に彼はより怒りを増しているわけではあるが。
 とはいえさすがに、今この場においてどちらが低俗な人間なのかということはわかっているために衛兵たちが大声で騒ぎ立てている彼のことを取り囲んでいる。だが、公爵家の息子相手に堂々と剣を向けることは難しい。自分の首がかかっているのだから。敵国の兵士とはわけが違うのだ。だから、弱腰になっているように見えるのである。そこだけが少しだけみっともなくはあった。
 当然だが、彼もまた自分に剣を向けている衛兵へと文句を垂れている。今自分が何をしているのかということを考えれば、今この状況は至極当然のことなのだが、それがどうもわかっていないらしい。さすがにこれは、親の教育不足なのではないかと、疑い始めるほどである。普通の貴族の子女ならば、このような傲慢な態度を取ることは出来ないと考えるのが普通なのだから。

「貴様! 一体どれだけアイゼリフト家に泥を塗りたくれば気がすむのだ! 貴様我々の家を滅ぼしたいのか! どういう考えを持ったらこんな考えが浮かんでくるのだ! これ以上喚きたてるようであれば、貴様はこの家から追い出してやるぞ!」

 先ほどまで悲しみに嘆いていた公爵家当主様が、怒り狂ったように、彼の元へと近づいてきている。ようやく、悲しみの底から這い出てきて怒ることが出来るようになったようだ。しかし、その本人はどうして怒られているのかわからないようで、きょとんとしたような顔を見せている。これはどうも、救いようがないのではないだろうか。元からそんなものはなかったが、親に怒られていることで、今自分がしていることは悪いことなど反省すらできないとなれば、これはもうどうしようもない。明日の朝にでも、彼の首が王都の広場の面前で晒されていたとしても驚きはしない。
 彼の頭は思い切り叩かれる。しかし、今度はなぜ叩いたのかと逆切れをし始める始末であった。これはもう収拾がつかないのではないだろうか。全員の頭の片隅にかすかにその考えが浮かんだときのことである。唐突に、国王陛下が笑い始めたのである。最初はこらえるように声を押し殺していたのだが、どうも我慢できなかったようで、失笑してしまったのである。その声が今まで騒がしかった会場内をしんと静まり返らせるだけに十分な力を持っているのであった。

「いやあ、なかなかに面白い親子喧嘩を見せてもらった。まさか、受勲式でこのようなものが見られるとは思わないものだ。受勲式中に目の前で親子喧嘩を見せられた国王というのは、おそらく、俺がこの国の国王の歴史の中で初めてのものだろうな。そうは思わないかね、ルイフィン?」
「も、申し訳ない。この大バカ者にはきつく言って聞かせる。だから、殺すのだけは勘弁してくれ。こんな間抜け面で気が狂っているとしか言えないようなことを仕出かしたのだとしても、大事な息子なんだ。ここまで、大切に愛情を注いで育ててきたんだ。……頼む、お願いだ」

 彼は深く頭を下げた。いいや、それだけではない貴族というプライドすら捨てて、床に膝をつけて、そのまま額もつける。土下座と表現するのがふさわしい姿を俺たちに見せている。こんなこと、決して出来ることではない。貴族はプライドの塊のようなものだ。頭を下げるなんてことは、一生に一度あることすら恥だと思ってもおかしくはないのだから。だからこそ、今まさに起きている現象はあまりにも現実味がなかった。嘘か幻だというほうが信ぴょう性が高かったのであった。
 国王陛下は、その姿をじっと見ていた。逸らしてはならないのだと、しっかりと彼のその姿を見ているのだ。恥も外聞も捨て去って、ただ自分の息子を守りたいと思っている一人の父親の姿を見ているのである。

「……いいだろう。少し面白い余興を思いついた。その結果次第では、ルイフィン。お前の息子を許してやってもいい」

 その静かに響いた言葉。それが消え入ることに、一人の男が、親が、人間が、その慈悲深さに涙を流している姿があった。陛下は、玉座から立ち上がり、彼の元へと近づいた。そして、優しく、彼の背中をさすっているのであった。そこには、国王という立場はなく、ただ一人の友人としての一人の男の姿があるように見えたのである。

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