天の仙人様

海沼偲

第131話

 ルクトルが俺の婚約者となってから、特に何かが大きく変わってしまったということはない。今までは、家の中でしかしなかった女装を外でもするようになってきたぐらいだろうか。その程度の些細な変化しかない。たしかに、同級生諸君は、ルクトルの唐突な変化に戸惑っているようであったが。先生たちは、俺たちがどういう関係になったのかということを報告されているために、動揺は一切なかった。それでも、ルクトルをさん付けすればいいか君付けすればいいかで迷っている先生はいたことは確かだが。
 そもそも、この世界では多くの種族がひしめいている。同じ姿の種族を探すよりも、別の姿の種族を探すほうが数十倍も楽なのである。町を歩いていると、それが顕著に感じる。より小さなコミュニティになれば、同種族の人間なんて、自分の身内だけということだってあり得るだろう。そして、その中に置いて、多様な文化がある物だから、ありとあらゆる婚儀形態を許容しなくてはならない。そのために、同性愛に対して規制などはないわけである。どうどうと、同性同士でカップルを作り、そのまま結婚することすら許されている。むしろ、これを妨げることは間違っていることであるということすら言われているのであった。
 そういう背景もあるために、同性愛、同性婚に対する偏見は一切なかった。隣の夫婦が同性愛者なのだと知ることになっても、その程度のことでしかないとすぐに流されてしまうようなことなのだ。
 それでも、中には同性愛では子孫を残せないからと反対する者もいる。だが、たいていそのものは、独身であったり、既婚者だが、子供がいなかったりと、自分自身すらも子孫を残していなかったりということもあって、逆に言い負かされることもなくはない。少なくとも、この発言をして、しかもその発言に力を持っている人たちは少なくとも子供がいるのだ。そうでなければ話し合いに立てない。愛に対して、生物の話で立ち向かうためには、自分自身が出来るだけ叩かれる要素を排除しなくてはならないのであった。
 などといろいろと言ってはいるが、これは思想の話であり、個人レベルにまで落としていくと、それに対する不満は当然あるだろう。その代表がハルである。上手く騙されているのだと気づいてしまったのである。だから、自分自身のふがいなさと、婚約者が三人いることに対する不満とで、不機嫌な顔をしている。ルクトルが、俺にベタベタとしていることに、正当性を与えてしまったのだから。拒絶することが出来ないのである。
 とはいっても、ルクトルは人前でベタベタとすることはあまりしない。そのおかげで、俺が人前にいる時であれば、ハルは少しばかり機嫌がいい。むしろ、誰にも近づいてほしくないというオーラを纏いながら、俺のそばにいることが多い。

「はあ、なんであんな言葉に騙されちゃったのかしら。普通に考えていれば、私に一切のメリットがないんだってわかることなのにさ。それなのに、変に言い負かされちゃうなんてあってはならないのに。そのせいで、ルクトルをアランの婚約者に迎え入れてしまったわ。絶対に阻止しなくてはならない案件だったのに」

 俺は、彼女の愚痴のようなものを聞きながら、頭をなでている。不満は出来る限り外へと吐き出させてあげなければいけないだろう。体にいいものではないのだから。吐き出せば吐き出すだけすっきりする。だから、俺は、なにも意見を言わずにただ、聞いてやるだけなのだ。
 俺は同級生の女子生徒に頬を思い切り叩かれたのである。あまりにも突然のこと過ぎて一体何が起きたのかと理解するのに時間がかかった。そして、その相手を見てみると、わずかに目を潤ませているのである。今にも泣きだしそうな形相でこちらを睨んでいるのである。ハルが手を出しそうだったので、腕を掴んで離すことはしない。なんでだと視線を向けているが、少なくとも、何の前触れもないわけではないのだろう。彼女たちの理屈では、俺は叩かれる必要があるに違いないのだから。
 話を聞いてみるとわかる。彼女たちはルクトルのことが好きだったらしい。そして、それが言い出せなかったらしい。それで、うじうじと悩んでいたところで、俺と彼とが婚約したのだという話である。これで、もうどうすればいいのかわからなくなって、俺のことを叩いたということである。確かに、自分の好きな人が、同性のことを好きだなんて知ったら、それなりに動揺はするか。ルクトルが他の女性と恋仲であれば、また別だろうが、俺だからこそ、今の状況が起きているのだろう。どうしたものか。

「は? あんたたち、何を言うかと思えば、そんなことでアランのことを叩いたわけ? 普通に考えてごらんなさいよ。そもそも、こんなことになっている原因は、あんたたちが、うじうじとルクトルに告白しなかったことがいけないんでしょ? それに応えるかどうかは知らないけど、それが出来ていない時点で、あなたたちは負けているの。そんな敗者が、一丁前に八つ当たりする資格なんてあると思っているのかしらね? それはそれはとても惨めでしかないわ。まあ、敗者にはお似合いかもしれないけれども」

 俺が、優しく包んで言おうかと努力していたところで、ハルは、一切のやさしさなど込めることなく、言い放つ。それでは余計に彼女たちが傷つくだろうと思うわけだが、彼女にはそんな配慮をする意味はないのだ。だからこその、ここまでの攻撃なのだろう。きっと睨み付けてはいるが、明らかに実力差がありすぎるために、それだけでしかない。怖くもなんともないのだ。どうあがいていても、彼女たちが敵う要素はないのである。絶対的な負けを宣告させているに等しい。
 そして、負けを認めたかのように、教室を出ていってしまった。自分たちの荷物を持って。もう今日の授業は終わっている。もし、そうでなかったらあともうしばらくは気まずい時間が流れていたことだろう。
 王都に帰って来てからは、バルドラン家所有の別荘の方に泊まっていたために、自分の寮に帰ってくるのは今日が最初なわけであるが、当然であるかのようにユウリが部屋の中に居座っている。最初は、鍵をかけていたのに、中に人がいるものだから、驚いたものだが、それが彼女だとわかればそうではない。もう見慣れたものであった。だから、俺は何も言わずに、荷物の整理をするのだ。
 ユウリはルクトルが俺と婚約関係になったという話を聞いて、ひどく驚いていた。たしかに、絶対にそうはならないだろうと思えたことだろう。なにせ、ハルから、二人して拒絶されていたところがあったのだから。だからだろうか、非常に羨ましそうな目線をここにはいないルクトルへと向けているのがわかっている。彼は自室に戻って、荷物の整理をしていることだろう。
 俺は言われなくてもわかっているのだが、だからといって俺から手を差し伸べることはしなかった。それは、誠実ではないのだから。少なくとも、彼女に対して誠実ではないのだ。だから、俺はそれを嫌うのである。

「あはは、ユウリちゃんってルクトル君といっしょで、アランと結婚できない同盟を結んでいると思っていたんでしょう。だから、抜け駆けされちゃって、大変だねえ。びっくりしたよねえ。だったらさあ、ユウリちゃんも好きっていえばいいんじゃない? アランは、ユウリちゃんのことが大好きだからね。少しぐらい、半透明になれちゃうからだなんて気にしないよ。まあ……自分から、アランのことを嫌いだってたとえ嘘でも口走っておいて、今さら、やっぱり好きだなんて言えるわけはないだろうけどね。そんなことを言っちゃあ、女として終わっているよ。好きだったら、嘘なんてつかないもん。びくびくして、怖がって、逃げるために、愛する人の目の前で愛にふたをすることなんて出来るわけがないもの。だもんね、ユウリちゃん? そういえば、ルクトル君は最初から、アランのことが好きだって宣言し続けていたなあ。やっぱりその差なんだろうね。ハルちゃんは優しいから。好きな人の気持ちがわかっちゃうからね。情けをかけたくなっちゃうんだろうね。だから、あれは無意識的なのかも?」

 ルーシィは尻尾をふるふると、横に揺らしながら、彼女に問いかけていた。真っ直ぐに、不気味なほどに真っすぐに彼女のことを見つめているのであった。恐れのせいか、目をそらしてしまったほどに。彼女は弱かった。今ここでも、逃げてしまったのかもしれない。そう思うのである。だがしかし、こういわれてしまうのも、彼女が今までしてきたことの結果なのでしかない。だからこそ、俺は助けることは出来ない。俺は誰の敵にもなれないし、誰の味方にもなることが出来ないのだから。
 彼女は見せつけているかのように俺へと腕を絡めていく。ぎゅっと少しばかり力が入っているのが感じられる。彼女たちは、一切の本心というものを隠すことがないのだろう。だから、俺はとても心地よく思っている。逆に言えば、彼女たちは、本心をさらけ出しても嫌わないでいてくれるのだと信頼してくれているのだ。それを喜ばないことなんてありえないだろう。何度だって言える。
 睨み付けられているかのような視線にさらされているユウリは、何も言えずにしゅんと肩をすくめてしまうばかりであった。少なくとも、一度は逃げてしまったのだ。だから、諦めているのだろうか。そう見えるとしか言いようのない態度が、今まさに目の前で現れているのだ。
 彼女の瞳は、笑っているように見えて、全く笑っているのだということを感じ取ることは出来ない。偽装の笑みなのである。ハル以上なのかもしれない。あそこまで、大きく感情をぶつけてこないのだから。だが、それが美しく見えている。チラリとわずかに視線が合う時に、すうっと、吸い込まれていくように心が引き寄せられるのだ。俺は、この瞳が好きなのだろう。抗えないことを俺は知っている。
 ぴこぴこと小刻みに震えている耳がとても愛らしく思えた。なんとなく、手を伸ばして触れる。温かい。肌触りがいい。彼女も触られていることにまんざらでもないのか、わずかに肌を赤く染めるだけで、何も言ってはこない。ならばと、じっくり、その感触を堪能している。
 それを、羨ましそうに見つめているユウリ。しかし、ルーシィから注がれている視線のせいだろう。何も行動を起こすことが出来ないのである。二人だけの場合なら、うやむやにするかのようにもう少しばかり、距離が近くなるのだが、そうすることが出来ないでいるのだ。助け舟は出せないが。

「あらあら、どうしてそんなに固まっているのかなあ? 何かあったの? もしかして、怖いのかな? あたしよりも長い時間を生きているのに、怖いものがあるの? むしろ、怖がらせる側ですらあるのに。それなのに、恐れているんだ。弱いね。とっても弱い」

 淡々と、述べていく。それをただただ聞いているばかりであった。その時に、ガラガラと、部屋の扉が開いてルクトルが部屋の中へと入ってくる。そして、ユウリのことを一瞥すると、勝ち誇った笑みを浮かべる。それだけで、すべてがわかる。
 ぎりぎりと歯をこすらせている。その悔しさをどこにぶつければいいのかわからないようで、自分が着ている服の裾をぎゅっと握りしめるしか出来ないのである。そして、にわかに目のあたりが光っているように見えるのである。

「あ、うん。もうそろそろ、僕は帰るね。いやあ、楽しかったよ。うん、本当にね。全然辛くはないよ。まあ、僕だけ婚約者でもなんでもないからね。アランのことを嫌いって言っちゃったし。だからさ……まあ、そうだよね。わかっているんだ。でもさ……なんでもない。ごめんね……」

 そう言って、彼女は出ていった。ルクトルはそれに少しばかりの罪悪感を覚えてしまったかのように申し訳なさそうな暗い顔を見せているわけであるが、それとは対照的にルーシィは笑みを浮かべているばかりである。先ほどからの顔を一切変えることをせずに、その顔を続けているのである。
 そこが、彼女と彼との差なのだろう。だが、どちらがいいとか、悪いとかそういう話ではない。俺は、このことを良い悪いで片付けるつもりはないというだけなのである。おそらく、皆わかっていることだろう。だからこそ、ここまでさらけ出してくるのである。

「アラン、あの女は意気地がないよね。怖がり。とってもとっても、臆病な人間だよねえ。くふ、弱いねえ。だからさ、ああやって退散されられちゃう。たとえ、どんなに此方が悪く見えたとしても、あの人は負けちゃうんだあ」

 彼女は、含んだような顔をしながら俺に語り掛けているのである。そして、俺の頬に唇の柔らかい感触を感じる。軽い感触であった。

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