天の仙人様

海沼偲

第129話

 結婚式の日に死んでしまった哀れな男は、誰にも気づかれないようにそっと、貧民街の方の集団墓地へと埋葬された。俺が気配を消して、そっと置いていく。彼の死は誰にも知られてはいけないのであった。身内は、突然の失踪に驚き、困惑するだろう。だが、それでも、彼の死は誰の目にも当たることはなく、ひっそりと処分されなくてはならないのである。これは、パーティの空気に触れてはいけないものなのだから。たとえどんなに哀れに見えても俺は非常にならなくてはならないのであった。闇にも葬られるのだ。
 だが、俺だけはしっかりと死者への弔いをしておく。俺だけはしなくてはならないだろう。知っておかなくてはならない。覚えたままにして、彼が生きていたということを証明してやらねばならない。俺が覚えておくから、安心して向こうへ行くといい。そう語りかけるように俺は手を合わせた。

「また一人の哀れな放浪者が、たどり着いてしまったようじゃな。嘆かわしいことではある。誰にも気づかれずに、ただただ、漂うように死んでしまったのじゃな。お主が運んできてくれなければ、道端で朽ちて死んでいたかもしれぬ。それでは、浮かぶ魂も、浮かばれぬでなあ」
「ええ、お願いします。彼は少しばかりの罪を犯してしまいましたが、あの世に安らかに逝く権利というものは誰にでも持っているものでございますから。ですから、俺と、あんたが彼の存在を、彼が生きていた時間があるということを忘れないで上げてほしいのです。そうすれば、彼もまた、心残りなどなくあの世へと旅立つことが出来ることでしょう」
「そうじゃの。わしも、覚えておくとでもしようかの。少なくとも、旅立つまでは安心しておいた方がいいじゃろうからの」

 墓守は、静かに、土をかぶせていく。俺はそれを一通り見ると、すぐさまこの場所から去る。長い時間居座っていたら、死の臭いが体にこびりついてしまうだろう。そんな人間はあの場所に帰ってくることは許されないのである。だからこそ、そうなる前に、この場から立ち去らなくてはならないのであった。
 墓場にわずかに漂っていた血の臭いやらを落とす。死の香りを俺の体から臭わせてはならないのであった。それだけは決してならない。何度だっていうだろう。それだけはしてはならないことなのだから。だからこそ、入念に洗い落としていくのである。びしょびしょでは注目を浴びてしまうだろうから、綺麗に乾かしていく。水気が完全に落ちるように、熱気と風を使っていく。
 そうして、元の部屋へと戻ると、体が震えているシスターと、その隣にはユウリが背中をさすっていた。彼女は死の臭いにつられるようにしてこの部屋へと入ってきた。あまりにも突然のことだったから、その時は固まってしまったが。しかし、彼女がいるおかげで、こうしてシスターを置いて死体を墓地へと運ぶことが出来たのである。感謝をしている。
 ユウリは今や完全に死者でありながら生者として生活しているそうだ。この貰った肉体と完全な同調をしており、離れることは絶対にできないそうだ。しかし、死者の時に培ってきた幽霊としての能力とでもいうのだろうか。それをこの肉体でも再現できるようになっている。幽体と生体を完全に切り替えられるようになっているのだ。まさかそうなるとは思っていなく、そのせいか、俺の部屋の戸締りは彼女にとってないものと一緒になってしまったということがある。朝起きたら隣でユウリが寝ていることなんて当たり前のようにあるのだ。しかし、ユウリも最近では自宅を所有しているわけで、何度か訪問させてもらったこともある。そんな金はどこから出したのかと疑問に思わないことはないが、聞いても、答えてくれるとは思わなかった。だから、聞くことはしない。

「大丈夫ですか、シスター。たしかに、人に殺されかけるというのは相当に恐ろしい。その気持ちは俺たちもよくわかっているつもりです。ですから、あなたが、安心できると思うまで、この場にい続けます」
「あ、ありがとうございます。申し訳ありません。このようなお姿をお見せしてしまって。ですが、どうにもあの瞬間の彼の顔を忘れることが出来そうにありません。ああ、今にも襲ってきそうで……うう……」

 彼女は顔を抑えて嗚咽を漏らしている。俺たち二人は、彼女が心配である。目を離したすきに恐怖で発狂、それに伴って自殺してもおかしくはない。たとえ、自殺を神が許していなくても、精神が不安定になった人間が、神の声に耳を傾けることすらも出来なくなった人間が、自殺することはないと、断言することは出来ないのだから。俺は、自分の顔見知り程度の人ですら、自殺をするということを許しはしない。相手を責め、自分も責めることになるだろう。しかし、俺はゆっくりと背中をさすって落ち着かせることしか出来ないだろう。俺は、人の精神をどうにかできるような巨大な力などはない。所詮は肉体レベルでしか出来ないのだ。出来たとしても応急処置程度だ。今しているように、自身の気を彼女に流して、そして巡らせている。ゆっくりと循環するようにして、彼女がその温かさに落ち着くようにと働きかけるだけである。肉体の清浄で精神の清浄を行うということである。
 それからも、学校帰りにでもシスターのもとにでも寄って、気を流してあげたりをしている。母さんと同じように、何度も繰り返していけば、きっと、あの出来事を過去のものとして処理できるだろうという考えがあるのだ。そのために行動しているのである。精神を落ち着かせる効果としても、気の循環というのは優れているのである。体が軽くなることで、精神も軽くなることが出来るだろう。それと同じなのである。そうであるからこそ、俺は彼女と気を循環させ続けているのである。
 しかし、それを快く思わないものがいる。ハルであった。ルクトルも腰ぎんちゃくのように一緒に不服を漏らしている。時にはユウリまでくっついていることもあった。ユウリに至っては、彼女の心の辛さを知っているのだろうから、そういう不満は言わないであろう一人だと思っていたのだが。それでも、話が違うのではないかとばかりに口をとがらせているのである。

「それとこれとは話が違うよね。たしかに、辛い思いをしたよ。わかるよ、とっても苦しい。死んじゃうかもしれないっていう恐怖は、僕だって味わっているんだからね。だから、それがどうしようもないものだってのは理解できる。でもさ、だからといって、アランくんがそれに介入するのは良くないよねえ。そう思わない? だって、アランくんはこの人の恋人でもなんでもないんだからさ。ただの世話焼きの善人がそこまでするようなことじゃあないと思うけどねえ」
「ユウリの言うことに賛同するのは嫌だけど、確かにそうよ。命の危機に瀕した時に、そアランに助けてもらったのだろうということはわかるわ。そして、その時の負った心の傷も治療してもらっているのだということも。だけどねえ、何かの間違いで子のシスターがアランに恋してしまったらどうするのよ。そんなことになったら、二度と顔も合わせられないようにしてあげるから」

 二人は、闘志をむき出しにして、シスターを睨み付けている。まだまだ、愛くるしさの残る目つきではあるが、そんな目をされてはさすがのシスターでも困ったように笑みを作ることしかできないだろう。とはいえ、確かに彼女たちの言うことも確かだろうか。別に身内でもなんでもない人に対してここまで、世話をしてあげるということは、何かしらあると疑ってもおかしくはないか。
 俺としては、あの時に教会から離れようとしなかったことは、彼の存在に気づいていたからではないかと思っている。だからこそ、その時に彼を捕縛できていれば、彼女にあんな恐怖を与えずに済んだのではないだろうか。そう思えば思うほどに、俺の心の中で罪悪感が沸き上がってきてしまう。だからこそ、俺はこうして罪滅ぼしのような意識でもって彼女のもとに通っている。そう思っているのだ。だがしかし、それを言わなければ、俺の本心には気づかないだろうか。
 だったら言うべきだろうな。俺は彼女たちには秘密を抱えていたくはないのである。結婚式の余韻は完全になくなっている。今ならば話したとしても問題はないだろう。兄さんたちの耳にさえ入らなければ。ならば、俺は覚悟を決めるのである。あの時にみんなが知らない間に起きてしまった事件のことを。

「あの時……結婚式をしているときにさ、一人の賊が教会に侵入していたんだよ。そして、その賊はシスターに危害を加えようとしていた。俺は、その時の問答に気づいたから、助けることが出来たんだ。でも、たぶん、俺はその存在に、気配にその事件が起きる前から気づいていたんだと思う。だけど、それを放置してしまったんだ。だから、シスターが襲われた。ギリギリのところで間に合ったけれど、そのせいで彼女にはその時の恐怖がまだ残っている。俺が先に排除できていれば、彼女にこんな目にあわせずに済んだのではないかと思うとね。だから、こうして今も通っているんだ。彼女のもとにね」

 俺は全てを話した。彼女たちはそれを静かに聞いてくれていた。そして、ふうとため息を一つこぼすのである。呆れたような、それでいて、仕方がないと思うかのようなそんな、ため息であった。そのため息は、俺たちに信頼関係がないと絶対に生まれないような、そんな性質を持っているように感じられたのである。
 ルーシィは、そのため息をみて、ふっと笑顔を見せる。ああ、わかっている。彼女たちは俺の本心をわかってくれている。だからこそ、今ここで気の抜けたような溜息を吐き出すことが出来るのだろう。やはり、俺は彼女たちに愛してもらえて幸せなのだと思うわけであった。

「そうね……そうだったわね。アランはそういう人だものね。だったら、これにも納得だわ。仕方のないことね。でも……私も常に同行するわ。変な空気になったら困るじゃない。このシスターはないと信じたいけど、何かの気の迷いでアランに誘惑してきたら、困るわ。だから、監視させてもらう。常に、あなたたちが出会うときは私も同行させてもらうわ。それなら、これからも会っていいわ。まあ、文句は言わないわよね。アランと恋仲になりたいなんて思うおこがましさがあるとは思えないものね」
「ハルちゃんは、アランを束縛するのだい好きだよね。だったら、あたしもついていくよ。ハルちゃん一人だけとか、絶対に暴走しそうだもんね。二人きりになったら、アランのこと押し倒しちゃいそう」

 彼女たちは納得してくれたようである。それに、あの出来事について何も言わずにいてくれている。触れることが良いことではないだろうとわかってくれているのだ。俺はそれが嬉しくなる。だからだろう。彼女たちを抱き寄せるのだ。二人は、あまりに唐突な出来事に顔を赤くして驚いているかのように目を見開いている。だが、それもすぐに終わり、抱きしめ返してくれた。暖かい。彼女の温度がしっかりとこちらまで届いているのである。
 しかし、はぶられてしまっているルクトルは頬を膨らませながら俺の背中に抱きついた。少しの衝撃が俺に襲い掛かる。彼の体重がしっかりと俺にのしかかるのである。あまりにも力いっぱい抱きついてきたら、それなりのダメージが入ってしまうだろう。とうぜん、それを感じ取っている二人の婚約者はルクトルの方へと冷たい視線を送っている。当たり前の話であった。
 その視線に押されるように少し体を離してしまう。その隙間を疲れるように彼女たちの手が入れられて押し出されてしまう。

「あなたはダメよ。今は、私たち三人だけなのだから。本当に何度言ってもわからないのね。あなたには、アランにくっついてくる害虫を追い払ってくれるという働きに感謝しているわ。それに、その報酬としてアランの血を吸う権利もあげた。でも、それだけよ。あと、ユウリ。あなたもどさくさに紛れて抱きつこうとしているのでしょう。ダメよ。あなたは、アランのことが大嫌いなんだっけ? だったら、死ぬまでその宣言を守ってもらいたいものね。出来ないのならば、一回死ななくてはならないわね。死ぬまでの宣言というのはそういうことでしょう?」

 二人はしゅんとしたまま、肩を落としてしまった。何も言えないとばかりに落ち込んでいる。それだけが俺に伝わるのである。

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