天の仙人様

海沼偲

第106話

 学校が始まっても当然休みの日はある。休みの日になれば、王都に縛り付けられた俺の体を開放するように、森の中へと入るのである。とはいえ、王都の近くの森の中へと入るのは今日が初めてなのだが。前期では、王都での生活に慣れるために、自然に触れることを禁じていたからである。意味があるとはあまり思わなかったが、それでも、やろうと思ったのである。俺は自然へと逃げてしまいがちなところがあるからな。たまにはいいだろうが、いつもはダメだろう。
 そうして、森の方へと向かえる外門の前に立つと、俺のことをじいっと見ている衛兵がいるのである。何か顔についているのだろうかと思ったが、どうやらそうではなさそうであった。一人が近づいてくる。俺に用がある様子だ。俺はわずかに警戒しながら、彼が近寄ってくるのを眺めているのであった。逃げればいいだろうが、俺が向かいたい方向に彼らがいるのであれば、逃げることは出来まい。そこのところが非常に残念極まるところではあった。

「坊主、お前さんみたいな小さな子供がここに何の用があってきたんだ。ここを出たって、先には森ぐらいしかねえぞ。行くだけ無駄だと思うぜ。だからさ、今すぐにでも道を引き返して帰った帰った」
「じゃあ、森に用があります。と言ったらどうするのでしょうか。森へ行きたいから、ここまで足を運んでいるのです。それでは、ダメでしょうかね? もしかして、あの森には入ってはいけない何かがあったのでしょうか? そういう話は聞いたことがありませんけれども」

 衛兵のおじさんは、面倒くさそうな目をしてこちらを見ている。どうも、ここを通したくはないようだとよくわかるのであった。だが、それがどうしてなのかも知りたいと思ってしまうだろう。このような小さな子供には教えられないのだろうと思っていても、その好奇心が勝ってしまうのである。
 俺は子供であるのだ。どれほどまでに大人になっていようとも、そのほんの少しばかりの好奇心というものを刺激されないということはない。むしろ、今の子供の体躯にはぴったりといってもいいだろう。だからこそ、余計に衛兵のおじさんは子供を説得することの難しさを思い出して、頭を抱えてしまうのである。なんだか申し訳なくなってきたが、実際に向こうに行きたいのは事実なのだから。この葛藤に答えを出せそうにない。

「あー、そうか。それはすまんな。だが、ここはお前さんには通してやれないんだ。残念だけどな。だから、諦めて帰ってくれないか。小さな子供だけで森に行かせるわけがないだろう。森には何が出るかわからないんだからな。つまりはそういうことだよ。だから、ほら、帰った帰った」

 と、手を追い払うかのように振っているのである。確かに、彼の言うことも正しいだろう。だが、俺にはそれ以外の理由があるような気がしてならないのである。たとえ、大人と一緒に来ても追い返されるだろうという直観があるのだ。その部分の引っ掛かりを感じ取った感を信じて俺はまだ駄々をこねることもできるだろう。それを実行できる要素が俺にはある。
 それでも、今この場で無理やりに通ることは出来ないということは事実である。仕方なしに諦めて帰ることにした。非常に残念である。これからは休みの日は、森の中で三人……または四人で仲良く森林浴でもしようかと思っていたのだが、それは出来なさそうであると思うわけなのだから。俺の足取りはわずかに重く、とぼとぼと、歩いている姿は惨めに感じられてしまった。誰に負けたのか。絶対に負けてしまったのだろう。俺はそう思うことで諦めの気持ちを慰めていくのである。
 そうして、自室まで戻ってくると、そこには一つの人影があった。しかし、それはルクトルではなかった。大きな姿をしているのである。そして、とても懐かしく感じる姿であった。大きなカラス頭をこちらへとむけて、いつもの睨み付けているかのような視線を送ってくるのである。体をこわばらせてしまうに足りてしまうほどの迫力と圧力でもって、びりびりとした空気を生み出している。少しでも動いたら殺されてしまうのではないかと思うほどの錯覚を覚えさせるには十分である。しかもこれが、普段の状態であるのだから、どれほどのものだろうか。相当に現世で生きていくのは辛いことだろう。俺ですら、気を抜いてはいけないのだから。

「お師匠様、お久しぶりでございます。最後にあったのはいつ頃昔でしょうか。ずいぶん長い時間お会いしていなかったと存じておりますが」
「確かにな。こちらもこちらで、やることがたくさんあったからなあ。この世界へと渡る暇がなかったのだ。まあ、貴様が俺がいないことで困るような事態にはならないだろうという信頼もあったから、来てないということもあるわけだが。まさか、恐怖の大王でも復活させるようなことをしでかしたとか、そんな報告をするわけじゃあないだろうな」
「いいえ、滅相もない。そんな報告をしようものなら、俺の首がこの世から消えてなくなってしまっても不思議じゃありません」
「ふっ、まあわかっている。貴様ならそんなへまはしないだろうということぐらいはな」

 お師匠様は、そう言ってにいっと口元を吊り上げる。カラス頭なのに何とも表情豊かな人だと感心させられるのであった。どこの筋肉を使っているのか気になって仕方がないが、お師匠様は天狗であり妖怪なのだ。動物であるカラスたちとは大きく違っているに決まっているだろう。だから、それ以上深く考えることは控えることにした。
 どうやら、お師匠様は俺が来るのを待っていたようで、部屋に備え付けてある椅子に座って何かを読んでいたようであった。ひどく達筆であり、何が書いてあるのかが読めなかったのは非常に残念であるが。あとで教えてもらうことは出来るのだろうか。気になるところではある。
 だが、お師匠様はそれを閉じてこちらへと向き直ると、真剣な顔を見せる。何か重大な事件でも起きてしまったのかと俺も緊張している。もしかしたら、お師匠様に喧嘩を売った大魔王的な何かが現れて、俺も戦力として参戦してもらおうとかそういうことがあるのだろうか。お師匠様が助けを求めるような相手に俺が立ち向かって、そしてほんのわずかでも歯向かえるだけの力があるとは思えないのだけれども。だが、お師匠様に求められれば立ち上がってしまうことだろう。

「貴様が何を想像しているかはわからないが、そんなにも死地に向かうかのような覚悟でもって挑まなければならないような内容の依頼を出そうとは思っていない。だから、肩の力を抜いて聞いていればいい」
「ああ、そうでしたか。あまりにも真剣な顔つきを見せるものですから、俺の胃の血の一つや二つは消し飛んでもおかしくないかもしれないと思ってしまいましたよ」
「ふむ、そうだったか。少し顔を緩めたほうがいいか」

 そういって、わずかに目が垂れる。たしかに、きりっとした顔を残したままに、緊張感というものが少しばかり消えている。丁度いい塩梅に加減をできているようである。普段もこの顔でいればいいのだろうが、意識して作っている顔で普段を過ごすなんて簡単な話はないと思う。だから、俺はそれを心の内に秘めておくだけにするのであった。

「この近くの森で何かしら異変が起きている。今日はそれを伝えるために、貴様のところまで足を運んだのだ。何かしら感じはしないか。邪気というべきか、怨気というべきか。ひどくねばねばとしていて気味が悪い気が近くの森に流れている。その原因を突き止めて排除したいのだ」
「お師匠様、近くの森といいますと、あちらの方角に広がっている森でしょうか?」

 俺が指を指した方向を見ると、お師匠様はこくりと頷いた。その森は俺が先ほど行こうと思っていた森であるのだ。どうやら本当に、何か人に言えないような何かが起きているようである。まさかとは思っていたし、そんなことそう簡単に起きるわけないだろうと高をくくっていたのだが、どうもそうではないようなのだ。もし、何も知らずに行ったらどんな目にあっていたのだろうか。俺は引き留めてくれた衛兵のおじさんたちに感謝の念が湧いてくる。
 俺が先ほどの出来事を伝えると、お師匠様は嘴をさすりながら何か考え事をしているようである。俺はそちらの方向へと見つめると、かすかに何かが漂っているように見えるのである。不気味であると言わざるをえない。しかし、不気味であると感じるばかりで視覚的には一切のものが見えないのである。感覚的なものでしかないのであった。おそらく、気を感じ取っているだけでしかないが、いずれはあれが視覚出来るようになるのだろう。そうなったときにはもう手遅れである。だったら、そうなる前に潰しておきたいと考えてしかるべきだろう。
 不気味で、なおかつ気持ちの悪い気である。お師匠様の言う通り、怨念とかそういう類のものが込められているかのような気と感じることが出来る。ということは、何かしら恨みを持っているものが、そこにいるということである。一番手っ取り早いのは、何かが封印されていて、それが解かれかかっているというところであるが。だが、この国の歴史、神話を紐解いても、王都の近くの森で何かが封印されたという話は聞かない。それがひたすらに理解できないのである。あの森に恨みをため込むような何かがあるという話は聞かないのだから。

「お師匠様、これはもう見に行くしかないのではないでしょうか。実際に見てみなければわからないです。情報が少なすぎます。危険な化け物でも生まれてしまった可能性がゼロではないかもしれないですが」
「確かにそうだ。俺も、いくつかの歴史書を読み漁っていたが、あれにつながるようなものは見つからなかったからな。まあ、人間が生まれる前のさらに大昔に起きてしまったことだった場合は、範疇を超えてしまっているから、見つけられないことは仕方ないかもしれないが」

 俺はそれに笑うしかできなかった。人間が生まれる前はどんな世界だったかという論争がある。いろいろと前時代の化石などが見つかっており、多くの説があるわけだが、そのどれが正しいことなのかは決まっていないのだ。ただ、一つ決まっていることがあるとすれば、昔の魔力の濃度は今の数倍の濃さがあったのではないかということと、それだけの濃さがあれば今以上に危険な生物がうじゃうじゃいたことだろう、ということである。もし、何かのきっけかでそれらが復活したら、我々は太刀打ちできるのか。それは誰にもわからないことなのだ。
 俺の体がわずかに震えている。怖いのだ。あれほどまでに恨みつらみを放っている存在に近寄ることが、やはり。当然だ。するべきことはわかっていても、それに対してすぐさま体が動くなどと言うことはありえないのだから。準備がいるのだ。今それを整えている最中なのだ。くらくらと頭が揺れているようにすら感じてしまう。
 お師匠様は、俺のその姿を見て、柔らかな笑みを浮かべている。笑われているわけではないのだろう。それはわかる。だが、その顔を見せられると、俺自身が恥ずかしく感じてしまうのだ。片手で顔を抑えて、表情を読まれないようにするのである。

「くく、そうかそうか。貴様もそうなのだな。いやあ、よかった。今まで教えてきた弟子の中で、貴様は少し変わっていたからな。やはり、人間臭さを見せられると、自分の弟子は生き物だったのだと安心するわい」

 どうも、お師匠様は俺のことを人形か何かだと疑っている節があったらしい。それは少しショックではある。魂が綺麗な人間だのどうのこうのという話はどうなったのだろうか。もしかしたら、薄汚れてしまったのだろうか。そうではないと思うが。
 俺の心には少しの新たな不安が生まれてしまったのであった。

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