天の仙人様

海沼偲

第90話

 大通りへと戻ってきた。王城から正門までを真っ直ぐにつないだ道である。防衛的な面では守りにくいような気もするが、この一直線に並んで突撃してきた敵を脇に逸らすことなく、撃滅するための道であるという風に考えれば、守りやすい構造なのかもしれない。障害物など何もなく、王城の全てを視界におさめることが出来るのである。道全体に魔導模様が描かれており、この一直線が芸術的価値を持ってしまっているのである。それでありながら、実用性に優れてもいる。なんと美しいことだろうか。実用性と芸術性を同時に存在させる建築というものの美しさを感じずにはいられないのである。
 郵便帽をかぶった犬とすれ違う。一つの町の中であれば、犬が郵便物を配ることもよくある光景である。どのような調教を施せば、それが出来るようになるのかは全くわからないが。謎である。だが、彼らの配達はひどく正確である。だいたい決まった時間に配達物が届けられるのだ。
 一角で、道化師がパフォーマンスをしている。俺は村へときてくれた、あの道化師を思い出した。今頃何をしているのだろうかと思いをはせる。きっと、今もどこかで芸を見せているのだろうか。だが、その道化師をよく見てみると、何とも見覚えのある化粧をしているのである。道化師であろうとも、個性を出すために、同じペイントや衣装をしている者はいないはずである。そうでなければ、自分の顔を覚えてもらえない可能性だってある。大道芸人にとって個性とは死活問題なのだから。であれば、見覚えのある化粧を施しているということは、俺のよく知る人物であるかもしれないということなのだ。さっそくとばかりに、近寄って彼の顔をよく見てみる。
 そこにはたしかに、村へと訪ねてきたピエロが子供たちを楽しませていたのである。あのあと、結局王都に戻ってきていたのであった。まあ、かなりの年月が経っている。王都に来ていてもおかしくはないだろう。ただ、今この瞬間に再会することがあるとは一切思っていなかったが。人生とは何があるかわからないものである。いろいろと考えさせることが多い。
 驚きの再会であったと言わざるをえないだろう。ルーシィも彼のことを思い出していて、口を開けている。友好を結んでいるわけではないが、知っている人物が王都で活躍、そこまでいかなくとも、こうして活動しているところを見るというのは嬉しいものがあった。俺の顔は自然とほころんでいることであろう。
 彼との再会を記念してか、おひねりを彼の足元に置いてあった缶の中へと放り込む。どうやら気づいたらしく、ウインクをして返事をしてくれた。その意味がたとえどのようなものであるにせよ、俺としては満足している。
 俺たちは彼から離れて、再びふらふらと大通りを歩いていくのであった。目的など何もなく、時間を大いに浪費するかのようにだらだらと歩いているのである。こういうものは時には楽しく、素晴らしいものである。九尾様の気持ちもわからなくはないというものであった。
 こういうのは、目的なんてなくてもいいのさと、気楽に構えていることが肝心なのだろう。ガチガチに固める息苦しさなど一切存在しないのだから。そうして、なんとなくで気になった場所へと入るのだ。どんな建物かはわからない。それはとてもいい。心が晴れやかにすら感じてしまうのであるのだ。目的がないということのふうらりとした性格に、俺たちは心を躍らせることが出来るのである。とても美しいことであった。建物の中は厳かにしんと静まり返っていた。だが、その静けさは不気味ということではない。美をより深く感じるための静寂なのである。
 どうやら、ここは美術館である。俺は、ルーシィの顔を見てみる。彼女が気に入らなければ、他の場所へ向かう。それも悪くはないだろう。その瞬間の完成を信じて動いているだけなのだから。そして、彼女は、ここに入ることを嫌がってはいないようである。にこりと笑って、手を引いてくれる。俺たちは、さっそく子供二人分の入場券を買って、中へと入っていく。

「もしかして、俺のために美術館に入ってくれたのかい。それだったら嬉しいけれど、ルーシィが楽しめないのであれば、ここにはいる必要はなかったのだけれども」
「ううん、そんなことはないよ。あたしだって、美術館は好きだよ。絵とか、彫刻とか、そういうのを見ていると感動するの。だから、あたしとしても、ここには入ってみたかったんだよ。だから、変に心配しなくても大丈夫」

 俺は、ほっと一息。俺しか楽しめないのであれば、ここにいる意味はなかった。やはり、二人が楽しめなければ意味がないだろう。だから、彼女がそう言ってくれることで、俺の肩の荷が下りたような気がしたのであった。
 いつ頃の時代の美術作品であろうか。少しばかり古ぼけているように感じるから、それなりに古い年代のものだろうとは思うわけだが。絵画や彫刻、いろいろと作品が並んでいる。それに、廊下を歩いていると、どうやら壁にえがかれているものすらも、この美術館の展示品のようである。建物そのものが作品なのだと実感できる。等間隔に並べられた柱の一本二本が同じ形をとっておらず、そして、一つとして同じような作りをしていない。個性を持っているのである。柔らかなものもあれば、筋肉質なものもある。別々の彫刻家に彫らせたものであることがうかがえた。
 子供を抱きかかえる母親、剣を掲げる勇士、全裸の美女、筋骨隆々な大男、そのどれもが静かに生きているのだ。生を感じてしまえる。ただの彫刻でしかない。だが、彼らは生き物であるのだ。心を奪われるほどに、筋肉の躍動を感じてしまう。もし、触ることが叶うのならば、俺は思わず触れてしまっていたことだろう。そうして、息吹を感じてしまうのだ。むしろ、彼らの立ち姿に触れることが出来ないことに残念に思えた。そして、手が届かないということに異様なまでに高揚しているのである。手が届かないからこそ、彼らの美はより美しく輝いてしまえるのだから。ああ、それはなんと素晴らしいことだろうか。冷たい意志に熱き魂が宿っているのだ。やはり、芸術は美しいと感じてしまえるだろう。
 ルーシィも同じ思いなのだろうか、俺の手をぎゅっと握りしめている。興奮を抑えきれないとばかりに目をぎらぎらと輝かせているのだ。その強さは骨が少し痛みを訴えているほどなのである。だが、それだけ、彼女の想いが強く伝わってくるということでもある。二つの意味で俺はこの場所を楽しめているのだ。
 絵画もまた美しい。風景画、人物画。どれも美しい。人物画は基本的に、英雄譚に書かれるような偉人たちの雄姿を描いている。宗教色がより強く深く、描かれるのである。そして、それはまた、風景画にも言える物であった。景色全てにおいて神々を称賛しているように感じられるというものである。芸術というものはそうである。だからこそ、より完璧な美を求められるのだ。日常の美は適度な歪みがある美しさである。その美しさは、温かさを感じるだろうが、神々しさはない。神々しさとは完璧に近づかなくては得られないのだ。美術家たちはそれを追い求めているのだ。その追及の成果であると感じざるをえない。
 この絵は、日の出を写したものである。山の間から日が昇っているだけの絵だ。だが、彼の太陽に関する情熱が重く伝わってくるのだ。より厚く深く塗り、完璧な円へと近づけているのだ。それでありながら、絶対に輪郭を形どらせていない。ゆらゆらと肝心な部分がぼやけてしまっているようにすら見えているのである。完璧な円を描きつつも、完璧な円を見せないのだ。素晴らしい。素敵だ。心に打ち震える。俺たちでは絶対に見ることが出来ない美しさを表現しようとしているのだろうと感じるのだ。その熱をここに閉じ込めているのだ。この小さなキャンパスにである。むしろ、小さな小さな、四角い枠の中におさめなければいけないからこそ、ここまでの熱量を噴出させることが可能なのだろう。心を奪うことのできる絵を描けるのだろう。これがもし、地球程の大きさがあれば、これほどまでの情熱など生み出せなくなることだろう。大きくなればなってしまうほど、情熱はしぼんでいってしまう。この小さな枠だからこそ、芸術家たちの挑戦はほんの手の先にまで届いてしまえるのであった。

「引き込まれるね。魂が入っているんだ。恐ろしいまでの愛情が、たった一人の絵描きの愛情が、この手に持てる程度のキャンパスの中に盛り込まれている。天に昇る太陽を見てみよう。まるで、彼の方が弱々しく感じちゃう。負けてしまっているの。たった一人の人間の夢想に、負けてしまっているの。とっても素敵。ばしばしとした、熱が漏れ出しているから。ここだけ春の陽気を超えている。照り付ける暑さがあるもの。夏だよ。でも残念、これは初日の出だ。冬と夏が同時に存在しちゃっている。それだけがとっても悲しい」
「そうだね。たしかに、夏と冬が生きている。一緒に生活しちゃっている。でも、二つがつながっているんだ。あり得ないまでに一緒になっている。同一なんだ。俺は、それも好きだよ。不可能が不可能だといつ決めたのだと、そんなことこそ不可能だって証明してやろうという強い意志を感じてしまうさ。彼の頭はねじれているんだろうね。だから、ここに到達できるんだ」

 俺たちは、いくつもの絵を眺めつづけていた。手をつないで。俺が見る絵と、彼女が見る絵とが、違っているのだと、感じている。同じ絵を見ているだけなのに、二人の見ているものは違っているのだ。これに心が喜ばずにいられるわけがなかった。俺たちは、同時に二つの絵を鑑賞しているのだ。この素晴らしさを、彼女と分かち合えていることにとてつもない幸福感を感じてしまっているのである。
 これほどまでの深い時間を味わい、俺たちは美術館を後にするのだ。それまでの、不快な時間などがすべて忘れ去られてしまうような、過去の一つでしかなくなってしまっているような、素晴らしい時間をもたらしてくれた。
 芸術の虜になるということはそういうことなのだと、知らしめてくれるのだ。静かに手をつないで、軽やかな空気を肺に取り込む。心が浮き上がるようである。このたった一つのドアを隔てて、全く異なる空間が存在しているのだ。それを、この木製の弱々しい扉が支えているのだ。二つの世界が混ざり合わないように。ただの扉でさえ、素晴らしいまでの力強さを感じてしまう。それなのに、誰にでも開けてしまう優しさを持っているのだ。一つ別の世界を、異世界を、俺たちは行き来してしまえるのだ。たった、一つの扉を隔てることで。

「帰ってきたね。たった数時間の異世界旅行。神代の時代かな。それならタイムスリップって呼んでもいいかも。あたしたちは、時間旅行者なんだね。色んな時代に跳んでいってしまえるの。素敵でしょ。たくさんの混沌が、さらにたくさんの世界へと変貌を遂げている。とても綺麗で美しい世界。それが今まさに目の前に広がっていたの。とっても素晴らしいことだわ」
「ああ、とっても素敵さ。世界が一つの時間に同時に存在できるんだからね。どこにでも行けるんだ。扉をくぐるだけでね。他にもあるだろうね。世界は一つじゃないのだから。別の世界へと入り口がさ。今まさにどこかで生まれているんだ。この隣かもしれない。あそこに座っている少年が新たに生み出すかもしれない。どこにでも元は存在しているんだ。俺たちはその結果を見るだけ。それでも、とっても有意義に感じられる」

 俺たちは、ゆっくりと歩き出す。どこに行くのかも決まっておらず、自由気ままにふらふらと。足を止めることなどない。気まぐれに進んでいくのだ。それはいつまで続くだろうか。もうすぐ終わるかもしれない。それとも、まだまだ多くの時間を味わえるかもしれない。誰にもわからない。だが、この時間が続く限り、俺たちは旅行者なのだ。トレジャーハンターすら真っ青の。宝なんて、目の前にあってもいいだろう。それを見つける冒険者。この一つの小さな世界で俺たちは旅を続ける。
 それが終わるのは日が沈んでからだった。あたりはもうすぐ完全な黒へと染まることだろう。もうすぐ、寮へと帰る時間であった。俺たちは、限界ぎりぎりまで、手をつないでいた。また明日も会える。だが、離れたくないという我儘があったのだ。この余韻にいつまでも浸っていたかったのだ。
 しかし、それも終わる。限界があれば、それを超えると終わりなのだ。俺たちは手を振ってお互いの寮へと帰るのだ。明日を待ち焦がれながら。

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