天の仙人様

海沼偲

第89話

 一人の男の腕が折れる。骨が飛び出しており、血がとめどなくあふれ出す。その光景に男は恐怖し、精神の安定のために気絶してしまう。斧を持った男が、俺に襲い掛かるが、裏拳を顔にぶつけると、殴られた勢いで倒れ込んでしまい、そのまま斧が自分の顔に突き刺さってしまう。やはり、両刃の斧は危険だということをよく理解できた。男はピクリとも動かなくなり、死んでしまったのだろうということが分かった。むしろ、あれほどの傷を負って死んでいないとなれば、よほどの生命力であると感心しなくてはならないことだろう。逆に恐怖を抱いてしまうことだってあり得るか。
 まだ残っている男は怯んで後ずさりをするのだが、それを見た俺が微笑んでいると、逆上して襲い掛かってくる。俺が相手するのは自分から襲い掛かってきた相手だけだというのに、それがわからないようで、一人、また一人と倒されていってしまう。中には、あたりどころが悪くてそのまま死んでしまうものだっていた。俺だって最大限の譲歩をしながら戦っているわけである。だが、俺がその最低限の譲歩で死ぬことがない最低、その最低限よりもさらに下回る実力であれば、残念ながら生きるという最低限の保証ですら破棄せざるをえないのだ。数は多くないが、気分のいいものではなかった。
 俺は、これで三人もの人間を殺してしまった。不可抗力ではあるのだが、殺すつもりはなかったのだ。あからさまに力量差があるのであれば、別に殺そうとは思わない。弱いものを殺しても自分の心が晴れるわけではないのだ。ただただ、彼らに対する申し訳なさと、殺さずに対処できなかった自分への怒りだけが湧いてくる。どうしても、良いことではないのであった。彼らを恨むことはしない。彼らがもっとうちょければ殺さずに済んだなどと恨みはしない。全ては、俺の実力不足が原因なのである。手加減を上手くできない自分に非があって仕方がないのである。
 少年は、恐ろしさに腰を抜かしてもう一歩も動くことが出来なくなっており、股の間から温かな液体をこぼしていた。あまりにも醜く、恐怖に歪んでいる姿であると思わざるをえなかった。歯をがたがたと鳴らして、目をそこら中に泳がせている。俺の顔など見ようとすら思えないだろう。目が合っただけで殺されるとさえ思っているかもしれない。俺は恐怖を和らげようと優しく笑いかけるのだが、彼にはそれすらも恐怖を駆り立てるようにしか思えないらしく、奇声を上げるのである。だが、彼は気絶することなく、涙と鼻水をまき散らしてわめいているのであった。
 彼が気絶しない理由としては、俺が無理やりに気の巡りを操って覚醒させ続けているというところも大きい。もし、彼が気絶してしまったら、目の前で起きている出来事から目を背けるということになるだろう。それはたとえ、何があろうとも許されることではなかった。自分が起こした行動がどういう結果を招くのかということを知らなければ、いけないのだ。そこからでないと、人は考えることが出来ないのだ。だから、彼には心を鬼にして無理やり起こしている。彼の奇声はまるで、殺してくれることを望んでいるようにかんじるわけだが、彼を殺しては意味がないだろう。彼のせいで死んでしまった男たちの重さを感じてもらわねばならない。俺が誰一人として殺さずに鎮圧できていれば、そんな苦痛にさいなまれることもなかっただろう。それに関しては本当に申し訳ないと思っているのだ。

「な、なんなのだなんなのだ! どうしてこんな目に遭わねばならない! どうしてここまで恐怖しなければならない! なにをしたのだ! 何をしたらこんな目に遭うのだ! 何をしたというのだ! いやだいやだいやだいやだ! 死にたくない死にたくない! こんなところで死にたくない! 悪いことはしていないのだ! 今まで誠実に生きてきただろう! なんで!」

 彼はめちゃくちゃだった。精神が残っていることすら怪しいとさえ感じるほどであった。言っている言葉の、一つ一つの意味は分かるだろう。だが、それをつなげれば意味がわからない。理解が出来ない。俺は、血の気が引くほどであった。人間はどうすればここまでなるというのだろうか。ああ、そうか。彼は元からこうなのだ。生まれた時から狂っていたのだ。人間の本性として、醜いというところの全てを濃縮したかのような人格を形成してしまったのが彼なのだろう。彼は原罪そのものであるともいえた。だからこそ、自分の罪というものを理解できないのだろう。原罪なのだから、それよりも小さな罪を認識できないのである。そういうわけで、責任を、その圧を耐えられるだけの精神を持たないままに生きていたのだろう。それが彼の人間の本質なのだ。だからこそ、今この現状を見て、何も感じることもせずに、恐怖に打ち震えていることしかできないのだ。
 俺は、それが理解できると、同情からか、悲しみからか、涙を流してしまった。彼も苦しんでいるのだと理解できたのだ。彼は苦しんでいることを理解できないだろう。この苦しみは、赤の他人だから、全くかかわりのない人間だから、理解できてしまうのだ。悲しみを受け取ることが出来るのだ。

「ああ、そうだね。そうなんだね。わかるよ。君の心がわかるんだ。君の苦しみがわかってしかたない。ああ、だから、君は泣いているのだね。醜く体液をぶちまけて恐怖に溺れてしまっているのだね。わかるよ。君は自分が帰られないことを知っているんだ。それに苦しんでいるんだろう。わかるよ。俺だってそうだ。自分を変えることなんてできないよ。自分は自分なんだ。一本の芯が折れ曲がることなく体に残り続けているんだ。どんな力で捻じ曲げようとも決して曲げられない。君はその苦しみの永遠に閉じ込められている一人なんだね」

 彼はパクパクと口を開けたり閉じたりとせわしなく動かしている。おそらく、俺の言ったことが図星だからと驚いているのだろう。自分の心の底を見透かされたようで、そして、自分のことを真に理解してくれる人間が現れたことに歓喜しているのだろう。その歓喜に打ち震えて言葉が出ないに違いない。
 俺は、倒れて動くことのできない男たちを飛び越えて、少年の前へとたどり着く。彼は諦めきれずにいまだにわめきたてている。言っていることはよくわからないが、命乞いをしているであろうということはわかった。

「た、助けてくれ……死にたくないんだ……まだまだ、生きていたいんだ。十五年しか生きていないんだ。もっともっと、人生を楽しんでいたいんだ……。う、うう……たのむ、たのむよお……」

 彼は俺から顔を隠すようにして頭を下げているのだ。俺は彼の肩に手を置いて、にこりと笑った。彼が俺の顔を見ると、ようやく穏やかな顔を見せる。心が通じ合っているのだとわかるのだ。俺たち二人は、ここに来て、お互いの気持ちがわかり合っているのだと感じざるをえなかった。俺の思いが伝わり、彼が受け入れてくれたのだと。これは何と嬉しいことだろうか。この喜びは実際に当事者となってみなければわからない。人間はわかり合える生き物なのだ。美しい生き物なのだ。それが感じ取れることの素晴らしさを、みんなに知ってもらいたいと思ってしまった。

「君は……君の本性はどうやら腐り落ちてしまっていて救いようがないみたいなんだ。だから、その救いようのない魂を救う方法として俺が与えられることは輪廻を巡り再び生を与えられて美しく魂を浄化してもらうことでしかない。俺は悔しい。君を此岸ですくうことが出来ないのだと知ってしまったことが。できるものだと思っていたんだ。だから、君を殺さないで、どうにか救済する方法はないかと探していた。だが、どうやら、それは不可能であると君自身の口から教えてくれたんだ。俺は、悔やんだよ。悔やんで悔やんで悔やんで。それでも、だめなんだ。だから、君を彼岸へと送り届けてあげるよ。とっても美しいところさ。気にしなくても大丈夫。俺が綺麗に送ってあげるからさ」

 彼は驚愕に目を見開いていたが、俺は気にすることなく彼の首をはねた。それは手刀であった。鋭い手刀は剣に勝るとも劣らない力を秘めているのであった。その切れ味は美しいものですらある。彼の首筋は綺麗な断面と共に日のもとにさらされていたのである。
 俺は、彼らに手を合わせて、安らかにあの世へと旅立てるように祈るのだ。ルーシィも一緒に行ってくれた。彼女は今回は誰にも手を出していないというのに、俺と一緒に祈ってくれるとは、なんと素晴らしい婚約者をもらったものだろうか。俺の心は喜びでいっぱいであった。
 しかし、ここまでしたいやら何やらが散らばっていては、周りの人の迷惑になることだろう。俺としてはそれは非常に避けねばならないことであった。ということならば、これらを処理しなくてはいけないのだが、少し心配である。なにせ、この処分の方法など、今まで一度もしたことがないのだから。
 俺は手を空に向けて、気を巡らしていく。すると、俺の目の前から時空が裂けるような歪みを生じさせながら、何者かが現れてくる。大きな口を持つ四足歩行の獣を連れ立ってである。
 彼が、今まさに俺が呼んだ人物である。わざわざ地獄から呼び出したということもあり、なんとも、根源の恐怖に訴えかけるような見た目をしている。俺はそれに呑まれないように抑えているのである。

「はあ、今日はまた一段とめちゃくちゃにしていますねえ。まあ、呼ばれたんで仕事はしっかりとしますがねえ。できるのならば、こう、もう少し綺麗に出来ないもんですかねえ。いやあ、あっしが出会った中で一番きれいな殺しをしていたのは死んでいるやつが軒並み綺麗な姿のまま死んでいるんでさ。最初に見た時は、死んでいるなんて嘘でしょうと思ったもんですよ」
「申し訳ない。これでも、最大限配慮したと思ったのだが。やはり、殺してしまうほどの力を与えてしまうとどうもこうなってしまうんだ」

 彼は俺の言葉を聞き流しながら、舌位に順に触れていって、そこから魂を抜き取っていく。彼が連れている獣は魂ごと食いつくしてしまうので、先に魂を抜き取っておかなくてはならないのである。それが終われば、残った死体は獣のえさとなる。あたりに肉片の一切を飛び散らせることなく綺麗に食べるのである。よく調教されていると感心してしまう。

「では、あっしはこれで」

 そうして、彼は時空の歪みをこえて、去っていった。それが終われば、俺はルーシィの方へと振り返る。今まで、相手してあげられなかったことに申し訳なさがある。それが顔に出てしまっているような気がしてならない。

「ごめんよ、ルーシィ。今日は、ルーシィとのデートだというのに、こんな人たちに絡まれてしまって。ひどくつまらない日になってしまったことだろう。本当に申し訳ない」

 俺は潔く頭を下げる。彼女とのデートが彼らのせいで数時間潰されてしまっているのだ。たとえ、彼らが悪かろうとも、俺が頭を下げる必要があるのである。俺はそうするべきであると、おもうのだ。だからこそ、俺はただただ彼女に対して頭を下げ続けるのであった。

「……ふーん、まあ、これからさっきまで以上に楽しめたら許してあげなくもないかなあ。アランは別に悪くもないけど、そんなに悪いと思っているなら、贖罪の機会を与えてあげる。だから、これからはもっといっぱい楽しもう」

 彼女は俺の手を引いて、大通りへと向かっていった。その後姿に俺は目を奪われているのであった。

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