天の仙人様

海沼偲

第75話

 王都へとたどり着いた。とうとう、俺は王都の土を踏んでいるのである。下を見れば石畳であった。ここまできれいに舗装された石の道は初めて見る。それまでは、土を固めていただけだったり、砂利道であったり、石畳であったこともあるが、あまり美的に並べられているというわけではなく、ただ硬い地面を作ろうという観点でしか存在しないかのような、道であるということが確かなだけの石畳もあったりした。それでも、道としての役目をかなり高い水準で遂行しているのだから、問題はないのだが、それ以上に、この王都に敷かれている石畳のなんと、見事なさまか。さらりと、手で撫でてみればわかる。石としての質感以上の凹凸が存在しないのだ。綺麗に統一化された地面がそこにある。顔を地面すれすれに近づけてみればその線の美しさがより顕著に表れる。思わずため息をこぼすほどであった。それを我が物顔で歩けるというのだ。どれほどまでに王都の人間は恵まれているのかと実感する。この美しさを足蹴にできるのだ。なんと加虐的な嗜好を持った変態どもが町を闊歩しているのかと怖気がよだって仕方ない。
 俺は、顔を上げて、感傷に浸るのを一旦止める。今は、荷物を王都にあるバルドラン家の屋敷へと運ぶのだ。だいたい、一人に大きなカバン一つである。俺たちは鍛えているから、大きな荷物であろうとも、一人分なら運べる。ルクトルは、俺の分まで運ぼうとしていたが、そこまでしてもらう必要はないし、それをしたら、ルクトルが押しつぶされるのではないかという心配もあった。そこまで重くはなくとも、二つもあれば重くはなる。ルクトルにそこまでさせようとは思わないのだから。
 王都にある屋敷は、レンガ造りである。レンガだ。今まではどこの町でも見なかったが、王都に来て初めてレンガを見た。確かに、木造建築だろうが、恐ろしいまでの強度を持たせることが出来る技術のおかげで、より頑丈な建物、その資材を使おうということは思う人はいない。むしろ、どれだけ頑強にそれで美しく建物に細工を施せるのかということにばかり技術を求めてきたのだ。それでも、レンガ程度までなら、発明されているようであった。そのレンガの表面には、わずかながらに、縁取るように模様が描かれている。それがすべてに刻まれており、恐ろしいまでの緻密な技術と芸術性を感じる。これだけで、そこらの城壁を軽く凌駕する堅牢さを誇っているのだ。ドラゴンが体当たりしてきても壊れないのではないかとすら思う。それほどまでの、計算された模様であった。これは、人がすまなくなっても美術館として使うことをお勧めしよう。記念館でもいいな。これほどまでの芸術家の作品をただ家として使っているだけではもったいなく感じてしまう。

「ルイスもカインも口を開けて間抜けな顔をしてみていたが、やっぱり、この家は驚くかい? まあ、そういうのを知っている人が見れば、どれほどのものかはすぐにわかってしまうだろうからな。むしろ、父さんとしては、お前たちがこの家の価値を一目見ただけでわかってくれるということがとても誇らしく思う」

 父さんが、俺の様子を見て、面白そうに話しかけてくる。やはり、兄さんたちも同じような反応を示したようだ。いいや、そう反応をしなくてはならないだろう。一目見れば、男爵家の屋敷にはふさわしくないであろう技術が、レンガ一つとっても刻まれているのだから。どれほどの労力を使ったのか、それを考えただけでもめまいを起こしてしまうだろう。どうして、この家を手に入れることが出来たのかと、聞いてみたくなるが、下手に口を下手に口を開かないように、おさえる。
 俺は、周りを見てみると、たしかに、ハルとルーシィ、更にはルクトルまでもが大きな口を開けてじっとこの屋敷を見ているのである。一見すると、レンガ造りの屋敷でしかないのだが、それ以上の価値を見ていた。
 ルクトルにも当然魔法を教えたりしているし、少なくとも、受験で落ちることがないようにいろいろと知識を蓄えさせている。そうでなくとも、彼は行商をしていたのだから、そこらの子女たちよりは知識があるだろうとは思うが。しかし、俺は仙術だけは教えていない。これは、そうホイホイと教えていいものではないからである。俺は、少なくとも、今後百年くらいは誰にも教えないと心に決めているのである。相当な綺麗な魂を持った人を見つけない限りは。いや、いないだろう。なにせ、近現代の世の中で俺一人だけしかいないそうなのだから。むしろ、いてはいけないとさえ思う。
 屋敷に入ってからは、特に変わりはない。いつものように、入ってすぐに大きな柱がある。そこにもしっかりと魔導言語を文字化して模様として書かれているある種の彫刻がドンとおかれている。魔導言語の文字というのは、表意文字のようなものであるが、それをそもそも、文字として認識していないところがある。だから、これらは。文字ではなく模様であり、その集まりである。なら、文字化ではないか。でも、俺としてはこれは文字なのだ。
 俺たち全員の個室があるようで、一人一つの部屋に泊まることにした。彼女たちは、当然のごとく文句を言っていたのだが、夜でなくともいつでも会える。常に顔を合わせていないといなくなるわけではないと、説得をすると、しぶしぶといった様子で納得してくれた。おそらく、夜遅くに侵入してくるだろうと、なんとなく察したものである。彼女たちの目つきはまだあきらめている様子ではなかったのである。複数人で寝るのもいいだろうか、一人で一つのベッドを自由に使えるというものもなかなかよろしいのではないかと思うのだけれども。
 俺は個室に入り、荷物を置くと、ベッドに倒れ込んだ。王都までの旅は精神的にも、肉体的にも疲れというものはなかったのだが、やはり、ベッドというものを久しぶりに、それも自分専用のものであるということもあれば、やはり、倒れ込んでしまいたいという衝動に駆られるというものであった。ごろりと体を投げ出して、力をぬいて天井を見上げる。白い。ただ白い。何もない。とてつもなく綺麗である。一切のよどみも歪みもないのだ。
 ドアが開いて、そこからルーシィが覗いていた。彼女は、そのままゆっくりと部屋の中に入ってくると、俺の隣に倒れ込んだ。そして、俺たちの視線が合う。彼女はにこりと笑った、俺も同じく笑う。俺たちの間に言葉などない。そうでなくとも伝わるものがある。彼女の指と俺の指が触れ合う。ゆっくりと、絡まり合う。今ここにいるのは二人だけなのである。何も言わずに、ただ見つめ合うだけであった。
 かちりかちりと、時計の針だけが鳴り響いている。音が妙に俺の体で反響しているように感じた。一秒一秒が自身の心音と共鳴しているかのような錯覚にさえ陥ってしまう。それとも、俺の体があの針の動きに囚われてしまっているのではないだろうか。リズムが、捕まったのだ。
 ただ静かに時間だけが流れていくような、そんな穏やかな時が過ぎていくと、彼女の口が小さく開いた。

「やっと、王都に来たね。とっても、広くて、大きくて……あとは、お城もあった。大きなお城。白く大きく、偉大で荘厳な。力を持っているって、絶対だって、伝えてくるの。びりびりと、しびれる感覚がしたの。あたしが、こんなところまで来れるとは思わなかった。きっと、近くの学校に通っていたと思う。でも、こうして、好きな人と一緒に同じ学校に通えるの。夢みたいだよね。でも、夢じゃないんだ。現実。理想がそのままここにあるの。とっても素敵な現実。これがずっと続くといいな。嫌なことなんて一つもなくて、ただ幸福な時間だけが続いていくの。どう? 素敵だと思わない」
「たしかに、素敵なことだろうな。ただ、幸福に生きていると、これが本当に現実かわからなくなる。今これこそが夢であり、いつも夢であると、思っている世界が現実かもしれない。そうなると恐ろしい。この幸福を味わい続けたいからこそ、俺はわずかな苦みがほしいと思う。苦みは現実の味だ。現実を知りたい。知ればいれる。現実にいることが出来る。夢のままだと恐ろしい。自分が蝶なのか、人なのかわから無くなるだろう。俺はそれは嫌だ」

 彼女は考えているようである。自分の考えをただ肯定してくれると思っていたようだった。だが、幸福なだけの世界もいいだろう。それでも、その幸福になれてしまった時に、幸福を幸福と感じられない、そうなりたくはなかった。だからこそ、幸福以外の要素を求めてしまったのだ。彼女だって、その恐ろしさ、恐怖に気づいてほしい。それでも、幸福だけの世界を望むのであれば、それもまた良いだろう。なにせ、辛い目に遭うことがないのだから。俺だってそれは嫌だ。それは、きっと素晴らしい世界であろうと、考えなくてもわかるというものだった。
 ルーシィは眉を八の字にゆがめて悲しんだような目を見せる。気づいてしまったのだろう。嫌なことに。現実というもののもう一つの面に。だが、そういうところも見ていかなくてはならない。ここで生き続けるためには。

「そうかあ……そうだね。怖い。怖いね。これが、この世界が嘘かもしれないなんて思いたくない。でも、嫌な思いもしたくない。どうすればいいんだろう。わからないよ。考えたってなにも思い浮かばない。じいっと、闇の中を見てられないよ。絶対に逃げ出しちゃうもの」
「俺だってそうさ。だからといって、わざとつらい目に遭う必要はないんだ。全力で幸福だけを追い求めていればいいんだ。生きていれば辛いことはきっとあるだろう。どれほどの辛さかはわからない。でも、それ以上の幸福で満たされていれば、正解なんだと思う」

 彼女は笑みを浮かべる。やはり、笑顔が一番である。しっかりと、物事を見ておくべきではあるが、不安にさせすぎる意味などないのだ。不安というのは人には大事なものだが、無駄にさせる必要はない。そうでなくとも勝手になるものである。ならば、人の手でさせる必要などないだろう。
 俺は静かに手を握る。彼女も同じく握り返してくる。つながりを感じているのである。心の奥深くからの想いを手を交わすことによって、お互いに伝えあっているのであった。音の類など、よっぽど陳腐なものでしかないのだと、より深くから感じている。意思を伝えるのに、必要なものではなかったのだと。
 彼女は目を閉じた。静かに閉じるのだ。安らかな顔をしている。美しい顔であった。俺は、顔を近づける。唇同士が触れ合うのを感じた。あの美しくも愛らしい顔に触れているのである。熱がこみ上げてきている。俺はそれをごまかすように、気づかれないように離れるのである。
 彼女は目を開ける。赤い顔のまま、上目遣いで俺のことを見つめているのである。俺は思わず彼女を抱きしめるのであった。
 それはいつまでなのだろうか。いつまででもだろうか。それとも、扉の外に、嫌な気配を感じるまでか。どうだろうか。わからない。ただ、今まさにいやに、不気味であり、凍えるような気配を醸し出しながらじっとして、立っている人がいるのだと感じることは出来た。ふと、鳥肌が立っているのだと気づくほどに。
 そうして、扉がわずかに開いた。じっと眼だけがこちらを見ていた。それだけであった。

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