天の仙人様

海沼偲

第71話

 俺たちは、兄さんの話を静かに聞いていた。ここ一年の出来事である。その結果として、今目の前に起きていることがあるのだと理解できた。俺は笑うしかなかった。それは家族も同じだろう。あまりにも許容範囲を超えそうな内容であれば、笑うことでしか処理することは出来ないのだ。防衛本能なのだ。こればかりは仕方ないと思うしかなかった。
 兄さんは、王女様と婚約することが出来たのだ。あまりにも恐ろしい。常識外の出来事であろう。ケイト母さんが別の意味で倒れてしまった。つまりは、笑えなかったということである。それは仕方ないだろう。何せ、自分の息子の話なのだから。だから、今はいない。俺は混乱する頭を無理やり冷静に戻そうと努めている。それほどの出来事なのだ。
 兄さんの隣には王女様が座ってニコニコと笑みを浮かべているのだ。わざわざこんな田舎の村にまで来ていただけるのは恐縮であるが、俺たちが向こうへ行くべきだったのではないかと思ってしまう。しかし、王女様は兄さんが住んでいた村がどんな村か見てみたかったそうだ。ならば、わからなくもない。正直なところではそれもわからない話なのだが、王女様は変わり者な人物なのだと思うことにしたのだ。そう思えば、わざわざ男爵家の子息に恋することも納得できた。変わり者だからだと。だが、これを口に出すことは出来ない。固く心の中に閉ざしておくだけにとどめる。
 だが、俺たちの精神が王女様のせいで変に削られてしまうことだろう。彼女のことだからないとは思うが、何に難癖をつけられてしまうかわからない。失態を見せてしまったら、兄さんが築きあげた努力は無駄になるだろうし、俺たち一族郎党皆殺しだってあり得るだろう。それほどのことである。今すぐにでもお帰り頂きたいところではあるが、それ以上に、身内になるのであろう少女にそんな対応などできるはずもなく、ぎこちない笑みを浮かべるだけにとどまってしまうのだ。
 そうなのだ。俺たち男爵家の親類に王族が加わるのだ。発狂してもよろしいだろうか。今までのバルドラン家の家系図のどこをさかのぼっても、王家とゆかりのある血は一つもない。頭がねじ切れてしまうのではないだろうか。
 俺はその空気から逃れるために、屋敷の外へと逃げる。外で大きく息を吸い、そして吐きだす。無駄な緊張感と共に空気が吐き出されていくのである。心がすっと軽くなっていくように思えてくる。王女様の相手は兄さんに任せればいいのだ。いざとなれば人見知りな少年を演じてもいいだろう。そう思っている。これは愛とかそういう次元に存在している話ではないのである。生死にかかわる話なのである。愛は命を超越してもいいだろうが、今は、命が愛を超越してしまっているのだ。こうなったら、生きるために全力を尽くしたくてしようがないのだ。
 それに比べて、木々や花々、鳥や獣たちのなんと穏やかなものか。見ているだけで心が安らぐというものである。顔がゆっくりと緩んでいく。あおむけに倒れて、自分自身の体全てを使って、自然というものを味わっているのである。目の前に広がる空のなんと青いことか。これはいずれ赤く染まり、黒へと変わるのだ。そして再び青々となる。その変わりざまを見ているのがたまらなく好きなのだ。これだけで、永遠を過ごすことは出来るだろう。恐ろしいまでのしがらみなど忘れて青空と愛を囁き合うのも悪くはないと思えてしまうほどであった。
 逃げ出してきたようで、ハルたちも俺の両隣に寝転がる。そして、見上げるのだ。目を凝らせば、青い星たちがきらめいているのがわかる。そこにいるのだ。隠れているだけ。恥ずかしがり屋なのである。それもいいものである。奥深くへと入り込んでいければ、より美しく、輝いて見せてくれるのである。

「……ルイスお義兄さん、王女様と結婚するんだよね。すごいよねえ、この村にいる時はそんなふうに見えなかったけど、王女様のハートを射止めちゃうんだね。驚いちゃったよ。まさかの話だもんね」
「まあ、兄さんがモテないとは思っていなかったからな。誰かしら美人の女性でも妻にするだろうとは思っていたさ。ただ、王女様だというのは意外だったというだけ。兄さんなら、身分の差とか変に気にして、上位の身分の女性とは恋仲にならないだろうと思っていたからなあ。それをぶち壊すなんて、よほどの人格者なんだろうとはわかるけど」
「アランは、身の丈に合った身分のお嫁さんだね。そう考えると。二人とも平民。変に身分を気遣う必要がなくていいでしょ?」
「そうだな。たしかに、俺の方が身の丈に合った相手を選んでいるのかもしれないな。だが、美しさでいったら、ハルとルーシィ、二人の方がより良いけどな。王女様なんかには一つも負けていないさ」

 俺の言葉で、彼女たちは俺の体に抱きつく。ぎゅっと力強く抱きついていると感じる。それだけ愛されているのだと思うわけである。それがたまらなくうれしい。俺も、両腕に力を入れて抱き寄せていく。二人の熱が俺に伝わり、俺の熱が二人に伝わっている。循環している。三人で回っているのだ。それだけでもいいのだ。そこにまわりが加わる。背景として、自然が俺たちを溶け込ませていくのだ。美しいのだ。より深く幻想的であり、夢幻の美を追求するように、力が巡り巡っているのだ。
 次に庭へと出てきたのは、ルイス兄さんであった。王女様を連れている。父さんたちから解放されたようである。だから、二人して庭に出てきているのだろう。ここには、ベンチが据え付けてある。そこに座るのだろうとわかる。そちらへと歩いているからだ。たしかに、屋敷の中では兄さんの性格からして、イチャイチャとすることは出来ないであろう。だからこそ、外に出ているわけである。臆病でありながら、大胆ともいえる行為である。だが、俺は気づかないことにして目を離した。そして、気配を殺していく。気づかれてもいけないのだ。ただの草木といっしょだ。そう念じるのである。
 兄さんは、おそらくプラトニックなものであることはよくわかる。おそらく、手をつないでいるのが最高であろう。むしろ、俺たちのように何度も唇を交わしているほうが異常ともいえる。だが、どの愛の形であろうとも、それが正解であるのだから、それを信じていればいいと思う。だから、俺も俺の愛を信じる。ただれているようにみえようとも、それが正解なのだから。
 夕食時になれば、当然のように王女様も集まって全員で食事をとるわけである。これはこの家のルールである。というか、この国の貴族のルールともいえる。客人とは一緒に食事をするのだ。だが、王女様を客人として招待するとは思っていなかったのだがな。人生何があるのかわからないものである。だが、この食事が皆の記憶に残るであろうことは言うまでもなく理解できた。なにせ、家族皆の持つ食器がわずかに震えてしまっているのだから。料理の味なんてするのかどうかすら怪しい。料理人たちも、変な味付けになっていないかと何度も味見をしていたそうだ。だが、まともに味見すらできないだろうとわかる。めちゃくちゃである。
 カイン兄さんが、食事中に俺とルイス兄さんの顔を交互に見ていて、何か歯ぎしりをしているように感じられた。しかし、それに対して恥じているようでもあり、しょんぼりとした顔も見せているのだ。
 食事も終わったころに、俺はカイン兄さんの隣に座った。ひどく落ち込んでいるようにも見えるが、強がっているようにも見える。だが、俺は軽く肩を叩く。変に気を張る必要はあるまい。そう伝えるようにだ。

「……別に、今すぐ婚約者なんて必要ないと思っていた。でも、アランは誰よりも、早く二人もいる。兄さんもとうとう、婚約者が出来た。しかも、王女様だ。でも、オレにはいない……。ああ……気にしていないと思っていたんだけどなあ。どうも、気にしているみたいなんだ」

 やはり、そのことで落ち込んでいた。わかりやすいものである。だが、兄弟全員が結婚したのに、自分一人だけが結婚できていないという状態に追い込まれたら、自分もこうなるだろうというのはわかる。だから、気持ちはわからないことはない。だが、そこまで気落ちすることでもないと思う。なにせ、カイン兄さんはハンサムな顔だからだ。醜いわけではない。第一印象で女性がいなくなることはないのだ。ならば、あとは兄さん次第であろう。ハードルが他の人よりも低いのならば、飛び越えるのに必要な努力も小さく済むことだろう。まあ、その方向性の努力が苦手そうな兄さんだろうということはわかるが。それでも、なんとかなると信じている。兄さんは強いからな。モテる男の条件の一つはクリアできている。

「あんまり楽観的なことは言わないけど、頑張れば大丈夫だよ。頑張らなきゃダメだろうとは思うけど。もうすぐ、兄さんも学校に通うんだし、その時に婚約者でも見つければいいさ。別に見つけなくても、どこかから見合い話でも来るだろうし。そんなに気落ちする必要はないさ」
「そうかな……。そうだよなあ。それに、オレがこんなことでうじうじ悩んでいてもしょうがないしなあ。はあ……」

 兄さんは深くため息をついた。それで悪いものでもすべて取り除くかのようである。それが終わると、いつもの兄さんの目に戻った。そして、テーブルに置かれていた本を手に取って読み始める。兄さんは今もちゃんと、主席を取るための努力を怠っていないのだ。俺は応援している。どちらの意味でもだ。
 俺は立ちあがり、兄さんから離れる。今の兄さんは集中しているから、変に気を散らすようなことをしないためである。
 自分の部屋へと戻る途中、王女様とすれ違った。彼女は貴賓室にいるのかとおもっていたが、どうやら、散歩で屋敷の中を歩いているらしい。あまりにも突然の出会いで俺の心臓は一瞬止まるのかと思ったが、それでも何とか頭を下げる。体が固まって動かないかと思っていたが、無意識とかそういうレベルのところで動かしてくれたようである。

「あなたは、アランさんですね」
「俺とあなたとでは身分が違いますので、自分の名前に『さん』を付けてもらわなくても大丈夫です。そんな風に呼ばれてしまうと、いろいろな意味で俺の心臓が張り裂けて死んでしまうかもしれませんので」
「なら、私の名前も呼び捨てにしていただけますか? それなら、特別にあなたの名前を呼び捨てにしてあげることにしましょう」

 俺は、彼女にさん付けで呼ばれることを了承した。王女様の名前を呼び捨てにすることなど出来るわけがあるまい。そんなことが出来るのはルイス兄さんぐらいであろう。俺もなんだかんだで意気地がないようである。弱々しい男である。だが、それも仕方ないだろう。許してほしい。
 彼女の話も聞いてみると、本気で兄さんに惚れているというのがわかる。むしろ、兄さんしか見えていないようにも思える。確かに、惚れるというのはそういうものだろうが、彼女のはより深いものであるように感じるのだ。だが、それが兄さんたちの関係を壊すようなものではないだろう。
 彼女は再び屋敷内の散歩へと戻る。俺は彼女の後姿を見つめていた。何か、にわかに不気味さを感じてしまっている。それが勘違いであることを祈ることしかできないのであった。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品