天の仙人様

海沼偲

閑話6

 夏休みが終わり、いつもの学校生活が再び始まった。僕は前学期は主席のままで終えることが出来たので、今期もしっかりと、主席を保ち続けていきたいと思う。
 教室に入ると、そこにはミーシャが一人でいた。いつもは僕が一番最初だったのだが、今日はミーシャに先を越されてしまったらしい。だが、これを競争しているわけではないから、珍しいなあとしか思わないけれども。
 僕は彼女に挨拶をすると、自分の席に座って本を開く。僕が彼女と話すのは基本的には放課後である。だから、朝は軽く挨拶をする程度でいいだろうと思っている。だが、ミーシャは僕の隣の席に座って、こちらを覗きこんでいるように見ている。
 僕がそちらへと目を向けると視線が合う。彼女は僕と久しぶりに会えることを喜んでいてくれているようだった。僕は、家に帰っても弟たちがいるから、寂しいとかそういうことを思ったことはないけれど、彼女は違うかもしれない。それならば、再開した喜びを分かち合うというのもいいと思う。

「夏休みは、何をしていたの? 僕はそうだなあ……実家で訓練とか、魔法についてより深くいろいろと学んでいたかな。……そう考えると僕はあまり変わったことをしていないね。いつもと同じことばかりしているようだ。あまり面白くない話かもしれないね」
「い、いえ……そんなことはありませんわ。ルイスがどのようななる休みを送っていたかは気になりますし。たとえ、普段と同じことをしていたとしても、ルイスがいつもと変わらないことをしていれば、わたくしとしてもすぐに想像がつきますわ」
「そうか、ありがとう。それで、ミーシャは何をしていたんだい? 僕もミーシャが何をしていたのか気になるな。僕は夏休みのことを話したのだし、ミーシャにも話してもらいたいなあ」

 僕は会話のきっかけとして、夏休みのことを聞いてみようと思った。一番最近のことで最も話題にあげられるだろうし、僕個人としても、彼女がどんな夏休みを過ごしていたのか気になる。アリスたちのような女の子たちとは違うような日々を送っていることだってあるだろう。

「わたくしはお母様たちに花嫁修業として、いろいろお稽古をつけてもらいましたわ。良き妻となるためにはたくさん頑張りませんとね。いづれ来たる、結婚に向けて淑女は努力を欠かしませんのよ」
「へえ、いつも家では花嫁修業をしているの? ここにいる時は、そういうことをしている様子が見られなかったから意外だなあ。あ、ごめん、意外っていっちゃ失礼だよね。別に、そういうのに無頓着な女の子だと思っているわけではないからね」

 僕は、彼女に失礼なことを言ってしまったと思い、すぐに謝る。自分に非があるような気がすればすぐにでも謝罪をする。これが一番大事だろう。気が付かない時もあるが、気が付いたら、出来る限り謝ろうと思う。でも、他の国だと謝ることを美徳と考えない国もあるらしいから、この国でしか通用しない考えだろうけど。文化というものは難しいと思うね。

「あ、いえ……わたくしはきにしませんわ。それに、ルイスの言う通り花嫁修業をしておりませんでしたもの。意外と思ってもおかしくはないですわ。ただ、今年はいろいろありましたからそういう修行を始めたほうが良いとお母様が言ったから、始めましたの。一応、料理なども学びましたわ」
「へえ、美味しそうだね。ミーシャの料理を食べてみたいなあ」
「そ、そう? いつか、食べさせてあげても構いませんわよ」

 ミーシャは嬉しそうにはにかんでいた。友達とはいえ、自分の手料理を食べてみたいと言われるのは喜ばしいことなのだろう。僕はふと、ミーシャが自分のお嫁さんとなっている姿を想像してしまう。家に帰ると彼女が待っていてくれるのだ。そして彼女の手料理を食べさせてもらえて……見つめ合えば、お互いに顔を寄せ合い、キスをするんだ。顔が熱を持って来てしまっている。たしかに、ミーシャはとても愛らしい。きっと自分の妻にすることが出来たらすごくうれしいだろう。だけど、僕に釣り合うような人かといわれたらそう思えない。僕が彼女を幸せに出来るのかと、少しネガティブなことを思ってしまうわけだ。今そんなことを考える必要なんてないのにね。

「どうしましたの? なんか落ち込んでいるように見えますわ。何か変なことを考えていますの?」

 彼女は目ざとく、僕の心の奥で起きている変化すらも気づいてくれる。とても優しくて、可愛らしい女の子だ。ただ、その落ち込んでいる理由が人に話せるようなものではない。だから、余計に恥ずかしく感じてしまって、無理やりに何でもないかのように振る舞うのだ。

「ああ、気にしないで。一人で勝手に落ち込んでいるだけだからさ。ミーシャに話すような内容じゃないよ。だから、ミーシャは気にしなくても大丈夫だよ。でも、心配してくれてありがとう。とっても嬉しいよ」

 僕は、努めて明るく振る舞った。そのおかげか、彼女は特別にそういうところをついてくることはなくなった。僕はこれから、少なくとも彼女を心配させることはしないようにしようと、決めた。
 放課後となり、僕とミーシャ、そしてマリィの三人でいつもの図書館で勉強会が開かれる。どうやら、その光景を他の生徒たちにも見られているようで、女の子二人と一緒にいる僕に対して嫉妬の目が向けられることもあった。僕はそれに気恥ずかしさも覚えたが、これは僕が勝ち取った地位だと思えば、僕は堂々としているのがふさわしいということで、気にしないよう努力している。それでも、ちょっとびくびくしていることに変わりはない。変な嫉妬の念に駆られて刺されてしまうのではないか、という不安があってもおかしくはないだろう。
 そんなこともあって、勉強会をしているわけだけれども、ミーシャがトイレに行くため席を外していると、マリィが僕の肩を叩いてきた。何かと思って僕はそちらを見ると、彼女はにこりと笑った。

「ルイス。今度の休みの日に、学校の正門の前に待っていただけませんか?」
「なにかあるの?」
「ええ、私と一緒にお茶を飲みませんか? そのお誘いです。どうしても、大変な用事があるのならば、諦めますが、そうでないなら、来ていただけると嬉しいです」

 僕は、一瞬何を言われたのかがわからなかった。なにせ、王女様とお茶を飲む権利をもらえるなんて、男爵家の息子が思うわけがない。それほどに衝撃的だった。僕はすぐに縦に首を振った。マリィとお茶が飲めるんなら、断る理由もないし、そもそも女の子の誘いを断ったら男としてダメなような気もする。ミーシャはどうするのかと聞いたら、今回は二人きりでお茶をしたいということだそうだ。
 僕は、それからの勉強も、下校途中もわずかに鼻歌を歌いながら軽やかにしていたことだろう。それだけ、体に表れやすかった。すれ違った友人に、変な目で見られてしまったが、それすらも大したことがないのだ。僕はそれほどに浮かれているのであった。いや、浮かれない男子なんていないことだろう。なにせ、王女様と一緒にお茶できるのだから。僕は今まで生きてこれたことを神様に感謝するほどであるのだ。
 そうして、休みの日になり、僕が正門前で待っていると、一台の馬車が向かってくる。マリィが乗っていることだろう。扉を開けると、マリィが顔を出して、入るよう促してきた。僕はすぐさま乗り込んで扉を閉める。中には、僕とマリィの二人だけである。少し緊張してきた。
 彼女は僕の手に自分の手を静かに重ねて置いた。それだけで、僕の心臓は一段階早く動き出す。いつ破裂してもおかしくない程の鼓動が鳴っている。この音が彼女に聞こえていないことを祈ることしかできなかった。それほどまでに僕の頭はうまく働いていないのだ。ショート寸前といって差し支えない程だ。かろうじて生きるための最低限の機能だけが動いているだけである。

「私、ルイスと一緒にお茶することが出来て、とてもうれしいです。今まで生きてきて一番うれしいかもしれません。ルイスはどうですか?」
「そ、そんなお茶を飲むだけで大げさだよ。べ、べつに……一緒にお茶を飲むだけでしょ。からかっちゃだめだよ」

 僕だって今までの人生で一番うれしいことだろう。それ以上の幸福など絶対にないだろう。心臓が飛び出してもおかしくはない。数日後に死んだとしても、驚かない。それほどなのであった。
 彼女の顔は真っ赤であり、僕のことをじっと見て離さなかった。僕も彼女の瞳に吸い込まれていくように見入っている。この空間に侵されていくような、そんな感覚である。僕のわずかに残っている理性でもって、このままでいられるようなものである。それほどまでに誘惑的で魅惑的な時間であった。
 馬車が到着したらしい。車の揺れがなくなったこともそれを伝えている。僕たちが降りると、そこには大きな建物が建っていた。しかも、僕がほぼ毎日目にする建物であった。それはお城であった。王様が住んでいるところ。それが目の前にあった。
 僕の頭は混乱したままであったが、それでもマリィが僕の手を引いて連れて行ってくれた。そうして通されたところが、中庭であった。綺麗に手入れされた庭の木々がよく見える場所にイスとテーブル、そして日傘が差してあった。白く綺麗なものであった。僕たちはそれに座って、注がれた紅茶を一口飲む。とてもおいしい。さらりとした味わいである。そこまでして、何とか僕の心は落ち着いているようであった。

「驚いたよ。まさか、王城でお茶を飲む日が来るなんてね。まるで夢の中にいるみたいだよ」
「夢じゃありませんよ。ちゃんと、私とルイス。二人きりでここにいて、こうしてお茶を飲んでいるんです」
「そうだね……」

 僕は、彼女の顔を見つめる。彼女も僕のことを見ている。視線がしっかりと重なっている。夢幻の類のような現実である。僕は無意識的に彼女の頬に手を伸ばしてしまっていた。そして、その感触が僕に伝わる。彼女の顔がリンゴのようになっていき、僕の手を触れて、うっとりと見つめてくる。まるで恋人のようだと、勘違いしてしまいそうになる。彼女と僕とでは大きく身分が違うというのに。しかし、そのかりそめの恋愛を僕は楽しんでいたかった。このわずかしか感じられないものを堪能していようとしていた。
 彼女は、僕の手を握ったまま口を開いた。

「知っているとおり、私たち王族は、結婚相手に釣り合うような身分でなくちゃいけないなんていうルールはないんです。だから、私のお祖父様は平民の女性と結婚しました。とてもロマンチックで、素敵だと思いません?」

 その話を今されたら、僕は今すぐにでも君の唇を奪ってしまいたくなる。それをこらえている気持ちを感じてほしい。それなのに、いたずらをしているかのように、彼女は今まで自分の家で起きた、身分の差の恋、そして愛を語っていく。だんだんと僕の想像は膨らんでいく。彼女が僕と恋仲になり、愛を育んでいく姿を。しかし、ああ……でも。
 僕は、最終的に彼女がからかっているだけだということで、納得した。そうすれば、僕の心はわずかに痛むが、動揺することはない。
 マリィが立ち上がって僕のすぐそばまで来る。息がお互いの顔にかかるほどだ。ただ何もなく、真っ直ぐに僕たちの視線が混ざり合っているのだ。
 僕の思考は止まった。僕には見つめ合うだけのことですら刺激が強すぎて仕方がなかったのである。こればかりは救いようもない程にどうしようもないのであった。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品