天の仙人様

海沼偲

第52話

 俺たちの視線を受けたルーシィは何も言わずに黙ったままである。俺はそれに苦痛を覚えていたが、そのままにしていると、彼女の心に大きな穴を残したままになってしまうのではないかという恐怖の方が勝っていた。だから、俺はあえて聞いているのだ。
 こうなった原因としては、村の中での話し声にあったといってもいいだろう。しかし、あれはうわさに過ぎない。それに、断片的なものでしかないのだ。だから、彼女の噂だから、気にしなくていいという発言さえもらえればいいのだ。だから、それを待っているだけだ。だが、彼女は口を開くことはない。
 その姿を見ているハルは怒りを抑えるということが出来ないようで、こぶしを握る力が強まっていく。あのままでは自分の手を傷つけてしまうとすら思えてしまう。だから、すぐに手を握って、落ち着かせるように働きかける。だが、それで治まることはなかった。一応は、こぶしの力が抜けたのだから、治まったともいえるが、そうではなかったということだった。

「裏切るんだ。そうやって裏切るんだ。アランに隠し事をするんだ。なら、アランのことが嫌いなんでしょ。だから、アランに隠し事をするんだもんね。私は隠し事なんてしないよ。絶対に。アランが好きだもん。アランにだったら何を知られたってかまわない。アランはそんなことで嫌いにならないし、愛してくれているって信じているから。でも、あんたはその秘密をしゃべるとアランに嫌われるって思っているんでしょ? だから、信じていないんじゃん。アランのことを。そんな、小さな卑しい醜い気持ちでアランに近寄らないでよ。消えてよ」

 ハルは、胸ぐらをつかむようにして目線を合わせると、まくしたてるように言った。真っ直ぐに見ていた。絶対に視線など逸らしてはいけないというほどの剣幕があった。ルーシィはそれを見て、それを受けて、涙がボロボロと零れ落ちていた。俺は仲裁に入るべきかどうかを迷ったが、とりあえず、話せる状態に持って行かなくてはならないと判断したために介入することにした。そうでなくては、彼女の心がねじ曲がってしまうような、そんな気配がしたのだ。どろどろとした醜い感情を吐き出すのは悪くはないが、ぶつけすぎるのもまた悪い。精神が変に歪んでいってしまうのだ。
 俺は彼女の肩に手を置いて、離すように伝える。そうでもしないといけないからと、俺の視線で訴えかける。彼女は不満でもあるような顔をしているが、俺の懇願するような目を見て仕方なくという感じで、手を離した。
 頭に触れてゆっくりと撫でる。大粒の涙を流しながらせめて声を出さないように必死に抑え込んでいるのが、はじけ飛んだようで、俺の胸に顔をうずめて大声で泣き出してしまった。ルーシィはそれほどまでにため込んでいたのだろう。それをすべて吐き出してもらうように、俺はゆっくりと、落ち着くように背中をさするのである。
 しばらくの後に、ある程度落ち着いたであろう、ルーシィに俺は微笑みかけるようにして聞いてみる。それでも、やっぱり怖いのだろうか。俺の信頼というものがそこまで築けていないという事実にショックを受ける。むしろ、ハルが俺のことを愛しすぎているのだろうか。ルーシィの方がまだ普通なのだろうか。まあ、ハルは命を助けたりもしたから、その過程の有無なのかもしれないと思わんでもない。

「大丈夫。ルーシィ、大丈夫だから。俺は、ルーシィが何を言おうとも、愛しているし、嫌いになったりしない。むしろ、ルーシィが嫌いになるほどの話を思いつかないよ。どんな面を見たって、ルーシィは俺から見れば、愛らしい女の子だし、俺の婚約者だし、俺の愛する人でしかないんだ。それは絶対に変わらない。怖がらなくてもいいんだよ。だから、安心して話してごらん」

 俺は、ゆっくりと頭をなでながら、語り掛ける。もう片方の手では彼女の手に触れる。両手を使って彼女に触れる。手の甲を口元に寄せて軽く口づけをする。俺が愛しているとどれだけ体を使って表現しても、彼女にどう思ってもらえるかがわからないのだ。しかし、俺は彼女を愛しているという事実が、俺の中に存在する。だから、それを持っていればいいのだ。ただ、焦ることなく、愛していればいいのだ。

「…………ごめんなさい」

 彼女が頭を下げる。俺はにこりと笑顔を作る。この謝罪が何を意味するのかが分からない。その恐ろしさが俺に笑顔を作らせる。それは緩むことなく、固まるのだ。愛しているが、俺の心が傷つかないということはない。俺だって、生きているし、魂を持っている。それが傷つくことだって往々にある。ただ、俺はルーシィから愛されなくなってもハルから愛してもらえるという少しのゆとりから、少しずつ、頬の固まりをほぐしていく。だが、やはり、ルーシィに愛されなくなる恐怖は大きい。俺は、二人を最も愛する女性とみているのだから。二人が俺から離れたら、きっと、誰も知らないようなどこかの森の奥のそのさらに奥へと隠れ住むのだろう。そんな弱い人間なのだ。仙人なのに。

「あたし、騙していたことがあるの」
「……それは、なんだい? 怒らないから、言ってごらん」

 俺はそれを言うのが精いっぱいである。聞きたくない。逃げ出したい。そう思う。しかし、彼女のことを愛しているのならば、それすらも受け止めて、愛さなくてはならないだろう。愛するということの義務なのだ。嫌なものから目を背けることは愛ではない。愛とは、どんな視点から見てもその人のことを愛し続けられるということなのだから。

「あたしは、男の子だと言っていた。女の子だって知らなかったって。でも、本当は嘘なの。あたしは女の子だって知っていた。自分が女の子で、アランに向けるこの感情が女の子が男の子に向ける好きだって感情だってことも」
「……え? そ、それはいつからだい? いつから自分が女だって知っていたんだい?」

 俺はある意味拍子抜けした。どれほど重く苦しい話が飛び出してくるかと思ったが、途端にちんけなものに変わってしまった。それならば、俺が無駄におびえる必要はない。俺の心がすっと軽くなった思いがした。ならば、今度は彼女の心を軽くする番であろうか。
 そもそも、そんなことをして何の得になるというのか。子供の理論はわからないことが多いが、その中でも特段にわからない理論が現れた。さすがに、出会った直後は男だと思っていたのだろう。それが途中で女だと気づいて……それをカミングアウトするのが恥ずかしかったからか? いやいや、それだったら、カミングアウトしたほうがいい。そうすれば、俺に体を触られることもなかったんだ。そんなことがある可能性がわずかでもあるのにどうして……。

「最初から。アランに会った時から……ううん、アランのことを見かけた時から女の子だって知っていた。そして、一目で好きになったの。でも、女の子として近寄ったら、他の子にいじめられちゃう。だって、アランは同い年ぐらいの女の子に好かれているんだもん。みんなの噂話を聞いていただけでわかった。みんな、アランのことが好きなんだって。だから、あたしがアランと仲良くなったら抜け駆けしたってみんなにいじめられちゃう。だから、あたしは思いついたの。男の子の格好をすれば、いじめられずにアランと仲良くなれるって。だから、男の子として、アランと仲良くなれたの。いじめられなかったし。それに、あたしはそもそも女の子の友達はいなかった。だから、あたしのことを知っている子はいなかったし、そのおかげであたしが男の子だって嘘ついてもバレることはなかったの」
「でも、そんなことしたら、アランに女の子として扱ってもらえないじゃない。それはどうするつもりだったの?」

 ハルの疑問はその通りであった。男として接触したのなら、女として見られることはないだろう。俺だから、うまくいくような作戦だ。そもそも、女と言ったって信じてもらえるかどうかわからない。それだけ穴がある作戦だと思わざるを得ない。

「あのね……あたし、お母さんに聞いたことあるんだ。どうしてお父さんと結婚したのって? そうしたらね、お父さんが水浴びしているところに、偶然鉢合わせたふりをして一緒に水浴びしたんだって。それでね、自分の裸を見たんだから責任を取って結婚してってお願いしたんだって。そうして結婚できたって、教えてくれたの。覚えてる? あたしが水浴びしようって誘って一緒に水浴びしたの」
「あ、ああ……。……まさか」
「うん、そう。その時にね、裸を見せたの。アランもしっかり見たよね。恥ずかしくて隠してたけど、上半分は隠さなかった。恥ずかしかったけど、アランと結婚したいと思えば、そんなことへっちゃらだった。自分の旦那様になる人に裸を見られることはむしろ嬉しかった。だから、お母さんと同じように自分が女だと言って結婚を拒否しても絶対に逃げられないようにしたの。それに、女だって信じられないって言ったら、町の人みんなに言いふらすつもりだった。『女の子の裸を見ても責任を取らない不埒もの』だって。これも、お母さんに教えてもらったの」

 俺は、唖然とした表情でそれを聞いていた。彼女の母親は娘になにを教えているのだと嘆きたくなったし、何ともしたたかな女性だと尊敬すら感じるほどだ。
 たしかに、俺はルーシィの作戦にハマっていただろう。その通りにどういうルートを通っても彼女と婚約するのは決まっているようだ。しかし、それがたまらなくうれしく感じた。

「それで、どういうわけか皆にそうやってアランと無理やり婚約したって、嘘をついて婚約したって気づかれちゃったみたいなの。だから、あたしが外に出るとああやって噂される。噂じゃないけどね」
「そうか……」

 俺は目をつむって天を見る。風の音と匂い。日差しの温かさが俺の顔面に降りかかる。それを見ているルーシィが緊張しているように感じられる。恐れているのだろう。自分が嘘ついたことをどう思っているのかを。

「ルーシィ」
「は、はい……」

 ルーシィの声が震えている。恐れているのだ。これを知った俺がどんな反応を見せるのかを。拒絶されてしまうのかと。確かに、この世界ではこうやって積極的な女性はあまりいない。色んな作品を呼んできたが、女性は基本的につつましくしているのだ。だから、ルーシィのようなことをする女性は異端として毛嫌いされることもあるだろう。それを恐れているのだ。だからこそ、俺は俺の気持ちを伝える必要があった。

「俺は嬉しいよ。俺のことを見ただけで、そこまでしようと思ってくれるほどに愛してくれていたんだろう。俺もルーシィのことは初めて見た時から愛していたんだ。男だと言っていたから、恋仲にはなれななかったが、それでも、俺たち二人は愛し合っていたということなんだ。それは運命だと思う。古くから続く縁が俺たちを巡り合わせてくれたと思わないかい。つまり、俺たちは結ばれることが運命づけられているんだよ」
「ほ、本当なの?」
「もちろんだ。そうじゃなければ、俺たちはこんなに深く愛していないだろう。だから、俺は嬉しいんだ。そんな突飛な行動を起こしたくなるほどに俺を愛してくれていることを。そんなことを起こそうと思うほどの愛なんて、運命じゃなきゃあり得ないよ」

 俺の言葉を聞いていると、ルーシィの表情は暗いものからだんだんと明るくなっていく。そう、気にすることではない。そんなことはくだらない。そう思っていると教えてやることで、彼女の心も、段々と明るくなっていくのである。
 俺は、彼女の肩に手を置いた、そして笑う。笑顔を見せる。気にしなくていいと伝えていくのだ。そもそも、二人の愛が生まれてこうして育っていくことは当然だったのだ。そうなれば、そこまでの道のりなどどれも一緒であろう。それをただ理解しているだけなのだ。

「う、うん! あたしも嬉しい! アランがあたしのことを愛してくれて! 好きって言ってくれて!」
「そんなの、いくらでもいうよ。ルーシィ。愛してるよ、ルーシィ。今までもこれからも、ずっとずっと愛し続けるよ」
「あたしも、あたしもアランのことを愛し続ける。好きって言い続ける。死んじゃっても言い続ける!」

 俺たちは、抱き合った。この喜びを表現する方法が思いつかないのだ。最上の喜び。これを体全部で使って喜ぼうとした結果がこれなのだ。だが、それでいい。俺たちの愛が永遠不滅であることを、絶対に消えないことを伝えるように、伝えてくれるように、力いっぱい抱きしめているのだから。
 それを見ている、ハルは不満げではあるが。俺は、ルーシィが満足するまで待つと、ハルも呼んで、いっぱい抱きしめる。同じぐらい愛していると、伝えるためだ。だが、満足していない。だから俺は耳元で伝えた。これは特別なのだと。俺が真剣に愛したものにしかしないと。俺はハルとルーシィの二人にしかしないと。ハルは一人がよさそうな顔を見せるが、それでも自分が特別な存在の一人であることに顔を緩ませてくれた。

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