天の仙人様

海沼偲

第43話 永遠までの距離

 朝になり、森の中へ入ると俺たちはいつもの修練をしているわけだが、今日はそれだけではなかった。俺はお師匠様に言われていることをしようと思う。ただ、俺一人であれば、感覚で出来るのだが、それを他人に教えるとなった時にその感覚を伝えることが出来るのだろうかと、不安を覚える。だが、やらねばならぬ。ただ、やること自体は、休憩中でもできることなので、俺はハルを連れて岩の上へと乗っかった。ハルは俺の目の前にゆっくりと座る。これから何が起こるのかとわずかながらに緊張した面持ちでこちらを見つめているのだ。

「ここって、いつもアランが座っていた場所だよね。そして、目をつむって何かをしていたけれど。今日はどうしたの? 私もアランについて一緒に登ったけど」
「今日から、ハルにも俺と同じ修行をしてもらうことになるんだ。とても大変だけど、とても意味のある修行。生と死を乗り越えるようなね。全てが曖昧になってしまうようで、そして瞬間が失われてしまう。だけど、それ以上の永遠にたどり着くような。もしも、それが嫌なら諦めるけど、出来ればやってほしい。どうかな?」

 俺は、ハルに対してそう告げる。ハルは悩んでいるだろう。俺は脅すように少しだけ圧を込めたのだ。わざとらしく。俺は彼女にも同じ道へ来てほしいが、これは望まなければ来てはいけないのだ。幸せであることの確証はない。この道に進むことでより深い不幸に襲われるとなったとしても少しの驚きもしない。俺は元からこうなることを宿命づけられているのではないかと思うほどに、理解も納得もできたが、彼女もそうとは限らない。だからこそ、悩んでほしかったし、簡単に肯定してほしくなかったのだ。暫くして、ハルは肯定するかのように俺の右手に自分の手を重ねる。そして、ゆっくりと体を近づけてくる。しかし、その途中でルーシィが声を挟んでくる。遮られてしまったようで、ハルはじっと彼女のことを見ているが、それを気にしている様子は見られない。

「あたしはダメなの? その、修行っていうの。どうしてハルはいいのに、あたしだとダメなの? それじゃあ、あたしだけ仲間外れみたいじゃん?」

 確かに、ハルができると言うのに、ルーシィが出来ないというのは彼女からしてみれば、納得が出来ないことだろう。それはわかるのだが、これは頑張れば出来るようになるという優しいものではない。すくなくとも、ハルはその前段階が出来ているから言っているだけでしかないのだ。だから、ためすようなことを言うしかない。それは非常に心苦しいのだが、彼女を納得させる意味も込めて、言うしかないのである。

「ルーシィ、気を感じ取れるかい? もし、出来るのならば同じことを教えてあげる。だけど、それが出来ないのなら、教えられない。ハルはその前段階が出来ているからこそ、教えられる下地があるわけだけど、そうじゃないのなら、無理だと思う。どうかな?」
「気? 気って何? わからないよ。そんなものをどこで感じ取るっていうの?」

 やはり、ルーシィは気を知覚できていないようだ。それを聞いたハルはまるで勝ち誇ったかのような顔を見せている。それに気づいたようで、ルーシィはむすっとした顔を見せている。それはまた愛らしくは思えるが、それを表情に出したりはしない。
 彼女たちは、あの日以来、より感情を積極的に表現するようになっていた。隠し事をしなくなったし、喧嘩も多くなった。変にストレスをため込まないのはいいことなのだが、その間に挟まるのは疲れる。とはいえ、喧嘩といっても俺の取り合いのようなものだから、ほほえましいものだが。むしろ、俺に対する愛によって疲れるというのであれば、それは相当に喜ばしいことに間違いはない。
 気について簡単に教えてみたのだが、それでも、ルーシィは気を知覚できることはなかった。むしろ、簡単に出来るようになったら俺のプライドがズタズタに引き裂かれてしまうわけだが。俺が気を知覚できるようになるまで、どれほどの期間を費やしたのか。思い出すだけで、よく頑張ったものだと自分を褒めたくなる。
 彼女は自分だけが仲間外れであるかのように、気を感じ取れないということに非常に落ち込んでいるのである。だが、むしろ、出来な方が当然であるし、魔力みたいに簡単なものではない。だから、慰めているのだが、それはあまり効果がなかった。その姿を見ているハルは、勝ち誇ったように口元をニマニマと緩めている。俺は彼女から死角になるようにして隠すことで、変にいがみ合わないようにと努力するわけである。
 とはいえ、そのまま出来ないということで放置しているのであれば、それはそれで、問題があるようなきがしてならない。ならばと、それを知覚できるようになったのなら、ハルと同じようにルーシィも修行してあげるという約束を取り付けた。当然俺と同じようにヒントを出してあげる。そこから先は彼女がたどり着かなければならないが、最初の一歩を俺が補助してあげなければ不可能なのだから。それに、俺は二人と同じ道に進んでみたいという想いもあるのだ。彼女たちと永遠を進み続けるのだ。それならば、孤独ではないだろう。愛し合えるだろう。俺はなくてもいいのだが、ハルと俺だけが残り、ルーシィだけが去る。それは彼女にとっては非常につらいことだろう。そして、俺もまた苦しいだろう。彼女を失ってしまうことに耐えられる気がしないだろう。だから、俺は彼女にも手を伸ばしたのである。愛しているのだから。
 というわけで、今日から仙術の鍛錬をハルと共に行うことになったわけである。ハルの意気込みはほほえましくもある。だが、俺は力を抜いてもらうようにしっかりと指導していくのである。力んでしまっては上手くいくものもいかないというのは至極当然のことなのだから。
 それから、数日が経っている。ハルは、気というものが知覚出来ているのだが、俺とは別の方法で知覚できるようになったために、気を巡らせるということが出来ないわけである。これは、体にみなぎらせるだけでなく、天地全ての自然につながるすべての基礎であるために、出来ないとダメなのだが、そこが出来ない。そのせいか、ハルは落ち込んでいる。
 今日も今日とて、気を動かそうとしているようだが、その意思が邪魔をするのだ。動かすのではなく動くもの。魔力と似たような性質を持ちながら、また別のもの。生きるのに最も必要でありながら俺たちの意志で自在に操れるエネルギー。この力をしっかりと認識しなくてはならない。ハルにはまだその域まで達していないのだ。静でありつづけながら動として存在し、その流れの中の一部であり、個として全というわけなのだが、そこにたどり着くのに、時間がかかる。

「ごめんなさい。ごめんなさい、アラン。出来なくてごめんなさい。今よりも、もっと頑張るから、もっともっと、一生懸命頑張るから、嫌いにならないで。お願い、嫌いにならないで。アランに嫌われちゃったら、生きていけない」

 細い、弱々しい声でハルは俺にすがるように言う。俺はそんなことないと示すようにハルを抱きしめる。しかし、ハルはそれだけでは表情が暗いままなのだ。どうしたものかと考えているわけであるが、いい案が思いつかない。さすがにルーシィも心配そうにハルのことを見ている。彼女たちの友情は弱っている時に追い打ちをかけるようなものではないのだ。ある意味正々堂々としている。その美しさがあるのだ。それに、今の状態のハルに追い打ちをかけるのは非道すぎるだろう。
 ゆっくりと頭をなでていく。今の状態であればたとえどんな言葉であろうとも意味をなさずただ、過ぎ去っていき朽ちるのみだ。であれば、彼女が落ち着くまで、ひたすらに、包み込み、柔らかに温かなこの感覚を混ぜ合わせるようにするしかあるまい。だんだんと、彼女の震え、暗い陰鬱として雰囲気が消えていくように思えた。

「大丈夫だよ、ハル。出来ないからって、俺が嫌いになるわけないだろ。これは、出来ないほうが自然なことなんだから。自然から無理やりに外れようとしている行為に対して俺は怒ったり、嫌いになったりはしないさ。好きだよ、ハル。愛してるよ、ハル。だから安心して。大丈夫だから。大丈夫、大丈夫」

 耳元で、はっきりと聞こえるように囁く。ハルは俺のことを抱きしめる力が強くなる。俺はそれに合わせるようにだんだんと力強く抱きしめる。頬に触れて、顔を上げさせる。涙で潤んだ目が見える。はらしている。俺はそれがとても愛おしかった。俺たちは唇を触れ合わせる。唇が震えている。恐れがあるのだ。ならばそれを消そう。俺の愛は消えないのだから。恐怖は愛で上塗りするのだ。そうやって少しずつ溶かしていく。愛の熱によって恐怖の氷は溶けるのだ。

「……ありがとう。ありがとう、アラン」

 ハルはかすかに聞こえる声で呟いた。そして、再び修行へと戻る。出来なくても構わない。俺たちの愛にはそんなことなど変わりはない。だから、安心して失敗していいのだ。俺はそれを伝えられたのか。どうだろうか。
 俺は肩を叩かれる。後ろを振り向くと、ルーシィが顔を赤くしている。そして、顔を近づけて、口づけをした。どうやら、俺とハルがしていて嫉妬をしていたのかもしれない。なのだとしたら、受け入れる以外の選択肢は存在しないわけだった。
 今日の夕方ごろ、みんなで夕食を食べている。ハルは、心配性なのか、俺の手を握ったままだ。行儀が悪いと注意をしても、首を振って離してくれる気配はない。本当に可愛らしいな、ハルは。そんなに心配しなくてもいいのに。だから、俺はもっとしっかりと握り返す。絶対に離さないという意思を込めて。行儀が悪いのだが、恐怖で押しつぶされるよりはましであろう。彼女には永遠に俺がついているのだという意思でもって、それを伝えるわけである。彼女はふんわりと、顔が柔らかくなる。

「もうそろそろ、ルイスの入学の時期だな」

 父さんは、ふと思い出したかのような声を出す。それが、なぜだかすっと部屋中に透き通るように響くように聞こえた。
 そういえばそうだな。兄さんが家を出て、王都の学校へと通う時期が近付いてきた。今まであんまり実感はないが、使用人がしっかりと準備をしている様子は何度も目にしてきたのだ。無意識的にそれを感じていたのだが、今こうして意識的に兄さんの入学について、把握することとなった。今まであやふやだったものに、唐突に形が生まれたのである。

「もうそろそろか……もう少しこっちにいてもいいんですけどね。まだいろいろとやりたいことはあるのだし」

 ルイス兄さんは不満顔である。とはいっても、模擬戦で俺たちにボコボコにされているだけなのだが、それでもいいのだろうか。やはり、兄としては一回ぐらいは勝ちたいという思いがあるのだろうか。それならわからんでもないが。それほどに、兄さんは負けず嫌いだということはわかっている。そうじゃなければ、とっくの昔に剣を捨てていることだろう。それでも、カイン兄さんは持たせそうではあるが、本気で嫌がっていることをするような人ではないとも信じている。

「まあ、これは決まりだ。諦めるしかないな。ああ、あと。お前と同年代に第二王女様がいらっしゃる。不敬だけは起こすなよ。ルイスの首が飛ぶかもしれないし、俺たちの首が飛ぶかもしれない。どちらへ転んでも、あまり嬉しい話じゃあないな」

 父さんが、兄さんに忠告をした。すっと底冷えするような、真に迫る声色である。しかし、それを聞いた兄さんは明らかに不服そうな顔を見せている。

「お父さん。僕がそんなことをするように見えるのですか? どれだけ信用されていないんですか」
「ああ、見える。お前が本を読んでいるときに、王女様に話しかけられたとしよう。そうしたらお前は何というだろうか。『本を読んでいるので邪魔をしないでくれ』などと言ってしまうかもしれないな。俺はそれが心配だ。そうでないのならば、いいのだが、本を読んでいるときのお前は、使用人の言葉が耳に入っていないようだからな。王女様も使用人も、同じ人間だからな。人間相手にルイスが同じ対応をすることは間違いないだろう。身分の区別を、悪い意味でもしなさそうなのだからな」

 あり得ることだ。俺たち弟二人は、思わず吹き出す。それを睨み付けるルイス兄さん。しかし、自分でもあるかもしれないと、思い至ってしまったようだ。それだけで止まった。母さんたちも、くすくすと笑っているのが決め手でもあった。それほどまでにルイス兄さんは信用がないのだ。まあ、それだけみんなに見られているということでもあるのだが。愛されているのだ。

「たしかに、ルイスだとそんな心配をしてしまうわね」
「だから、それだけには気をつけろよ。入学式前に貴族のお披露目会があるから、その時には俺もついていくが、そのあとは一人で行動するんだ。しっかりとやるんだぞ。決して、不敬なことだけはしないようにな」

 父さんは、にっこりと笑った。ルイス兄さんは、はきはきとした声で、答えていた。まあ、あの態度から考えてもひどい事態にはならないだろう。
 夜になり、就寝する時間であった。俺たち三人はベッドに入ると、ハルが俺に抱きついてきた。最初は手をつなぐ程度からだったと思うが、いきなり抱きついてくるとは思わなかった。

「抱きしめて」

 耳元でささやくような声はそう訴えていた。手がわずかに震えている。それほど恐ろしい。それを何とか無理やり抑えているようだった。消えないように、いなくならないように、押さえつけているのだ。
 俺は、ルーシィに目で謝ると、ルーシィはキスをしてきた。それで許すと言わんばかりであった。俺はもう一度頬に唇を触れさせて、ハルへと体を向ける。上目づかいで、じっと俺のことを見ていた。

「大丈夫」

 俺はハルをしっかりと抱きしめて、そのぬくもりの中で眠りに入る。途中から、背中にもぬくもりを感じたけれども。

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