覇王の息子 異世界を馳せる
関羽 夢から目覚める
下邳。ここは劉備の本拠地。
この地に関羽の心を奪った女性がいた。
彼女の名は社氏。それは美しい女性だったと聞く。
だが、その女性には夫がいた。つまりは人妻であったのだ。
それは、決して許される恋ではなかった。
しかし、劉備達はこの地を追われることになる。
袁術との戦いの最中、客人として劉備の元にいた呂布が奪い取ってしまったのだ。
この出来事から本拠地を失った劉備は、曹操を頼り、同盟を組む事になった。
―198年―
関羽に転機が訪れた。
関羽は呂布を打ち取る事を条件に曹操に社氏の娶る許可を貰えたのだ。
社氏は下邳に留まっているままであるが、その夫である秦宜禄は袁術の元へ行き、別の女性と結婚したそうだ。無論、社氏とは離縁したという事になる。
もはや、なんの憂いもない。
関羽の働きが鬼神の如くであった事は言うまでもあるまい。
しかし、呂布との戦い後。
感謝と結婚の報告をするため、曹操へ会った時の事。
「ほう、その者が関羽の想い人であるか」
曹操の問いに関羽と社氏の2人は頷いた。
しかし、次に曹操が言った言葉は、2人の結婚を認めるものではなかった。
「やめておけ。敵の嫁であった女性を娶るとはどういう事か、考えたことがあるか?」
思ってもみなかった言葉に関羽は伏せていた頭を上げる。
一瞬、何を言われたのか理解ができなかったのだ。
その後、直ぐに怒りが関羽を支配する。
沸々と煮え立った湯の如く、そういった感情が湧き出てくるのを自覚する。
「しかし、そういった約束だったのではござらんか?」
「関係あるまい。真にその女を幸せを願うなら・・・・・・」
「願うならば?」
「俺に譲るがいい」
体内から噴きでていく怒気。そして、殺意。
仮に、この場に帯刀が許されていたならば、即座に切り捨てていただろう。
もはや、自分自身では抑えきれなく膨らんだ感情。
だが、その感情は、それ以上の激情の前にかき消されていく。
「どうあれ敗者の妻を娶るならば、恨まれ疎んじられ・・・・・・。それが己自身に及ぶのならば良い。だが、修羅の道を進むのは妻である女性だ。だから俺は人妻を娶る。全ての恨みを受け入れて周囲を黙らせてきた。関羽よ。聞け関羽よ。貴様の愛が本物なら、本当に女の幸せを願うと言うならば、俺に譲れがよい!」
何かをぶつけられた。言葉に存在しない何か。
それに名前を付けるならば感情そのものではあるまいか?
「だが、しかし・・・・・・」
関羽は言葉をつなげよとする。
しかし、言葉は出てこない。
その時、見てしまったのだ。
そこにいる社氏がどんな顔をしていたのかを・・・・・・。
目を覚ました関羽は、この場所が何処か判断がつかなかった。
まず天井の白い幕が目に入る。体を起こし、周囲を見渡す。
そこで、この場所が馬車の中という事を思い出した。
昨日、宴会が終わり、直ぐに村を後にしたのだ。
この馬車も村が用意していたもの。
そして、先頭には不器用ながらも、しっかりと手綱をさばいている少女の姿があった。
彼女の名前は・・・・・・確か、シンと申したか?
少女でありながら、馬車を操る光景が不思議でならない。
おそらくではあるが、この世界の若者は馬の扱いが必須なのだろう。
いや、それ以外にも、彼女は仙術による会話もできていた。
《渡人》をもてなす為の徹底した教育。
裏を返せば、この世界では、それほどまでに《渡人》を重きを置いているという事であろう。
しかし、なぜ? なぜ、そこまで《渡人》に尽くすのだろうか?
この馬車とて、本来はタダで貸し出すようなものではない。
あの村にあったこと自体、驚く程の豪華な装飾をされている。
揺れも少ない。なんでも、この下につけられた螺旋状の金属が揺れを吸収しているとか・・・・・・。
これらは、自分達より高度な文明を所持している証。
そんな彼らが、なぜ我々を必要としているのか?
本当にこのまま、素直に都に行って良いものなのか?
嫌な予感がする。
だが、そんな予感も曹丕が見当たらない事に気がついたために吹き飛んだ。
もしや、寝ている間に落車したのではあるまいな。
慌てて、周囲を見渡し、曹丕の姿を確認する。
曹丕は、馬車の一角、荷物をまとめている場所に体を埋めていた。
覗き込んでみると、何やら書物を読んでいるみたいだ。
器用にも、殆ど逆立ちと言ってもいいような体勢である。
それでありながら、顔を真剣そのもの。
「曹丕殿、何を読まれておいでか?」と関羽は声をかけた。
振り返った曹丕は満面の笑顔で書物を見せるが、それがなんであるのかは皆目見当がつかない。
「これは何が書かれておるのでしょうか?」
そう関羽は素直に聞いてみたが、返ってきた答えは―――
「うむ、皆目見当がつきません」
先ほど、関羽が抱いた印象と全く同じ答えであり、思わず素っ頓狂な声を漏らしてしまった。
「いやはや、子供が文字を覚える時に使う書物を片っ端から譲ってもらったのだが、中々、骨が折れるぞ。これは」
「言葉を覚えるつもりですか?」
「無論です」と曹丕は当たり前のように返事をした。
関羽は不思議でならなかった。
おそらく、仙術で会話が成立するのは、あの村の民だけではあるまい。
言葉に不自由する事がないはずなのに、なぜ異国の言葉を学ぼうとするのか?
「随分と不思議そうな顔ですな」
「いえ・・・・・・そのようなことは」
内心を見抜かれて心の鼓動が速まったようだ。
「この国の都に行くのであれば、しばらくはそこが拠点となるでしょう。国に住むならば国の文化を学ばなければならないのは道理。言葉だけではなく読み書きも必要だと考えます」
「なるほど」と関羽は相槌を打つ。その合理的な考えは父である曹操に似て―――
そこで始めて、自分が目の前の少年をどう思っているのか気がついた。
自分は曹丕という人間を見ていない。
曹操という自分の知る物差しで曹丕をいう人間をはかっていたのではないだろうか?
知らず知らずの内に曹丕の中に曹操を探している。
だから、だから、アノ夢をみたのではないか?
あの少女、シンは婚約者がいる。曹丕は、あの少女に思いを寄せている節がある。
それを曹操、社氏、そして自分自身に投写して見ていたのではあるまいか?
「どうかしましか?」
曹丕の呼びかけてで、話の途中だったことを思い出す。
「いえ、ただ・・・・・・」
「ただ?」
「この旅は、あなたを理解するための旅になると確信しました」
関羽の言葉に曹丕は不思議そうな表情をしていたが、すぐに「そうですか」と短く答え、再び書物に熱中し始めた。
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