クラウンクレイド
「7話・人は等しく」【クラウンクレイド閉鎖領域フリズキャルヴ】
それはいつでも傍にあって、いつだって現実を壊しかねないものであった。
忘れてしまえば、見逃してしまえば、決壊を招きその大きなうねりは人の社会なんてものを簡単に壊してしまう。
故に人は壁を作り決まりを作り法を作り、そうして押さえつけて隠して。
それでも、存在し続けているのだ。崩壊の危機をいつでも待っているのだ。
人の社会は砂上の楼閣でしかない。
人が自身の手でその引き金を引く瞬間が今まさに目の前で起きようとしていたその瞬間、割り込んできたのは遠方より響く悲鳴だった。
崩壊の危機は別の形をして雪崩れ込んできていた。
園内にゾンビが侵入してきていた。いつしか死の恐怖が薄れていた壁の内の人々を狙って次々に襲い掛かる。瞬く間に死は事象として拡散されていく。
「何があった!?」
志摩が怒鳴る。逃げ惑う一人の肩を乱暴に掴んで迫る。恐怖に怯えるながらも問い詰められた人は泣きながら叫ぶ。
「東のバリケードが突破された! 突然ゾンビが集まってきたんだ!」
「その場所の防衛はお前も担当だったはずだ! なぜここにいる!?」
「あんなのと戦えるわけないだろ」
志摩が苛立ち掴んでいた手を離した。地面に落とした得物を拾い上げる。逃げる人々はゾンビの群れを引き連れて園内中心部へと向かってきていた。
恐怖に支配され周囲一帯が悲鳴に染まる中、それに逆らうように志摩は怒鳴る。
「武器を取れ! ゾンビを食い止めろ!」
だがその雄叫びに応えるものは呻きと悲鳴だけであった。死と血で埋め尽くされつつある景色を前に誰もが向かい合うことなどなかった。
志摩へと狙いを定めて群れが飛び掛かる。大声をあげ自身を鼓舞し、志摩は切っ先を彼らに向けた。
その瞬間。
火閃が周囲を薙ぎ払い亡者を骸に変えて。
志麻が振り返る。焔を携え従える少女の姿がそこにはあった。
祷の放った焔が群れの先鋒を瞬く間に消し炭へと変えた。祷が再び焔を放つ。後続の群れも一掃する。あまりにも簡単に一瞬の出来事。唖然とする志麻に祷は言う。
「既に相当数が入り込んでいるとしたら、ここはもう安全じゃない。緊急時には何処に避難することになっている?」
「そんなの決まっていない」
「バリケードが突破された後の避難計画は」
「突破される筈がなかった。夜長がいればゾンビも脅威ではない」
では、という言葉を祷は呑み込む。
では、この今は? という問いを。もはや意味のない問答でしかないからだ。時間を浪費している暇はない。
夜長との戦闘で志麻は中核メンバーを、夜長は神流を失っている。混乱した状況下で統制を取れる人間がいるだろうか。いやそもそも統率できたとしても大量のゾンビに襲撃されてなお、対応できるだけの地力がこのコミュニティに存在するのだろうかと祷は思案する。
明瀬に向けられる視線の意味を祷は察する。
「出来る限りは何とかしてみせる」
祷は臥せたままの夜長の側にしゃがみ込んだ。夜長は苦し気な声で問う。
「一体何が……」
「襲撃だ、ゾンビに侵入されている」
「守らなきゃ……私が、私の……」
「取引だ」
祷は言う。
取引という言葉を選んだのは祷にとっての敬意でもあった。
「私達はこの場所を出ていく。私達の道を塞ぐものは全て一掃して」
「ゾンビを殺すから見逃せってことですか……?」
「だけど全てじゃない。不可能だからだ」
祷は明瀬の方を一瞥し言葉を続ける。
「明瀬に言われた。だから、この国が憎悪やゾンビによって破壊されないように手は貸す。でも、それまでだ。まだ魔法は使えるか、ゾンビから身を護る不可視の壁は出せるか」
夜長は頷く。志麻から提供されていた園内のマップを明瀬に渡して暗記させながら、祷は夜長との会話を続ける。こちらから打って出るには夜長の護りが必要であった。
「最大出力で何人の人間を守れる?」
「フリズキャルヴの範囲は変わることはありません。後は……」
「人々が身を寄せ合えば、か」
夜長が言葉を濁した理由が死体として周囲に転がっていた。
祷には対ゾンビに対する戦闘の知識と経験がある。数多くの戦闘経験によって裏打ちされた確かな魔法の実力も有している。明瀬を連れていたとしても、ゾンビの群れを圧倒できるほどの能力がある。
だが祷の洗練された戦闘行動には、広大な敷地全体をカバーし多くの人を守り切ることは想定されていない。物理的にも不可能だ。
出来るのは屠ることのみ。目の前の敵を片っ端から。ただ燃やすしか出来ない。
明瀬の合図で祷は立ち上がる。その手に焔を宿し。
「私は出ていく。私の信念の為に」
彼らがこの次に何を選択するのか、それは祷には分からない。各々の理想が直面した現実にどう答えをだすのか。
この閉鎖領域がどのような未来を選ぶのか。何れにせよ、何を選ぶにせよ。
祷はそれを尊重するからこそ、敬意を示すからこそ、背中を向ける選択肢を選んだ。
園内を突き進む。惨劇に足を止めることなく、襲い掛かってくる障害を払いのけ、祷は手を翳す。
放った焔がゾンビを穿ち、散った火の粉が逃げ惑う人々に降りかかる。それを気にせず祷は次々とゾンビを破壊していく。道端に転がる既に手遅れとなった死体達を見て明瀬が表情を暗くした。
破られたというバリケードを目指し真っ直ぐに踏破していく祷達は、遭遇したゾンビの群れを全て焼き尽くして進む。その背に恐怖の眼差しを感じながら。
祷は明瀬に、これで良かったかと問う。
明瀬は死体の山から目を背けて呟く。
「夜長って子の気持ちも、志麻って人の考えも分からんでもないよ」
崩壊したバリケードが見えた。アトラクション施設の設備をバラシて流用したであろう、鉄パイプと金網、材木などを利用したバリケードだった。補強が甘かった場所が偶然ゾンビの大群に狙われて瓦解したのだろう。血の跡が幾つも残っていた。
偶然、という言葉に明瀬が何かを言い淀む。
バリケードの側には武器らしきものが散乱していた。鉄柵を分解し先を研いで槍状にしたものである。よく磨かれて新品のそれらはただ散乱しているだけだった。
そのうちに一つを握りしめたまま地面に臥せた死体は体中を食いちぎられ歯抜けの人型のようになっていた。
「私達は……」
「ん?」
祷が留めた言葉の先を明瀬が促す。
「私達は慣れすぎていたと思う。死やこの世界の現状に。人を食らう化け物で溢れていて人は簡単に死んで、生きている人間でも信用できないような情勢で。誰もが生きる為に互いを信用などしない世界について」
それを否定しようとした人間と、それを忘れてしまった人間と、それでも人であろうとした人間と。
どれでも無かった人間と。
園内にいた最後のゾンビを焔で貫く。それが最後であるかは祷達には判断しようがなかったが。
祷は言葉を続ける。
「私には力があるから、直ぐ忘れそうになる」
「ごちゃごちゃ考える人間が横にいるからバランス取れてるんじゃない?」
「そうかも」
「みんなも変わんないよ。同じだって。直ぐ忘れるものだよ、人間なんて」
その夢の国を後にして、祷と明瀬はその境界線を踏み越えた。
「リーベラとの交渉で私達は世界救世の方法を手に入れた。だから、ここで立ち止まっているわけにはいかない」
【閉鎖領域フリズキャルヴ 完】
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