ぼくは今日も胸を揉む
#17 死なせない
「ミント!?」
画面内で突如起こった異変に、ぼくとユズは思わず声を張り上げる。
あの倒れ方は普通じゃない。あの出血は尋常じゃない。
司会も、他の大勢の観客も、誰もが一様にざわめき出す。
せっかく勝てたと思ったのに。ようやく万事解決かと安堵していたのに。
だめだ……そんなのは絶対にだめだ。
頭の中に次々と浮かぶ嫌な想像を憎み、必死にかき消す。
ミントがいなくなってしまったら……この命懸けの勝負も、全ての意味がなくなってしまう。
だめだ……そんなのは、絶対に。
「ちょっ、ライムさん!?」
気づいたときには駆け出しており、背後からユズの慌てた声が聞こえる。
でも、足を止めることなんてできるわけがなかった。
「気持ちは分かりますけど、ライムさんが行ってどうするんですか?」
ふと聞こえてきた問いかけに後ろを振り向けば、ぼくの半歩後ろをユズがついてきていた。
ぼくは再び前を向き、先に続く長い道を恨めしく思いながら淡々と答える。
「だからって、あんなことになった人が心配で近くまで駆け寄らないような人を、本当に家族とか友達って言えるのかな」
「……そう、ですよね。すいません、わたしも行きます」
ユズの申し出にしっかりと頷き、足の動きを加速させた。
一刻も早く、ミントのもとへ駆けつけられるように――。
やがて、司会や観客たちの喧騒の中へとたどり着いた。
時間にするとほんの数分といったところかもしれないけど、気持ちだけが逸っていたためかとても長く感じた。
周りのことなど気にも止めず、ただ真っ直ぐ己の血に塗れたミントのところへ駆け寄る。
自分の腕が血で汚れることなんて、今は気にしていられない。ゆっくり首と腰の辺りを支えつつ、ミントの体を抱き起こす。
手も足も目も口も、たった一ミリですら動かない。
まるで永遠の眠りについているみたいに……と、そこまで考えてから、はっと気づく。
……微弱ながらも、まだ僅かに息はある。
今すぐ、どこかで治療さえできれば……。
そう思って辺りを見回すが、誰も助けようとしてくれない。
観客たちが各々何かを言っているけど、聖徳太子でもないぼくには一人一人の言葉を判別できなかった。
何で、見ているだけなんだ。
何で、ざわついているだけなんだ。
こんなときは、普通は医療班とか来るものじゃないのか。
何で――。
「……はっ、こりゃ派手にやられちまってんなァ」
不意に、不快感しか覚えることのできない、聞き覚えのある声が発せられた。
見上げてみれば、いつの間にそこにいたのか、すぐ前方にこの国の王が立っていた。
「一番最初に、ここに来ようっつったのは誰だ? その有様を見ろ。自分のやったことが、本当に正しかったって言えんのか? 大人しく俺様に渡しておけば、少なくともンな血塗れになることもなかっただろうがよ」
――ぼくだ。
そうすることが、最もミントを救える方法だと思って。
その実、ぼく自身がミントを傷つけてしまっていたのか……?
「違います! 一番ミントさんを酷い目に遭わせていた人が、何も知らないくせに勝手なこと言わないでください!」
「ユズ……」
「大丈夫ですよ、ライムさんは何も悪くありません。全部、ミントさんを想っての行動だったんですから」
ぼくを庇うユズの言葉に、王は鼻で笑う。
「はっ、美しい友情だな。けどよ、そのせいでそいつが死んじまったらどうすんだ? お前らのやったことは、全部無意味ってことになんだぜ?」
「……死なせないよ。ミントは大事な友達で、家族なんだ。絶対、これで終わりにはさせない」
「あー、そういやさっきここに向かってる医療班のやつらがいたなァ……ま、来れねえようにちょっと痛めつけといてやったけどよォ」
「……ッ」
医療班が未だに来ていないのは、こいつのせいだったのか。
怒りの感情に支配されるも大してどうすることもできず、ただただ王を睨む。
だが、王には全く気にした様子はなく、更に不快な声を響かせる。
「確かに、お前らは勝負には勝った。俺様の奴隷の中でも、なかなか手練れのやつらを連れて来たつもりだったんだがなァ……。けどよ、ここで俺様がお前ら二人ともぶっ殺してやってもいいんだぜ?」
「な……っ」
「この俺様が、他国のクソガキとの口約束を守ってやる道理はねえだろ。安心しろ、殺しはしねえ。これでもねえってくらい痛めつけてから、俺様の専属奴隷にしてやるからよ」
そう言って口角を上げ、王は白い歯を覗かせた。
そのパターンも、全く考えなかったわけではない。
うちのドリアン王とは違い、ここの王は決していい人とは言えず、ぼくたちとの約束を守ってくれるという保証などなかったから。
でも。たとえそれでも、ぼくたちは他に方法がなかった。
そうするしか、ミントを助ける手段が見つからなかった。
その結果が――これだ。
こいつがどれだけ強いのかは分からないが、ぼくたちは既に試合を終えたばかりで疲労困憊である。
ユズならば可能性はあるかもしれないけど、だからといって勝てる見込みは良くて半分。悪くて……一桁といったところだろう。
そんな考察をしながら、絶望にも似た感情を覚えていると。
「……ふざ、けんな」
不意に、観客席のどこからか声が発せられた。
大声ではない。それどころかむしろ、下手すれば聞き逃してしまいそうなほど小さな声だ。
しかし、今は誰もが静まり返っているからか、不思議と会場全体に響き渡った。
「俺たちは見てたぞ! その子たちはちゃんと勝っただろうが! その子たちが、一体何したって言うんだ!」
「そ、そうだそうだ! その子たちは命懸けで頑張った! これ以上、罪のない子供を傷つけるって言うのか!」
一人の大声に感化されて、他の観客からも便乗の声があがっていく。
「しかも話を聞いていると、その子たちは友達を助けるためにわざわざ危険を侵してまで来たっていうじゃない! そんな健気な子をこれ以上貶めるのは、いくら王でも許さないわよ!」
「お前には、人間の心がないのか! 負けたんなら、大人しく引き下がれ!」
わーわーと、老若男女問わず大勢の観客たちが叫ぶ。
先ほどまで試合に夢中になっていた者が。
今となっては、ほぼ全員がぼくたちの味方をしてくれていた。
更に、それだけじゃなく。
ぼくたちのもとに、三人ほど担架を担いだナースのような格好をした女性がやって来た。
頬に痣ができていたり、服が汚れていたりなど……明らかに暴力の跡が残っている。
「おい。来るなっつったの忘れたのか」
「……いえ。ですが、人々の傷を癒すのが私たちの仕事ですから」
それだけを告げ、ミントを担架に乗せて運んでいった。
ああ……そうか。これが、人間なんだ。
誰かの行動や状況、周りの環境などで思考は簡単に変わる。
それを、嫌というほど思い知った。
「……ちっ、クソうぜえやつらだな。興が削がれた。あんなガキ一人くらい、どこへでも連れて行け。くだらねえ」
そんな捨て台詞を残し、王は立ち去っていく。
喜びや安堵も当然あったが、今はそんなことより先にするべきことがある。
ぼくは、ユズと共にミントが運ばれたであろう医療室へと走り出した。
画面内で突如起こった異変に、ぼくとユズは思わず声を張り上げる。
あの倒れ方は普通じゃない。あの出血は尋常じゃない。
司会も、他の大勢の観客も、誰もが一様にざわめき出す。
せっかく勝てたと思ったのに。ようやく万事解決かと安堵していたのに。
だめだ……そんなのは絶対にだめだ。
頭の中に次々と浮かぶ嫌な想像を憎み、必死にかき消す。
ミントがいなくなってしまったら……この命懸けの勝負も、全ての意味がなくなってしまう。
だめだ……そんなのは、絶対に。
「ちょっ、ライムさん!?」
気づいたときには駆け出しており、背後からユズの慌てた声が聞こえる。
でも、足を止めることなんてできるわけがなかった。
「気持ちは分かりますけど、ライムさんが行ってどうするんですか?」
ふと聞こえてきた問いかけに後ろを振り向けば、ぼくの半歩後ろをユズがついてきていた。
ぼくは再び前を向き、先に続く長い道を恨めしく思いながら淡々と答える。
「だからって、あんなことになった人が心配で近くまで駆け寄らないような人を、本当に家族とか友達って言えるのかな」
「……そう、ですよね。すいません、わたしも行きます」
ユズの申し出にしっかりと頷き、足の動きを加速させた。
一刻も早く、ミントのもとへ駆けつけられるように――。
やがて、司会や観客たちの喧騒の中へとたどり着いた。
時間にするとほんの数分といったところかもしれないけど、気持ちだけが逸っていたためかとても長く感じた。
周りのことなど気にも止めず、ただ真っ直ぐ己の血に塗れたミントのところへ駆け寄る。
自分の腕が血で汚れることなんて、今は気にしていられない。ゆっくり首と腰の辺りを支えつつ、ミントの体を抱き起こす。
手も足も目も口も、たった一ミリですら動かない。
まるで永遠の眠りについているみたいに……と、そこまで考えてから、はっと気づく。
……微弱ながらも、まだ僅かに息はある。
今すぐ、どこかで治療さえできれば……。
そう思って辺りを見回すが、誰も助けようとしてくれない。
観客たちが各々何かを言っているけど、聖徳太子でもないぼくには一人一人の言葉を判別できなかった。
何で、見ているだけなんだ。
何で、ざわついているだけなんだ。
こんなときは、普通は医療班とか来るものじゃないのか。
何で――。
「……はっ、こりゃ派手にやられちまってんなァ」
不意に、不快感しか覚えることのできない、聞き覚えのある声が発せられた。
見上げてみれば、いつの間にそこにいたのか、すぐ前方にこの国の王が立っていた。
「一番最初に、ここに来ようっつったのは誰だ? その有様を見ろ。自分のやったことが、本当に正しかったって言えんのか? 大人しく俺様に渡しておけば、少なくともンな血塗れになることもなかっただろうがよ」
――ぼくだ。
そうすることが、最もミントを救える方法だと思って。
その実、ぼく自身がミントを傷つけてしまっていたのか……?
「違います! 一番ミントさんを酷い目に遭わせていた人が、何も知らないくせに勝手なこと言わないでください!」
「ユズ……」
「大丈夫ですよ、ライムさんは何も悪くありません。全部、ミントさんを想っての行動だったんですから」
ぼくを庇うユズの言葉に、王は鼻で笑う。
「はっ、美しい友情だな。けどよ、そのせいでそいつが死んじまったらどうすんだ? お前らのやったことは、全部無意味ってことになんだぜ?」
「……死なせないよ。ミントは大事な友達で、家族なんだ。絶対、これで終わりにはさせない」
「あー、そういやさっきここに向かってる医療班のやつらがいたなァ……ま、来れねえようにちょっと痛めつけといてやったけどよォ」
「……ッ」
医療班が未だに来ていないのは、こいつのせいだったのか。
怒りの感情に支配されるも大してどうすることもできず、ただただ王を睨む。
だが、王には全く気にした様子はなく、更に不快な声を響かせる。
「確かに、お前らは勝負には勝った。俺様の奴隷の中でも、なかなか手練れのやつらを連れて来たつもりだったんだがなァ……。けどよ、ここで俺様がお前ら二人ともぶっ殺してやってもいいんだぜ?」
「な……っ」
「この俺様が、他国のクソガキとの口約束を守ってやる道理はねえだろ。安心しろ、殺しはしねえ。これでもねえってくらい痛めつけてから、俺様の専属奴隷にしてやるからよ」
そう言って口角を上げ、王は白い歯を覗かせた。
そのパターンも、全く考えなかったわけではない。
うちのドリアン王とは違い、ここの王は決していい人とは言えず、ぼくたちとの約束を守ってくれるという保証などなかったから。
でも。たとえそれでも、ぼくたちは他に方法がなかった。
そうするしか、ミントを助ける手段が見つからなかった。
その結果が――これだ。
こいつがどれだけ強いのかは分からないが、ぼくたちは既に試合を終えたばかりで疲労困憊である。
ユズならば可能性はあるかもしれないけど、だからといって勝てる見込みは良くて半分。悪くて……一桁といったところだろう。
そんな考察をしながら、絶望にも似た感情を覚えていると。
「……ふざ、けんな」
不意に、観客席のどこからか声が発せられた。
大声ではない。それどころかむしろ、下手すれば聞き逃してしまいそうなほど小さな声だ。
しかし、今は誰もが静まり返っているからか、不思議と会場全体に響き渡った。
「俺たちは見てたぞ! その子たちはちゃんと勝っただろうが! その子たちが、一体何したって言うんだ!」
「そ、そうだそうだ! その子たちは命懸けで頑張った! これ以上、罪のない子供を傷つけるって言うのか!」
一人の大声に感化されて、他の観客からも便乗の声があがっていく。
「しかも話を聞いていると、その子たちは友達を助けるためにわざわざ危険を侵してまで来たっていうじゃない! そんな健気な子をこれ以上貶めるのは、いくら王でも許さないわよ!」
「お前には、人間の心がないのか! 負けたんなら、大人しく引き下がれ!」
わーわーと、老若男女問わず大勢の観客たちが叫ぶ。
先ほどまで試合に夢中になっていた者が。
今となっては、ほぼ全員がぼくたちの味方をしてくれていた。
更に、それだけじゃなく。
ぼくたちのもとに、三人ほど担架を担いだナースのような格好をした女性がやって来た。
頬に痣ができていたり、服が汚れていたりなど……明らかに暴力の跡が残っている。
「おい。来るなっつったの忘れたのか」
「……いえ。ですが、人々の傷を癒すのが私たちの仕事ですから」
それだけを告げ、ミントを担架に乗せて運んでいった。
ああ……そうか。これが、人間なんだ。
誰かの行動や状況、周りの環境などで思考は簡単に変わる。
それを、嫌というほど思い知った。
「……ちっ、クソうぜえやつらだな。興が削がれた。あんなガキ一人くらい、どこへでも連れて行け。くだらねえ」
そんな捨て台詞を残し、王は立ち去っていく。
喜びや安堵も当然あったが、今はそんなことより先にするべきことがある。
ぼくは、ユズと共にミントが運ばれたであろう医療室へと走り出した。
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