ぼくは今日も胸を揉む

果実夢想

#8 侵入しよう

「――俺の奴隷になれよ」

 ぼくに向けて発せられたその言葉を聞いたのは、今日だけで二回目だ。
 細かい差異はあれど、どちらにせよ似たようなものだろう。

 だけど、こんなに力強く、こんなに近距離で、しかも体つきや顔つきは男だったときのぼくより遥かに凶悪で。
 さっきみたいに銃口を向けられたわけではない。
 でも、相手の態度が粗暴だからか、それともヤンキー然とした怖い姿をしているからか、もしくは数センチほどの距離しか空いていないからか。
 抱いた恐怖心は、先ほどより幾許も勝っていた。

「……ライムっ」

 ミントがすぐさま駆け寄ってくる――が、男に突き飛ばされてしまい、地面に倒れて苦悶の声を漏らす。

「ミント……っ! ちょっと、離し――っ」

「……あ? どうした、抵抗してるつもりか?」

 全力のつもりだった。
 力の限り、男の手を振り払おうとした。
 なのに、振り払うどころかびくともせず、男は厭らしい笑みを浮かべるだけ。

 そこで、ぼくはようやく悟った。
 この世界で、この町で、女の姿でいることの不憫さを。

 今のぼくじゃ力では到底敵わないのだと痛感し、自分でも分かるくらい顔を青ざめさせる。
 もし今も男のままだったなら、勝つことはできなくとも逃げ出すことはできたかもしれないのに。
 性転換した当初は嬉しくて興奮したりもしたけど、まさか女になったことで、こんな状況に襲われてしまうなんて。

 女の今は、男だったときと比べてとても非力だ。
 そんな当然とも言える事実を、最悪の形で身を以て思い知らされた気がする。

 ぼくが、思わず戦々恐々としたとき。
 男は服の中に片手を入れ――ブラジャーの上からぼくの胸を揉みしだく。

「……はっ、ガキみてえな面してるくせに、案外いい体してんじゃねえか」

「ちょっ、やめ……」

 エロアニメやエロゲなどでは、ヒロインは胸を揉まれただけで感じたりしていたものだけど、あれが完全に間違っていたことを知る。
 今は、ただただ不快だった。

 自然と、目尻に一滴の涙が滲む。
 自分で揉んだときとは違う、圧倒的な嫌悪感。
 逃げ出したいのに、逃げ出せない。そんなジレンマに苛まれ、非力な今は抵抗すらまともにできず、されるがままになってしまっていた。

 やがて。
 男は胸を揉むのを一時中断し、その手が今度は下半身のほうへと向かう。
 ワンピースの裾をたくし上げ、パンツの中へと手を入れようとした――刹那。

「……かッ!?」

 いきなり突風が吹き荒び、男の体が遥か遠くにまで吹っ飛んでいく。
 何が起こったのか、突然のことに怪訝な表情となるぼくとミント。

 一人の人間が遠くまで飛ばされてしまうほどの突風など、普通に考えて有り得ないだろう。
 ぼくの視線は、必然的に風が吹いてきた方向へと向かい……そこに、とある人影が立っていることに気づいた。

 小さな人影だ。ミントや今のぼくの身長より明らかに小さい。
 ぼくは、まだこっちの世界に来てから間もないし、当然知り合った人物なんて数人程度しかいない。
 だけど、それでもその人影は、ぼくがよく見知っている少女だった。

「――大丈夫ですか? ライムさん、ミントさん」

 そう。
 見紛うはずもなく、異世界に来てから一緒に暮らしていた神様――ユズだったのだ。

     §

「あ、ありがとう……どうなることかと思った……」

「なんとか間に合ったみたいでよかったです。ここは他の国より治安が悪いんですから、気をつけてくださいね」

 ユズが来てくれただけで、こんなに心強いとは。
 危うく男なんかに貞操を奪われてしまうところだったから、感謝してもし足りない。

「でも、何でここに?」

「家に来た人たちを撃退したあと、ライムさんたちを追いかけようとしたんですが、どこに行ったのか分からなくて。港に行ってみたら王子と王女がいて、行き先を教えてくれました」

 何はともあれ、ユズと合流できてよかった。
 あと何秒か遅ければ、ぼくはもうお嫁に行けない体になっていたかもしれないし。
 いや、まあそもそもお嫁に行くつもりもないんだけど。

〈バトリオット〉の町を、三人で肩を並べて歩く。
 ユズの家がある王都〈ホームベル〉の半分以下ほどの広さしかないため、目的地に到着するのに然程時間はかからない。
 現に、数十分が経過した頃には、ぼくたちは“そこ”に着いていた。

 ネルソン王子たち〈トランシトリア〉の王族が住んでいた、巨大な城とは異なる。
 どちらかと言えば、屋敷といった様相の豪邸だ。
 どうやら、この屋敷には〈バトリオット〉の偉い人が住んでいるらしい。

 だが、ぼくたちは少し離れたところから、壁の陰に隠れてその屋敷の様子を伺っていた。
 物騒な武器を持った男性が二人、屋敷の扉の前で立っていたのだ。
 ぼくたちのような余所者が勝手に入らないようにと、屋敷を守っているのだろう。

「……さすがに、そう簡単には入れてくれないみたいですね」

「王都の城には、あんな見張りの人とか門番とかはいなかったのになぁ」

「こことは違って平和ですからね。それに、誰かに守られないと自分の身すら守れないような人が、国を守れるわけがない……という考えらしいですよ」

 あら、かっこいい。やっぱり、そういう人が国民に慕われる立派な王様になるんだね。
 でも、その理屈は〈バトリオット〉では通用しないような気もする。
 治安が悪すぎて、寝込みを襲われる可能性だって高そうだし。
 だからこそ、ああして見張りを二人つけているのだろう。

 わざわざ弱い人を見張りに選ぶわけもないし、きっとあの二人もなかなか手練れに違いない。
 それでもユズなら余裕で倒せるかもしれないけど、できるだけ穏便に事を済ませたい。
 さて……どうしたものか。

 思案を巡らせながら、見ていると。
 ふと、屋敷の側面にある一階の窓が開いていることに気づいた。

「……ユズ、ミント――侵入しよう」

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