屑の手記

陽本奏多

屑の手記

 僕は、自分を殺したい。
 狂気的なくらい、毎日毎日そう願い続けていた。だけど、いざ鋭利な刃物を持ち、冷ややかな刀身を首筋に当てた瞬間、どこからか声が聞こえるのだ。「逃げるのか?」という、自分の中の自分が、自分自身にそう問うてくるのだ。
 勉強も運動も、人との関わり方も、すべてがすべてうまくいかない自分を投げ捨て、逃げ出し、死という最悪の選択肢を取るのかと。
 あぁ、刃物で一斬り。錠剤を一飲み。首を一締めして命を断てばどれだけ楽なことだろうか。でも、それでも、僕は自分を殺せなかった。こんな、救いようもない自分に、屑みたいな世界に、まだ希望を捨てきれていないのだ。なに? 実のところは死ぬのが怖いんだろ? 馬鹿言え。生きて感じる苦しみより死ぬとき一瞬だけの痛みの方がましに決まっている。それをわかっていて死ぬのが怖い? そんなわけない。

 いい加減、話を進めるとしよう。
 昔から、人と関わるのが嫌いだった。目の前にいるはずの、友達の姿がいつも見えなかった。彼ら彼女らがが何を考えているのかわからなかった。うすら寒い笑みをいつも浮かべて、猟奇的なまでに自らの価値に固執して、他人を蹴落とし、自分を庇護する。
 そんな彼らが、僕は怖かったのだ。彼らにかかわれば、自分もいつ攻撃されるかわからない。そんな不安に駆られながら楽しい青春ごっこをするくらいなら、最初からなにとも関わらない方がいい。
こんな独善的な考え方が常に独りだった僕を形作っていったのだろうけど。

 まぁ、小学校の頃は無垢だったさ。
 友達と笑い合って、馬鹿なことして、先生や親に叱られて、それでも懲りずまた馬鹿やって、そんな毎日がとにかく楽しくて。だけど、そんな友達なんていう幻想に満ちた存在は最初から居なかった。成長し、学年が上がるにつれて人間のスペックの差は開いていく。そして、僕の『おともだち』たちはやがて気づいたのだ。自分より、僕が劣っている存在だと。
 そのあとはまさにとんとん拍子。近くにいた友達はどんどん離れていき、侮蔑の視線を向けてくるようになった。押し殺した薄ら笑いに、陰湿ないやがらせ。自分より低俗なものを攻撃し、優越感を得る、ただそのためだけに、僕は彼らのサンドバックになった。
 そして、それを見ていながら目を背ける大人たち。そのころから僕は、人間というものを信用できなくなっていった。

 中学校の頃、クラスメイトの一人が自殺した。
 地味な眼鏡をかけていつも本を読んでいる、たまに見せる笑顔がかわいい子だった。しかし、いつも彼女は他の生徒から疎まれ、差別の対象とされていた。その理由なんて、「なんかうざいから」なんていうものだったけど。
 得てして、似たものというのは引かれ合うもので、僕は彼女と少しばかり交流をもっていた。毎日、同じ帰り道を二メートル離れて歩き、人目に付かない公園で少し話す。お互いの傷をなめ合うだけのぬるま湯のような関係。それでも、そのころの僕にはかけがえのないものだった。
 だが、そんな彼女は僕に何も告げずこの世を去った。涙なんて、出なかった。
 彼女は僕に何一つ相談してくれやしなかったし、僕は何も気づいてやれなかった。少しばかり、心が通じ合ったと感じた関係も、結局ははりぼてだったのだ。

 そして、努力という努力もせず、目標という目標もなく、僕は近場で最も程度の低い高校へ入学した。
そのころから、親は僕になんの関心も持たなくなった。僕だって、息子がこんな出来損ないならいないものと思いたくなる。
 ただ、その高校生活は少なからず中学校より快適だった。受験という、ふるいにかけられたことにより、僕たちはそれぞれのスペックによって分別される。そして、人間の屑は屑箱に集められるのだ。周囲も屑だし、自分も屑。そんな環境に僕は安心感めいたものを感じていたのかもしれない。
 だが、人間という動物は群れるだけで、多数派に立つだけで自分が力を持ったと勘違いする。そして少数派を、孤立者を攻撃して自分の力を証明しようとする。学校は社会の縮図というが、どちらかというと食物連鎖を表すピラミッドにでも例えた方がいいのではないだろうか。
 そして、さんざん彼らの爪とぎの道具にされたのち、卒業。

 大学など選択肢にはなく、また就職もする気はなかった。
 その結果、親の堪忍袋の緒が切れ、僕は家を追われた。だけど、家を出て夜の街を歩いたあの瞬間。何故か人生の中で一番高揚したのを覚えている。枷が外れたように、解放された自分の身と心。何の組織にも属さず、誰とも関わりのない自分自身。社会の中に生きながら、完全に社会と断絶したところにいる自分に半ば酔っていたのかもしれない。
 そして俺は鉄のハンマーを手に取った。

 追い出された自分の家へ踵を返しインターフォンを鳴らす。直後、泣きじゃくる母親が出てきた。そして、悪かったと、許してくれと、僕に懇願しだしたのだ。だから僕は、笑ってハンマーで殴りつけた。鈍器で肉を押しつぶす感触、血管が弾けて飛散する赤い液体。そして、どくどくと脈動する自分の心臓。あれは最高に心地が良かった。必死に何かを叫び続ける母親はどこか滑稽だったが、眼球を手で取り出し、頭蓋を砕いたところで静かになった。
 その後、帰宅した父親を母親と同じ目に遭わせた俺は、家の中の酒をめいっぱい呷った後再び街へ繰り出した。

 返り血に染まった洋服はすぐに警察を呼び寄せ、ウォンウォンとサイレンがうるさかったのを覚えている。だが、そのあとの記憶は曖昧で、気づいたらここ、刑務所の中にいた。あぁ、思い出してみても、ろくな人生じゃない。
 こんなくだらない人生なんていい加減終わらせてやろう。いい加減いいよな?

 僕は石を削って作ったナイフを首筋に当てる。刀身のひんやりとした温度が伝わり、身体じゅうがぞわりとあわ立つ。
 だが、もう自分の中から声は聞こえない。

 さぁ、この腐った身体にお別れを言うとしよう。


 さよなら。

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