鱶澤くんのトランス!

とびらの

俺の名は。

 
 やめろバカ野郎、殺すぞクソったれ。やめろ! やめて! 嫌だやめて! おねがい。助けて。やめて。
 お願いします。待って。お願い。なんでもするから待って。それだけはだめ。
 助けて。助けてください。どうかお願い。嫌だ。嫌だ。助けて!


 罵り、暴れ、泣き叫ぶあたしを、それでも鷹取は決して離さない。あたしは這いつくばり、転がりまわってどうにか逃れようとした。手足が千切れるほど痛んでも、鷹取を跳ね飛ばそうと苦心する。
 抑え込む鷹取も、さすがに手を焼いたらしい。あたしに腹を蹴られながら、グッと呻き声を漏らした。

「このアマ、大人しくしやがれっ――!」

 頬を叩かれた。だがあたしは抵抗をやめない。
 やめてたまるか。
 それだけは許すわけにはいかなかった。

 空見もあっけにとられ、目を丸くする。

「……なんだこいつ。さっきまであんなに気丈に……悟ったようなカオまでしてたくせに、急に、気狂いみたいに抵抗しだして……」

「ごめんなさい! お願いやめさせて。あたしもう、生意気言わない。ごめんなさい、だから助けて!」

 こうなったらもう、空見にだって縋る。プライドもくそもあるか。なんでもいい。どうだっていい。今日ズタボロにされたっていいけれど、ソレだけは絶対ダメなんだ。

 しかし空見は、残酷な笑みを浮かべるだけ。

 鷹取の束縛からも逃れられない。とうとう下着まで剥ぎ取られ、あたしは全裸で地面に転がった。

 ああ、だめだ。
 あたし、女になってしまう。
 鱶澤ワタルに、戻れなくなってしまう。

 そしたら今夜の復讐はどうなるの。誰があたしの悲劇に報いてくれるの。
 『青鮫団』を救い、奴らをこらしめ、この世に正義を貫いてくれるというの。

 ――いや、そんなことももうどうでもいい。
 あたし……こんな男に、女にされてしまう。

 それだけは絶対に嫌だった。もしそうなったら、あたしは死ぬ。きっと生きていられない。
 鱶澤ワタルの喪失とともに、アユムもまた死を迎える。

「やだぁ――っ……」

 あたしの目からこぼれた涙は、もう水たまりを作るほどだった。

 ――と。

 こつん、と、小さな硬い音。
 こつん、ごとん。あたしと、鷹取と空見、三人が音のほうに視線をやる。
 コロコロと転がる、石コロだった。

 山のなかにある廃墟には、あちこちに石や瓦礫、コンクリートの破片が転がっている。しかし風で飛ばされるにしては、ちょっと大きい――

 そう思ったとたん、拳ほどもある石が、勢いよく空見のこめかみを打った。

「ぐぁっ!?」

 頭を押さえて屈みこむ空見。
 さらにもう一発、今度は鷹取に石が投げ込まれる。鷹取は目の前に来たのを手のひらで捕まえた。
 さらにもう一つ、飛んできたものを払い落とす。舌打ちし、鷹取は投手のほうをにらみつけた。

「なんだおまえ? 邪魔するな」

「――モモチ!!」

 あたしが叫ぶと、モモチは俯いたまま、大きく息を吐いた。

「……アユムちゃん。……どこ? ……離れてて」

 呟くなり、膝をつく。
 あたしは息をのんだ。なんだよモモチ、おまえ、立ってられないんじゃないか!
 ろくに目も見えてない。マトが大きな体だったからどうにか当たってくれただけ、戦うなんてできてないじゃないか!

「……アユムちゃん、逃げて……」

「ば……っ、バカ野郎ーっ!」

 あたしの絶叫と同時に、空見が駆けだし、モモチに体当たりをかけた。
 ただでさえふらついていたモモチは簡単に転がって、抱えていた石が散らばる。空見は石と一緒にモモチの頭を蹴り上げた。

「半死人がっ、てめえも死ぬか!」

 硬いものがぶつかる音。モモチは悲鳴を上げなかった、泣き叫んだのはあたしだった。

 退屈をしていた『天竜王』も駆け寄り、モモチを踏みつける。数人、手持ち無沙汰なやつが、奥の『青鮫団』へと流れて行った。
 もう石も掴めず、倒れているだけの少年たちを、何の意味もなく潰していく。

 誰も悲鳴を上げなかった。呻くこともできないのか、それとも、必死で泣き声をこらえているのだろうか。

 なんのため? あたしのため? あたしを泣かせないため?

 もう泣いてるよ。体がはじけ飛んでしまいそうなほど、悲しみ、怒り、絶望し、どうしようもなくて震えている。


 潰されていく『青鮫団』。壊れていくモモチ。
 あたしはなんなんだよ。
 なんであたしは、あいつらの前にいないんだ。

 俺は『青鮫団』の団長だ。騎士団の盾であり最後の砦。あいつらを護り、あいつらのために剣を振るい、誰よりも強く、必ず俺たちの敵を討つ。
 それが俺の仕事だったはずだろう。

 こんなところで、なにやってんだよ。
 こんなところで――這いつくばって、泣いてる場合じゃないだろうが!――

「……やれやれ。騒々しい連中だなあ」

 鷹取が甘くささやき、俺の背中にキスをした。うずくまった俺の脇から手を差し込み、胸のふくらみをまさぐる。

 ……気色悪い。

「――お待たせ、お姫様」

 俺は、姫なんかじゃない。


 鷹取は俺の胸を撫で、ふと、眉をしかめた。

「……あれ? ……なんか硬い――ていうか、平ら――」

 呟いた、瞬間。
 俺の拳を顔面に受け、全身をぐるぐる回転させた。



 俺は拳を握りこみ、勢い余って倒れることもできない鷹取に、アッパーカットをぶちこんだ。鷹取は俺よりもすこしだけ背が高いが、そんなことは関係ない。まずはボディに一発。悶絶したところに、顎を真下から打ち上げる。

 ロケット花火みたいに、鷹取は天に向かって飛んで行く。
 やがて地面に墜落。そしてピクリとも動かなくなった。


 ――ォォぉおおおおおおおおぉお――


 俺は雄たけびを上げ、駆けだした。
 一番近くにいたのは、空見。
 横たわるモモチを踏みつけて、タバコに火をつけようとしていた。
 迫りくる俺に気が付いたのは、俺が飛び蹴りをかます、一瞬前。

「ん? ――えっ。鱶ざ――」

 言葉の途中で、気持ちよく五メートルほど飛んで行った。

 ドロップキックからの、バック宙。モモチのそばに、無事着地。寝転がったままのモモチを見下ろすと、完全に失神しているようだった。
 俺は背筋を伸ばすと、一度だけ深呼吸。
 そして『青鮫団』のほうへとダッシュする。

 異変に気付いた『天竜王』が、いちようにざわめき、浮足だつ。

「な、なにっ? ジョーズ……ぅおぎゃっ!」
「なんで鱶澤っひぃっいいいいいっ――ぐえ」
「勘弁してくださいうちには可愛い七つの子がっぐは……!」

「誰一人として勘弁するかボケよくもうちの『青鮫団』を傷つけてくれたな、『天竜王』は今夜で壊滅じゃごるぁああああああっ!」

 拳を振るうごとに、一人、また一人と『天竜王』は減っていく。
 暴れながらも足元を見ると、『青鮫団』はみんな倒れ、目を閉じているようだった。無事を確認する先に、俺はとにかく、虫けらどもを殲滅した。
 殴り、倒れて邪魔になったやつを蹴り上げ、積み上げる。
 『天竜王』十人分、こんもりとした山が、ウサギ島の廃墟にできあがった。
 最後に鷹取のほうへ戻り、ジャイアントスイングでぶん投げて仕上げ。

 両手をはたいたところで、ひっくり返った声が飛んでくる。

「お、おま、おまえ……鱶澤、ワタル……! いつのまに。どこから湧いてきやがった!?」

 空見だ。さすがタフだな。飛び蹴り一発じゃ死ななかったか、そうかそうか。
 俺はのしのしと、空見へ歩み寄っていく。

 空見は引きつった顔で後ろにさがり、廃墟の壁に、背中をぶつける。

「なんで鱶澤……なんで……ていうか全裸」

「細けぇーことは気にするな」

 俺は右手を握りこみ――斜め下から拳を放った。腕を伸ばすのではなく、肩で固定したまま全身をねじり、回転。全体重を拳に乗せて、空見の横顔にぶち込んでいく。
 ゴリラ野郎の身体が宙に浮き、俺の拳に巻き込まれるように回転して、倒れる。

 そしてそのまま動かなくなった。

 俺は笑った。

「――おあいにく様。たとえ何人で来ようとも……俺が負けるわけねぇだろう」

 ふう、と嘆息。

 闇夜の廃墟――隅っこの方で、少年の声がした。

「…………団長……?……」

 モモチだった。

 俺は、振り向くことができなかった。転がっていたリュックを掴むと、全裸のまま廃墟から飛び出す。


 一キロばかり疾走し、物陰で服を被りながら、ペンションしろくろに電話をかけた。すぐに警察を呼び、少年たちを保護してほしいことを早口で伝える。

 事態を把握していない女将さんは、それでも、さすが客商売。聞かなくてはいけないことを、きちんと確認してきた。

『あ、あなたは、どちら様ですかっ!?』

 俺は言った。


「……一応、気持ちはわりと、鱶澤アユムなかんじです……」

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