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鱶澤くんのトランス!

とびらの

~エピローグ~

 よく冷えた、水出し緑茶がとっても美味しい。
 エアコンの下で、きゅーっと一杯。
 ああ、美味しい。

「……やっぱり静岡は、夏でも緑茶だよな」

「お兄ちゃん、昨日は麦茶飲んでやっぱ夏はこれだねって言ってたじゃん。一昨日はカルピス」

 すかさず飛んでくる、シノブのツッコミ。俺はリビングソファに腰掛けたまま、テレビのほうを向き、言い捨てた。

「俺は過去を振り返らない主義なんだ」
「その番組、『名作なつメロ100選』だけどね。しかも再放送」

 いつものクールでドライなシノブである。本当にありがとうございます。
 生返事を返し、俺はそのまま、ぼーっとテレビを見ていた。シノブが呆れて、嘆息した。

「……なにやってんのお兄ちゃん。もう、夏休みも終わっちゃうよ。八月入ってからなんにもしてないじゃない」
「そのぶん宿題は例年になく早く仕上がってなによりだろ」
「どうせ間違いだらけなんだからやってもやってなくても一緒よ。ねえお兄ちゃん……どうして、外に出ないの? どうしてずっと引きこもってるのよ。無事に男に戻れたのに!」

 ――うるさいな。
 俺は立ち上がった。シノブも立ち上がる。

「どこ行くの? アホ鮫団のところ?」
「……いや、二階の部屋に上がるだけ……」

 答えながら、俺はシノブの姿をじっと見つめて、観察していた。

 ……鱶澤シノブ、十六歳。
 身長は、平均よりも少し下。体重も五十キロはないだろう。俺には似てないと、皆は言う。けどそのつりあがり気味の猫目は、俺とよく似ていた。
 ――可愛いな。
 シノブは、小さくて可愛い女の子だった。
 俺とはちっとも似ていない。

 腰に手を当て、シノブはあきれ果てた声で責めてくる。

「あっそ。じゃあ携帯の電源くらい入れて。このひとつきずっと家電イエデンが鳴りっぱなし。アホ鮫団の連中から、団長に代わってくれとか、話しが聞きたいとか、医療費は自分で払いたいとか――」
「……さすがにそろそろバイトは行くか。お年玉貯金までぜんぶ使っちまったからな」
「ウサギ島のお土産はどーなったのよーっ」

 叫ぶ妹を置いて、俺はリビングを出て行った。
 自室に入り、後ろ手に扉を閉め、そのままずるずると座り込んでいく。

 ……引きこもりか。
 ……確かに、コンビニにすら出かけてない。食事の買い出しも、割高なのが分かっていてネットスーパーや通販を使っていた。おかしいよな。いままでそんなことなかったのに。
 まるで雌体化した日にように、家から一歩も出ないだなんて。

 俺はベッドのそばにある、壁掛けカレンダーに目をやった。
 ……今日は、日曜日。八月に入って、四番目の。
 それを見ても、ああもう八月も終わりだなとしか思わない。

 今朝、起きて――なんで俺、男の姿のままなんだ――なんて、驚きはしなかった。そうなるような予感はしていたのだ。なんとなくだけどな。
 母と妹は、特にそれをつっこんではこなかった。もしかするといろいろ察して、そっとしておいてくれたのかもしれない。

 ――先月――あの夜――あれから。

 俺はペンションに帰ることはなく、適当なところで野宿した。真夏のキャンプ地だ、気候には問題なく、旅の荷物も丸ごと持ってたので、着替えをシート代わりにすれば案外快適だった。
 夜中に、ウサギにかじられたりはしたけどな。それもまた、いい思い出ってところだよ。
 フェリーの始発に乗り込み、広島本土へ。そして一人、新幹線に乗って帰宅した。
 行きはあれだけ疲労したのに、帰りはなんだかあっという間だった。
 寂しいくらい、すぐに終わった電車の旅。
 女と男の足はこれほど違うものなのか。
 ……それとも、『青鮫団』が騒いでなかったからかな。
 とにかく俺は家に帰ってきて、すぐにベッドに転がりこみ、泥のように眠った。起きてからも、姿は変わらず、男のままだった。家族には何も語らず、あちらもなにも言ってこず。
 そのままだらだらと日ばかり過ぎて、今に至る。
 それだけの夏休みだった。

 ……たぶん、俺はもう二度と雌体化しないのだろう。

 異性に恋をすると、そのつがいになれるよう、姿を変えるのがラトキア星人。

 ――だったら――恋に絶望し、どうせもう無理と割り切ってしまったら、その性にならなくなる――そんなことも、あるんじゃなかろうか。

 ……そんな気がするんだ。


 俺はベッドに寝転がると、天井を見上げてまたぼんやりしていた。
 一階からは、シノブが皿を洗ってる音がする。
 この夏休み、シノブは家のことをするようになった。
 俺が広島に行ってる三日間で、母親からしっかりと教わったらしい。もともと器用で要領のいいアイツは、もう基本的なことはできるようになってた。
 そろそろ、彼氏に料理を作ってあげたいなんて願望もあったらしい。そうして、あいつは身も心も大人になっていく。
 もしかしたら、もっとずっと前からそうだったのを、俺が気づいてなかっただけかもな。

 嘆息したところに、ピンポーンと自宅のドアベルが鳴る。
 一階のシノブがインターフォンに出た。大きな声がこの部屋まで届く。

「――えっ、ベイオウーフ? あらどうしたの。……お兄ちゃんなら、二階の部屋だけど……」

 ベイオ……なに? なんかの通販かな。

 俺は身を起こした。荷物を取りにいこうと、扉を開ける――しかし階段を上ってきたのは、作業着姿のオッサンではない。
 平均よりも少し小柄な体躯。中性的な顔に黒ぶち眼鏡。
 学生服を着た、モモチこと桃栗太一だった。

「なっ――モ、モモっ」

「お久しぶりです、団長」

 階段の半ばで、モモチは両手をそろえ、深々と一礼。丁寧にあいさつしてくれたのを、俺は扉を締め切り、拒絶した。
 内鍵をかけ、その場に座り込む。とんとん、とノックが追及する。

「団長? いきなり締め出さないでくださいよ」
「な、な、なんでお前がウチに来るんだよ! 住所――はシノブ経由か。何しに来た。そしてベイオウーフってなんだ!」
「気にしないでください、ただのアダナです。それより話があるんです」
「話なんかねーよ! それよりベイオウーフってなんだ!」

 俺は怒鳴った。
 扉の向こうで、三秒の沈黙。そして再びノックがされた。

「……あなたになくてもこちらにあるんです。じゃあ返事しなくていいから聞いてくださいね」

 妙に強気なかんじで言い放つと、彼は扉の前に、腰を下ろしたらしい。すこし低い位置から、モモチの声が、部屋に届く。

「……ウサギ島の、あの夜……僕たちを助けてくれたのは、団長ですよね」

 俺は沈黙した。しかしモモチはひかなかった。

「否定しても無駄ですよ。僕ちゃんと見たんで。団長のおしりに、輝く七つの宿星が――」
「なんじゃそりゃんなもんねえよ!」

 思わず、俺は絶叫した。すかさずモモチが重ねる。

「そうか、あるのはわき腹にホクロでしたね」
「そうだよっ!」

 全力で肯定してから、口をふさぐ。モモチはかすかに笑い声を漏らした。そして、またしばらく沈黙。
 やがて、静かに言った。

「…………アユムちゃんは、あなたの、変身した姿……ですか」

 俺は返事をしなかった。モモチはさらに続けた。

「……変わった瞬間を、はっきり見たわけではありません。記憶もぼんやりしてて……夢か幻だっていわれたら納得できるくらい。でも状況が、夢じゃないと裏付けてる。わき腹のホクロだけじゃない、改めて考えれば、アユムちゃんはあなたによく似ていた。シノブちゃんよりもずっと。言動も嗜好も、考え方も、髪の色も、名前も」

 俺は答えない。
 モモチはさらにいう。

「それに気がついてから、僕はいろいろと、あなたの言動を思い出しました。――三か月前、廃工場で助けてもらったとき――あなたは急に、僕をタクシーにおいて逃げ去った。『モモチ、今日は何番目の日曜日だ? ――まずい』という言葉を残して。それは第四日曜日。そしてウサギ島に言ったあの日も、第四日曜日。――もしかすると、あなたは……」
「そんなわけないだろうっ!」

 俺は怒鳴った。しかし、モモチは退かない。

「奇術? 魔法? 二重人格で姿まで変わる? なぜ変身するのかは見当もつかない。けど仮にそうだとすると、アユムちゃんの言動もいろいろと理解できるんです。当日飛込での代理、身分査証、海に行くのに水着をもってない。着替えもない。アレ上着は男物でしょ。女性向けだぼゆるシャツと違いますよね。まあ可愛かったけど」

 あああやっぱりコイツ超見てる……。
 どうしよう。モモチはもう、俺イコール鱶澤アユムというのを確信している。嘘を重ね、言いくるめても、そこに何の意味があるのだろう。

 俺はもう、彼に宇宙人とのハーフとバレることは恐れていない。しかし、アユムの存在を肯定はできなかった。

 ……アユムが俺だと……原型は百八十六センチの大男で、全裸で『天竜王』を壊滅させたマウンテンゴリラ野郎だと知れたら、モモチはがっかりするだろう。
 それがなければ、モモチの中で、アユムは可愛い少女のままだ。
 そうでありたい。

「団長。ワタルさん。僕は、知識欲を満たすためここに来たわけじゃありません。なぜ変身するのか、そんなことどうでもいいんです。それより僕が聞きたいのは、あなたの気持ち。ワタルさん! あなたはどうしてあの日――一人で帰ってしまったんですか!?」

 どんっ――モモチが、扉をたたく。
 俺は言った。

「……何の話か、さっぱりわからない。帰ってくれ。……俺は鱶澤ワタルだし、ウサギ島にもいってない」

 今度の、モモチの沈黙は長かった。たっぷり数分間――
 そして。

「……僕のこと、からかってたってこと? ……アユムちゃん」

 どくん。

 心臓が跳ねる。
 ……痛い。

 モモチはまたしばらく、沈黙していた。そして俺の返事を待っていた。
 しかし俺は、声を出すことができなかった。
 どくん、どくん、どくんと、鼓動が早打ち、体温が上がり、汗が噴き出す。

 ちがう。――違うよ、モモチ。
 あのとき……アユムは決して、誠実な女ではなかった。男の生活に未練をもち、モモチのために人生を変えることができなかった。そのくせ、彼の愛がほしかった。
 モモチのように、誠実に愛することができなかった。
 だけど間違いなく恋だったんだ。

 でも、ごめん。俺はもう、女にはなれない。

 モモチの声が、また届けられる。

「第四日曜日――今日なら会えるのかと思った。……違うの? 会いたいよ、アユムちゃん。またアユムちゃんに会いたい。話がしたい。触りたい。キスがしたい。……今度こそ抱きたい。ねえ。アユムちゃん」

 胸が苦しい。
 もうやめてくれ。罪悪感で押しつぶされそうだ。
 俺は胸を押さえ、うずくまっていた。
 苦しい。

「……ワタルさん……ここを開けてください」

 いけない。この扉をあけて、触れあってしまったらだめだ。

 モモチはまた何度か、俺の名と、アユムの名を呼んだ。

 耳をふさぎ、震える俺に、モモチはどれだけそうしていたのだろうか。
 ふと、気が付くと、声がやんでいた。……扉の向こうに、人の気配がない。
 俺はそっと内鍵を外し、細く開いて、階段のほうをのぞいてみた。しかしそこに、モモチの姿は影も形もなくなっていた。
 そのまま、一階へ降りて行ってみる。
 ……玄関に、モモチの靴はなかった。

 リビングに顔を出す。シノブが、いつものクールな顔で振り向いた。

「お兄ちゃん、どーしたの。ベイオウーフならもう帰っちゃったけど」
「……モモチは、なんでベイオウーフなんだ」
「ん、ネトゲの持ちキャラ。巨人族使いなのよ彼。あたしとナカムラくんとでギルド組んでるんだよね」
「……わかるかよそんなもん……」
「むしろモモチって何よ」

 俺はシノブを無視して、グラスにお茶を注ぎ、飲み干した。もう一杯飲もうとして、ふとダイニングテーブルに、美味しそうな菓子を発見する。日常で買うようなものじゃない、高級贈答品だ。どうしたんだこれと尋ねると、モモチが持ってきたのだと、シノブは答えた。

「彼、ご両親が海外赴任してるんだけどね、今までお世話になった人に配りなさいって送られてきたんだって」
「……今まで世話にって……そんな、モモチも外国に行くみたいな言い方……」
「そうよ?」

 あっけらかんと、シノブ。
 俺は菓子箱を取り落とした。

「上でその話をしてたんじゃないの? この九月から、向こうの高校に進級するって。たぶん二度と会えないからご挨拶にってわざわざ来たらしいわ。……まあしょうがないことだけど、急でさびしい――」

 シノブの言葉は、最後まで聞いていなかった。
 俺はリビングを飛び出した。


 靴も履かず、玄関を出て、町を駆ける。残暑の陽に焼かれたアスファルトが足を傷つける。それでも走った。

 やけに足がもつれる。ふらつき、転び、何度も起き上がって、また走る。
 服が重い。なぜかズボンがずり落ちていた。膝にまとわりついて仕方ない。
 ああ、もういいや! 脱ぎ捨ててしまおう。シャツはとても大きくて、膝の上くらいまで丈があるし、走るのに邪魔なものはなにもかも捨てよう。

 突き当りは丁字路。見回すと、右手のほうに見覚えのある後ろ姿。
 今度は、見間違わない。絶対に間違えっこない。

 あたしは叫んだ。


「モモチ!」


 モモチは、振り向いてくれた。驚いている顔に向かって、あたしは叫ぶ。

「モモチ、あたしっ――あたしも行く――!!」

 息を乱したあたしに、彼はゆっくり、歩み寄る。汗を張り付けたあたしの髪を撫で、後ろに梳って――少し、身をかがめて、あたしの顎を持ち上げた。
 ちゅ、と、あいさつみたいなキスをして、

「やーい。ひっかかったな」

 にやりと、嘘つきの笑顔を見せるモモチ。
 あたしは彼に、チョップをかました。


 顔を見合わせ、二人で笑う。

 モモチは言った。

「とりあえず、その格好はアレなんで……部屋に戻ろう」

 あたしは頷き、モモチの手を取った。指を絡めながら、

「……あの、買った水着……着けてるトコ見たい?」
「うさ耳リボンも、よろしくお願いします」

 彼のリクエストを快諾する。

 そして身を寄せ、すこしだけ背伸びして、あたしたちは二度目のキスをした。


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