鱶澤くんのトランス!
鱶澤ワタルが嫌なこと。
「――おっと、あんまり大声は勘弁。夜中の山道といっても、観光地なんでね。誰も来ないとは言い切れない」
そう言って、空見はあたしの顎を鷲掴みにした。あたしは呻きながら、空見の指をはがそうと模索する。しかし、男の握力はびくともしなかった。頬骨に食い込む指。
「ぃぎっ――」
激痛に、あたしは痙攣した。
空見は苦笑いし、指の力を緩めてくれた。
「ああ、すまん。ちょっと力を入れすぎた」
指の隙間から、くぐもった声であたしは呻く。
「なんで……どうしてっ、おまえが、ここに……!」
「――なんでって、電車と新幹線とバスと船だよ。へへ。決まってんだろ? 俺は空を飛べないからよ」
くだらないことを言う。にらみつけるあたしに、肩をすくめて笑った。
「俺がここにいる理由は、鱶澤ワタル狙いに決まってるだろうが。あんたにゃ別に、恨みはねえからここで帰ってくれても構わないけども……そうはいかないんでな。一緒に来てもらうぜ」
そう言って、奴はあたしの顎を離す。あたしはすぐに走り出そうとした。しかし、転がるモモチの姿に逃げ足が止まる。
「モモチ!」
彼の頭から、大量の血が流れていた。目を閉じ歯を食いしばって、痛みをこらえ呻いている。意識はちゃんとある。
「心配すんな、アタマってのはやたら血が出て見えるもんなんだ。……あまり近づかないほうがいいぜ。その白い肌に血が付く……」
空見の弄るような声、そこであたしは、自分があられもない姿なのを思い出す。慌てて浴衣を合わせると、体を縮めて震えた。
空見は笑っていた。
「鱶澤の妹。……思ってたよりずっと、ちんまりしてんだな。ちっとも兄貴に似てねえ」
空見はふと、森のほうへ目をやった。つられて振り向くと、少年がひとりそこにいた――その服装に見おぼえがった。現在のモモチに、よく似たシルエット。宿からあたしを誘導したやつだ。改めて見ると、顔も何となく見覚えが……一度、殴り倒したことがあるような気がする。鱶澤ワタルの拳で、二か月ほど前――静岡の、町はずれの廃工場で。
「『天竜王』……? いったい何人で、この島に……」
「十人だよ。さすがに全員集合とはいかなかった」
「……お願い。あたしを宿に帰して。モモチを病院に連れて行かせて……」
あたしは懇願した。自分の何倍もある大男とモモチの出血を前にして、闘志なんてものはまったく湧いてこなかった。あたしは空見を見上げ、いっそ土下座でもしようと思った。
地面に膝をついたのを、後ろから引っ張り上げられる。さっき現れた少年だった。
「そりゃもったいないよぉオネーサン。さっさと立って、一緒に来るんだ。楽しいところに連れて行ってやるよ」
「な……なに?……」
「いいから歩け。――あんたの騎士団がお待ちかねだよ。お姫様」
あたしは小柄な少年に後ろ手を掴まれ、ふくらはぎを蹴られながら、山道をのろのろと歩き進んだ。前を空見とモモチ。モモチは一応自分の足で歩かされていたが、ふらつき、うつむいて、めまいと戦っているようだった。
「モモチ……」
「黙って歩けクソビッチが!」
呼びかけようとするたび、蹴ってくる少年。
それだけでなく時折無意味に腕をねじ上げたり、髪を引っ張ったり。あたしの悲鳴を聞きたがっていた。
このガキ……! こんなやつの背中を、モモチと間違えたことが一番むかつく。
一年坊か? おそらくは『天竜王』のなかで最底辺の下っ端だろう。それが、女を前にして粋がってるのだ。
こんなチビ、ひねりつぶしてやる――そう思って振り向くと、少年の顎は、あたしよりも高くにある。それを支える首も、腕をつかむ手も、あたしのものよりずっと太い。
あたしは奥歯を噛んで、黙って歩みを進めた。
奴らの目的地は、さほど離れてはいなかった。十分ほど歩いた先――立ち入り禁止と書かれた看板を蹴り倒し、チェーンのバリケードをまたいで進む。
「リーダー、おつかれっす」
「おかえんなさい。無事、捕まえたんですね」
『天竜王』がねぎらうのを、空見は片手を上げて応えていた。
……そこは、廃墟だった。
真っ暗闇に、うかびあがる灰色のコンクリート。天井もなく、野ざらしになった建物は、何十年も前のもの。旧日本軍の軍事施設跡だ。
足がこわばる。
ヒッ、と小さな悲鳴を上げたのを、聞きとがめたのは、モモチだった。あたしを振り向き、血で濡れ、赤くそまった唇を小さく動かす。
「……アユムちゃん……逃げ……」
その言葉は悲鳴で途切れた。空見はモモチを突き飛ばすと、顔面を思い切り殴りつけた。血風が上がり、地面へ転がる。そしてモモチはそのまま動かなくなった。
「モモチ! いやあぁっ!」
廃墟に響き渡る、あたしの声に――反応したのは、モモチではなかった。暗闇の中で、いくつもの人影がうごめく。全員、モモチとおなじように地面に転がって、なんとか数人が身を起こしたらしい。顔も見えない闇のなか、それでも、あたしたちはお互いを認識した。
「『青鮫団』……!」
「アユムちゃん! 桃栗……! なんで、お前らまでつかまっちまったんだよぉ!!」
この声は、小川。となりで呻いてる丸っこいのは大山か。大山は這いつくばり、ただオウオウと嘆いていた。
あたしは絶叫した。
「なんではこっちのセリフだ! おまえたちっ――酒飲んで遊んでたんだろうが。美人女子大生に逆ナンされて、みんなでホテルで宴会やって――」
叫びながら、奥に転がる影の数を数える。
それは、『青鮫団』の全メンバー。時間差でモモチを探しに出て、あたしと電話をし、楽しんでるから邪魔をするなと、一方的に電話を切ったその全員だった。
「なんで、奴らの言うことをきかなかった? あの時、あたしたちの居場所を聞き出すよう、『天竜王』にいわれてたんじゃないのかよ。なんであんな嘘――どうして」
叫び声は嗚咽でふさがった。泣くつもりなんかなかった。それなのに、涙があふれて、どんどん零れ落ちてくる。
「どうして……」
『青鮫団』からの答えはなかった。彼らもただ嗚咽を漏らし、絶望し、呻いていた。
あたしは空見に顔を向けた。
「空見、お前の目的は鱶澤ワタルのリンチだろ。――教室で、モモチらと話してるときいた『天竜王』から旅行のことを聞き、ぞろぞろとメンバー集めてやってきたわけだ」
「そーだよ。『天竜王』の親睦もかねて。……半分ほどしか来なかったけどな」
「邪魔の入らないこの離島で、『青鮫団』まるごと人質にとって、一切抵抗するなって脅して。大勢で取り囲んで潰すつもりだったんだろ?」
空見は眉を半分あげ、苦笑いを浮かべた。
「そういわれると、俺様がクサレ外道の三流悪役みたいじゃねーか。……違わないけど」
「交換条件だ。この島から引き揚げろ。『青鮫団』とあたしを開放して、みんなを病院へ送らせてくれ。そしたら、明日にでもワタルを差し出す」
「……それで? 残念ながら、この『天竜王』は鱶澤ひとりに負け越してる。また、こないだの廃工場の二の舞になりかねないんだがね」
「両手両足縛り倒して裸で寝転がっといてやる。サンドバッグにするのも、ケツを掘るでも好きにしろ」
ははっ、と、空見は大きく笑った。
「そりゃぁいいや! 面白い。その場にいない、兄貴の身をそこまで投げるか。妹さんよ、あんたがそれを約束したって、鱶澤が黙って縛られるわけがないだろ」
「……約束する。必ずそうして、連れて行くよ……」
「だからあんたは鱶澤じゃない――」
空見は嘲笑しながら、あたしを見やって――ふと、眉をひそめた。自分をにらみつけるあたしを、慎重に品定めして、唸った。
「……ふうん。なんかわかんねえけど、信用はできそうだ。……お前の意思は、そのまま鱶澤とつながってるみたいだな」
あたしは頷いた。
もし仮に、ここにいるのが本物のシノブでも、きっとこんなふうに言ったと思う。そしてあたしも、それをとがめるつもりはない。まずは無事に帰ってきたことを喜び、のちにシノブに被害がいかないよう、どうにか手段を考えて、敵の前に出ていっただろう。
鱶澤ワタルはそんな男だ。
あたしは言った。
「お兄ちゃんは、家族と仲間のためならなんだってする。なにがあっても、お前たちには負けない」
空見は笑った。嘲笑ではなく、本当に楽しそうに。
「……そうだな。俺はあいつの、そういうところが最高に嫌いで、最高に気に入ってるんだ」
空見が顎をしゃくると、あたしの拘束が解かれた。トンと背中を押されて、地面に膝をつく。
……どうやら、聞き入れてくれたらしい。
あたしは心底ホッとした。うっかり空見への好感度が上がってしまいそうなくらいだ。
本気で頭を下げて、礼を言おうとしたとき――
空見は無言で、床に転がるモモチを蹴り飛ばした。
失神したモモチの体は宙に浮き、何の抵抗もなく地に落ちる。人形みたいに手足を投げ出し、土ぼこりに顔を伏せた。
「てめえなにすんだこの腐れゴリラが!!」
駆けだしたところを、再び拘束された。ぐいと腰を掴まれ、空中に持ち上げられる。ウッと呻いて見下ろす――小柄な少年の腕じゃない。
見知らぬ男だ。空見よりも太い腕、鱶澤ワタルより長身――鋭利な顔立ちから、年齢を量るのは難しい。
だがおそらくは成人。あたしたちより二、三年上の大男。
「おまえっ……お前が鷹取か!?」
男は頷きもしなかった。あたしの体を、子供をあやすみたいに持ち上げて、上から下まで視姦する。そしてにやりと笑みを浮かべた。
「……イイ女じゃのぉアユムぅ」
ぞくりと、背中が総毛だった。
鷹取はあたしの顔色を見もしない。何の気遣いもなくあたしを地面に投げ落とすと、手を伸ばし、浴衣の帯をむしり取った。
「なっ――なにっ、この野郎っ!」
暴れるあたしを構いもしない。両手を抑え込み、浴衣の前を開く。下着がたくしあげられたのは、その直後だった。
「なにしやがる!!」
叫ぶあたしに、回答したのは空見だった。
不細工なゴリラ面に、とっても楽しそうな笑みを浮かべて。
「イヤガラセ」
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