鱶澤くんのトランス!

とびらの

イッパツで一発

 徒歩一時間で、ぐるりと島周囲できるという小さな離島にあるホテルは、想像よりずっと大きく、立派で、綺麗だった。
 五階建てくらいだろうか? 白い建物の前は芝の公園になっていた。
 観光客がすごくたくさんいる。そしてヒト以上にたくさんのウサギ。
 車は乗り入れ禁止らしく、そこはまさにリゾート、ユートピア。南国風の植物や外国人が多いせいもあり、まるで外国に来たみたいだ。
 場所見知りな俺は完全にお上りさんで、キョロキョロあたりを見回していた。

「ペンションしろくろより、断然にぎわってるだろ? ココがウサギ島のメッカだからね」

 モモチが言う。確かに……。この島の宿はココとしろくろしかないが、両者は比べ物にならなかった。部屋数は十倍もありそう。プールやゲーム、日帰り温泉、食堂もあるらしい。レンタサイクルなどもココで受付。となるとあのフェリーや高速船の客は、だいたいこの場所に集中してきているわけだ。そりゃ、にぎやかだよな。

「ペンションは近年できた補助施設みたいなもんだからね。設備も安物だし」

 そういう、モモチの言葉は、悪口ではない。子供のころから手伝いをして、半分、実家のようなものなんだろう。謙遜だ。
 明るいロビーで、俺は答えた。

「しろくろは、看板娘がカワイイからいいんだよ」
「なに、おばちゃんのこと?」

 俺が頷くと、モモチは吹き出した。

 そのまま二人でげらげら笑う。俺が言ったのも半分くらいは本心だけどな。にこにこしてて明るくて、優しくて、かわいらしい女性だと思う。

 賑わうロビーを抜け、奥にある、土産物売り場へ進んでいく。
 思っていたより、大きな売店だ。
 こういった観光ホテルの売店と言えば、地域の銘菓と謎のアイテムってのが定番だが、そこはさすがウサギ島。お菓子もグッズも、ウサギ絡みのものが多い。
 なんとなく眺めていると、モモチが覗き込んできた。

「なにかお土産買う?」
「いや、荷物になるからそれは帰り際にするけど」

 俺はそこにある、細長い布のようなものを手に取った。

「これ何だろうと思って。この棚ぜんぶウサギ柄とか形とか、ウサグッズばっかりなのに、ただの無地の布みたいだからさ」

 と、言いつつ持ってみると、布は袋状になっており、中にワイヤーが仕込んであるのに気が付いた。棚についたラベルをみると、リボンカチューシャと書かれている。カチューシャって、あれだよな。髪の毛につけるやつ。どうやって着けるのだろうと考えていると、モモチが取り上げる。

「ちょっとだけ屈んで」

 言われて、俺は素直に膝を曲げた。
 モモチの手が、俺の髪を梳る。
 体温が、一瞬だけ頬をかすめて、耳の向こうへ。そして彼は手早く、布を俺の後頭部へ回し、両先端を額の上、てっぺんよりは少し下あたりで細工する。
 ……何をされているのかわからない。

 モモチは俺を、鏡の前へ導いた。

「――あ。うさ耳」

 白い、厚みのある布がワイヤーで形を整えられ、ちょうどウサギの耳のように、天に向かって伸びている。
 かわいい。――という言葉をこぼしかけて、俺は慌てて、頭を押さえた。

「やだ! なんだこれ、どうやって取るの。やだ!」
「かわいいよ?」
「かわいすぎるよ! 俺にこんなの、似合うわけねーだろーがっ!」

 モモチは首を傾げた。あっけらかんと、淡々と。

「似合ってるよ。赤い髪に映えてる。横髪もまとまって涼しそうだし、白いスカートといいコーディネートだな」
「無理―っ」

 喚く俺を、モモチは手を引いて、売店の奥へ連れていく。レジカウンターの女性に、俺自身を指さして、

「この頭のやつください。着けたままで精算できます?」
「はいはい。税込みで千円ですよ」
「じゃあこれで。それから水着が欲しいんですけども」
「はい毎度。水着なら少しですが、奥にございますよ。ご案内しますね」
「何勝手に金出してんだっ!」

 モモチはレジを済ませると、店員に従って進んでいく。俺は追いかけようとして、途中、鏡の前で立ち止まった。
 ハイポーズ、じゃねえぞ。もちろん、うさ耳リボンを取るためだよ。

 ……えーと? これは両端を結んで……いや、捻じってあるだけか。やわらかいワイヤーが入ってるから、それで形を作っているんだな。しかしよくできてるなあ。誰が考えたんだろう。
 絶妙の硬さ、しなやかさのワイヤーだから、指先でちょっといじれば思いのままに変形できる。捻じっただけなのにちゃんとウサギになってるもんな。

 たとえば今は左右対称だけど、片耳をちょっと倒してみるとか……あ、できた。
 左右、長さを変えてみるとか。
 根元で結ぶんじゃなく、一度カチューシャ部分に巻き付けてから外側に開けば……おっ。これ、ちょっと猫っぽいんじゃないか?
 俺はウサギが好きだけど、猫も好きだ。毛の生えた動物全般が大好きだ。
 俺は目元がキツめだし、猫耳のほうが似合うような気もする。
 いやー、でもなぁ。せっかく、ウサギ島だからな。ここはリゾート、郷に入っては郷に従えで、元のうさ耳がふさわしいよな……

「おーいアユムちゃん、なにやってるの? 水着あったよ、おいでよ」
「モモチー、うさ耳直してー。なんかうまく左右対称にならない」

 小走りでモモチへ駆け寄ると、彼はハイハイと頷いて、すぐにうさ耳を作り上げてくれた。わーい。


 海に囲まれたこの島に、水着を忘れてくる馬鹿なんかいない。
 ――というわけで、売店にあったのはたったの四つ。うち一つは男性物、もう一つは子供用。実質、俺の水着ショッピングは二択でしかない。
 その両方を持ち上げて、俺は呻いた。

「……迷う……」

 モモチがちょっと、めんどくさそうな顔をした。その一瞬を見咎め、モモチをにらんで唇を尖らせる。

「なんだよ、そんなに長い時間待たせてるわけじゃないだろっ! イイじゃないか迷ったって、あたし水着選んだことなんかないんだから」
「……何も言ってないじゃん」

 やはり億劫そうに、モモチ。

「どっちも可愛いよ。こういう時は、値段の安い方選んじゃえばいいんじゃないの」
「うん、そうなんだけども……」

 俺は二つの水着を、モモチの前に掲げて見せた・

「こっちのほうが可愛い。けど、そっちのほうが安い。値段とカワイサの天秤かけが、ユラユラグラグラでちっとも止まらない」
「可愛い方買えば」
「だって四千円も違うんだぞ!」

 俺は叫んだ。
 ひとつはワンピースタイプ、ひとつはビキニ。
 ワンピースのほうが安いのだが、ピンクの花柄にどっさりドレープで、可愛いすぎるというかなんというか――甘いのである。

 対してビキニのほうはまだシンプルと言えよう。紅白のストライプに焦げ茶色のふちどりで、ショーツに小さなレースが付いているだけ。露出度は多いが、スポーティな印象。
 うなじで結ぶタイプの肩紐は、自分でも着けやすそうだった。

 ……うん。やっぱ、こっちがいいよな。

 最悪、海水浴中に男に戻るかも知れないんだ。ワンピースよりビキニのほうが脱ぎやすい。物だけ選ぶなら選択の余地はないのだが、値札を見ると、心がくじける。

「……これ買ったら、シノブへの土産が目減りするなあ……」

 俺は嘆息した。横でモモチが苦笑する。

 ああもう、女ものの水着ってなんでこんなに高いんだ?
 ワンピのほうが安いというのも理屈が分からん。布面積もフリルの量もこっちが多いじゃん、なんで安いんだよ。ていうかそれでも高いよ。手のひら三つ分くらいしか布がないのに、なんでワタルのジャンパーより高いわけ?
 あー……どうしよう。
 俺は二つの値札を見比べながら、むーと低いうなり声。
 財布の中身的には、出せないわけじゃないけど……。シノブへの土産は洋服のレンタル代だ、ケチることはできない。しかし母ちゃんからもリクエスト受けちゃったんだよなあ。内容は違うが、どちらも約束をしたことだ。

 ウーンウーンと悩み、俺の意思がほぼ、ワンピースのほうで決まりかけた時。
 モモチがひょいと、ビキニを奪った。

「差額だけカンパするよ。そしたらコッチを買えるんだろ?」
「え。――えっ、なんで」

 面食らっている間に、彼はレジカウンターのほうへ運んでいく。慌てて追いすがり、俺はモモチの手を止めた。

「ばか、いらないよ、なんでだよっ」
「大丈夫、おれゴールデンウィークも働いてたから。全額はちょっと手持ちじゃ心もとないけど」
「だったら無理するなよ!」
「だから無理なく差額だけだってば。別に施しとかじゃないよ。おれの買い物だから」
「……おれの?」

 モモチは軽く、商品を持ち上げた。

「おれもこっちのほうが可愛いと思うから、着てほしい。おれがほしいんだから買う」

 俺は目を丸くして、その場で固まった。ひっく、とシャックリが出る。
 動けなくなってる間に、モモチはさっさと、レジへ通してしまった。仕方なく、俺は黙って財布を開く。モモチが追い金して、その水着は俺のものになった。

「……ありがと……」

 別に、とそっぽを向くモモチ。

 そうやってぶっきらぼうにするのは、ずるい。
 自分の買い物だなんて言い訳も、丸ごとプレゼントじゃなくカンパっていうのも、ずるい。断りにくいというか、遠慮の心地悪さより、ありがたいな甘えちゃおうかなという気になってしまう。
 ずるい。

「ありがとうございまーす、レシートどうしましょう」

 店員に聞かれて、モモチはアッと声を上げた。

「しまった、試着するべきだったかな」
「えっ水着って試着なんかいる? 手足の長さ関係ないし。あたし洋服でもめったにしないよ」

 俺の問いに、何をバカなことを言っているんだという顔。店員のほうへ向き直ると、

「すいません、支払った後だけど試着をしてもいいですか。やっぱりもう一つのほうが良かったら交換したいんです」
「はいはい、大丈夫ですよ、どうぞ。あ、合うようだったら今日そのまま着て行かれます?」
「そうします。試着室はどこです?」
「はいご案内しまーす」
「こら、また俺を置いてけぼりにするな!」

 こいつ、時々妙に強引っていうか、強気になるのなんなんだっ? 

 俺は前を店員、後をモモチで挟まれて、試着室へと連行された。ブティックではなく、土産物売り場の一角である。細長く、クローゼットみたいな小さな箱だ。

「これ、素肌に試着していいんですか?」

 店員に聞くと、ビキニの上だけにしてくれとのこと。まあべつに、下は試着しなくていいだろう。特別巨尻でもないし。
 俺はなるべく、速やかに試着を終えて出たかった。
 オープンなような、クローズドなような。
 何とも落ち着かない空間で、だぼゆるシャツを一気に脱ぐ。

 試着室の壁は、一面が大きな鏡であった。そこに映った半裸の俺――ジュニア向けの、簡素なスポーツブラに乳房がつぶされ、いびつな形に変形している。客観的に見て苦しそうだ。
 俺はブラも取り除き、上半身裸になった。改めて、露出した胸に触れてみる。

 ……やっぱり、大きい。

 先月に性転換トランスした時は、かろうじて膨らんでる程度のド貧乳だった。昨日だってそう。それが今朝になって急に膨らんだ。しかし今はさらにむっちりと肉感を増し、手のひらで覆えないほどになっている。

 ……これ、どのくらい、あるんだろう。
 グラビアはとんでもなくサバ読んでるなんて聞くけども、DとかEとか書かれてるのと同じくらいに見える。

 とりあえず、俺は水着を着用してみた。ホルダーネックっていうんだっけ? 首の後ろでひもを結び、鏡に映しこんでみたが、どうも肉の据わりが悪い。
 俺はひもを何度も結びなおし調整したり、水着のなかの乳房をこねくり回したり、試着室の中で悪戦苦闘。
 ようやく綺麗に収まったところで、カーテンを開いてみた。

「お疲れ様でしたー」

 うぉっ、店員そこで待ってたのかよ!?

 カーテンを開いたら一気に視界が開け、土産物屋の景色が一望できる。半裸な自分が浮いて感じる。俺は反射的にカーテンを閉じた。どうしましたお客様、と即座に店員。開けるなよ!

「い、いや、なんか、恥ずかし……」
「あっここちょっと紐がよじれてますね直しますねーあとはオッケーちゃんと脇肉もおさまってるしカップもよし」
「聞いて。ねえお願い聞いて」
「別売りのパットは要らなさそう。お客様、スタイルいいですねえー! 腰ほっそいし」

 お、大きな声でそういうことを言うなっ!

 泳がせた視線の先に、モモチがいた。ゲームでもしていたのだろう、片手に携帯電話を持っている。彼はぽかんと口を開けていた。……視線が痛い……。
 俺は照れ笑いに顔を引きつらせつつ、両手を背中に回し、胸を張って見せた。

「ど……どうかな」

 モモチは黙ったまま、俺に向けてフラッシュを焚いた。

「撮るな!」


 なにはともあれ、購入決定ということで、いいだろう。もう支払いは済んでおり、海辺もすぐ近くなので、下も着替えて出ることにした。
 デニムのスカート、ショーツを脱いで……ん、女もののビキニの下はなんて呼ぶんだ。ビキニパンツ、でいいのかな。まあどうでもいい。
 しかしこの、試着室で下半身も全部ぬぐというのはいささか……それに、こんな布面積のすくない格好で移動というのもちょっと。浜辺やプールサイド以外は、やっぱり心地が悪い。
 どだい、俺は女の体で人前に出ることも初めてなんだ。水着の着方も不安である。うっかり出てはいけないものが出てたりしないよな?
 全身を鏡に映し、モソモソやってると、カーテン越しにモモチの声。

「アユムちゃん、まだかかる? ……おれ、買い物しといていい?」
「あっ、はーい」

 おっと、なんだかんだでずいぶん待たせてる。俺は手早く着替えを完成させると、リュックに元の服を詰め込んだ。
 しかし、このまま出るのは小恥ずかしい。俺はモモチから借りっぱなしの、黄色いパーカーを羽織ることにした。太ももから下は丸出しだが、上半身は隠せる。
 デニムスカートのポケットから、パーカーのほうへ移動させようと、携帯電話を取り出す――と、そこで初めて、メール着信に気が付いた。

 いつの間に届いていたのだろう、送り主はシノブ。
 ペンションを出る前、俺が投げた質問への返信であった。


 ――男に戻るための手段――


 シノブからの返事は、シンプルだった。


『女ナンパして生で中出し』

「――出ねぇええええっ!」


 思わず、俺は携帯に向かって絶叫した。

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