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鱶澤くんのトランス!

とびらの

アユム姫と青鮫騎士団

「あれぇ、アユムちゃん海にいかなかったのぉ?」

 ペンションに戻って、女将さんの開口一番はそれだった。俺は頷き、手に持った新品の水着を掲げてみせる。

「もう、夕方になっちゃったから。モモチ――太一くんは?」
「えっ、アユムちゃんといっしょじゃなかったの。みんなはそう言ってたんだけど」
「……そうですか」
「他の子たちはもう帰ってきてるわよ。たいちゃん、まだ海にいるんじゃない。でなければ休暇村ホテルのほうかしらね」

 俺は首を振った。その両方とも、そして島中を探し、歩き回ってきたところだった。
 日も暮れて、ペンションに望みを託して戻るしかなくなったのだ。
 女将さんは頬に手を当てた。

「まー、あの子ったらどこいったのかしら。女の子を置いて……」
「事故にあってたりしないでしょうか」
「そりゃ平気じゃない? ここは車は走らないし、山も低いからね。迷子にもなりようがないわよ、あの子は年に二ヶ月間くらい、ここで過ごすんだから」

 それなら、いいんだけど。

 俺はこの島に来るのは初めてで、土地勘もないし、歩くのも遅い。モモチも立ち入り禁止の施設に入りはしないだろうが、俺から見て入っていいのかどうかわからない場所がかなりあった。そういう所で涼んでいたのかも知れない。

 安心した俺に、女将さんはアッと声を上げた。

「でもちょっと、変なことがあったのよ。――あんたらが出かけてる間にね、若い男が訪ねてきてさあ、いえ、お客さんだったんだけどもね」
「若い、変なお客さん……ですか」
「二十歳くらいに見えたわね。それで突然やってきて、十人分の宿を取りたいって」
「十人っ?」

 俺は声を上げた。そんな団体泊を飛び込みで? こんな離島、通りすがりに来るところじゃないし。
 しかしそこには女将さんは首を振った。

「いえそれはたまにあることなのよ。日帰りのつもりで遊びにきて、気が変わったりしてね。学生さんほどそういうこと多いんだけど――けど……変だったの」
「……どういうことですか?」
「うちはもう、あんたたちがいるからさ。ごめんなさい今改修工事で、オープンは八月一日からなんですって答えたの。なのに、いや他の客が泊まってるはずだ、そいつらはなんだ、って聞いてきて。休暇村ホテルの空きを聞いてやるっていうのも無視、それより客の名前を教えろ、何人で来てるんだ、って……」

 ……なんだそれ?

 他に客がいたじゃないかとゴネるまではわかる。たまにいるよな、予約してた客に対し、ズルいと行列から叫ぶクレーマー。だが名前や、団体の人数を聞いてどうするんだよ?
 疑問符を浮かべた俺に、女将さんは、それにね、と、続けた。

「――女がいるだろう、そいつは、美人か? って」
「……。……なに、それ……」
「おばちゃんも気持ち悪くって……。ここは強く出なくちゃと思って! おんどりゃわらボケカス何様のつもりじゃ、たいがいかばちたれよってからに、アユムちゃんはうちの嫁じゃ、あの子になんかしょったら生きて瀬戸内から帰さんけぇの!!! ……って言ったのね。そしたらすぐに帰って行ったわ。もうおばちゃん怖くって」

 女将さんは、ふくよかな身体を抱いて身震いした。俺は二歩ほど後退しながらも、深く頷き、女将さんに礼を言った。
 嫁うんぬんは、なんかもう、それどころじゃないのでいいです。
 女将さんはにっこり笑顔を取り戻し、いろんなものに怯える俺をどやしつけた。

「ま、大丈夫大丈夫! アユムちゃんには立派な騎士団がついてるし、たいちゃんが命かけてでも守るからね。お姫様はなんにも心配しないでいいの。さあ、中に入って。もうじき夕飯だよ。たいちゃんもじきに帰ってくるわ」

 俺は促されるまま、荷物を部屋に置き、宴会場へ降りていった。
 配膳の支度がされており、ちらほらと、『青鮫団』のくつろぐ姿もある。あたたかい食べ物が運ばれてきて、『青鮫団』の夕食がはじまり――終わる。

 しかしモモチは帰ってこなかった。モモチの行く先は、『青鮫団』の誰に聞いても知らないという。
 さすがに、女将さんも不安げにしていた。

「携帯電話に何度もかけてみたんだけども、出ないのよ。もう暗くなったのに、あの子ったらどこに……」
「あ――あの、あたし、もう一度探してきます!」

 俺が立ち上がると、周囲から待ったの声がかかる。
 大山、小川が、頬を掻きながら挙手をしていた。

「オレたちが行くよ。夜道は女の子には危険だぜ」
「そうそう。アユムちゃんは昼間も探し回って疲れてるんだろ。風呂でも入って待ってな」
「……ふたりとも……」

 おまえら――モモチを嫌ってたんじゃなかったのか。見上げた俺に、彼らは不細工なウインクをしてみせる。

「勘違いするなよ、これはアユムちゃんに見直してもらい好感度をあげようっていうハラで、桃栗を心配なんかこれっぽっちもしてないんだからな」
「そうそう。アユムちゃんに褒めて欲しいだけで、今更アイツに詫びる気なんてないんだぜ」

 もう、このコンビは、まったく!
 俺は腰に手を当て、笑った。二人の正面に立ち、指をクイクイ、こちらへ寄せる。

「ん? なんだい」
「屈め」
「かがむ?」
「いいからちょっと屈め。膝まげて、頭の位置を下げろ」

 俺の命令に彼らは顔を見合わせ、従った。長身の二人の頭部が下がり、俺と目線の高さが合う。俺は二人の頭に手をやり、そのままグリグリ、乱暴に撫で回した。

「ありがと! 頼んだぞっ」

 大小山川コンビは赤面し、テンション高く飛び出していった。

「絶対、桃ちゃん連れて帰るからな-!」

 ドタドタと粗雑な足音を、俺は小さく手を振り、見送った。


 ……あいつらはアホで精神年齢小学生でどうしようもなくスケベでアホだが、この鱶澤ワタルの側近であり、『青鮫団』随一のケンカ屋だ。もしもモモチが抵抗しても、担ぎ上げて連れ帰ってくれるだろう。
 ……なんとなく、嫌な予感は覚えながらも、俺は入浴した。日中、モモチを探して歩き回ったせいで、また足が痛んでいた。サンダルに締められ鬱血した指先を、湯船で揉み、ほぐしておく。
 いまのうちに、疲労と痛みを取り除いておかなくてはいけない――
 そんな予感がしていた。


 風呂を終え、浴衣をつけて宴会場へと戻る。モモチはまだいない――大小山川コンビも帰っていないらしい。
 それどころか、さらに『青鮫団』の数が減っていた。

 帰りの遅いコンビを心配して、三年生が全員出たらしい。
 あのコンビ、携帯電話を持って出てなかったんだって。やっぱりバカだ。
 残された一、二年生が七人、落ち着かずにその場で時間を潰していた。

「……この中で、モモチと同じクラスとか、仲良くしてたひとはいないか? どこかあいつが行きそうな所を知らないか」

 ダメ元での問いかけには、沈黙という返答をされた。
 そのまま、さらに一時間――
 俺はいよいよ不安になった。時計を見ると、もう夜の九時――。
 同じクラスだという、二年生が唸った。

「……さすがにホント、遅いっすね……桃栗って、そんなよく知らないけど、夜遊びでブラブラするようなかんじじゃない……」
「ていうか遊ぶとこねえじゃん、離島だぜ」
「――まさか、ガケから落ちたとか、海に流されたとかじゃ――」

「やっぱり俺も行く!!」

 リュックに携帯と島の地図、観光スポットのパンフレットをまとめて放り込むと、浴衣のまま担ぎ上げた。
 玄関先まで駆け抜け、サンダルを履いているところに、『青鮫団』がよってたかって止めに来る。一年生も二年生も、自分たちが行くと言ってくれた。
 俺は頷いた。

「わかった。じゃあもう、『青鮫団』全員で行こう。こんな小さな島、男十四人の足で探し回れば見つからないわけがない」
「男十三と女一人でしょ」

 二年生がそう言って笑う。もう玄関先まで出た俺の肩を掴み、くるり、反転させられた。

「な、なんだよっ」
「アユムさんは留守番」

 ぎょっとして振り向くと、その場にいた少年達みんな同意見らしい、穏やかに微笑み、俺を見下ろしていた。
 平気だよ、と優しく微笑んで、

「なんか、アブなそーな奴が来たんだろ? 女の子は出歩かないほうがいいぜ」
「そうそう、こういう仕事は男に任せてくれりゃーいいんだよ」

 少年は、俺をロビーまで押し戻した。そして閉じ込めるように扉を閉める。


「あっ――」

 伸ばした手がむなしく宙をかく。扉の向こうで、少年達の足音が遠ざかっていく。

 俺は手を下ろした。

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