鱶澤くんのトランス!
呪いの祝福
鱶澤ワタルは、強い男だった。
中学に入ってからは、どんどん身体も大きくなった。
クラスでいちばんの長身になり、運動センスは抜群で、スポーツ万能。おまけに自衛官仕込みの格闘術で、向かうところ敵無し。
大山は、あのガタイでインドア趣味で、へたくそな漫画を描いている。同級生にからかわれて、破り捨てられそうになったところを、俺が捕まえて取り返した。殴りかかってきた連中は、全員モブ悪役みたいにひっくり返しておいた。
小川は、口だけ達者だが気遣いってもんがなくてさ。人の神経を逆なでにし、乱暴者をキレさせる名人だった。俺だって口べただから、小川の言葉に何度ぐぬぬと拳を握ったかわからねえ。――それでも、五人がかりで囲い込む理由になどなるもんか。小川を蹴ったやつ全員、たんぼに蹴り落としてやったぜ。
高校に入ってからの二年強で、目についたもんは全部、そうしていった。学年も知り合いかどうかも関係ない。弱いやつが傷ついていたら、全部助けてきた。
何度同じことをしただろう。気がつけば大小山川を筆頭に、俺の周りにヒトが集まりだしていた。
『青鮫団』とは、誰が名付けたのかも俺は知らない。
いつのまにかそんなチームが出来ていて、俺は団長。
小恥ずかしいからやめてくれって言ったら、メンバーみんなで会議を開き、出した改名案が『鱶澤くんを慕う会』――冗談じゃねえと張り倒して、結局今の形に落ち着いてしまった。
……あいつらは、俺の部下なんかじゃない。友達、っていうと、それもちょっと違う気がする。
けど、俺の大事な仲間。
俺を頼りに集まった、心身のどこかが弱い、そんな連中だ。
……あいつらを守るのが……団長の仕事だったのに。
「……あたし、なんで、こんなところで留守番しているんだろう……」
俺は膝を抱え、冷たいコンクリートに座り込んでいた。
真夏の夜、九時三十分。離島の夏は、思いの外涼しく、湿っていた。
ときどき飛んでくる蚊を叩きながら、俺はずっと、玄関先にいた。
何度か女将さんが、屋内で待てばどうだと声を掛けに来た。そのたびに俺は首を振った。
ペンションの中は、女の居るところ。
視線をあげると、闇に包まれた森がある。
……そっちの方は、男のゆくところ。
その境界線に座り込み、俺はずっと、動けないままでいた。
――これは、男の仕事。
少年はそう言って、俺を残して夜の山へ行ってしまった。
その言葉が、何度も何度も、頭の中で鳴っていた。
――男十四人。
――男十三と、女一人。
そこに、そんなに違いがあるのかよ。
馬鹿馬鹿しい。いいじゃないか、少々、足が遅くても、腕力が弱くても。ヒトを捜し歩くのに、そんなのほとんど関係ないじゃん。
気持ちだけは、視線だけは、外の方をずっと見つめている。
ふいに、飛び出していきたい衝動に駆られる。
俺は尻を浮かせ、そのたびに腰を下ろすのを、何度も繰り返していた。
「……これじゃ、いけない……男に戻らなきゃ。……男に……」
心のどこか――深いところに、重しがある。
男にならなくてはいけない。
そうでなければ絶対にダメだと――男の境界に、女の身体で行ってはいけないと、誰かの叫ぶ声がする。
……これは……誰の声?
聞き覚えがある――これは――
――ワタル。
「……お父さん……?」
――ワタル。
父が死んだのは、もう五年も前――俺が中学生になったばかりのときだった。
実のところ、父の声はもう覚えていない。だがその話し方、語った言葉は、よく覚えていた。父は大きく、強い男だった。優しくて暖かくて、家族思いの父親だった。母を愛し、妹を慈しんでいた。
一番古い記憶は、物心がついたばかりのころ。
雄体優位――雌雄同体でありながら、どちらかというと男性寄りであった俺に――
雌体優位――雌雄同体でありながら、どちらかというと女性寄りであったシノブを抱いて――
父は、穏やかに言い聞かせてきた。
――お前は男だ、と。
強くなれ、渉。
そしてハニーとシノブを守ってやれ。
女の子はか弱いのだ。
それを守るには力が要る。
――二人のことが大事だろう?
ならば強い男になれ。大きく強く――
そうでないと、大事なものを失うぞ。
ガサリ。
膝に半分うめていた耳に、物音が聞こえた。顔を上げる――そこに、誰か、人がいる。
暗い森、木のそばに、ひょろっと小柄なシルエットがあった。少年だ。暗くて造作は見えないが、シンプルなシャツにジーパン――モモチは昼間、あんな格好をしていた気がする。
「モモチ!?」
俺は立ち上がった。ずっと座り込んでいたため、急に血流が変わってつんのめる。その間に、少年は逃げた。闇の中に背中が消える。俺は慌てて走り出した。
「待って! モモチ!!」
叫んでも少年は止まってくれない。どんどん下り坂を駆け抜け、目を離すとすぐ、闇に紛れてしまう背中。俺は何度も転びそうになりながら、浴衣姿で、無人島の道路を走った。
待って、モモチ。
俺、あんまり早く走れないんだよ。
わずかにヒールのついたサンダル、足にまとわりつく浴衣が邪魔をする。いや、たとえスニーカーに体操着でも、俺はきっと追いつけない。
だから待って。
どうしようもなく息が乱れ、深呼吸に立ち止まるたび、少年の足も速度を落とす。モモチも休憩をしているのだろうか。それとも俺を待っててくれるのか――そう思い、駆けだしたとたんにまた走り出す少年。
そして再開される鬼ごっこ。
もう、どのくらい走ってきただろう。島の外周囲はたったの五キロ、女の小走りでも一時間はかからない。山道を降り、フェリー乗り場を過ぎ、さらに進むと海がある。
浜を駆け抜け、休暇村のリゾートホテル。その先にはまた山道。
ここから先は、軍事施設――
毒ガス兵器の研究所や、発電所、砲台まで続く道だ。
暗い森の中、無機質な廃墟が俺を潰そうとしていた。
それでも俺は走った。
もう少し早く、もう少し手を伸ばせば、モモチを捕まえることができる。
そればかりを考えて走っていた。何も怖くなんかなかった。
モモチは『青鮫団』の団員、俺の可愛い後輩、大事な――ひと。
モモチは俺が守るんだ。
足がふいに軽くなり、俺の体をグンと前に押し出した。
しかしそれを、女の衣装が邪魔をした。
浴衣がまとわりつき、バランスが崩れる。俺は思い切り転倒した。なんとか受け身だけは取ったものの、サンダルが飛んでいき、裸足をアスファルトですりむいた。
「痛っ――」
体のあちこちが、ズキズキ痛む。なんとか身を起こし、夜道に視線を戻したが、少年の後姿は消えていた。
――見失ってしまったか。俺は嘆息し、腕をさすりながら、うしろを振り向く。
ウサギ島の山道には、街灯が少ない。
闇の中に、ぽつんと転がるオレンジ色のサンダル――それは、置いてけぼりにされた女の姿に、よく似ていた。
回収に行こうと、立ち上がる。だが俺よりも先に、小柄な人影が――と言っても、今の俺より頭半分長身の少年が――
「……アユムちゃん?……」
俺のサンダルを拾い上げ、不思議そうに、首をかしげていた。
「……なにやってんのこんなとこで。夜の山道走ったら危ないよ」
「……モモチ……」
ふらり、歩み寄る俺に、モモチはぶっきらぼうにサンダルを手渡す。俺は黙って受け取り、右手の中で持ち替えて。
「――この、あほももちーっ!」
カコォン! ――といい音が、夜のウサギ島に鳴り響く。サンダルの踵部分でおもくそドタマをはたかれて、モモチは悲鳴もなくしゃがみこんだ。
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