鱶澤くんのトランス!

とびらの

みんな仲良く

 ――えっ、ケンカ?

 俺は慌てて、三人のそばに走り寄る。

「――やめろ! 返せよ!」
「――だから別に取りやしねえよ、ちょっと履歴を――」
「やめろってば!」
「なんだよ、アユムちゃんに知られて困るようなサイトを、シコシコ見ていたお前が――」
「そんなんじゃないっ!」

 返せ返せと叫び、飛び跳ねているのがモモチ。それを躱し、二人がかりで囃しているのが山川コンビだ。なんだか状況はわからないが、これはケンカじゃない。からかい、イヤガラセ、イジメのたぐい。

「やめろてめえら! なにやってんだ!!」

 怒鳴りこむ俺に、一瞬、二人組が縦に飛び跳ねた。

「ヒィッごめんなさい!」
「違うっす団長オレたちは――れ、あれ? アユムちゃ……」
「なにを揉めている。モモチが返せって言ってるのはなんだ?」

 仁王立ちで、怒鳴る俺を三人は首をすくめて見下ろした。周りにいた『青鮫団』の連中も、騒ぎに気付き、注目する。

「あ、アユムちゃん……」

 モモチも目を丸くして、言葉をなくしていた。

 小川は肩をすくめ、手に持っていたものを、俺の方へ手渡した。
 携帯電話だ。プラスチックの角がすこし、砂で汚れている。
 あ、これ、モモチのだ。きっと、俺が着ているパーカーのポケットにでも入れていて、そのまま貸し出し、そして俺が落としたんだ。

「か、返してっ!」

 モモチが手を伸ばす。もちろんそのつもりだ。俺は頷き、もう一度手元を見て――ギョッ、と目を見開いた。

 液晶の、ネットサイトにつながった画面には、画像がずらり、並んでいた。
 女の裸。豊かな胸を突き出すように、こちらへ媚びる美女。もはや何を映しているのかもわからないほどモザイクだらけ。目がチカチカする色味の文字が、タップしてちょうだいと、刺激的な言葉で呼びかけている。

 俺は悲鳴を上げた。

「ひきゃぁっ――!」

「うわああっ!」

 モモチが飛びつき、俺の手から携帯を奪おうとした。しかし勢い余って弾き飛ばし、携帯電話は地面に転がる。そのショックで、画面が切り替わった。この携帯の主が、直近に閲覧したページの履歴表示。

『素人無修正画像集』
『えっちな女の子のブログリンク』
『いますぐしりたいカラダ』
『どうしたらいい? 先輩に学ぶ初体験ハウツー』

 なお、手前から最近の順である。

「きゃあ! きゃあ! きゃあああっ!」

 意味もなく、悲鳴が止まらない。俺は地面にへたり込み、全身を紅潮させ汗だくになって、キャアキャアと喚きながら、その画面を見下ろしていた。
 大山、小川がげらげら笑った。

「昨日部屋でさあ、夜中までコソコソとスマホいじってるなあと思ってたんだよ」
「なんか小説でも読んでるのかと思いきや。なあ?」

 モモチはほとんど転ぶようにして、携帯電話を拾い上げた。胸に抱き、体を縮めて画面を隠す。俺も自分の体を抱いて、モモチに背を向け、うつむいた。
 それでもう見えなくなっても、網膜に焼き付いた記憶が、画面の文字を読み上げる。

『女のホンネ集』
『絶対だめ! デートNG6か条』
『なぜ怒られたのかわからないあなたへ。』

 俺は、ゆっくり、顔を上げた。
 目の前で、モモチは土下座みたいに縮こまっていた。
 背中が震えている。

「桃ちゃん、やらしー」
「きゃーサイテーはずかしーっ」

 その頭上で、笑っている二人。
 周りを見回すと、『青鮫団』の連中がみな、ニヤニヤ、くすくす、苦笑い。

 俺は立ち上がった。

「……おい、おまえら。『青鮫団』の戒律をいってみろ」
「えっ? ……なんだい、アユムちゃん」
「忘れたのか。……この『青鮫団』において、イジメは厳禁――もしも破り、『青鮫団』の団員を傷つけたなら、団長鱶澤がそいつを護るため全力で戦うってな」

 ひっ、といくつかの悲鳴が上がった。山川コンビが青ざめて、しかし、首を振る。

「いやそんな……そりゃわかってるけど、別に俺たち、そんな」
「イジメだなんて……遊んでただけだよ」
「遊んでた? モモチが楽しそうに見えるのか。いま、笑ってるように見えるのかよ」
「でも……男子だったら普通で……オレらもそれがわかってるから、ほんとにちょっとからかっただけなんだ」
「そうそう。こんなに恥ずかしがる、モモチのほうがおかしい。普通はこんな、本気で怒ったりしねえって」
「……普通? 普通じゃないやつを、お前は異常だって弄んでいたと。それがイジメでなくなんなんだよ!」

 怒鳴りつけると、彼らは口をつぐみ、うつむいた。
 それでもまだ、納得がいっていない様子。部外者面している団員達もぐるりと見渡して、俺は吐き捨てた。

「この中で、母ちゃんにオナニーが見つかってもそのまま続行できるやつだけ許す」

「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」

 彼らは全員、頭を下げた。

「…………あ……アユムちゃん……」

 恐る恐る――そんな様子で、モモチは顔を上げた。
 俺は微笑み、またほんの少し、赤面して、モモチから顔をそむける。
 モモチの胸に抱かれた液晶画面――履歴の、いちばん下。彼が昨夜、最初にタップしたリンク文字が見えていた。

『カノジョを大事にする方法』



 ウサギ島は、森になった丘をまんなかに、ぐるりと周囲が五キロほどの、本当に小さな島である。
 無人島――というフレコミだが、実際には三十人くらい、寝起きしている人間はいるらしい。ペンション「しろくろ」の夫婦や、もう一つある宿泊施設の従業員らだ。住み込みで働く彼らは、島の住人と言えなくもない。

「――その、宿泊施設のほうに観光客はほとんど流れていくんだよ。寝泊まりだけのしろくろと違って、ホテルも立派だし、周りにはレジャーもある。しろくろは増え続けた観光客のため近年建てられた、別館みたいなもんなんだって」

 山道を、ゆっくり歩きながら、モモチは言う。

「……ほんの数年前。テレビで紹介されるまで、ここは本当に、寂しい島だった。そもそも、この島はウサギふれあいアイランドなんかじゃない。負の歴史を背負った島だった」
「負の、歴史?」

 俺はオウム返しに聞き返す。

 しかし、モモチはこちらを振り向きもしなかった。すぐそばで言った声が聞こえなかったかのように、無視。俺の後ろから、『青鮫団』の一年生が手を上げる。

「パンフレットで見たやつだ! 軍事利用されてたんだろ? たしか、毒ガス実験!」
「そう。ウサギが話題になるまでは、ここは毒ガス島って呼ばれていたらしい」

 頷くモモチ。……こいつ。なんで俺の声が聞こえなくて、俺より後ろのやつには返事ができるんだよっ!
 後ろ頭を小突いてやろうかと思ったが、『青鮫団』がさらに手を上げた。

「一回それで、完全に無人島になったんだよな? なんで、ウサギだけ生き残ったんだ?」
「生き残ったんじゃないよ。無毒化処理をして、時を置いて、人が暮らせるようになってからウサギを野に放ったんだ。順番としてはこう――軍事施設のあった島が、毒ガス実験で無人化。戦争が終わり、平和な離島を大自然観光レジャーとして解放、宿ができ、ちょっとしたマスコット感覚で、たった八羽のウサギを放った。それが大繁殖し、いまやウサギがヒトの三十倍も暮らす楽園になった」

 ほーう、と声をあげる少年たち。

「じゃあその、軍事施設? 兵器とか研究所とかも、跡が残ってるのか?」
「ああ。この先に歩いてたら、研究所と発電所、毒ガス貯蔵庫……それに、砲台の跡もある。逆方向から回ってきたけども、フェリー降り場のちかくに毒ガス資料館なんてのも」
「入れる? 写真とりてぇー」
「いくつかはね。立ち入り禁止のところもあるけど、けっこうオープンな感じ」
「砲台触りたい!」

 『青鮫団』から歓声が上がった。

 俺は小さく嘆息し、黙ってモモチの後ろを歩いていた。

 ……なんかな。

 いや、わからないわけじゃないんだ。俺も、ロボットアニメとか見るし、ゲームも好きだし。軍隊、銃撃、戦争――そんなのも、素直に、カッコイイって燃えたりはするもんな。
 だけども。

「アユムちゃん、なんかテンション低くね」

 二年生が、ひょこっと顔を出してきた。どうこたえようか、少し迷って、俺は素直に言った。

「……なんか、今自分が歩いてるところがそういう場所だったってのが、生々しくて、怖くて」

 アッと声を上げたのは小川だった。

「アユムちゃん、団長とこの親父さんって、軍人だよな。どっかの戦争で死んだって」
「えっ!」

 一番大きな声を上げたのは、モモチ。目を見開いて俺を振り向く。俺は笑って首を振った。

「軍人っていうか、自衛隊の制服組。自衛官って呼ばれるやつね。戦争をしたことはないよ。ずっとこの、平和な日本で通勤して――死んだのは、ただの――旅行先の事故、だな」

 それで追及をやめさせて、再び真っすぐ、歩いていく。
 『青鮫団』も、じきに談笑を再開した。モモチだけが俺を気にして、チラチラと顔色を窺っている。

 モモチってすごく、人の気を遣うんだな。
 もしかして、自分がこの島に招いたことを後悔しているのか。

「気にしなくていいよ」

 俺が言うと、彼は困った顔をした。
 本当に大丈夫なんだって。

 親父は六十歳よりもだいぶ前に、若年定年退職した。退職金を家族に残し、どうしてもやりたいことがあるって、内戦の続く国へと出かけていった。
 小学校のペンキを塗ってやりたかったんだって。
 親父が撃たれたのは、それをやり遂げたあとだった。きっと本望だったろう。


――ワタル。強くなったな――
――今のワタルなら、もうハニーやシノブを任せていけるな――


 そう、言い残していったあの日――最後にみた親父の顔は、笑っていた。
 だから気にしなくていい。俺も別に、それで兵器が怖いとかじゃないんだ。

 ただ――

 歩く先に、背の高い木の間から、黒っぽい建物の角が見えた。きっとモモチの言った軍事施設跡だろう。
 ああいうのを見ると、悲しい。
 俺は顔をそむけた。
 と、そこに、モモチの顔があった。覗き込むようにして、腰をかがめて真横にいた。
 俺とバッチリ目が合うと、彼は慌てて、目をそらした。

 なんだか、変な感じだな。
 携帯電話の一件から――いや、もう少し前から――今朝から。
 あるいは、昨夜から。
 ぎくしゃくしてる、とまではいわないけども、普通じゃない。
 もっとなにげなく、普通に会話したいのに、なんだか距離を取られている。

 何事もなかったかのように、俺の少し前を歩く彼。
 俺はさりげなく、その距離を詰めてみた。
 さりげなく、距離を開けるモモチ。
 ……もう一度、そっと近づく。また、すっと逃げられる。

 なんですかね、これは。もしかして嫌われたか。
 ……広場での立ち回り、あれ、やっぱりいろいろまずかったよな。
 俺があんな、大きな悲鳴上げなきゃあの空気にはならなかっただろうし。画面なんか見てませんでしたよって顔で、そのまま渡せば終わってたんだ。

 キャーだなんて大騒ぎして。ていうか俺はなんであんなに騒いだんだよ。自分だって見たことあるくせに、わけがわからん。自分がわからん。

 悲鳴を上げたかったのは、モモチのほう。
 モモチはきっと、俺に知られたのが一番つらかっただろうに。
 ……モモチがしばらく、距離を置きたいのなら、そうしたほうがいいかな……。

 俺はモモチを追うのをやめて、元の位置に戻った。
 すると、モモチもすぐに、元のように近くを歩く。
 試しに一歩、今度は離れてみる。
 モモチは一歩、たたらをふんだ。
 ぶつかりそうになった瞬間、俺は彼の袖をつまみ、距離を固定して、近づいた。
 肌が触れるほど、近くに並ぶ。
 彼は一瞬、逃げようとして、袖が突っ張って止まった。目を剥いて、俺の手元を見下ろす。 俺はそのまま、放さないでおいた。

 先頭の俺たちの手元は、『青鮫団』には見えやしないだろう。
 モモチの袖をつまんだまま、俺は山道を歩いていく。
 ……上げっぱなしの手が、ちょっと疲れてきた。
 俺は指を離し、手をぶらりと垂らす。乳酸を散らすためぶらぶらさせたのを、モモチが空中で捕まえた。

 どちらも、何も言わなかった。
 そして俺たちは、どちらともなく手を揺らし、手首をこすり、指を絡めて。
 ただ、黙って手をつないでいた。



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