鱶澤くんのトランス!
二度目の電話
食べ物があらかた、片付いて。
俺が満腹でくつろいでいる間に、モモチはまた、働いていた。
炭を冷まし、残った食材を厨房の方へ運び込む。ゴミをまとめ、洗い物を始めていた。料理はさほど出来ないと言うが、こういう作業はやはり早い。人に指示を出すのもテキパキしていて、モモチはなんだか、頼りになる大人のようだった。
『青鮫団』の連中の動きもいい。ついさっきあれだけ食べてたのに、もう走って行けるんだな。俺は全然ダメだ。食べ終わって十分経ってもまだ満腹感がおさまらず、あと小一時間は動きたくないかんじ。
俺も、男の時はすぐ働けたんだけどな……
この身体は胃が小さいだけでなく、消化のスピードまで遅いらしかった。
それでも、あんまりほったらかしにしてるのも、居心地悪い。俺は立ち上がり、彼らの作業に加わろうとした。
焼き網を洗っているモモチに近づいて、
「モモチ―、あたしも仕事―」
「いらない。座ってて」
「……あ、そう」
なんだよ、なんか、ぶっきらぼうなの。
……俺のこと気遣って、大事にしてくれてるのはわかるけどさ。
追い払うにしてももうちょっと優しく、他の言い方ってあるだろうに。
なんか腹立つ。いいや、他のところ手伝うもんね。
「あっ大小山川、なんかしてほしいことあるー?」
「いろいろとあります!」
「それはそうと、ひとまとめに変なアダナつけないでほしいっす」
俺は二人組に歓迎されて、イワナ焼き場の解体を始めた。ちら、とモモチを振り返ると、彼はこちらを見もせずに黙々と作業を続けている。
なんか不機嫌面してるけど……知らね。
俺は屈んで、散らばっていた串を拾い上げる。途中、ふと男どもの視線が気になった。胸元を抑え、にらみつける。
「覗くなバカっ」
犬歯を剥いても、奴らはヘラヘラ笑うだけ。かえってちょっと嬉しそうなのなんでだ?
くそー、この姿と声じゃ、『青鮫団』団長コワモテの鱶澤くんも形無しだな。なんとか自衛をしなくては、と見回すと、小川の腰にいいものを発見。
「小川のシャツ、着てないんだったら貸してくれ」
「いいけど――えっアユムちゃん、俺の服、着るの?」
腰に巻いていたのを、慌ててほどいてくれる。もちろん大きいが、小川は細身だし着れないことはない。ボタンを一番上まで閉めれば、胸元をしっかり守ってくれるだろう。
「よし。これで――」
と、完成したところで、頭の上に布が降ってきた。薄手のパーカーだ。驚き、見上げると、仏頂面をしたモモチがいた。そのまま何も言わず、去っていく。
「……なんだあいつ。やなかんじ」
「それ、自分が着てたやつじゃん」
二人は機嫌を損ね、モモチを非難した。俺も、彼の態度はおせじにも柔和といえず、理知的でもないと思った。
小川の服もイヤじゃない。でも――俺は着たばかりのシャツを脱いだ。
「ごめん小川、ありがとう。あたし、こっち着とく……」
二人がますます機嫌を損ねるのが、手に取るように分かった。よくないなー、とはわかっている。でも、頬が緩む。ニヤつく口元をパーカーで隠し、必死で抑え込んだ。
ああ、だめ。笑ってしまう。
なにが可笑しいわけじゃないんだけどな。
なんだかうれしくて、どうしようもないんだ。
ちっ、と、誰かの舌打ちが聞こえた。
俺はたいして気にもせず、モモチの服を羽織り、胸元までしっかりジップを上げた。ちょっと暑いけど、色んな男に体を見られるよりも断然いい。
この体は男の時より暑さに強い。モモチの服は、心地よかった。
「アユムちゃーん!」
遠くの方から、女将さんの声。玄関前で大きく手を振っている。俺は立ち上がった。
その時ふと、かちゃん、と硬い音が聞こえた。
ん? 何か落とした? モモチのパーカーから――
振り向く前に、女将さんの絶叫が届いた。
「また電話! 鱶澤に代われ、居るのはわかってるんだって……なんか怖い男の声で――スカイ、なんとかって!」
俺は走り出した。
『天竜王』からの連絡は、宿のカウンター裏、固定電話にかけられていた。出なくてもいいという女将さんを抑え、俺は電話口に、唇を寄せた。
「……もしもし?」
電話の向こうで、怪訝な声。
『……女? 誰じゃお前』
野太い、男の声だった。感じからして成人。おそらく大男。
「あたしが鱶澤だよ。『青鮫団』団長、鱶澤ワタルの妹……だ」
『妹だと……? 兄貴はどうした』
「お兄ちゃんならいないよ。用件はあたしが聞く」
『お前に用はない。鱶澤ワタルを出さんか』
俺は眉を跳ね上げた。なんだこいつ、会話にならんじゃないか。俺は胸を張り、言い捨てた。
「いないっつってんだろーが。お兄ちゃんはカゼでお休み、あたしは代理で旅行に来ただけ。ていうかお前誰だよ、空見じゃないな? 何者だコラ」
『……鷹取だ』
あれ、案外素直に名乗ったな。しかし、そんな名前は聞いたことがない。
「鷹取……三年にそんなのいたっけ……そのバリトンボイスで後輩って気持ち悪いんだけど。いや、それより『天竜王』のリーダー、空見はどうした」
『俺は、『天竜王』のメンバーじゃない』
「……じゃあ、なんだよ。まさかホントにファンじゃないだろうな」
『三年前の卒業生だ。ただ可愛い後輩から頼まれたまで』
俺は笑った。
「……そうかい。じゃあ鷹取センパイ、鱶澤ワタルに伝えておくから、決闘なら俺が帰ったあとにしてくれや」
『お前、名前は?』
唐突な質問に、俺は不機嫌丸出しで怒鳴ってやる。
「てめえに名乗る名前なんざねえよタコ!」
『……今夜、島を出るんだな?』
「いいや明日の朝だ。俺が家に着くのは夕方かな。だから決闘は明後日、場所は――」
話している途中で、ブツンと回線が途切れた。
ツーツー、と不快な電子音。俺は嘆息し、心配そうにしている女将さんに受話器を返した。
「あ、アユムちゃん……あなた……男のひととケンカをするの?」
俺は静かにうなずいた。
「俺は団長だからな」
やれやれ。
肩を回して、ペンションを出た。ロビーは冷房が効いてたせいか、外に出ると焼けるほど熱く感じる。さっきは快適だと思ったモモチのパーカーも、急に着心地が悪くなった。
俺はジップを開け、ポケットに手を突っ込んで、大股で広場へ戻っていった。
生ごみを運んでいた三年生に声をかける。
「おい」
「ん? 鱶澤く――あ、いやアユムちゃんか」
「お前、三つ上の兄貴がいたよな。鷹取って名前を聞いたことねえか。お前んとこの兄貴と同期のはずだ」
彼は眉を寄せ、しばらく不思議そうな顔をしていた。俺が促すと、慌てて答える。
「聞いたことだけは、あります。オレが入学するとき、鷹取がいなくなったあとでラッキーだな、って。……なんかえらい乱暴者で、でかくて、ボクシングをやってたとか。在校中に問題起こして、退学処分だったか、停学したまま卒業したんだったか……」
「ふうん」
「就職もできず、親元にいづらくなって静岡出たとか聞きましたけどね。いまどこでどうしてるかまではしらないっす」
なんだ、いろいろと中途半端な野郎だな。
乱暴者、だなんて雑な噂。学園の伝説になるほどの悪漢でもなく、ボクシングも過去形。少なくともプロにはなれてないな。二十歳すぎて高校生のケンカに出てくるあたり、ロクな社会人でもあるまい。
まさか無職で、高校生たちの出す小銭につられたか?
つまんねえやつ! 小物もいいとこじゃねーか。
静岡に帰ったら、空見がまた果たし状でも持って来るだろう。帰り道を囲まれるかもしれないな。サクッと返り討ちにしておしまいだ。
「鷹取が、どうかしたんですか?」
「いや別に」
俺は首を振った。団員に向かって、にっこり、笑う。
「そんなことより、今日は観光いくんだよな。さっさと片付け済ませよっ。あたし、島の探索行きたい。もっとウサギにも会いたいし!」
俺の言葉に、彼はなにかまた不思議そうな顔をし、そしてホッとしたように破顔した。
踵を返し、先の作業場へ戻りながら、俺はふと思いつき、呟いた。
「あ、あたし今、女だ」
己の手を見ると、小さく細く、華奢な指。ふっくら肉付きがよく、つまむとどこまでも沈むフニャフニャの掌。試しに拳を握ってみると、なんとまあ、ちんまりと丸いこと。
……こりゃ、だめだな。
親父直伝の格闘術も、それを扱うからだが弱すぎて、ほとんど使い物にならないだろう。俺自身、リーチのギャップを理解していないのだ。
痴漢をこらしめるくらいならまだしも、元ボクサー……一人で来るとも思えないし……うーん。
「……まずいな。明後日までになんとしても男に戻らないと……」
俺はデニムスカートのポケットから、携帯電話を取り出した。
人目があるので、電話ではなくメッセージを作る。
『今朝、男として生きたいなら戻りやすくなる方法をアドバイスするって言ってたよな? この離島で出来ることを教えてくれ』
よし、送信。
再びポケットに戻して、歩き進む――と。
「うん?」
さっきまで、自分が作業していた場所が、騒がしい。
大山と小川と、モモチが、なにやら揉みあっていた。
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