鱶澤くんのトランス!
不穏な来訪者とちちもみ
ロビーへ降りると、掃除をしていた女将さんが声をかけてきた。
「おはようアユムちゃん。よく眠ってたね」
「あ……はい……すいません」
謝らなくていいのよと笑う女将さん。
おしゃべりな彼女は、朝食は取ってあるということ、俺の髪が赤くなっていること、みんなもう起きていること、モモチが硬筆書写検定二級の持ち主だということを一気にしゃべり――そしてふと、声を潜めた。
「そういえば昨夜遅く、電話があったわよ、あなたに」
「えっ電話? 誰からです?」
「さあ。ただ『フカザワってやつがそこに泊ってるか』って」
俺は眉を寄せた。
――なんだ?
……フカザワ……漢字が深澤、深沢なら珍しい苗字ではない。だがこの小さなペンションに、俺たちが着いた当日のことだ。そんな偶然はあるまい。間違いなく、この俺、鱶澤ワタルへの電話だろう。
「……それで、なんて?」
「いえ、こういうのは守秘義務っていうものがあるからね。でもご家族かもしれないし、無視するわけにいかないじゃない? ちょっと今すぐわかりかねます、もしおられたらお伝えしますんで、そちらのお名前をって聞いたらブツンッ、つーつー、よ」
「そうですか……」
「なんだか不気味ね。気を付けてねえ。アユムちゃんのファンだったりして」
俺は笑った。語り口からして、電話の相手が求めたのは男の俺のほうだろう。だったらこの姿でいる限り安全だし、男に戻れば暴漢なんて怖くない。
ちっとも怖がる様子のない俺に、女将さんはすこし、不満だったらしい。ちょっと大げさに不安をあおるようなことを言ってから、
「でもまあ、たいちゃんと、あれだけたくさん男の子がいるものね。さしずめ姫を護る騎士団。頼もしくって、安心よね」
と、玄関扉のほうを指さした。
そちらへ意識を向けると、そういえばなにやら賑やかな声が聞こえてくる。サンダルを履き出てみると、『青鮫団』の連中が勢揃いしていた。
「おっ、妹ちゃんが起きてきた。おはようっす」
「もう昼前っす。おそようっす」
「おそよー」
「お、おそよう……」
適当に迎えてくれた『青鮫団』に、俺はなんとなく手を振った。
「あれっ、髪の毛が赤い」
「団長と同じ色だ。カッコイー」
「……あはは、どうも」
予定通りならここで、「おっすおまえらー」「あれっ団長カゼよくなったんです?」なんて会話から始まるはずだった。それがこの落差。想定外で、台本を用意していなかったのだ。
言葉が続かない俺に、大山、小川が首を傾げる。
「どうしたんよ妹ちゃん。昨日の元気がどっかいっちまったみたいだ」
「長旅がそんなにこたえたっすか」
あ、心配されてしまった。俺は慌てて首を振り、ぴょんぴょん跳ねてアピールした。
「ぜんっぜん! ちょっと寝ぼけていただけだ。山盛り寝たから元気百パーセントだぜっ!」
「山盛りって」
「元気百パーセントって。妹ちゃん、ちょいちょい日本語おもしろいっすね。さすが団長の妹」
なに? ソレはどういう意味だっ?
大山と小川は顔を見合わせる。そして、『青鮫団』の連中とも視線を交わした。なにやら目で会話をし、また、俺の方へ視線を戻す。
「なんかでも、雰囲気が……髪の色だけじゃなくて、ちょっと……昨日と変わったっすね、妹ちゃん」
ん? 服のことだろうか。昨日は妹チョイスのコーディネートだったが、今日は俺のものをかぶっただけだからなあ。
自分じゃイケてると思って出てきたんだが……やっぱり変なのかな、このコーデ。
俺は両手を広げて、くるりと回転して見せた。
「可愛くない?」
彼らはみな、ぽかんと口を開けていた。
……何?
大山も小川も、背が高い。というか『青鮫団』みんな、今の俺よりもずっと大きい。俺は全員を上目遣いで見回すと、全員視線をどこかへ逃げさせた。
「いや……可愛いっす」
「すごく……」
「可愛いです……」
……なんなんだ。
よくわからないので追及せず、俺はあたりをみまわした。
ペンションを出てすぐ脇、ちょっとした広場である。『青鮫団』はここで、なにやら大工仕事をやっていたらしい。薪を割ったり、ベニヤを切ったり。ペンキを塗ってるやつもいる。なにをしているのかと問うと、『青鮫団』の少年は汗をぬぐい、あっけらかんと返事する。
「仕事だよ。宿と飯の、労働対価ってやつ」
「ほら、ここって改修工事で休業してるっしょ? 全部業者に丸投げじゃなく、自分らでやるとこもあったらしくて、そのお手伝い」
「えっ――嘘っ! あたしなんにも聞いてない!」
俺は戸惑った。もしかして俺、聞き逃してた? あとから請求来るならまだしも、帰り際に二泊分言われても、たぶん現金足りないぞ。
慌てて、俺も労働しようと木材を取る。う、重い。ぷるぷるしている俺に、『青鮫団』は笑って木材を取り上げた。
「妹ちゃんはいいよ、団長の代わりだし」
「そ、そんなの理由にならないじゃないか。あたしも……」
「いいって。だって桃栗はもともと、団長への謝礼だかなんだかでこの旅行用意してくれたんだろ。俺たちそのオコボレだもん」
「俺たちも請求はされてないよ。ただ桃栗ひとりに任せるのもなんだしー」
「オレら十五人分の料金なんて、いくらになるか知らないけどさあ。その分の労働を一人でって結構なもんでしょー。ちょっと可哀想じゃん」
今度こそ、俺はエエッと大声を上げた。
なんだそれ……なんだよそれ!
親戚がやってる宿だから、タダ飯、タダ宿。だから気にせずみんなで行こうよって、誘ってくれたのはモモチだ。俺はそれを、ありがたいなあと思ってた。外周工事だなんてラッキー、持つべきものは自営の親戚だなーとか、それでもそこまでしてくれるのは、モモチが叔母さんに心象がいいからだろう、モモチすげーなありがとーって。いや、実際、それもあるだろう。普通に十五人分の宿代をそのまま請求されたなら、モモチ一人じゃぜったいまかなえない。
だけど、もし純粋な食材費だけだとしても相当な額だ。
手伝いをしていたのは知っていた。けどそれが、俺たちのための労働だなんて聞いてない。……もしかしてあいつ、夏休みまるまる、ここで働いて潰す気だった?
そんな……
「あっ、桃ちゃんだ」
小川の声で振り返る。裏口へ続く方から、モモチが歩いてきていた。やけに大きな箱を抱えて、少し足下がヨタヨタしている。俺は慌てて駆け寄った。俺に気づき、モモチはビクリと全身を揺らした。
「あっ、アユムちゃん……!」
「モモチ、あたしも手伝うっ」
「えっ、いいよ。別にこれくらい、たいしたものじゃ」
「たいしたものじゃないならあたしにやらせて」
俺は無理矢理奪い取った。う、重……重いじゃねーか! なんだか猛烈に腹が立ってきて、俺は荒々しく肩に担いだ。そしてのしのし、歩いて行く。
ああっ、デニムのタイトスカートが歩きにくい! ヒラヒラしたミニスカートなら、みっともなかろうともガニ股で進むことができるのだが、このスカートは堅くて広がらない。
内股で、しかしなるべく大股で、俺は進んでいった。
「これどこに持って行くの? 厨房?」
「いや……おれたちの昼の、バーベキュー用の機材だから、玄関口で……」
「ここだな!」
ペンション入り口の日陰に置いて、俺はフウと息をついた。たった十メートル、たったひとつの箱を運んだだけなのに、溜息が出るなんて情けない。それでもまだまだ働ける。俺はモモチを振り返り、
「まだなにかある? 何でも言って。したいの。させて?」
「……だからそういうセリフやめれって……」
ん?
「手伝ってくれてありがとう。あの、それより……き、昨日のことなんだけど、おれ――」
俯くモモチ……その顔を覗き込んで、俺は悲鳴をあげた。
「おいモモチ! 目の下、クマで真っ黒じゃないか!」
「えっ。あ、こ、これは」
慌てて、顔面を覆い隠すモモチ。俺は彼の手首をとり、がばりと開いた。改めて見ると本当に酷い顔! 顔色も悪いし、昨日まではきらきらしていた琥珀色の目が、真っ赤に充血していた。
「酷い。もしかして夜通し働かされていたのかっ!?」
「え」
「ごめん。あたし本当に気が回らなくって、ごめんなさい。最初に気がつくべきだったよな。誘われたときに、お前が支払いをかぶる気じゃないだろうなって、脅かしてでも尋問するべきだった。ごめん……」
「へ? や、それは……おれが直接誘ったのは、団長だけども」
おっと、口が滑ったっ。俺がモゴモゴと口をつぐむとモモチは眉を垂らし、微笑んだ。
「なんか余計なこと聞かされたみたいだね。本当に気にしないでいいんだよ。『青鮫団』のみんなも、遊んでていいっていったのにさ」
「でも……」
「おれが夏休みをここで過ごすのは毎年、決まってることなんだ。昔からね。ちゃんとバイト代ももらってるから大丈夫」
しかしその報酬を、俺たちに貢ぐつもりでいる。俺はもう胸がいっぱいで、なにも言えなくなってしまった。
俺はモモチに、頭を下げた。腰を九十度に曲げて、まっすぐに。
「ごめん。ありがとう」
「――うわ!!」
俺の精一杯の礼に、モモチは悲鳴を上げた。大げさなと思い顔を上げると、彼は壁に張り付き、硬直していた。
「なんで逃げてるんだよ」
「アユムちゃん、その服、だめだよ!」
叫ばれる。俺は首を傾げ、再び、くるりと回転した。
「やっぱりダサい? 自分じゃ可愛いと思ったんだけどなあ」
「可愛いですっ! じゃなくて!!」
なんなんだ。
モモチは頭を抱えて呻いた。
「そんな首元がだぼゆるな服で屈んだら、な、中が……前が下がって、正面からオッ――ブ――下着が見えちゃうでしょ……」
…………。……ああ。
はいはい。
俺はポムポム、自分の胸を叩いた。
「またまた、お見苦しいものをごめんくださいまし。でもまあいいよ。適当に通販したスポーツブラってやつで、色気も何にも無いから」
「ええっ……そういう問題じゃなくね……?」
「丈の短いタンクトップみたいなもんだって。あはは、支えるほどの乳もないけど、夏服でノーブラなんてありえないって、シノブから押しつけられちゃってさあ」
モモチは再び頭を抱えた。
「……支えるほど……あるでしょ。ちゃんとしたの買った方がいいと思うよ……」
いやいや、何をおっしゃる。俺は自分の手元を見下ろした。
「ん……あれ?」
手を動かし、ぺちぺち、なでなで。下の方から持ち上げてみる。柔らかな肉がむにゅっと形を変え、手のひらに弾力と重みを伝えてくる。
……あれ? ……俺の胸、こんなにあったっけ?
首を傾げながらもみもみしていると、モモチは再度悲鳴を上げ、逃げ出した。大げさなやっちゃなー、と思いつつ、服を引っ張って覗き込んでみる。
うーん。やっぱり、大きくなってる。伸縮性のある布の中で、柔らかな肉が窮屈そうに飛び出しかけていた。両鎖骨の真ん中から下ったあたりに、一本線。昨日の朝までなかったはずの谷間がある。
一日で急に肥った……てことはないだろう。雌体二日目というのが関係しているのだろうか。
俺は首を傾げながら、モモチを追いかけ、また『青鮫団』らのほうへ戻っていった。
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