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鱶澤くんのトランス!

とびらの

ももちゅー

 
 なんだよ。何怒ってるんだ、こいつ。

「……言っとくけど、おれ自意識過剰ナル男とかじゃないから。さ、さっきのも、ただの、状況証拠からなる推察だから。妄想とか、本気で勘違いしてたわけじゃないから勘違いしないでよね」
「はい?」

 なんでお前がツンデレ令嬢風になってるんだ。
 というか言い訳しなくていいって。自覚はないけども、俺がそういう言動してたんだろうなって理解してるし、それで舞い上がってしまったことは俺にもいっぱい経験がある。
 無かったことにしたいなら、もう黙ってしまった方がいいのに、モモチは延々と呟いていく。

「だって気がつくといつもそばにいるじゃないか」
「……ん?」
「行きの電車でも新幹線でもバスでも、昼食の座席でも、ずっとおれの隣に来ただろ。歩いてても、小走りで駆け寄ってきて、後ろにつくし。……ちょいちょい、胸が当たるし……」
「ああ、それはお前が幹事だから。唯一、ウサギ島への道を理解してる人間だろ。はぐれちゃ行けないと思って」
「どうにでもなるだろ、最終地点はわかってるんだから。現にほかの『青鮫団』たちはてんでばらばらに。ちらちらブラ紐とかぱんつとか見えるし」
「俺、場所見知りなんだ。方向音痴だし……はじめての場所にひとりって怖くて」
「フェリーじゃもたれてくるし、ノーブラで出てくるし!」
「そのへんはごめん、完全に無意識だった。これから気をつけます」
「……アーンしたら食べるし……誘ったら来たし」
「それは……シノブの彼氏だと思ってたから」
「それじゃあなおさら絶体ダメじゃないか!?」

 モモチの追及に、俺はびくりと身を震わせた。モモチはさらに言った。

「おれが止まらなきゃ、キスされるところだった……シノブちゃんの彼氏と、どこまでする気だったんだよ。拒否できただろ。こんな場所にだって、来ちゃだめだろ!」

 そ、それは。
 それは――
 山のような言い訳が頭のなかに積み上がる。俺はその中から考え、厳選し――

「……ごめんなさい」

 結局出てきたのは、蚊の鳴くような声での謝罪だった。

「……何を謝るんだよ……」

 モモチはさらに、抉り込んでくる。でも俺は謝罪ばかりを繰り返した。だってもう、それ以外に何を言えばいいんだ。妹にもモモチにも申し訳ないし、恥ずかしくてたまらない。俺はとうとう膝を抱え、完全に顔を伏せてしまった。さっきのモモチじゃないけど、とにかく時間を遡り、無かったことにしてしまいたい。
 そうしてうずくまっていると、ふと、腕のあたりに熱を感じた。モモチの体温だ。

「……今夜、ここにいるのは、おれの言ったとおりで間違いなかったってこと?」

 なんか、さっきより声が近い。モモチが近づいてきてる? 顔を上げられないまま、俺は浅く頷く。
 膝こぞうの隙間から、ぼそぼそと俺は言い訳を垂れた。

「別に、狙って、色々考えて動いてたってわけじゃないぞ……ただ、なんとなく」
「なんとなくって、なに」
「一回くらい、いいかなって思ったんだ」
「ふぁっ!?」

 モモチは意味の無い大声を出した。笑ったような悲鳴のような、言葉にならない奇声で仰天する。

「何言ってんのなんでいいんだよ、何の話? キスだよ、だめでしょ。何言ってんのっ?」
「うっうるさい、いいだろっ! 何そんな大騒ぎしてんだよ!」
「だって君、おれのこと好きでもなんでもないんだろ、じゃあだめじゃん、なんで、なんで――」

 ギャアギャアわめきだしたモモチの顎を掴み、俺は無理矢理黙らせた。あーもうおかしいおかしいと何度も言うな! そんなこと俺が一番がわかってるんだ。
 俺はおかしい。雌体化して、男とも女ともどっちともつかない状態で、アユムなんて名を名乗り、まるで別物に憑依している気になってきた。いや俺がアユムに憑依されてるのか? わからん。
 俺ってなんだ。
 あたしって誰だよ。

 ただあたしは、自分の欲求そのままを口にする。それが一番、正解に近いんだと思うから。
 あたしは立ち上がり、仁王立ちでモモチを見下ろした。

「一回、モモチとキスしてみたいなって思ったの! 別にいいだろ、今、あたしはシノブじゃないし、モモチはシノブの彼氏じゃないんだし、何の問題もないだろうが!」
「いやそういうことじゃなくて、だ、だって――」
「あたしは女だぞ。見ての通りだ。それともなにかっ、あたしが男に、鱶澤ワタルにでも見えるっていうのかっ!」

 怒鳴りつけられて、モモチは目をぱちぱちさせた。顔面ごと動かし、上から下まで、俺の姿を見る。つられて、あたしも自らを見下ろした。

 オレンジ色のかわいいサンダルに、ほっそりとした爪先。産毛すらない白い臑。そこから上は、女性用の浴衣によって雑に隠されていた。帯で締めた細い腰、お世辞にも豊かと言えないが、たしかに膨らんだ乳房。
 細い首にのど仏は無く、こぢんまりとした頭骨を頼りなく支えているだけ。肩に掛かる赤い髪こそワタルと同じものだけど、他に何も、あたしがワタルだったころの片鱗はない。

 あたしは何者だ? わからない。だけど少なくとも男じゃないだろう。もちろんシノブでもない。
 あたしは、あたしだ。

 モモチはあたしと同じ速度で、あたしの全身を確認し終えた。そして唾を飲み、うわずった声で、呟く。

「お……女の子に……アユムちゃんに、見えます……」

 ん、とあたしはうなずき、再び彼の隣へ腰を下ろす。

「そういうことだから、男とキスをしたってなにもおかしくないだろ」
「……うん。……おかしくない」

 座り直すとき、少し近くに行きすぎたかも知れない。あたしの腕が、モモチの腕に触れている。あたしは距離を取ろうとした。その腕を、モモチが掴む。

「おかしくないよね」

 ……モモチ?
 問いただそうとした、言葉が出てこなかった。あたしの腕をぎゅっと握る手、その強さと湿り気で、あたしは理解してしまったから。
 視線を、彼の顔へ合わせる。

「……その……今朝、会ったばかりで、名前以外、何も知らないけど。君もおれのことどこまで知ってるのか……わかんないけど」

 モモチは紅潮していた。少し苦しそうな、でも嬉しそうな、へんなかお。ちっともかっこよくない少年の顔で、モモチはあたしの顎を撫でた。

「そういうの、大丈夫なら、一回、だけ……する? しようか」

 文法がおかしい。黙って見つめるあたしの目を、モモチはまっすぐに見つめ返す。ものすごく心地が悪いのに、そらすことができなかった。

「おれも、したい。アユムちゃんにキス」

 とろりとした眠気が、まぶたにまとわりついてくる。どうしてだろう。なんだかすごく、目を閉じたい。
 あたしは目を閉じた。それだけでとても気持ちが良かった。

 暗闇の中で、唇を撫でられる。モモチの指先がそこをこすったんだ。
 やわらかいものが触れてきたのはそのすぐあとだった。

 あたたかな弾力を、ほんのわずかだけ潰して、重ねる。
 あたしの感想は、あー男の人の唇も意外と柔らかいんだな、だった。それはこれまで思い描いていた、異性への期待と変わりなく、何の問題も無くあたしを悦ばせてくれた。

 押し当てるだけの口づけは、三秒とせずに解かれた。それでもモモチはあたしの頬を放さない。あたしはなんとなく、自分の手を持ち上げる。モモチの手首に触れ、手のひらを甲に重ねた。目はまだ閉じたままだった。
 するともう一度、おなじ感触がやってきた。二度目のキスは、さっきより深くて長い。角度を変え、鼻が当たらないよう顔を傾けて、モモチはあたしの唇を咥えていた。

 三度目のキスはすぐに来た。回数をかさねるたび、モモチが前のめりになってくる。腕を掴む手も強くなり、少しずつ体重が加えられていく。重い。あたしは座ってられなくなって、少しずつのけぞり、崩れていく。

「……んっ」

 ピクリと身が震える。かすかに開いた口の中に、濡れたものが差し込まれてきたのだ。……えっ。ちょ、ちょっと。

「ももちっ、ら……ちょっとっ」

 抗議に開いた口が塞がれ、言葉は舌の先から吸い取られる。

「だ、め……ぅっ」

 どうしていいのかわからない。あたしはただ全身を震わせ、モモチにしがみついていた。引きはがそうとした手が、かえって彼を抱き寄せる。モモチもあたしを抱きしめた。

 ちょっと待てこんなディープなの想定外だぞとか、一回だけって言ったじゃんとか、これいつ終わるのとか、妙に冷静なツッコミが頭をよぎる。
 それでも言葉にできない。抵抗も……力が入らない。

 あたまが……

「アユムちゃん……」

 気がつけば、あたしの身体は完全にとろけ、芝の上にだらしなく倒れていた。

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