鱶澤くんのトランス!
モモチの猛攻
俺の手を握る、モモチの手。その握力が強まった――そんなことで、俺はまた身震いした。
うなじがぞくぞくと総毛立つ。
体温が上がる。
耳の裏が痛い。
鳥肌が立ち、皮膚の面積が増えて、全身が敏感になっていた。ぴったりと合わせた手のひらから、モモチの体温と脈が伝わってくる。
俺と同じくらいの、ちょっと高めの体温と、ちょっと早くなった脈拍だった。
同じだ。同じ。あたしと、同じ。潤んだ瞳であたしを見つめて――
彼は囁く。
「好きだよ、シノブちゃん」
これ以上無く、敏感になっていた皮膚に、そのセリフがしみこんできた。
俺の体温は急速に下がり、なにかが霧散するのを感じた。
ああ……そうか。
やっぱり……二人は付き合っていたんだな。
……わかってたことだった。別に、ショックを受けることなんかなにもない。
だけど……だけどここで、シノブって呼ぶのかよ!
重ねた指から、一気に感情が吹き出す。全身が泡立ち、俺は激情に包まれた。
自分の顔が、急速にゆがんでいくのがわかる。俺はモモチから顔を背けた。
いけない、今はきっと酷い顔をしている。見られたくなくて、俺は顔を隠した。
ともすれば叫びだしてしまいそうな、心の悲鳴を、内側でだけ絶叫した。
――なんでだよ。俺は今日、アユムだって言ったじゃん!!
今までずっと、そう呼んでくれたじゃないか。だから俺は、ここにいられた。妹の名を――他の女の名を呼ばれたら、アユムは逃げ出さなくてはいけない。アユムがここにいちゃいけなくなる。
「シノブちゃん」
やめてくれ。
モモチがシノブの名を呼ぶごとに、アユムがここに居なくなる。
つないだ手から、あたしが消えていってしまう。
いやだ。せっかく楽しかったのに。いやだよ。
俺は初めて、シノブを妬んだ。
あたしだって……シノブみたいに、愛されたい。
あたしの手を握って欲しかった。
モモチはあたしの手を引いた。同時に、自分も身を乗り出す。
もともと近くにあった顔が、唇が、さらに近づく。
――きれいだな。
端整な顔をしている。琥珀色の目も。色素の薄い睫毛も。
モモチは、きれいな男だった。
彼はあたしの顎をつかみ、わずかに傾ける。
あたしは目を閉じた。
遠くでぼんやり灯った電灯。ほんのわずかな月明かり。申し訳程度の星明かり。
白いウサギの柔毛が、行燈みたいに点在している。
それだけしかない、闇のなか。彼の姿だけははっきりと見えていた。目を閉じてもなお。まぶたの裏に、桃栗太一の顔が消えない。
近づいてくる、モモチの唇。
あたしはそれが届くのを、ただ黙って待っていた。
抵抗はしない。だけど招きもしない。
――不意打ちだったと、あとで妹に弁解できるように。
自分自身に、言い訳が出来るように。
……あたしは卑怯者だ。
でも……お願い。あと少しだけ。時間で、あたしはワタルになってしまうのだ。だからひとつだけ、夏の思い出を持って帰らせて。
一度だけでいい。モモチとキスがしたい。
ふたつの唇が、触れるかどうかと言う距離まで近づいて――
そのままの位置で、モモチは唇を動かした。
冷たい声が、吐き捨てられる。
「――君……鱶澤シノブじゃないよね。……誰だ?」
俺は、目を見開いた。
急速に身を離したモモチ。その場にあぐらをかいて座り込み、冷ややかな視線で俺を見る。俺は震えた。今までどんなヤンキーに睨まれたときよりも、今のモモチが怖かった。
「な……何言ってるの……モモチ。あたしは……シノブよ。それ以外の……誰に見えるというのよ」
そう言葉を絞り出すのが精一杯。モモチはすぐに、言葉を返した。
「誰に見えるって言われたら誰でもないな。だっておれたち今日が初対面だろ。あえて言うなら知らないヒト」
「……ひ、ひどい、そんなこと……」
「顔はホント、シノブちゃんにそっくりだけどな。最初はおれも、ホントにイメチェンしたとしか思ってなかったし。ていうか君、そのキャラ、地だろ。男言葉とか女らしい格好したことないとか、動物が好きだとか。そこをおれに追及されてから、慌てて言い訳を考えて繕ってた――ちがう?」
「ち、ち、ちが……ちがうわ」
「あ、そう? どこが当たっててどこがハズレてる?」
「全部よ! だってあたし、シノブだしっ」
「ふーんまだ言う。じゃあおれと同級生だったことなんで忘れてたんだよ。百万歩ゆずって『青鮫団』の件をド忘れはいいよ、そんだけ軽い気持ちだったとか言い訳できなくもないもんな。けどさすがにソレは無理だわ」
「あ、あたし……気まぐれだから……部分的に記憶喪失になってるの……」
勢いで恐ろしく適当な言い訳をしてみたが、いくら何でもひどい。我ながらこれはおかしいと自覚して、俺は頭を抱えた。モモチが笑った。
「それはちょっと。やり直した方がいいな。もうちょっと考える時間あげるから」
ああああ、なんでこうなっちまったんだ、最悪だ!!
ここからどうにか、起死回生の秘策はないだろうか。なんとしても鱶澤ワタルの正体は隠したい。シノブのフリを続ける手段はあるはずだ。
彼氏と言ったってせいぜい交際一年ってとこだろ? 恋人のことをどれほど知っているというんだよ。女の趣味嗜好、言動なんてコロコロ変わる。俺だって、いまだにシノブの思わぬ一面に驚いたりするもんな。
俺は胸を張った。
「だってモモチは男の子だもの。女のことなんてわかってないでしょ」
「ところで、今更だけどもモモチってなんだい。あれは団長が勝手につけたあだ名で、シノブちゃんから呼ばれたことはないんだけど」
……そうでしたね。
「というわけで、君の携帯電話には、『モモチ』でなく、そして本名の桃栗太一と全然関係の無い、別のアダナで登録されてるはずだけど――探せるかな?」
……無理です。
「見つかったらコールをどうぞ。――それとも、おれが鳴らしてあげようか。それが鱶澤シノブのものならば着信が鳴るし、そうでなければ……シノブちゃんが、はいもしもしって出ちゃうかもね」
――詰んだ!!
これはもう、だめだ。
俺は自分の正体がバレることを覚悟した。
……しかしそうするとだな、俺の尋常じゃない体質を明かすことになる。宇宙人とのハーフ、というキーワードを使わずに説明できるだろうか。そのへん繕わずにぶっちゃけるのも、俺はもういいよ、しかし身内のシノブにも被弾してしまう。まず宇宙人の血を引いてること、今は完全に女性とはいえ以前は定期的に男性になってたこと、そしてそれをすべて内緒にしていたことを、彼は許すだろうか?
協力者であるシノブに罪はない。俺のことから芋づる式に、シノブが振られるようなことがあっちゃいかん。
やはり俺の正体を明かすのは却下。それ以外の手段で、なんとか、どうにか。……うーんうーんうーん……。……。…………。………………。
だめだなんにも思いつかない、俺って馬鹿だもの!!
頭から湯気を出すだけの俺を、しばらく眺めていたモモチは、さらなる死体蹴りを行った。
これがトドメ、キメのセリフであるかのように、胸を張りドヤ顔で。なんだかものすごく面白そうに、言い放つ。
「あと、おれ、シノブちゃんの彼氏じゃないから」
……。
俺はそのまま、べちゃりと地面にへたり込む。
そして真横に倒れ込んだ。
ウサギたちが驚き、一度は逃げる。だがまたすぐに寄ってきた。俺の顔の前を、モフモフがモフモフと行き来する。
…………なんか、もう…………疲れた。
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