鱶澤くんのトランス!
ワタルの代わり、シノブの偽物
赤い髪は、肩につくかつかないかという程度。外ハネ気味なのを丁寧に梳ると少し伸び、驚くほどに艶がでる。
十七年、毎月雌体化していたのに、俺は初めてそれを知った。
鏡の横にブラシを置いて、ぱちぱち、瞬き。
派手な髪の色に対し、瞳は真っ黒。少しキツめの目元だが、黒目がちなせいかキツネよりは猫みたいだ。
化粧気のない肌はシミひとつなく、つねってみると、どこまでも柔らかい。伸びる伸びる。ぱっと放すと元に戻る。実に肉付きのいい頬である。
細い鼻に、ふっくらした唇。小さな顎。細い眉に豊かな睫毛。
……客観的に、整ってる、と思う。
……いままで、よくわかってなかったけど。というか、雌体化した日に鏡を見ることがなかったけど。
……可愛い、よな、俺。うん、可愛い顔をしている。
たとえ中身が男で、言動が乱暴で馬鹿で阿呆でも、それを知らなきゃただの美少女だ。
モモチは、お世辞にも男らしいとは言えない少年だった。
身長も体重も平均以下だし、女顔でひょろっとしてて、男臭さはほとんどゼロ。『青鮫団』が下ネタで盛り上がっていても不参加だ。
けど……やっぱり、男だし。
…………そりゃ……男なら、可愛い彼女がいれば、ナニカしたくなったりはするだろうし。女だって、彼氏が相手ならなにされてもいいってなるだろうし。
実際、シノブはもう……だし。
恋人同士なら、求め合って、自然。それを拒否するのは、不自然。
……なのかな?
どうなんだろう。拒否してもいいのだろうか。それで怪しまれないのだろうか。さすがに女に拒否権がないってことは無いよな。夫婦でも強要すれば強姦になるって聞いたことある。
たぶんモモチなら、俺が拒否をしても怒らない。けど、違和感を覚えるかも知れない。
いつものシノブちゃんなら嬉々として跨がってくるのにどうしたのなんて言われたら……どうするんだよ、どうしたらいいんだ?
嬉々として跨がらなきゃいけないのか。
いやそれこそどうすればいいんだよ! 跨がったことも跨がられたこともないからわかんねーよ!!
「うわああああっどうすればいいんだああああっ!!」
ベッドに倒れ伏し、俺は両手両足をジタバタさせた。
フテ寝こいてやろうかとも思ったが、一瞬たりともじっとしてられねーし定期的に奇声を上げたくなるしで眠れない。
どうすればもなにも、拒否することは絶対不動の決定だ。一日限定で女の身体をしているだけ、中身は男だしホモじゃない。
モモチのことは嫌いじゃないけど、あいつにヤられるなんて絶対無理! つかどっちかというとビジュアル的にはあいつのほうがサレる側だろ! いやシないけど!!
しかし拒否するにも断り方ってもんがあるだろう。すっかりその気で来る男を、顔も見せずに閉め出すのはかわいそうだ。そこから関係が悪化するかも知れない。シノブのためにもそれは避けたい。でも顔出した瞬間、「あたし今日えっち無理なんで」て言うのも変じゃね? 失礼じゃね? 最悪、「は? おれただトランプしにきただけだけど」とか言われたらどう収拾つけるんだよ。やっぱりこういうのはある程度ムードが高まって、押し倒されたくらいで「あっ、まって、今日はダメ」ていうくらいがベストなタイミングじゃね?
てことはまず一度モモチをこの部屋に迎え入れて、ちょっとおしゃべりとかして、シャワー……は、この部屋にはないしお互いもう済ませてるからナシとして、ベッドに並んで座るまでは行かないといけないわけで。
それって……キスくらいは、されちゃうような気が……す……ぅううわああああどうしようどうすればいいんだああああっ!
そうして俺は行ったり来たり立ったり座ったり寝たり叫んだり、ひたすら大騒ぎするだけで時間を浪費していた。腕時計を見て、ヒッと悲鳴を上げる。
九時五分前――もうじきモモチが来ちゃう。どうしようどうしよう。
と、今になって、俺の頭に天啓が降りた。
そーだ、シノブ当人に確認すればいいんじゃないか!
俺はリュックサックから、携帯電話を取りだした。
まずは現状報告、それからモモチの情報収集。出会いや日常デートのエピソード、ボロが出ないよう必要な情報を聞き出す。それから求められたときのかわしかただ。こんなこと実の妹に聞くのはマジで嫌なんだけど、背に腹は代えられない。シノブが彼にしている言動を、俺は完璧にコピーして、シノブになりきらなきゃいけないんだ。
 「妹・シノブ」で登録された番号を呼び出し、コールする。
二度、三度のコール音――出ない。
おいおい勘弁してくれよ、いつも肌身離さず持ち歩いているくせに、まさか風呂にでも入ってるのか。よりにもよってこんなときに。
お願いします妹君、神様仏様シノブ様。早く出てくれ。もうじきモモチが来ちゃうんだよ。あっちは俺のことをお前だと思ってんだぞ。俺と付き合ってて、愛し合ってて、ナニやってもいいって思ってるんだぞ。押し倒されたらどうしたらいいんだよ。
助けてくれ。俺、わかんないよ。モモチを傷つけずに拒否をするやり方がわからない。
俺は今日、シノブの偽物になるつもりはなかった。だってシノブの知り合いがいるなんて、夢にも思ってなかったんだもの。
ただその立場と服を借りて、俺はあくまで――鱶澤ワタルでありアユムというイチ個人として、ただ――
――ただ――遊びたかっただけなんだ。
たとえ雌体化しても、遊びたかった。
外に出たかった。
……月に一度、ひきこもるのが、嫌だった。
カーテンを閉め切り、窓にも映らないようにして……膝を抱えて座っているだけの、第四日曜日が大嫌いだった。
「俺」にはワタルという名があり、世界があり、仲間がいる。過去と未来がある。思い出がある。
「あたし」には、なんにもないのがつらかった。
女になった自分を、存在しないものとして隠し続けるよりも……俺は。あたしは。
あたしは、携帯電話を持ったまま、腕をおろした。
うつむいて脱力する。
コール音が途切れる。遠くで、声がする。
「もしもし、お兄ちゃん?」
シノブの声だ。あたしを――ワタルを――俺を、呼んでいる。
俺は携帯電話を持ち上げた。
扉がノックされたのはそのときだった。俺は反射的に、シノブとの通話を切った。
「アユムちゃん、起きてる? 開けてもいい?」
どうぞと返事をすると、すぐに開かれる。俺の顔を見るなり、モモチは眉を上げた。
「えっ――な、泣いてた?」
俺は首を振った。実際、目元はまったく濡れていない。モモチの錯覚である。
そして彼は、再び驚く。
「髪の毛、その色……」
あっ、と思い出す。そうだ、俺、ウィッグを外したままだったんだ。浴衣に垂れた赤い髪、俺の、生まれたままの髪の色がそこにある。
大失態。だけど言い訳を考えるのは億劫だった。ただ静かに言う。
「染めたの」
「……そ、そうなんだ。……何、キャラ変のひとつ? 連休明けたらまた戻すよね」
ひと房、指でつまんで見せた。
「似合う?」
「……うん。似合う。……似合うよ」
「ありがと」
俺は微笑んだ。
彼はしばらく、心地悪そうにしていたが、やがて部屋に入ってくる。
そっと後ろ手に扉を閉めて、
「……身体は大丈夫?」
俺は頷いた。風呂と食事のおかげで、疲労はほとんど無くなっている。
モモチは一歩、近づいてきた。そして身をかがめて、俺の足下を見る。
「靴擦れもなさそうだね。良かった」
また立ち上がる。すると、驚くほど顔が近づいてしまった。慌てて俺が離れると、彼は頬を掻いた。
「あはは、ごめんごめん。おれコンタクトにしたんだ。でも慣れてなくて、ついクセで顔を近づけてしまうんだよな」
「……別に、謝らなくてもいいけど」
俺は言った。だってシノブとは、もっと近づいたことがあるんだろう? 頬をすりあわせ、口づけの間に話をしていたって、モモチは何も悪くない。シノブにも罪はない。
シノブの偽物をしている、俺が悪いだけだ。
俺の胸は、罪悪感でいっぱいだった。
モモチを騙している罪、偽物のくせに、シノブの恋人とともに過ごしている。
……俺、彼らにものすごく、悪いことをしている。
申し訳なさが胸を締め付ける。
モモチと夜を過ごしてはいけない。それはモモチに不貞をさせ、妹の恋人を陵辱したことになる。俺は自分の貞操とか、バレたらどうしようとばかり考えていたけども、こっちのほうがよほど重要じゃないか。
いますぐ、モモチをここから追い出さなくてはいけない。
言葉を模索する俺――その手首を、掴まれた。身を強ばらせる。だがモモチは、俺を押し倒しはしなかった。ただ、自分の方に軽く引いた。
そして言った。色っぽい声――ではなく、イタズラ少年の、茶目っけのある声音で。
「外に出よう。大丈夫、そんなに歩かせないから」
「え――何?」
「アユムちゃんに見せたいものがあるんだよ。今日の疲れが吹っ飛ぶくらい楽しいから、おいで」
……どうやらもとより、夜這いに来たわけではないらしい。しかしこれについて行っていいかどうかもわからない。俺はしばらく悩み――結局は、頷いてしまった。
屋外なら一線を越えるようなことはなかろうという安心と、断り方がわからなかったというのが、合わせて半分。
半分は、ただ「アユムに見せたいもの」が気になり、その誘いはとても楽しそうで、魅力的で……モモチと二人で出かけてみたい。その欲望に、負けてしまっただけだった。
モモチはずっと、俺の手首を掴んだままだった。
これが、手をつないでいたならば、なんとしても振り払うつもりだった。
モモチは優しく、だけどもぶっきらぼうに話しかけてくる。
これが甘い口説き文句なら、笑ってごまかし逃げ出すつもりだった。
モモチは俺を、アユムと呼んでくれた。
もしもこれが、シノブと呼んでいたら、俺はその場にいたたまれなかったと思う。
しかし彼の言動は、異性トモダチとしてギリギリ許容の範囲にある。
俺にとって心地よく、嬉しくて楽しくて……断る理由が思いつかず。
思いつくまでは、そうしていてもいいじゃないかと、自分を甘やかしていた。
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