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鱶澤くんのトランス!

とびらの

ウサギの島に上陸


 在来線から、新幹線。広島駅からさらに在来線。駅からバスで港。港からは小ぶりのフェリーで直通、十五分。
 覚悟をしていたことだが……改めて動くと、ほんとに遠い。

 途中で昼飯や、広島駅前をちょっと観光もしたりして、フェリーに乗ったのはもう夕方である。ウサギをモフるよりも先に、俺はすっかり、くたびれていた。

「ふう……くあ」

 あくびを一発。

 ……そりゃまあ長旅だけどよ。でもこんなに疲れるなんて想定外だ。荷物も、昨日用意したときは全然軽く感じたのに……リュックサックがずっしりと、肩に食い込んで痛い。
 俺はリュックを膝に置き、フェリーの屋内シートに腰掛ける。
港から、たった十五分の船旅だ。ゆっくり海でもみていよう――と、思った瞬間、まぶたが落ち、意識が途切れる。

 次に目を覚ましたのは、誰かに揺り動かされてだった。

「……起きて。着いたよ……起きてって」
「ん……ん、あ……?」

 ぼんやり、かすむ視界に、男の顔。
 うつむいていた俺を覗き込むようにして、すぐ近くにいる。
 ……誰だ? 
 こんな育ちのよさそうなやつ、『青鮫団』にいたっけ……。整った顔立ちに、甘く垂れた目元。細い鼻は女性的だが、眉と、瞳の輝きだけはとても凜々しい。
 目が、茶色い。色素が薄いのだろう。……きれいだな。琥珀トパーズのように輝いている。きれいだ。

 そう思ったところで、俺は彼の正体を理解した。
 そうだ、こいつは桃栗太一――モモチじゃないか。

「何でモモチが、ここにいるんだ?」
「なんでって、ひどいな。ずっとヒトにもたれかかってたくせに。起こしてあげたお礼が先じゃない?」
「――え――あぁごめ――着いた? ウサギ!?」

 無駄に大声を上げて、立ち上がる。モモチは口の端を持ち上げて、にやり、と野性的に笑った。

「元気だなぁ。そんなだから、つく前から疲れるんだよ。ちょっと落ち着いたら」
「いやあ、あはは……えっと、『青鮫団』の連中はどこだ、もうみんな船を降りたのか」
「そう、おれたちが最後だよ」

 モモチはうなずき、俺の手からリュックを奪った。なにすんだ泥棒、と言いかけて、荷物を持ってくれたのだと気づく。それでも俺は奪い返した。

「自分で持てるよ、たいした荷物じゃないんだから」
「いいから貸して。ペンションまでしばらく歩くんだ。山道で行き倒れたいなら返すけど」

 再び奪い返され、彼はさっさと歩き出した。

 なんだその言い方――俺は追いかけようとして、つんのめる。寝起きで足下がふらついたのだ。
 そうしている間に、モモチは階段を降りていった。
 その手には俺の荷物と、俺のと同じくらいのサイズのメッセンジャーバッグ……同じ長旅。
 しかし、モモチは居眠りもせず、疲れた顔もせず、足下もぐらついていない。

 …………なんでだ?
 モモチのくせに。
 チビでヒョロで年下で、俺の足下にも及ばないくらい、弱っちいはずなのに。

 俺も続いて階段を降り、乗ったときに通ったルートをたどって、外へ出る。
 視界が広がった。

「山だ!」

 俺は両手を広げ、叫んだ。

 目の前は寂しい公園のような広場になっていて、そのすぐ先は森――は言い過ぎだが、密集した木々が立ちふさがっている。それによって、細い道が左右に分かれて続いていた。
 山の中に港があるんじゃないぞ。島自体がちいさくて、船着き場も極小なのだ。

 フェリーに乗ったときの、港町とは大違い。コンビニもない、車もいない、家もない。ていうかほんとになんにもない。
 白っぽい土と木と、ひとけのない公衆トイレ、そしてゾロゾロと降りていく観光客野姿ばかりである。

 ……ウサギは……さすがにこんなとこにはいないよな。
 でもきっと宿まで行けば、その園庭はふれあい動物園状態なんだろう。あるいは森のなかにひそんでいるのを探索するのか……ああ、楽しみすぎる。

 俺はウキウキと地面に足を下ろし、瞬間、またグラリときた。すぐにモモチが支えてくれる。それで別に恩に着せるわけでもなく、モモチはあごをしゃくった。
 とっくに降りていた『青鮫団』が、ずいぶん先でしゃがみ込んでいる。
 男十五人がまとまって座り込んだ光景は異様である。奴らも疲れているのか――

 いや、違う。
 奴らはうなだれているのではない。地面に何かがあって、それを囲んでいるのだ。
 俺はふらつく足で、しかしまっすぐに、その輪へ向かった。

 後に続くモモチのことなど、もはや眼中にない。

「おおーもっふもふー」
「フツーに寝てんのか、野生のくせにいい度胸だ」
「ヒトに慣れてるんだろ。奈良の鹿はもっとふてぶてしいぞ」
「意外とでけぇー。でも可愛い……痛っ!?」
「痛い!」

 男どもの悲鳴も、耳に入らない。俺は奴らの背中を蹴飛ばし踏みつけ押しのけて、『それ』の前までやってきた。
 ――そして、しゃがみこむ。

 パーカーのポケットから、ビニール袋に入れたニンジンスティックを取り、一本つまんで、差し出す。
 俺は言った。

「……オイシイぴょん。どうぞ食べてみてぴょん」
「えっ、ナントカだぴょんてウサギに話しかける人間、実在するんだ!?」
「きっと猫にはニャア犬にはワン、子供にはデチューで話しかけるタイプだな」
「恥ずかしい、聞いてる方が恥ずかしい」

 俺は後ろ足で、発言者に向けて砂を蹴り上げた。ギャー目がー! という悲鳴。よし、クリーンヒット。雑音が消えたところで、再びウサギに意識を集中する。

「キャベツもあるぴょん……」

 だからどうか、俺の手からカジカジしてくれないだろうか。
 そう願いを込めて囁き続ける。
 ウサギは俺の指先を見つめていた。なかなか食べてくれない。

 ……警戒されてしまったか? 俺って人相悪いからな。ヤンキーカラーな髪や目つきはともかく、デカイ身体というのは基本、動物に警戒されるものだろう――

 と――俺はそこで、目を見開いた。
 ニンジンをつまむ、細い指――俺の手。女の手。

 そうだ。俺って今、小柄な女だったんだ。髪もウィッグで黒いしな。
 どうもまだ寝ぼけていたらしい。雌体で外出も初めてで、自分の姿に自覚がないんだよ。そうかそうか、なんかすっかり忘れてたぜ。
 俺は嘆息した。

 ……なんか、よしイケルッて軽い気持ちで来ちゃったけど……
 やっぱいろいろ、リスキーだったかな。今夜……およそ七時間後、うまく入れ替われるかも不安になってきた。
 明日になってから遅れて合流するとか、いっそ一念発起して、人生初の男一人旅をするべきだったか。
 ……それともやっぱり、雌体化時には引きこもっているべきだったのか。
 これまでどおり、存在しない女として、家族以外の誰にも会わず、人形のように――そうしてずっと生きていくべきだったのかな……。

 ぼんやりしている俺の手元が、振動している。指先がくすぐったい。そしてカリカリとなにかをかじる音。
 ふと、視線を戻す――と――

 おおっ?

「ウ、ウサギがっ……!」

 叫びそうになるのを、寸前でこらえる。それで逃げられたんじゃたまらない。
 せっかくウサギが俺の手から、ニンジンをカジカジしてくれているのに……!

 カリカリカリカリ。

 微振動が、俺の手首まで伝わってくる。
 あああ。食べてる、食べてる。
 食べてるよ……。
 どんどん、短くなっていくニンジンスティック。
 どんどん、近くなっていくウサギのモフ部。
 俺の皮膚に、なにかが触れている。毛かな? ヒゲかな? なんだろうなんかくすぐったいのだ。それがたまんないのだ。

 うはあ。
 うはああ。
 ふううはあああ。
 うふうふぁああああ。

「はああああああああああ」
「……楽しんでいるようで、何より。だけどまだフェリー降り場だよ」

 恍惚としている俺に、モモチのクールな声が降りた。
 それでも動こうとしない俺に、『青鮫団』の連中も苦笑い。「妹ちゃん、オレら先いっとくっすよ」と、歩き出してしまう。
 モモチは俺の肩を叩いた。

「今日は移動と宿泊だけ、ウサギや海で遊ぶのは明日だ。ほら、行くよシノブちゃん。おれが先導しなくちゃ」
「置いていっていいよ……あたし、ここで暮らす」

 モモチは吹き出した。

「明日にはもっといっぱいいる所に連れてってあげる。今夜はそのためにも、ゆっくり休まないとね」

 素直に立ち上がる俺に、モモチは再び笑い声を上げた。

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