鱶澤くんのトランス!
夏と青鮫とウサギ
俺、鱶澤渉の通う市立霞ヶ浦北高校は、偏差値が低い。
そして男子校であり、冷房がない。
夏休みも間近に迫った今日この頃……昼休み。
太陽が頂点にある時刻であり、昼飯を食った後。ついでにいえば四時限目は体育。
その条件で、教室がどんな状況になるかはあえて語るまい。地獄絵図とだけ言っておこう。
窓際で、風にはためくトランクスを視界に入れないよう努めながら、俺は呻いた。
「あっづー……七月アタマの気温じゃねえだろう……」
「あづいですね……さすがの団長も猛暑には勝てねえっすか……」
クラスメイトであり、『青鮫団』の団員でもある大山が言う。俺は返事をする気にもなれない。
強いってのは筋肉があるってこと。筋肉は代謝を良くする。つまり静岡最強の男は、静岡で一番暑がりっていうことだ。完敗である。すでに死にそうだ。
「暑がりのわりには、団長て服脱がないっすよね」
こちらも『青鮫団』のメンバー、小川。どっちも長身だが、ゴツくて日焼けしているのが大山、ひょろ長でサラサラヘアなほうが小川である。まあ別に覚えなくてもよろしい。
「俺は上品なんだよ。つかおまえら、パンイチで授業受けるくらいならサボれよな」
「出席日数やばいんす。卒業したいっす」
「夏休みにまで補習にくるのイヤっす。サマーバケーションをエンジョイしたいっす」
「服を着て授業に出るという選択肢は」
「ありえねっす」
「無理っす」
「……もういいや」
俺は諦めてフテ寝した。
ホント言うと俺も、脱いだって構わないんだけどな。
第四日曜日以外の俺は、ごく普通の男のカラダ。赤い髪以外、雌雄同体の宇宙人という要素はない。でもなんとなくな。身内以外に裸体をさらすのはちょっと抵抗あるんだよ。あくまでちょっとだけなので、やむを得なければ脱ぐけども。
雌体化した場合も、女子トイレや更衣室には入れない。そりゃ俺だって興味はあるし、別に見咎められやしないだろうけど。必要以上に緊張し、挙動不審になると確信している。
それでもし、警察まで呼ばれて……尋問中に男に戻りでもしたら……。
想像しただけでゾッとする。
あ、ちょっと涼しくなったぞ。変な汗は増えたけども。
「失礼します。こちら、鱶澤さんのクラスで間違いないでしょうか」
廊下側から、よく通るボーイソプラノ。この学校じゃ聞いたこともない、ばかに丁寧な挨拶だ。振り向くと小柄な少年がいた。
少し長めの、クセのある髪。少女じみた小作りの顔立ちに、甘ったるく垂れた茶色の目。
廊下側席の生徒に促され、教室の中まで入ってくる。知らない下級生――と思ったが、なんとなくその目に見覚えがあった。
「――あれ、モモチだ」
「桃栗?」
「あ、ほんとだ桃ちゃんだ。眼鏡どうしたんだろ。三年の教室に来るとはいい度胸してるっすね」
『青鮫団』団員、モモチこと本名、桃栗太一に、俺は片手を上げてみせた。他のクラスメイト――『青鮫団』に関わりの無い連中は、部外者に怪訝な顔を向ける。二年生、小柄なモモチは特に幼く見える。じろじろと無遠慮な視線がモモチを囲んでいた。
しかし意外にも、モモチは大股で突き抜けてきた。俺たちの前で足を止め、ばっ! と大ぶりの一礼。
「ご無沙汰してます。擦り傷もなくなるまで養生してろと言われ、顔を出せませんでしたが、完治したのでお伺いしました」
上げた顔は晴れやか、ぴかぴか。黒縁のめがねがなくなると、驚くほど美少年面だった。男前というより女顔、ひょろっとした体型のせいもあり、男子校では浮いている。
俺は適当に手を振った。
「そりゃなにより。何だ、挨拶のためだけに三年校舎まで来たのかよ?」
「いえ、それだけじゃなくて。団長……今年の夏は暑いですね」
「……世間話をしに来たのか?」
モモチは再び首を振る。学生服のポケットから、なにやらパンフレットを取り出して。
「この夏休み、海に行きませんか。『青鮫団』のみんなで一緒に」
「海? 浜松のか」
「広島県の無人島です。親戚がそこでペンションを経営してて、二泊三日、タダで泊まらせてくれるって」
「無人島ぉ?」
横から大山がパンフレットを奪い取る。ざっと目を走らせて、さらに怪訝な声を上げた。
「広島って、五、六時間はかかるよな。そんなとこいってどうするんだよ。サバイバル?」
「まさか。定住民がいないだけで、宿や施設の従業員、観光旅行客で賑わってますよ。港からはシャトルフェリーだし、危険なキャンプなんかじゃないですからね」
「なにこれちっさ! 歩いて島一周できるって、霞ヶ丘町くらいか……こんなとこ日本にあるんだな。へー」
小川も覗き込み、興味津々で熟読を始めた。
……おまえら、座ってる俺の前に立つな。顔の位置にちょうど股間が。
それで冷めたってわけじゃないが、俺はあまり気乗りせず、顔を背けた。
海なあ……そりゃ、水遊びでもしたい気温だけどもよ。あんまり人前で裸になりたくないし、遠距離移動も億劫だ。
俺は出不精ってわけじゃないけども、知らない街にいくのは嫌いだった。実は一人でこの霞ヶ丘市から出たこともない。県を出たのも修学旅行くらいのもんだよ。
たぶん、モモチはこないだのお礼のつもりなんだろう。治療費の弁済代わりなのかもしれない。それならカキ氷でも差し入れてくれないかな。しばらく仰いでくれるとか。
くあ、とあくびをひとつ。
再びフテ寝をしようとした俺の耳に、大山の言葉が届いた。
「……天敵の居ない孤島に、持ち込まれたウサギが大繁殖。野生のウサギが千羽、放し飼い状態。通称、『ウサギ島』だって!」
俺は身を起こした。
大山の手からパンフレットを奪い取り、顔面を近づけて凝視、熟読する。
宿の宣伝はハシッコのほうに電話番号だけ。歴史的な建造物もあるようだが、ほとんどの客は、ウサギとのふれあい目当てなんだろう。
パンフレットの画像には、とにかくウサギ。
みんな雑種の野ウサギだ。色とりどりでサイズもばらばら、一枚の写真の中にひしめくウサギウサギウサギ。
俺は叫んだ。
「……す……すーぱーろいやるすとれーともっふー、ふぃーーーばーーーーっ!!」
そして男子校であり、冷房がない。
夏休みも間近に迫った今日この頃……昼休み。
太陽が頂点にある時刻であり、昼飯を食った後。ついでにいえば四時限目は体育。
その条件で、教室がどんな状況になるかはあえて語るまい。地獄絵図とだけ言っておこう。
窓際で、風にはためくトランクスを視界に入れないよう努めながら、俺は呻いた。
「あっづー……七月アタマの気温じゃねえだろう……」
「あづいですね……さすがの団長も猛暑には勝てねえっすか……」
クラスメイトであり、『青鮫団』の団員でもある大山が言う。俺は返事をする気にもなれない。
強いってのは筋肉があるってこと。筋肉は代謝を良くする。つまり静岡最強の男は、静岡で一番暑がりっていうことだ。完敗である。すでに死にそうだ。
「暑がりのわりには、団長て服脱がないっすよね」
こちらも『青鮫団』のメンバー、小川。どっちも長身だが、ゴツくて日焼けしているのが大山、ひょろ長でサラサラヘアなほうが小川である。まあ別に覚えなくてもよろしい。
「俺は上品なんだよ。つかおまえら、パンイチで授業受けるくらいならサボれよな」
「出席日数やばいんす。卒業したいっす」
「夏休みにまで補習にくるのイヤっす。サマーバケーションをエンジョイしたいっす」
「服を着て授業に出るという選択肢は」
「ありえねっす」
「無理っす」
「……もういいや」
俺は諦めてフテ寝した。
ホント言うと俺も、脱いだって構わないんだけどな。
第四日曜日以外の俺は、ごく普通の男のカラダ。赤い髪以外、雌雄同体の宇宙人という要素はない。でもなんとなくな。身内以外に裸体をさらすのはちょっと抵抗あるんだよ。あくまでちょっとだけなので、やむを得なければ脱ぐけども。
雌体化した場合も、女子トイレや更衣室には入れない。そりゃ俺だって興味はあるし、別に見咎められやしないだろうけど。必要以上に緊張し、挙動不審になると確信している。
それでもし、警察まで呼ばれて……尋問中に男に戻りでもしたら……。
想像しただけでゾッとする。
あ、ちょっと涼しくなったぞ。変な汗は増えたけども。
「失礼します。こちら、鱶澤さんのクラスで間違いないでしょうか」
廊下側から、よく通るボーイソプラノ。この学校じゃ聞いたこともない、ばかに丁寧な挨拶だ。振り向くと小柄な少年がいた。
少し長めの、クセのある髪。少女じみた小作りの顔立ちに、甘ったるく垂れた茶色の目。
廊下側席の生徒に促され、教室の中まで入ってくる。知らない下級生――と思ったが、なんとなくその目に見覚えがあった。
「――あれ、モモチだ」
「桃栗?」
「あ、ほんとだ桃ちゃんだ。眼鏡どうしたんだろ。三年の教室に来るとはいい度胸してるっすね」
『青鮫団』団員、モモチこと本名、桃栗太一に、俺は片手を上げてみせた。他のクラスメイト――『青鮫団』に関わりの無い連中は、部外者に怪訝な顔を向ける。二年生、小柄なモモチは特に幼く見える。じろじろと無遠慮な視線がモモチを囲んでいた。
しかし意外にも、モモチは大股で突き抜けてきた。俺たちの前で足を止め、ばっ! と大ぶりの一礼。
「ご無沙汰してます。擦り傷もなくなるまで養生してろと言われ、顔を出せませんでしたが、完治したのでお伺いしました」
上げた顔は晴れやか、ぴかぴか。黒縁のめがねがなくなると、驚くほど美少年面だった。男前というより女顔、ひょろっとした体型のせいもあり、男子校では浮いている。
俺は適当に手を振った。
「そりゃなにより。何だ、挨拶のためだけに三年校舎まで来たのかよ?」
「いえ、それだけじゃなくて。団長……今年の夏は暑いですね」
「……世間話をしに来たのか?」
モモチは再び首を振る。学生服のポケットから、なにやらパンフレットを取り出して。
「この夏休み、海に行きませんか。『青鮫団』のみんなで一緒に」
「海? 浜松のか」
「広島県の無人島です。親戚がそこでペンションを経営してて、二泊三日、タダで泊まらせてくれるって」
「無人島ぉ?」
横から大山がパンフレットを奪い取る。ざっと目を走らせて、さらに怪訝な声を上げた。
「広島って、五、六時間はかかるよな。そんなとこいってどうするんだよ。サバイバル?」
「まさか。定住民がいないだけで、宿や施設の従業員、観光旅行客で賑わってますよ。港からはシャトルフェリーだし、危険なキャンプなんかじゃないですからね」
「なにこれちっさ! 歩いて島一周できるって、霞ヶ丘町くらいか……こんなとこ日本にあるんだな。へー」
小川も覗き込み、興味津々で熟読を始めた。
……おまえら、座ってる俺の前に立つな。顔の位置にちょうど股間が。
それで冷めたってわけじゃないが、俺はあまり気乗りせず、顔を背けた。
海なあ……そりゃ、水遊びでもしたい気温だけどもよ。あんまり人前で裸になりたくないし、遠距離移動も億劫だ。
俺は出不精ってわけじゃないけども、知らない街にいくのは嫌いだった。実は一人でこの霞ヶ丘市から出たこともない。県を出たのも修学旅行くらいのもんだよ。
たぶん、モモチはこないだのお礼のつもりなんだろう。治療費の弁済代わりなのかもしれない。それならカキ氷でも差し入れてくれないかな。しばらく仰いでくれるとか。
くあ、とあくびをひとつ。
再びフテ寝をしようとした俺の耳に、大山の言葉が届いた。
「……天敵の居ない孤島に、持ち込まれたウサギが大繁殖。野生のウサギが千羽、放し飼い状態。通称、『ウサギ島』だって!」
俺は身を起こした。
大山の手からパンフレットを奪い取り、顔面を近づけて凝視、熟読する。
宿の宣伝はハシッコのほうに電話番号だけ。歴史的な建造物もあるようだが、ほとんどの客は、ウサギとのふれあい目当てなんだろう。
パンフレットの画像には、とにかくウサギ。
みんな雑種の野ウサギだ。色とりどりでサイズもばらばら、一枚の写真の中にひしめくウサギウサギウサギ。
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