元勇者との生活

きー子

 ある日の朝。
 ドルトは部下の証言をもとに、市場での聞き込みを行っていた。
 彼のかたわらには常にクロウが付き添っている。

「……付かぬことを聞きますがね、クロウさん。あんた、例の〝銀髪の男〟に勝てる公算はあるんですかね」
「勝算は見込めぬ。断じて真っ向勝負は挑むべからず」
「……頼もしいんだが頼もしくないんだか。頼みますよ、俺は荒事向きじゃないんだ」
「是非に及ばず」

 ドルトの部下たちは手足となって市場の聞き込みに回っている。
 護衛や荒事担当のものはひとりもいない。
『戦力と数えるに能わず』というクロウの一言で切って捨てられたからだ。

「……しかし、クロウさん。あんたほどの腕があるならそう恐れる必要も無いように思えるんですがね?」

 ドルトはクロウと仕事をともにするにあたって彼の出自を調査した。
 いわく、人魔戦争時にどこぞの農家から売り払われた奴隷。
 カルロ・アルファーノは彼の恵まれた体躯に目を付け、洗脳まがいの教育と鍛錬を施し、カルロの命令にのみ絶対服従の専属護衛に仕立て上げたという。

 ドルトもその存在は噂程度に知っていた――が、〝クロウ〟という個人と結び付けることはできずにいた。
 出自からすると彼の腕前は破格だが、その彼はいかにして〝銀髪の男〟の力量を推し量っているのか。

「六人相手で、しかも全員が行方不明ってのは妙ではあるがね。これだけでは情報不足じゃあ……」
「奴隷印」
「……は?」
「奴隷印を消し去る力は魔法の他にあらず」
「……奴隷印が消されたって、あんた、俺はそんな話は何も――――」
「聞くに及ばず」

 クロウのすげない返答にドルトは一瞬唖然とする。
 とはいえ、考えてみればこれは簡単な推測だった。
 クラリッサに刻まれた〝所有の刻印〟が正常に機能していれば七面倒な捜査を行うわけはない。
 ゆえにこそ、〝所有の刻印〟が何らかの理由で働いていないことは必然である。

 しかし奇妙なのは、クロウがその理由を〝魔法〟と断じていることだ。

「……魔法の使い手なんて、早々いるもんじゃあないでしょう? 少なくとも俺はそう聞いたが」
「あり得べからざるとは言えぬ」
「なら、どうしてそんな男がこの片田舎で大人しくしているのですかね。こんなに奇妙な話も無いと思うが」
「身を隠すものは目立ちたがらぬ――して、身を隠している〝魔法〟の使い手となれば言うに及ばず」

 クロウの断言に、ドルトは顔面を蒼白にした。
 身を隠している――姿を消した〝魔法〟の使い手、となれば意味するものはひとつ。

「クロウさん、あんた……〝銀髪の男〟が、その、〝勇者〟だと?」
「語るに及ばず」
「……そんな。それこそ、そんなまさかだ。ありえん。ありえるはずが……」
「信ずるには及ばず」

 おまえの意見はどうでもいい、と言わんばかりにクロウは首を振る。
 彼はもはやそうと信じて疑っていない様子。
 だが、ドルトは断じてそんな話を信じたくはなかった。

 ――その時、部下のひとりがドルトの元に戻って口を開いた。

「ドルトさん、それらしい証言をひとつ拾えましたよ」
「……言ってみろ」
「はい。なんでも、五日ほど前に仕立て屋から出てくるところを見た覚えがある、と。素性などは不明のようで、あくまで目撃証言だけですが……確かめてみる価値はあるかと。こちらが地図です」
「……わかった。引き続き聞き込みを続けろ」
「はっ、了解です」

 部下は命令を聞くやいなや市場に戻っていく。
 本来なら朗報とするべき報告だが――今となってはドルトを大いに尻込みさせていた。

「……クロウさん、その、あんた……本気で、例の男が〝勇者〟だと?」
「二言には及ばず」
「……馬鹿げている! あんた、そんなもんに勝てると思ってるのか!?」

〝勇者〟と〝魔王〟の戦いの壮絶さは王国の片田舎でさえ多くのものが知っている。
 両雄の戦いを題材に選ぶ吟遊詩人は枚挙に暇がないからだ。
 もっとも、彼らが謳う英雄譚はあくまで物語にすぎないわけだが……一説には事実の方がより凄まじいと語られることもある。
〝魔王〟を討ち果たした英雄――という以上に、人間でありながら〝魔王〟を討ち果たした化け物と見なすものも決して少なくはなかった。

「逃げるならば止めはせぬ」
「……ぐっ……」

 相手がもし本当に〝勇者〟であれば命が危ない。
 その危険度はカルロ・アルファーノを遥かに超えるだろう。
 逃げたい、という気持ちは少なからずあった。

 だがそれは取りも直さず、この町で築き上げた功績や地位を全て捨てることを意味する。
 ドルトはクロウを一瞥して声を張り上げた。

「……とにかく、確かめるぞ。身辺が割れれば素性も調べられるはずだ……!」
「是非に及ばず」

 ドルトは部下から受け取った地図に目を落として歩き出す。クロウは影のようにその後をついていく。
 辿り着いたのはごく普通の、そうと知らなければ仕立て屋とも気づかないような建物だった。

「……ここだな。行くぞ」

 クロウは声もなく首肯。
 ドルトはずかずかと大股に歩き出し、その家の扉を荒っぽく押し開いた。

 *

 扉が開くとともに鈴の音が鳴る。
 いらっしゃいませ、と言うよりも早くトリシュは不穏さを感じ取った。

「おまえが店主か」

 開口一番、威圧的にずかずかと詰め寄る黒服の男。

「あぁ、そうだよ。……何の用だい?」

 明らかに堅気の手合いではない。
 トリシュはにわかに身構えながら立ち上がる。

「人を探していてな。聞きたいことがある」
「あいにくだけど、お客様のことは話せないよ」
「そいつが罪人であるとすれば、どうだね?」
「……そうだとしても、私には確かめようがないからね。やっぱり話せないよ」

 と、答えた瞬間。
 トリシュの耳元すぐ近くを剣風が吹き抜けていく。
 ぱさ、と一房の髪が断ち切られて床に落ちた。

「っ……ぶ、物騒だね」
「守秘には及ばず」
「……それは、あんたの決めることじゃないよ」
「さらば命の保証はできぬ」

 赤髪の男は瞬く間に刃を抜き、トリシュの薄皮三寸を突いていた。
 壁に突き立った剣先が軽く浮かされ、冷たい刃が首筋に触れる。

「おまえひとりを殺すことなど造作もないんだ。立場はわかったか? 聞かせてもらうぞ――二十代から三十代、若い女連れの銀髪の男だ。知っているか?」
「……さ、さぁ……知らないね」
「とぼけるな。出入りしているのを見たという証言がある。……痛い目を見なければわからんか?」

 黒服の男がこれ見よがしに拳を振りかざす。
 トリシュはもちろんふたりのことを覚えていたが、このような粗暴な男たちに話すのはあまりにはばかられた。

「手出しには及ばず」
「何を手緩いことを……」

 黒服は赤毛を睨みつける。赤髪は感情のない瞳で黒服を見つめ返した。
 黒服はしぶしぶ拳を下ろして引き下がる。

「これは脅しにあらず」
「……何が、目的なんだい……?」

 トリシュの言葉に返事はない。
 首筋へとわずかに食い込まされた刃、それだけが赤髪の男の意思表明だった。

「これ以上の手心は加えず。さもなくばその命は――――」
「……っ……わかった。話す、話すから、剣を引いてくれるかい……?」

 トリシュは無辜な一般市民だ。昔からこの町に住んでいるというだけで、力も何も持ち合わせてはいない。
 全身をびっしょりと冷や汗に濡らしながら、トリシュは泣く泣くアシュレイについて知り得る限りのことを口にした。
 その中には住所も含まれている――彼とは元々、大家の紹介を通じて知り合ったという経緯があった。

「今のうちに聞いておくが、嘘は無いだろうな? もし嘘が明らかになれば、どうなるかは……」
「わ……私は、嘘はついてないよ。もっとも、私の知ってることが正しいなんて保証も無いけどさ」
「留保には及ばず」
「あいにくだが、俺たちは裏取りを欠くような間抜けじゃない。……下手な考えは起こすなよ」

 赤髪は頭を振って細剣を鞘に納める。
 黒服はフン、と鼻を鳴らして外へと歩き出した。

 扉が閉ざされ、鈴の音が鳴り響く。
 静寂。
 トリシュは半ば腰を抜かしたまま息を吐き――こうしてはいられないと立ち上がる。

 トリシュは無力ではあるが、しかし、良識的な市民であると自認する。
 自らの顧客に危険が迫りつつあることを知ったのだ。これをいち早く伝えに行くのが先決だろう。
 トリシュは〝本日臨時休業〟の看板を店内から持ち出し、店の外に出る。
 ドアノブに看板をかけ、左右を確認するように見渡す。
 粗暴なふたりの姿は見当たらない。

 そして、トリシュが慌てて歩き出したその時。
 後ろから肩を掴まれると同時、冷たい刃が喉仏にひたりと触れた。

「――――ひッ……」
「口外には及ばず」
「っ……か、堪忍しとくれ。私にも、家族が……」

 耳元で聞かされる赤髪の声。
 細剣が横に滑らされれば、トリシュの喉仏はたちまち鮮血を吹き上げるだろう。

「二度とこのような真似はするな。誰にも言うな。外に出るな。アルファーノはおまえを常に見ているぞ。忘れるな」
「……ッ……う、ぁ……は、い……」
「殺しても構わんぞ、クロウさん」
「それには及ばず」

 細剣の刃がゆっくりと離される。かすかな紅が白銀を濡らしている。
 トリシュは恐怖のあまりにへたり込み、その場で尻餅をついた。
 黒服は部下らしい男たちに何かを命じ、赤髪の男と歩み去っていく。
 トリシュは震えながらその背を見送るしかなかった。

 *

 アシュレイはひとり町に繰り出し、一軒の宿を訪ねる。
 そこはレクスから教えられていた宿であった。
 念入りに身体検査が行われた後、主人に部屋を案内される。
 利用中の部屋は一等室であり、またそれ以外の部屋にも人の出入りが多く見受けられる。

 アシュレイがこんこんと扉をノックすると、中から鋭い声が飛んだ。

「誰だ?」
「……俺だ」
「おお、おまえか。入ってくれ。鍵を頼む」

 レクスの明るい声が聞こえ、アシュレイは入室する。
 扉を閉ざして鍵をかければ、レクスは椅子から立ち上がってアシュレイを出迎えた。

「どうだ、アッシュ。気は変わったか?」
「だからその呼び名は……いや、良い。条件を詳しく聞かせてくれ」
「無論構わんさ。ずいぶん前向きになってくれたもんじゃないか」
「……条件抜きには考慮もできん。それだけだ」
「まぁ、取りあえず座ってくれ。積もる話もあるだろ」

 アシュレイとレクスは向かい合わせに腰を下ろす。
 先に話を切り出したのはレクスであった。

「俺はここ数年、各地方の治安維持に出向きながらおまえを探していたんだ。体のいい王の使いっ走りってやつだな」
「……それで将軍閣下がこの田舎くんだりにまで来たわけか」
「名誉職に近いってのが実情だ。とはいえ、それ相応の地位は確約される。おまえが俺の下ってことはまずないぞ。それと……一代限りではあるが、伯爵位が与えられることになる」
「……ずいぶんな厚遇だな」
「信じられないか?」
「……本当であるにせよ、周りの反発は強いはずだ。手放しで喜べる話じゃない」
「懸念はわかるけどな」

 レクスは頷きながらも苦笑する。アシュレイの指摘は事実であった。

「しかしな、おまえの功績と力を鑑みればこの程度の待遇は妥当だぞ」
「……俺を繋ぎ留めておくための餌、か」
「言い方は悪いがそうなるな。――それで、ここからが問題だ」
「……どういうことだ?」

 アシュレイの問いに、レクスは声を潜めて応じる。

「アッシュ。あの娘を連れて行くつもりか」
「……何が言いたい?」
「かっかするな。その言葉でおまえの答えはよくわかった」
「……クレアの存在が俺の弱みになる。他の貴族が付け入る隙になる、と言いたいんだな」

 アシュレイの指摘にレクスは神妙に頷く。
 当然、アシュレイもその可能性について考えていないはずもなかった。

「レクス。頼みがある」
「俺とおまえの仲だ、よほどの無茶でなければ考えてやる。なんだ?」
「おまえと……あるいは、王にだけは俺の居場所を教えて構わない。その代わりに、移住先の手配を頼めないか」
「……移住先ィ?」

 レクスは露骨に怪訝そうな表情をする。
 アシュレイは率直に自らの現状――厳密には、クラリッサが置かれている苦境を一通り話した。
 話を聞いたレクスは得心したように頷く。

「話はわかった。……それで前向きに考えるつもりになったんだな?」
「あぁ。……正直言って、あまり気は進まんが」
「しかしアッシュ、なんだっておまえが破落戸連中に手間取ってるんだ。おまえなら……」
「……下手に事を荒立てれば俺の居場所を喧伝するようなもんだろう」
「……いや全く。それもそうだ」

 レクスは自らの額を軽く叩き、ふぅとちいさく息を吐く。

「聞いたからには放っておけん話だ。アルファーノとやらには俺から手を回してみよう」
「……すまん。恩に着る」

 アシュレイはレクスを真っ直ぐと見据え、深々と頭を下げる。
 レクスは笑ってひらひらと掌を振った。

「そういうのは無しにしようぜ。……おまえがあの娘を大切に思っていることはよーくわかった。できれば政治に近付けたくないってこともな」
「……できれば教育は受けさせてやりたいと思うんだがな」
「そりゃ無茶だ、アッシュ。大学と政治は不可分だぞ」
「……ままならんな」

 もっとも、それらはアシュレイが決められることではない。
 クラリッサ自身が望むなら、アシュレイはそれを可能にするよう尽力するつもりでいるし――そのためには、広い世界や数多ある可能性への見聞を広げてやる必要もある。
 だがそれは、自由が制限された状態ではあまりに難しいことだった。

「――真面目な話はここまでにして、どうだアッシュ。この機会に一杯やっていかないか」
「いや。……すまんが、あまりひとりにしておくのも不安だ。そろそろ御暇するよ」
「……おまえ、その甲斐性をどうしたってパーティの連中に発揮できなかったんだ?」
「俺に甲斐性があるわけないだろ……」

 無職で酒浸りで精神をやっていて、挙句の果てには十歳近くも年下の少女の言葉に救いを見出す様はまさに四重苦。
 控えめに言ってもダメ人間そのものである。

「つまりだ。あの娘が甲斐性なしのおまえを変えたということか」
「……さあな」

 レクスはいかにも愉快げに笑みを浮かべる。
 アシュレイは嘆息して立ち上がり――彼の言葉を否定できないままに――部屋を辞した。

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