元勇者との生活

きー子

買い物

「……どうした。怖気づいたか」
「い、いえ、そういう……わけでは、ないん、ですが……」
「なら早く出ろ」
「あ、ちょっ、その持ち方やめっ……あーっ!?」

 私は襟の後ろを掴まれながら部屋の外まで連れ出される。
 これでは子ども扱いどころか家猫も同然だった。

 外はこれでもかというほど明るい晴天。
 時刻はまだ昼前にもなっていない。この時間にアシュレイさんが起きていたのはたぶん初めてだった。

「……あまり大声は出すな。声は誤魔化せん」
「……は、はい……」

 私はアシュレイさんの影に隠れるように付いていく。
 今の私の服装は長袖のシャツに膝丈くらいのハーフパンツ。頭から鳥打帽キャスケットを目深にかぶり、顔の半分くらいを隠している。
 少し怪しげな風貌かもしれないが仕方ない。
 ……すごく恥ずかしがりってことでなんとかならないかな。
 無理か。

 部屋を出て、階段を降りたところで私たちは大家さんと鉢合わせした。

「あ――おはようございます、アシュレイさん……に、クレアさん」
「あぁ、おはようさん」
「珍しいですね、こんな朝早くに。どういう風の吹き回しです?」
「こいつの買い物にな」

 アシュレイさんはぽん、と私の帽子に手のひらを乗せる。

「それはそれは。それでまともな格好をする気になったんです?」
「……まぁ、一応は保護者だからな」

 まともな格好、と私はアシュレイさんを見上げる。
 服装は洗いたてのシャツとズボンに革の上着を羽織ったくらいで、いつもとそんなに変わらないけれど――

「……どうした」

 その時、アシュレイさんが私のほうを振り返る。
 私はその顔を見て思わず呆気にとられてしまった。

「……なに間抜けな顔してんだ」
「え、あ、いえ……あの……」

 私は驚きのあまりにぱちぱちとまばたきする。
 改めてアシュレイさんの顔を目の当たりにすれば――いつもの気だるげな顔付きとはまるで一変していた。

 太陽の下で銀の髪はまばゆく見え、お酒が抜けた顔の肌色はまるで陶磁器のように白く鮮明。
 顎周りの無精髭は綺麗さっぱり剃り落とされて影も形もない。
 青く鋭い眼差しだけがそのまま、私の瞳を覗きこむようにすぅっと細められる。
 ……見違えた、とはこのことだろうか。
 肌の色艶も良く、三十歳前後に見えた姿が一気に十年分くらい若返ったようだった。
 下手をすれば、髪を切った私より前後の印象が違うかもしれない。

「……あ、アシュレイさん」
「なんだ」
「そ……そんな顔だったんですね……!」
「……どんな面に見えてたんだ俺は」
「老けてました」
「だいぶ失礼だなおまえは」
「……アシュレイさんがだらしないからです」
「……まぁ、そうだな」

 アシュレイさんは気だるげにがしがしと頭を掻く。そんな仕草ばかりはちっとも変わりがない。
 大家さんがくすくすと含み笑いを漏らしている。

「少し安心しました。上手くやってるみたいですね」
「……上手くいってるのかは知らんがな」
「アシュレイさんも少しは落ち着いたみたいですし。クレアさんのおかげかもしれませんね?」
「……い、いえ、恐縮です……」

 ぺこり、とちいさく頭を垂れる。
 本名のクラリッサとは別に、ということで大家さんもその呼び方で通してくれていた。

「――あ、引き止めてしまいましたね。どうぞいってらっしゃい」
「あぁ」
「……い、行ってきます」

 私はまだ先ほどの衝撃を残したままアシュレイさんの後をついていく。
 顔が隠れるように少しうつむいていれば、アシュレイさんの手が不意に私をぐっと引き寄せた。

「っ、あわっ」
「……不安なら近くにいろ。誰かにぶつかっても面倒になる」
「……は、はい」

 私は促されるがままにアシュレイさんの服を掴む。
 帽子を目深にかぶると視界も狭まるわけで、下手なことをするよりは彼に任せたほうが良かった。

 ここ――港町エルヴァは大きな市場を中心にして広がっている。道の多くは入り組んだ細い路地で、中央道だけは馬車が通れるくらい広い。
 狭い道にも人通りはそこそこあり、注意していないと危ない目に遭うことは少なくなかった。

「……あの、アシュレイさん」
「どうした」
「……大家さんって、どういう関係……です……?」
「どうもこうもないが――……あぁ、あの人の世話焼きか」
「……は、はい」
「別にどうってこともない。あの人既婚だからな」
「えっ」

 驚きのあまりに声が出る。
 そ、そうだったんだ……いや、それもそうだった。若い女の人で、綺麗で、それこそ結婚していたって別に何もおかしくない。

「俺の入居前にちょっとした厄介事があった。その縁で今も世話になってる。……っても、家賃は払ってるから気にするな。それだけだ」
「……わ、わかりました。いえ、なんか、その、すみません……」
「……なんで謝る」

 良い仲なのかな、とか薄ぼんやり考えていたのが馬鹿みたいである。
 私が邪魔になったりするのでは……とか心配する必要ぜんぜんなかった。

「いえ、なんでもないんです……えっと、今からはどこに……?」
「仕立て屋だ。……市場の隅だな、そう人目には付かんはずだ」
「……そうでしたか。……あの、一度仕立て屋さんに連れて行かれたことがあるんですが、もし同じところだったら……」
「……そうか、そういう可能性もあったか。……都合が悪けりゃ別の所を当たろう」
「……あ、ありがとうございます」

 市場には出来合いの服がよく売られているが、これらはほぼ全て古着である。
 それで全く問題ないと言えば無いのだけれど、サイズが合っていなかったりするため、後で縫い直すことになる。
 他に残る選択肢は、被服屋で直接仕立ててもらうのみ。
 私を見栄えよくするための服もそうして仕立てられたものだった。

 細い路地を出て市場に近づく。少し離れた場所からでもにぎやかな喧騒が届く。
 建物に遮られていた陽の光が降りそそぎ、街路をまばゆく照らし出している。

「人が多いな。……はぐれるなよ」
「……わ、わかってます」
「……後、あまり服を引っ張るな」

 アシュレイさんはそう言って掌を差し出す。
 触れられた時の印象よりずっとしなやかで、すらっとした感じの指先。
 私はその手を一瞬見つめ、思わずアシュレイさんを見上げる。
 いつもとは違って研ぎ澄ました刃のような雰囲気の面差し。

「……どうした」
「い、いえっ!」

 手を伸ばし、指先を重ね、彼の掌をぎゅっと握る。
 やはり見た目よりもごつごつとしていて、あったかい温度が伝わってくる。
 初めての時は無我夢中で走っていたせいで気づかなかったけれど――アシュレイさんの手は、私のそれをすっぽりと包み込んでしまうくらい大きかった。

「……離すなよ。走れるように準備しとけ」
「……逃げる時のため、ですか……?」
「そうだ。……まぁ、一応な」

 アシュレイさんはふっと表情を緩めて気が抜けた笑みを浮かべる。
 どこか見る人を安心させるような表情。

「じゃあ、行くか」
「……は、はい!」

 私はそのまま手を引かれるようにゆっくりと歩き出す。
 ……歩幅、合わせてくれてる――と気づいたのは、私が下ばかり見ていたせいだった。

 *

 その店は市場の隅っこにたたずんでいた。
 建物は木骨造で、壁は石や漆喰で埋められている落ち着いた店構え。
 というか、一目見ただけでは仕立て屋さんと気づけなかった。

「……ここだ。見覚えは?」
「い、いえ。たぶんですが、記憶には……」
「なら、行くか」

 アシュレイさんに手を引かれながら店の中へ。
 鳴り響く鈴の音。天井から陽の光が差し込む店内。
 かすかな木の香りが匂い立ち、店の奥には見本の服を着せられた人形がずらりと列をなしている。
 見た限り他のお客さんの姿は見当たらない。

 店の入口近くには細長いテーブル状の仕切り。
 その向こう側には妙齢の職人さんらしい人が手元の生地に針を滑らせている。
 アシュレイさんが店内に入ると、彼女はふと顔を上げた。

「おや、アシュレイさん、珍しいじゃないか。どうしたんだい、そんなましな格好して?」
「……よくわかったな――というか、よく覚えてるな」
「ハハッ、こちとら客商売だからね。一度来た顔は忘れないよ……で、その子は?」

 職人さんの視線が私に向けられる。
 私は思わずアシュレイさんの後ろに隠れ――

「ここでは隠れんでいいから」
「……は、はい、すみません……」

 ずるずる、と引きずられるように前に引き出される。
 私はおそるおそる帽子を上げ、彼女の前で頭を下げた。

「……親戚の娘で、わけあって預かっている」
「く、クレアです。よろしくお願いします……」
「私はトリシュだよ。クレアちゃんね、はいよろしく――てことは、今日の用はそっちかい?」
「……あぁ。まずは採寸を頼めるか」
「はいよ。じゃ、クレアちゃんこっちに来てくれるかい?」

 私は言われるがままおずおずと前に出る。
 トリシュさんは手にした巻き尺を私の身体に当て、あっという間に寸法を測り終えた。

「はいおしまい。で、どういうのが欲しいんだい。舞踏会とか出てみる?」
「……ふ、ふつうので。こう、普段遣いできるやつでお願いします」
「あらそう? じゃあ、見本から好きに選んでちょうだい。一からデザインするってのもあるけど……どうする?」

 一から、と言われてもピンと来なかった。そういうのは大事に着るもので、あまり普段着にはできないような気もする。

「……見本、見てみるか」
「……は、はい。見てみたいです」
「はいよ。それじゃあ、ゆっくり見ていってちょうだいな」

 トリシュさんは微笑んで私の背中をぽんと叩き、テーブルの向こう側に戻っていく。
 というわけで私は、ずらりと並べられた見本をアシュレイさんと見て回ることにした。

 端から端まで見ていくとざっと三十着くらいになるだろうか。
 遠くからは色とりどりの紋様みたいにしか見えなかった服も、近くで見ればひとつひとつの違いがはっきりとわかる。

「……どうだ。気に入ったのはあるか」
「……えー……っと……」

 どういうものがあるかはわかった。
 けれど、その中から選ぶという段になると迷いが生じる。
 それはたくさんありすぎて困るとか、絞りきれないとか、そういう理由ではなくって――――

「選べんか」
「…………は、はい」

〝選ぶ〟という行為を迫られると、急にどうしていいかわからなくなってしまう。
 家事とか、そういうことは簡単だ。やり方は決まりきっているし、教えられた通りにやればいい。他に悩むことなんて無い。
 じゃあ、服を選ぶのは? 今までは言われるがまま押し付けられた服を着ていたけれど――そうではなくなった今、どうすれば良いんだろう。

「……なんなら目に付いたもの全てでも良いが」
「それはあまりにもあまりなのでは……?」
「俺はそれでもいい。……だが、どうするかはおまえが決めろ」

 ……きびしいな、と思った。
 ある意味、他のどんな一言よりも厳しいと思った。

「……アシュレイさんは、どういうのがお好きですか」
「俺に基準を委ねるな」
「……アシュレイさんが厳しい……」
「すまんな」

 アシュレイさんは謝っても撤回はしなかった。
 いつも鋭い瞳はかすかに和らぎ、私をじっと見つめている。

「おまえは自分で様々なことを選び取れる。だが、それは何かを選ばなければならないということでもある。……俺の価値基準にただ従うのは、依存するのは、あまり良いことじゃない」
「アシュレイさんはお酒に依存してるのに……」
「……そこは言わんでくれ」

 アシュレイさんは痛いところを突かれたという顔で苦笑い。
 してやったりという気持ちになるけれど状況はまるで進展していなかった。

「……目をつむって適当に指差したもの、とかでも良い。クレアがそれで後悔しないのなら……いや、後悔したとしても、それはひとつの選択の結果だ。成功も失敗もありはしない」
「……はい」

 ――成功も、失敗もない。
 そう言われると少し気分が落ち着く。
 私は見本をぐるりと眺め、いくつかの服を選んだ。

 空色と灰青色のワンピース、清潔感のある白いシャツに汚れの目立たない濃紺色や黒色の下衣を数着。
 ……洒落っ気なんて無い、というかアシュレイさんの真似も入っているけれど、これくらいならきっと許してくれるはず。

「良いのか。そんな地味で」
「……いいんです。いいったらいいんです。これ以上考えたら頭が爆発しそうです」
「……わかった。すまんな、急に困らせて」

 頑張ったな、と。
 アシュレイさんはそう言って私の頭をぽんと撫でた。
 本当に何気ないこと、何気ない言葉のはずなのに、胸の奥にじんわりと熱が灯る。

「じゃあ、ちょっと待ってろ。話つけてくる」
「……は、はい」

 アシュレイさんはトリシュさんのところに行って商談を始める。
 私は壁にもたれかかり、頭を空白にして見本の人形たちをぼーっと眺める――熱くなった頭が緩やかに冷えてくる。
 アシュレイさんは程なくして私のところに戻ってきた。

「……待たせたな。一週間も経てばできるそうだ」
「あ、ありがとうございます」
「……少し疲れただろ。今日は外で何か食べるか――」
「……あ、あの」
「どうした?」

 アシュレイさんは伸ばしかけた手を止めて私を見下ろす。
 私は改めて見本の人形を見渡し、アシュレイさんの顔を見上げて言った。

「……アシュレイさんは、この中だと、どういうのが好きですか」
「…………聞いてどうする」
「……ちゃんとした理由はないです。知りたいだけです」

 そうとしか言いようがなかったので率直に言う。
 アシュレイさんは細い眉をたわめて少し考え、おもむろに見本のひとつを指差した。

「……これだな」

 色合いは少し青みがかったような目映い白。
 半袖に膝上くらいの丈で、首周りは丸く縁取られている。
 目立った飾りはほとんど無く、胸元や腰の高さに沿って薄い青を引き立てるような白いラインが走っている。
 私は思わず惹きつけられるみたいにそれをじっと見て――――

「……私が選んだやつじゃないですか」
「……そうだな」
「……私に合わせてとかじゃないです……?」
「むしろ俺はおまえが合わせたんじゃないかと半信半疑だが……」
「……き、聞いてなかったんだからわかるわけないです」
「そうだな。……そういうことにしよう」

 蒸し返すのは無しだ、とアシュレイさんはかすかに笑う。しなやかな手がまた私の頭をぽんと叩く。
 内心を見透かされていたようでなんだか気恥ずかしい。まともに顔を見られず、私はアシュレイさんに手を引かれるがまま歩き出す。
「ふたりとも、また贔屓にしてちょうだいな――」というトリシュさんのにこやかな声ばかりが私たちを見送っていた。

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