迷探偵シャーロットの難事件
CASE0-1 プロローグ
その事件は、門田木市のとある豪邸で発生した。
時刻は夕方。しかし夕焼けは望めず、鈍色の分厚い雲が窓から見える空全体を覆い尽くしている。遠くが白く霞んで見えるため、もうしばらくすると雨も降ってくるだろう。
豪邸の執務室。
趣あるアンティークな調度品が数多く置かれた広い室内には、十人以上の人々が集められていた。邸の主人たる貿易を営む大会社の社長とその妻、秘書、邸で働いている執事とメイドたち――つまり、この豪邸内にいる全ての人間である。
皆が皆、重苦しく神妙な雰囲気で顔を見合わせながら、目の前に並んでいる紺色を基調とした背広タイプの制服を纏っている者たち――警察官の発言を待っていた。
制服ではなくベージュのスーツを着ている女性刑事が一人いるが、彼女は口を閉ざしたまま喋り始めようとはしない。
彼ら以外の、もう一人。
「皆さんに集まっていただいたのは他でもありません。今回の事件の犯人がわかりました」
警察が関与する事件現場にはとても似つかわしくない、高校の制服を纏った少年が一歩前に出てそう告げた。
整った顔立ちに自信と余裕のある表情。勿体ぶるような斜に構えた態度で少年はこの場にいる全員を見回す。
「もうお気づきでしょうが、犯人はこの場に集まっていただいた皆さんの中にいます」
ざわざわと集まった人たちが静かに騒ぎ始める。すると小太りの男が胡散臭そうに少年を睨んだ。この邸の主――貿易会社の社長だ。
「おい刑事さん、誰なんだねこの少年は?」
「はっ! 彼は杜家偵秀と言いまして、まだ高校生でありますが、我々警察に協力してくれている歴とした探偵であります!」
女性刑事がはきはきとした口調で紹介すると、少年――杜家偵秀の名前を聞いた若いメイドたちが黄色い声を上げた。
「杜家偵秀って、あの高校生でイケメンな名探偵の!?」「難事件をいくつも解決したっていう」「そう言えばテレビで見たことあるわ!」「うわ、あとでサイン貰わなくちゃ」「妹が大ファンなの! あたしもだけど!」
きゃっきゃと騒ぐ若いメイドたちに、偵秀は若干鼻を高くしながら手で落ち着くように指示した。
「お静かに。まず、犯人が使ったトリックについてです。まあ、これはトリックとも言えない簡単な方法でしたが」
メイドたちが息を飲む気配が伝わる。偵秀は警察官の一人から一枚の用紙を受け取ると、それを皆に見えるように執務机の上に広げた。
「この邸の間取り図です。犯行現場はここ。周囲を植木に囲まれた東端の部屋になります。犯人はこの地形を利用して忍び寄り、そして犯行に及んだ後で消えるように逃走したのです」
「前置きはいい。さっさとその方法とやらと犯人を教えろ」
小太りの社長が偉そうに髭を摩りながら少年を促した。ペースを崩された偵秀は溜息混じりに肩を竦める。
「わかりました。犯人が使ったトリックは――」
「冷凍バナナですね!」
神妙な空気を吹き飛ばすような明るい声が響いた。
「凍らしたバナナは釘も打てるといいます。犯人さんはそれを使ってゴツン! と後ろから被害者さんを殴ったんです。凶器のバナナが残っていないのは犯人さんが食べてしまったからでしょう。間違いありません!」
この場にいる全員の視線が一点に集中する。そこには虫眼鏡を片手に四つん這いの格好で執務机周辺を調べている少女がいた。
「ですが、証拠というものはそう簡単には消せないのです。ふふふ、この名探偵の推理だとたぶんこの辺に被害者さんを殴った時に飛び散ったババナの破片が……」
茶色いチェック柄の帽子に同じデザインのガウン。絹糸のように細く艶やかなゴールデンブロンドは薄暗い部屋を照らしているかのごとく目立ち、ミルク色の肌も光り輝いているように見える。背丈は下手すると小学生と見間違われ兼ねないほど小柄だが、着ている制服は少年と同じ高校のものだった。
「むむむ、変ですね。見当たりません。机の上にフルーツバスケットがあったので絶対に落ちてるはずなんですが……」
おしりをフリフリさせてスカートが大変危なげな状態になっているのだが、彼女は全く気にもせず証拠品を探している。
「あっ、ありました! バナナの白いスジが椅子の下に! ふふふ、これで確定しましたね」
なんか白くて小さい物体を拾って飛び跳ねるように立ち上がった少女は、その青い瞳に自信満々の輝きを宿してビシッと指差した。
「社長さんを殺害した犯人は――このフルーツバスケットを運んできたメイドさん! あなたでぶふっ!?」
金髪のちっこい脳天にチョップが振り下ろされた。
「な、なにするんですかテーシュウ!?」
「やかましい!? トンチンカンな推理を自信満々に語るな!?」
頭を押さえた涙目で訴えかけてくる少女に偵秀は片眉をピクつかせて怒鳴った。
「お前なんにも聞いてなかっただろ!? 社長さん生きてるから!? メイドさんも殺人犯なんかじゃねえから!? そのバナナの残り滓も普通に社長さんが食った跡だから!? あとそもそもの話これ殺人事件じぇねえから!?」
「殺人事件じゃない? ……むむむ、それは難事件ですね」
「もう解決してるから!? 女子更衣室を盗撮していた犯人は執事長の艮金次さんで、簡単なワイヤートリックで庭の木から二階のベランダに飛び移って逃げてたんだよ!? 金次さんの部屋のパソコンを調べれば盗撮画像がわんさか出てくるはずだ!?」
後ろで女性刑事が「確保でありますッ!」と叫んで警官たちが執事長に飛びかかっているがもうどうでもいい。執事長が「ぼ、僕はただスクリーンショットを保存してただけなんだー!?」とわけのわからん供述をしているが、もはや偵秀の眼中にはない。
あるのは推理を台無しにしてくれた少女に対する憤怒である。
「まったく、お前よくそれで探偵を目指すとか言えてるな。今度から名探偵じゃなくて迷探偵を自称したらどうだ?」
「すみませんテーシュウ! 発音だけじゃなにが違うのかわかりません!」
「迷う探偵と書いて迷探偵だ!」
「ほわっ!? て、ててて撤回してください!? それはホームズ家の人間に対する最大級の侮辱ですよ!?」
「お前が撤回できる推理力を見せたら考えてやる」
腕組して見下す偵秀を、涙目の少女は「ぐぬぬ……」と歯噛みして見上げるだけで反論はできなかった。
と――
「ぼ、僕は、まだ捕まるわけにはいかないんだーッ!?」
警察官を振り払った執事長が必死の形相で偵秀たちの方へと駆けてきた。その手には果物ナイフが握られており、狂気に染まって血走らせた両目は確かに偵秀をロックオンしている。
「お前さえ、お前さえいなければぁあッ!?」
「ちょっ!? お前らちゃんと捕まえとけよ!?」
気圧された偵秀は足が縺れて尻餅をついた。目の前には飛びかかる男と、ギラリと光る果物ナイフ。盗撮事件が本当に殺人事件にシフトする数秒前。
やばい!
やばい! やばい!
やばいやばいやばいやばいやばいやばい!
警官たちは間に合わない。女性刑事なんて偵秀と同じように腰を抜かしている。ナイフの輝きが明確な『死』を告げてくる。
こういう暴力物は偵秀の専門外。ろくに抵抗もできず殺される自分を幻視した次の瞬間だった。
「テーシュウ危ない!?」
振り被られたナイフが小さな手で手首ごと弾かれた。続いて執事長は足を払われ、バランスを崩したところでその腕ががっしと力強く掴まれる。
小学生のような体格の少女に。
「はああああああっ!!」
執事長は、そのまま少女の気合いと共に一本背負いで投げ飛ばされた。小柄な見た目からは想像もできない見事な力技だった。
「大丈夫ですか、テーシュウ?」
「いや、大丈夫じゃないな。あの人が」
偵秀は壁に顔面から激突して失神した執事長に気の毒な視線を送った。頭はアホの子なのに体術だけは怪物じみている少女に軽く恐怖すら覚える。
ただし――
「ふふふ、これは一つ貸しですからね」
こうやって無意味に控え目な胸を張る彼女を見ていれば、そんな恐怖なんて一瞬で吹き飛んでしまうのだった。
彼女の名前はシャーロット・ホームズ。
杜家偵秀がこのポンコツ探偵と出会ったのは、四月も半ばほど過ぎたとある穏やかに晴れ渡った日のことだった。
時刻は夕方。しかし夕焼けは望めず、鈍色の分厚い雲が窓から見える空全体を覆い尽くしている。遠くが白く霞んで見えるため、もうしばらくすると雨も降ってくるだろう。
豪邸の執務室。
趣あるアンティークな調度品が数多く置かれた広い室内には、十人以上の人々が集められていた。邸の主人たる貿易を営む大会社の社長とその妻、秘書、邸で働いている執事とメイドたち――つまり、この豪邸内にいる全ての人間である。
皆が皆、重苦しく神妙な雰囲気で顔を見合わせながら、目の前に並んでいる紺色を基調とした背広タイプの制服を纏っている者たち――警察官の発言を待っていた。
制服ではなくベージュのスーツを着ている女性刑事が一人いるが、彼女は口を閉ざしたまま喋り始めようとはしない。
彼ら以外の、もう一人。
「皆さんに集まっていただいたのは他でもありません。今回の事件の犯人がわかりました」
警察が関与する事件現場にはとても似つかわしくない、高校の制服を纏った少年が一歩前に出てそう告げた。
整った顔立ちに自信と余裕のある表情。勿体ぶるような斜に構えた態度で少年はこの場にいる全員を見回す。
「もうお気づきでしょうが、犯人はこの場に集まっていただいた皆さんの中にいます」
ざわざわと集まった人たちが静かに騒ぎ始める。すると小太りの男が胡散臭そうに少年を睨んだ。この邸の主――貿易会社の社長だ。
「おい刑事さん、誰なんだねこの少年は?」
「はっ! 彼は杜家偵秀と言いまして、まだ高校生でありますが、我々警察に協力してくれている歴とした探偵であります!」
女性刑事がはきはきとした口調で紹介すると、少年――杜家偵秀の名前を聞いた若いメイドたちが黄色い声を上げた。
「杜家偵秀って、あの高校生でイケメンな名探偵の!?」「難事件をいくつも解決したっていう」「そう言えばテレビで見たことあるわ!」「うわ、あとでサイン貰わなくちゃ」「妹が大ファンなの! あたしもだけど!」
きゃっきゃと騒ぐ若いメイドたちに、偵秀は若干鼻を高くしながら手で落ち着くように指示した。
「お静かに。まず、犯人が使ったトリックについてです。まあ、これはトリックとも言えない簡単な方法でしたが」
メイドたちが息を飲む気配が伝わる。偵秀は警察官の一人から一枚の用紙を受け取ると、それを皆に見えるように執務机の上に広げた。
「この邸の間取り図です。犯行現場はここ。周囲を植木に囲まれた東端の部屋になります。犯人はこの地形を利用して忍び寄り、そして犯行に及んだ後で消えるように逃走したのです」
「前置きはいい。さっさとその方法とやらと犯人を教えろ」
小太りの社長が偉そうに髭を摩りながら少年を促した。ペースを崩された偵秀は溜息混じりに肩を竦める。
「わかりました。犯人が使ったトリックは――」
「冷凍バナナですね!」
神妙な空気を吹き飛ばすような明るい声が響いた。
「凍らしたバナナは釘も打てるといいます。犯人さんはそれを使ってゴツン! と後ろから被害者さんを殴ったんです。凶器のバナナが残っていないのは犯人さんが食べてしまったからでしょう。間違いありません!」
この場にいる全員の視線が一点に集中する。そこには虫眼鏡を片手に四つん這いの格好で執務机周辺を調べている少女がいた。
「ですが、証拠というものはそう簡単には消せないのです。ふふふ、この名探偵の推理だとたぶんこの辺に被害者さんを殴った時に飛び散ったババナの破片が……」
茶色いチェック柄の帽子に同じデザインのガウン。絹糸のように細く艶やかなゴールデンブロンドは薄暗い部屋を照らしているかのごとく目立ち、ミルク色の肌も光り輝いているように見える。背丈は下手すると小学生と見間違われ兼ねないほど小柄だが、着ている制服は少年と同じ高校のものだった。
「むむむ、変ですね。見当たりません。机の上にフルーツバスケットがあったので絶対に落ちてるはずなんですが……」
おしりをフリフリさせてスカートが大変危なげな状態になっているのだが、彼女は全く気にもせず証拠品を探している。
「あっ、ありました! バナナの白いスジが椅子の下に! ふふふ、これで確定しましたね」
なんか白くて小さい物体を拾って飛び跳ねるように立ち上がった少女は、その青い瞳に自信満々の輝きを宿してビシッと指差した。
「社長さんを殺害した犯人は――このフルーツバスケットを運んできたメイドさん! あなたでぶふっ!?」
金髪のちっこい脳天にチョップが振り下ろされた。
「な、なにするんですかテーシュウ!?」
「やかましい!? トンチンカンな推理を自信満々に語るな!?」
頭を押さえた涙目で訴えかけてくる少女に偵秀は片眉をピクつかせて怒鳴った。
「お前なんにも聞いてなかっただろ!? 社長さん生きてるから!? メイドさんも殺人犯なんかじゃねえから!? そのバナナの残り滓も普通に社長さんが食った跡だから!? あとそもそもの話これ殺人事件じぇねえから!?」
「殺人事件じゃない? ……むむむ、それは難事件ですね」
「もう解決してるから!? 女子更衣室を盗撮していた犯人は執事長の艮金次さんで、簡単なワイヤートリックで庭の木から二階のベランダに飛び移って逃げてたんだよ!? 金次さんの部屋のパソコンを調べれば盗撮画像がわんさか出てくるはずだ!?」
後ろで女性刑事が「確保でありますッ!」と叫んで警官たちが執事長に飛びかかっているがもうどうでもいい。執事長が「ぼ、僕はただスクリーンショットを保存してただけなんだー!?」とわけのわからん供述をしているが、もはや偵秀の眼中にはない。
あるのは推理を台無しにしてくれた少女に対する憤怒である。
「まったく、お前よくそれで探偵を目指すとか言えてるな。今度から名探偵じゃなくて迷探偵を自称したらどうだ?」
「すみませんテーシュウ! 発音だけじゃなにが違うのかわかりません!」
「迷う探偵と書いて迷探偵だ!」
「ほわっ!? て、ててて撤回してください!? それはホームズ家の人間に対する最大級の侮辱ですよ!?」
「お前が撤回できる推理力を見せたら考えてやる」
腕組して見下す偵秀を、涙目の少女は「ぐぬぬ……」と歯噛みして見上げるだけで反論はできなかった。
と――
「ぼ、僕は、まだ捕まるわけにはいかないんだーッ!?」
警察官を振り払った執事長が必死の形相で偵秀たちの方へと駆けてきた。その手には果物ナイフが握られており、狂気に染まって血走らせた両目は確かに偵秀をロックオンしている。
「お前さえ、お前さえいなければぁあッ!?」
「ちょっ!? お前らちゃんと捕まえとけよ!?」
気圧された偵秀は足が縺れて尻餅をついた。目の前には飛びかかる男と、ギラリと光る果物ナイフ。盗撮事件が本当に殺人事件にシフトする数秒前。
やばい!
やばい! やばい!
やばいやばいやばいやばいやばいやばい!
警官たちは間に合わない。女性刑事なんて偵秀と同じように腰を抜かしている。ナイフの輝きが明確な『死』を告げてくる。
こういう暴力物は偵秀の専門外。ろくに抵抗もできず殺される自分を幻視した次の瞬間だった。
「テーシュウ危ない!?」
振り被られたナイフが小さな手で手首ごと弾かれた。続いて執事長は足を払われ、バランスを崩したところでその腕ががっしと力強く掴まれる。
小学生のような体格の少女に。
「はああああああっ!!」
執事長は、そのまま少女の気合いと共に一本背負いで投げ飛ばされた。小柄な見た目からは想像もできない見事な力技だった。
「大丈夫ですか、テーシュウ?」
「いや、大丈夫じゃないな。あの人が」
偵秀は壁に顔面から激突して失神した執事長に気の毒な視線を送った。頭はアホの子なのに体術だけは怪物じみている少女に軽く恐怖すら覚える。
ただし――
「ふふふ、これは一つ貸しですからね」
こうやって無意味に控え目な胸を張る彼女を見ていれば、そんな恐怖なんて一瞬で吹き飛んでしまうのだった。
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