ひとりよがりの勇者

Haseyan

第六話 また一歩、戻れぬ道を

 この光景には見覚えがある。最初は王都で目覚め、初めてレオンたちと出会ったあの日。エリアスは自分が今まで知ることも無く、関わるはずも無かった世界に閉じ込められ、何も抵抗することなどできなかった。
 その後も定期的に猫耳ばかとエルフに無理やり連れ込まれたりして。しかし、今の少女としての人生を、ある程度は、受け入れて多少はその世界にも慣れ始めていた。
 それまではあくまで仮の肉体、いわば使い捨ての道具にすぎないと、どこかで考えていた少女の体は。今ではエリアス自身なのだと認識して、無謀な行いは慎むようにした。

 だから、多少ならば素直に受け入れよう。それでスカートやら何やら、ひらひらした服装にされるのは勘弁だが、地味めな女物であれば身に纏おう。どうしても。どうしても必要に迫られたのなら、それ以上も妥協しないことは無い。
 それぐらいにはエリアスも諦めが付いている。だが、今目の前に広がる更なる深淵は明らかに許容範囲外だ。

「別にっ! これじゃなくても問題ねえだろ!? 俺だって普通に泳げるぞ!」

「いつもの装備で水に飛び込んだら重すぎて動けないでしょ?」

 耳元でソラが暴れるエリアスを論する。彼女の身体能力で羽交い絞めにされてしまえば、エリアスに脱出する術は無かった。首をどうにか回してソラを睨み付ける──そうやって正面の景色から全力で目を逸らしつつ、エリアスは吠えた。

「大体、あんな軽装で戦えねえだろ! は、肌とか、ほとんどむき出しで守りもくそもねえぞ!?」

「問題ありません。近年開発された技術でこれには守りの術式が刻まれていますから。一定以上の速度で何かが迫ってくると、魔力を吸い上げて自動的に迎撃してくれるんですよ」

「クソッタレ、誰だ! そんな機能作りやがったのは!」

 一体どこの誰かは知らないが、余計なものを生み出してくれたものだ。エリアスとしてはもっと性能面を重視してほしい。耐水性を重視するにしても、全身を丈夫な素材でぴっちりと覆う方が安全だろう。
 確かに見栄えは相当悪くなるだろうが、命には代えられない。いくら体が少女のものとなろうと、エリアスの思考までもがすぐに変化したりはしないのだ。

「確かに斬撃などには弱いですけど、耐衝撃ではこちらの方が優れてますよ?」

「そういう問題じゃねえ!」

 だから、今のエリアスにそれは受け入れられない。他人が身に着けているぶんには構わない。しかし、それを。あまりに生地の面積が少ないそれを。内面は男のままであるエリアスにはあまりに抵抗のあるそれを。

「あたしは似合うと思うんだけどなー」

「それ以前の問題だーっ!」

 セレナの手の中にある、青いビキニなど着られるわけがない。例え客観的に正常な光景だとしても、それを実際に身に着けるエリアスが堪え切れるわけが無かった。しかもどこに視線を向けようと、視界に飛び込むのは女性の水着ばかり。内心、場違い感で満たされてかなり気まずい。

「やっぱり目の色と髪の色を考えると、エリィには青だよね」

「頼む、その理論は良いからもっと露出の少ないやつにしろ。なんだこれ。胸と股間以外丸出しじゃねえか」

 エリアスからしてみれば全くと言っていいほど親しみが無いのだが、ビキニなのだから当たり前だろう。

「別にこれじゃなくても他にあるだろ!」

「え、このデザイン嫌い?」

「そういう意味じゃねえっ!」

 必至に抗議するがソラとセレナは全く聞く耳を持たなかった。完全に逃げ場はなく、じわじわと詰め寄ってくるセレナから顔を逸らすことぐらいしかできない。そして、ソラに体を押さえつけられたまま徐々に移動させられる。
 その先にカーテンで入口を区切られた長方形の箱があって。顔からサッと血の気が引いていくのを感じた。

「嫌だ―! 放せぇ!」

「とりあえず試着だね」

「ええ、それからどれを買うか考えましょう」

 エリアスの意志とは反して、既に水中用装備、もとい水着の購入は確定事項のようだった。足を踏ん張り何とか抵抗しようとするが、ソラの体術で着々と前に進まされていく。才能の無駄遣いだ。

 そのまま抵抗も虚しく試着室の中へ押し込まれる。セレナからもしっかり水着を上下で押し付けられ、最後にソラのにやけ面を残してカーテンが閉じられた。誰も着るなど言っていないのに。

「絶対に嫌だからなっ!」

「えぇ……まあ、着るまで待ってるからいいよ」

 徹底抗戦の宣言に、ソラも対抗する気のようだ。これは長期戦になるなと、覚悟を決めて巣の場に座り込む。苛立ちを込めて水着を投げ捨てようとして、まだ購入していない商品なのだからとギリギリで踏みとどまった。
 結局、苛立ちを向ける先も、暇を潰すことも無く。大きなため息をついて背中に大きく体重をかけた。こんな閉鎖空間に閉じ込められるのは性格上、つらいものがあるが仕方ない。

「ははは……ほんと見た目だけじゃ違和感ないのがな……」

 何気なく視線を横に向ければ。そこには青髪の少女が不満げな表情で座り込んでいる。膝の上に青いビキニが落ちているせいで危ない人間に見えるだろう。もしも男であれば。
 今の小さな少女の姿では特に異常があるようには映らない。鏡に映るのは、不満げな顔で自分の水着を持っているだけの少女だ。些か、容姿に反して気が強そうな雰囲気を拭いきれないぐらいだろう。

 客観的に見れば。あくまで客観的に容姿だけを見れば。確かにこの水着はそれなりに様になるような気が。

「いや何考えてんだ……! 気持ち悪い」

 おかしな方向に思考が傾いてしまい、顔を赤くしながら首を激しく振る。そのまま忘れようとするが、とにかく暇なのだ。他に気を紛らわすことも何も無く、自然と思考は戻っていってしまう。

「……確かに必要な装備なのはわかるけどよ。これは無いだろ」

 何だかいけないことをしている気分になり、指二本でビキニを持ち上げる。主観的には変態なのだが、客観的に鏡を見れば正常なのが腹立たしい。
 忘れようと顔を背けるが、手に持った水着はそのまま。何故だか視線がそちらに吸い込まれそうになるのを必死に耐える。が、それを否定するような思考も次々と流れてくるわけで。

「試さずに嫌だって言い続けるのも……いや、でもこれ着るのか……?」

 水中で動きやすさを重視した装備、に少しだけ見栄えを追加したものと言われれば納得できないことも無い。それでも実際に着てみるのは、何度も言っているように色々と厳しかった。
 そもそもエリアスの感性や常識などはかなり乏しい。エリアスの眼で様になりそうと判断しても、実際はかなり酷いことになる可能性もある訳だ。

「ソラは似合うって言ってたし、まあ変なことにはならないだろうけど……」

「他の試着室が埋まってしまったら退かないといけませんね」

「そうだね。エリィには合うと思うんだけど、あれじゃあ着てくれないかなぁ」

「…………」

 狙いすましたようにカーテンの外側から二人の会話が聞こえてきた。独り言はかなり小さく抑えていたので、恐らくは偶然だろう。しかしソラの発言がピンポイントだったことに違いはない。
 しかし、ソラたちも他の試着室が埋まれば諦めることが分かった。試着室の数はそう多くなかったうえ、店の中にはそれなりに客がいたのだから耐久戦はそう長く続かないだろう。もう少しだけ待っていればいいのだ。それで他のマシな装備に変えられる。

「エリィが妥協してくれそうなやつに、似合うやつがあればいいけどね」

「どう、ですかね。探してみないと分かりませんが……」

 それがエリアスに合ったものとは限らないのだが。身嗜みにあまり興味の無いエリアスにだって、最低限度の欲求はある。普通を超えて求めることは無いが、普通な見た目ぐらいは保ちたい。
 だがもしかしたら、露出の少ないものはその普通にラインを超えていないのかもしれない。そんな考えが浮かび上がってきて。

「誰にも見られないように少しだけなら、な?」

 カーテンの向こう側に聞き耳を立てる。店内はそれなりに物音が響いているのだから、ゆっくりと着替えれば気づかれはしないだろう。そう確認してから上着に手を掛けた。ズボンも慎重に脱ぎ去り、音も無く下着姿に。

「まだ降参する気は無いの?」

「あ、当たり前だろうが! 絶対に引かないからな!」

 その時、カーテン越しにソラの声が響き渡り、華奢な肩を跳ねさせた。慌てて振り返り、怒鳴り返す。中を覗かれていたら万事休すとなるところだ。心臓がバクバクと脈打つのが止まらない。
 それを深呼吸で落ち着かせて、下着も脱ぎ去ると一糸まとわぬ姿になる。

「っ……慣れない」

 少女の体になって早二か月ほど。いい加減に受け入れ始めているとはいえ、鏡越しに裸をじっくりと見るほど開き直れてはいなかった。対人経験、もとい女性耐性が皆無であることの弊害だ。
 出来る限り鏡を直視することを避けながら水着を手に取り、僅かに葛藤した後に下から身に着けていった。

「うぅ……何してるんだ……」

 上の装着は下着と同じだろう。ソラに教わり、残念ながら覚えてしまった装着の仕方を思い出しつつ、それなりにある胸を収めていく。そして恐る恐る顔を上げて鏡を覗き込んだ。

「ま、まあ……いやほんとこれで外歩くのか」

 そこに映っているのは、羞恥で肌を赤く染め躊躇いがちに鏡を見つめる水着姿の少女だった。長い青い髪に蒼い瞳。そして水色の水着と、ただでさえ白い肌が余計に強調されている気がしてならない。
 冒険者としてかなり動いているせいか、程よく引き締まった体は出していて恥ずかしいものでは無い。だが、見せびらかせるようなこの姿にはやり過ぎだと判断せざるを得なかった。

 言ってしまえば、この格好は下着とそう大差ない。大差ないのだが、この格好のまま外で活動するかと考えると、余計に体が火照るのを感じてしまう。何だかもじもじと足をすり合わせてしまうが、それが余計に“女の子っぽさ”を引き立ててしまってすぐに自制した。

 ただ客観的に一つだけ言ってしまえば。

「似合わないわけじゃ、無いな……」

 少なくともそれだけは言えるだろう。小柄ながらそれなりに整ったスタイルに、イメージカラーをしっかりと捉えたビキニ姿に不細工と言ってしまえば、それは嘘にしかならない。だが、あくまで客観的に言った場合。主観的に男であるエリアスにはあまりに羞恥と刺激が強すぎて、とても着こなせるとは思えない。

 やっぱり無理だと即座に判断を下すと、急いで着替え直そうとして。

「さすがにちょっと早かったかな? そんなに嫌だったらあたしもエリィの好みを優先するか、ら……さ?」

「え、あ、ぅ……」

 勢い良くカーテンが開かれ、申し訳なさそうな表情で頭に手を置いたソラと眼が合った。目の前の状況を理解できないとばかりに、声が尻すぼみに小さくなっていく。エリアスも声にならないうめき声でしか反応を返せなくて、そのまま奇妙な静寂が場を満たしていた。
 しかし、いつも通りと言うべきか。先に再起動を果たしたのはソラの方だった。

「なーんだ。口では嫌がっても実は気に入ったりしてたの?」

「ち、ちが、ちち違う……! 試しもしないでこ、断るのは、どうかと思っただけで……いやだからほんとは嫌だからな……!?」

 ただでさえ赤くなっていた顔が勢いよく爆発した。比喩でも無く本当にそう感じるほどに頬が耳まで真っ赤になっていくのを感じる。何か言い訳を、いや違う、別に悪いことなどしていないのだから素直に、それを言っても誤解を招くだけで、そもそも誤解しているわけでも──。

 思考がパニックに陥り、自分でも何を考えているのか理解できない。ソラがじっくりとエリアスの姿を眺めていて、思わず自身の体を抱いて猫背になる。必死に体を隠そうとしたその行動が、余計に胸元を強調していることに、エリアスが気づくことは無かった。

「これとかならエリアスさんも妥協して……なるほど、似合ってますよ」

「褒められても全く嬉しくねえっ!」

 少し離れていたのか、こちらに向かって歩いてきたセレナはソラ越しに試着室を覗き込み、即座に状況を飲み込んだ。すかさず賛辞の言葉を投げかけてくるが、余計に羞恥が強くなるだけだった。
 勢い良くカーテンを閉じ二人の視線を遮る。そのままひどく疲れた体で座り込んで。

「もう嫌だ……」

 膝に顔を埋めてポツリとつぶやく。

 その後、宿を探しに街中を歩くエリアスの手には、最初は持っていなかったはずの荷物が増えていた。

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