ひとりよがりの勇者
第二話 愉快な旅立ち
「忘れ物は無いな? もうすぐ出発だからしっかり確認しておくように」
今回の移動の足となる荷馬車に私物を乗せながら、エリアスは背後のレオンへ、そして王都の街並みへと振り返った。
早朝の王都の正門前でも、人通りは目を見張るほどだ。人混みが得意ではないエリアスでも、今日ばかりは少しばかり思うところがある。
「これでしばらく王都ともおさらばか」
「ああ、しばらくは目的地の最寄りの都市に滞在する。今後の状況次第としか言えないけど……当分の間、ここには戻ってこないんじゃないかな」
単純にわざわざ王都に戻ってくる理由が無い、ということもあるが、教会にレオンたちが王都にいる滞在していることがバレてしまったのも大きい。いつジェシカが襲ってくるか分からないのだから、少しでも動き回って行方を悟らせないべきだ。
教会もあまり表だって行動はできないため、しばらくの間は時間を稼げるはずである。
「なんか名残惜しいことでもあるの?」
続いて声をかけてくるのは同じく荷馬車に荷物を詰め込み、飛び降りてきたソラだ。王都の街並みを静かに眺めるエリアスへ、意外そうな視線と共に疑問を投げかける。
その質問に僅かに黙り込み。だがすぐに答えを見つけて、エリアスも口を開いた。
「あるっちゃあるな。もうあんまり覚えてねえガキの頃を除けば、村とか町とかで暮らすのはここが初めてなんだよ。これまではその辺の木か、良くてもテントが俺のベッドだったからな……」
「…………」
しみじみとこれまでの思い出──あまり思い出したくない記憶を辿っていく。
「ずっと、キールたちが居てくれたときは違ったけど、それ以外はずっと一人だったからよ。こうやって普通の生活ってやつを送るなんて、それどころかこんな鬱陶しいぐらい人間の居るところで暮らすなんて、驚くことばかりで」
レオンとソラが返す言葉を見つけられずに黙り込んだ。そのことにエリアスは気づかぬままに続けていく。
「それに体も変わっちまって。そ、その、お前らに拾われた場所でもあるし……とにかく色々と変わったところでもあるからな。何と言うか……新しい人生の出発点? ま、上手く言えねえけど──思い入れのある街には違いない」
こうして、何かが変わっていくのはキールたちと出会った時と今回とで二回目だ。一回目はエリアス自身のせいで光を失った。だから、今度は絶対に過ちは犯さない。
それがきっとキールたちへの謝罪になるのだから、今度こそは、
「別にここだけじゃないんだからさ! そういう良い思い出はどんどんこれからも作っていこうよ?」
「ああ、そうさ。思い入れがあることは悪いことじゃないけど、そういう楽しみはこれからいくらでも探せばいいんだ」
妙に力強く主張してくる二人に思わず目を白黒させる。だが、確かにその通りだった。だからその言葉に大きく頷き返す。
「と言っても、これから忙しそうでそれどころじゃ無さそうだけどな」
「それはそれ。これはこれだ。ずっと気を張ってても体に無理がかかるだけさ」
最も、それが少し恥ずかしくて、誤魔化すように付け足してしまうのがエリアスの悪い癖だった。言い残してさっさと立ち去ろうとしてしまうエリアスに、ソラとレオンは顔を見合わせて笑う。
何だか完全に年下のような扱いが定着してしまっている気がする。そのことを指摘したら負けな気がして、無視するしかないのが現在のちょっとした不満である。
「兄ちゃんたち、そろそろ出発するが大丈夫かね?」
「遅れてすみませんね! こちらは大丈夫です」
荷馬車の御者に座った年配の商人が気遣うように尋ねてくる。慌てて返事をするレオンと共に、三人は王都の街並みを後にするのだった。
☆ ☆ ☆ ☆
荷馬車の空いたスペースに腰かけつつ、エリアスたち一行は平原を進む。のんびり雑談しながらの移動だが、いつ野盗や魔獣などの類に遭遇するか分からないため、視線は常に警戒のため周囲に向けられていた。
それがこうして商人の荷馬車を足として使わせてもらう対価だからだ。仕事はきっちりとこなさなくてはならない。
「それにしても、あんたらのパーティーはずいぶんと風変わりだねえ」
「やっぱり俺様みたいなドワーフは珍しいか!」
「うん、こうやって人と関わる仕事をしていれば、それなりに会うことはあるけど……やっぱり珍しいものは珍しい。ヒューマン以外はみんなね」
冒険者ほどではないがやや筋肉質な体を傾けて、商人はそう口にする。確かにレオン率いるパーティーにはエルフのセレナにドワーフのブライアン、そして獣人のソラとヒューマンの方が少ないありさまだ。
王都でも目立っていたように、やはり物珍しい集団なのだろう。
「あとは全体的に若いのもあるかな。エルフのお姉さんは見た目だけじゃ分からないけど、レオンくんも猫のお嬢ちゃんも二十歳を少し越えてるぐらいでしょ? そっちの青髪の女の子なんて十代後半っぽいし……」
「おい待て。今なんて言った?」
何だか聞き捨てならない言葉が聞こえて、思わず警戒もよそに顔を向ける。ソラも一緒に苦笑いを浮かべていた。その姿に気づいた様子も無く、そして何の悪げも無く商人は続けて、
「あれ、もしかしてもっと若かった? そしたらごめんよ、見る眼の無いおっさんだったって忘れて……」
「逆だ! 俺は二十三だっての! そんなガキじゃねえ!!」
堪らず怒鳴り散らされたエリアスの叫び声に、馬が僅かに暴れ出し商人が慌てて宥める。愛馬が落ち着いたのを確認すると、商人は驚いた顔で振り返った。しかし、エリアスは目を合わせる気は毛頭無い。
確かに少女の姿になってしまって、性別の反転と共に若干若返ってしまった疑惑はある。だが、いくら何でも二十歳以下だと思われるのは心外だった。そこまでの子ども扱いはとても許しがたい。
「年上に見られるよりかはマシだと思ってたんだけど、失敗だったかねえ。これだからいつまで経っても女房に怒られるのかな」
「ははは……エリアスが特殊なだけだと思うから気にしないでくれ」
本気で悩む素振りを見せる商人にレオンがカバーに入っていた。下手な失言をした自業自得なのだから放っておけばいいとエリアスは思うのに、どうやらソラ視点では違うらしい。
改めて自分の腕を見回してみる。あまりに細くてそれなのに柔らかな、男の時とは比べ物にならないほど貧弱な腕。
体の線をなぞってみれば、お腹の辺りは細く腰回りは丸いという、エリアスからすると意味の分からない体系を確認できる。胸の大きさは、邪魔ということぐらいしか判断が付かないが、ソラ曰く成長途中らしい。
今でさえ鬱陶しいのに、これ以上重たくなられても困るだけなのだが。そして身長の方は、
「……ソラよりかはさすがに高いな」
「いや、あたしの方が大きいでしょ」
「…………」
ポツリと呟いた瞬間、素早く聞きつけたソラが隣に移動してくる。動く荷馬車の縁を移動してくるのはそれなりに大変そうだが、そこはさすが猫人族というべきか。
「あり得ない、絶対にありえねえ。レオンとかセレナに負けてるのは……悔しいけどそれは諦め付いた。けど、ソラみたいなちびに負けるのはさすがに……」
「ちび言った! ちびは無いでしょ! それにエリィの方が小さいはずだってっ!!」
「なら比べてみるか? 受けて立つぞ!」
目と目の間で火花を散らせ、同時に二人の少女が立ち上がる。ぐらつく荷馬車の上では立つことさえ困難だが、そんなことで屈するほどエリアスは軟では無かった。
これまでの戦歴で培ったバランス感覚を無駄に総動員し、僅かにふらつきつつもソラと向かい合う。そのまま背中を向け合い、ピッタリと密着させて、
「ふんっ、やっぱりあたしの方が数センチだけ高いね!」
「揺れてちゃんと比べられていないだけだ! くっそ、俺が一番ちっちゃいとかおかしいだろうが!」
先に確認を終えたソラが高らかと宣言する。だが、エリアスはまだしっかりと確かめられていないのだ。自分で結果を見るまで、納得などできるはずがない。何だか、背中を合わせた時点で、どうしようもできない差があった気がするが──断じて認める気は無かった。
「お、おかしい、やっぱりこの荷馬車は傾いてるんじゃ」
「新調したばかりだからそれは無いと思うんだけどねえ。あと、危ないからそろそろ座って……」
「今取り込み中だ! 黙れ!」
横やりを入れてきた商人を撃退しつつ、何度も頭に手のひらを合わせてソラの方向へずらす。しかし、何度やってもソラの後頭部にぶつかり、伝わってくるのは手の甲へ当たるふさふさな猫耳の感覚だけである。
何度も何度も、どれだけやっても、一向にエリアスの小さな手がソラの頭上を通り過ぎることは無い。何十回と挑戦しても結果が変わるはずはなかった。
「嘘だろ……そこまでちびなのか俺。元は百八十以上はあったはずなのに、一体どこに行ったってんだよ……」
とうとう現実から眼を背けきれずに、その場で膝を付く。衝撃で小さく跳ねた膝が固い木の荷馬車にぶつかってちょっと痛い。
その時、鼓膜を揺する小さな音、押し殺した笑い声が頭上より響いてきて顔を上げた。
「ふ、くくくっ……! ざんねーんでしたー! エリィはもうちっちゃな女の子なんですっ!」
「──あぁ?」
その煽り言葉に、エリアスは頭の中で何かが音を立てて千切れるのを幻視した。ゆっくりとその場で立ち上がり、ソラを一周回って冷めきってしまった怒りと共に睨み付ける。
そのまま指の関節を鳴ら、そうとして失敗。素直に諦めると正面に拳を構えた。
「よし、表に出ろ……じゃなくてここから降りろ。今の言葉を撤回させてやる」
「えー、どうせやってもあたしが勝つし、やる必要ないでしょ?」
「負けるのが怖いの……」
「残念だけどあたしはそんな挑発には乗らないよ!」
それがエリアスの我慢の限界であり、開戦の合図だった。顔を真っ赤にしたエリアスがソラに容赦なく飛びかかる。ふらつく地面、それでも確かにソラは身構えて見せて、
「甘いねッ!」
エリアスの視界が見事に一回転。ほとんどないはずの荷馬車の空きスペースに背中から投げ飛ばされる。そのまま覆いかぶされ、体を固定されれば小柄なエリアスは身動きが取れなくなってしまった。
「どけええぇぇっ!」
いくら叫んでも、体術だって身に着けてるソラから逃れることはできない。
実を言うと、『勇者』の時はエリアスの体術や剣術は、全て我流の隙だらけのものを『勇者』特有の身体能力の高さで無理やり運用していただけなのだ。それでもそこらの素人などと比べれば、身のこなしだって只物では無いのだが、今の姿になってからはそれが大問題だった。
手足は小さな背丈に似つかわしいものとなり、体は筋肉とは無縁のもの。『身体強化』も体への負担から自重してしまえば、現在のエリアスは気が強くちょっと体の動かし方が上手なただの非力な少女でしかない。
そんな状態では日頃から剣を振り、女性ながらも体を鍛えてきたソラに敵う筈も無かった。
「エリィはこんなにちっちゃいんだから、あたしに負けても仕方ないよね」
「仕方なくねえよっ! くそったれ」
このままでは一方的にエリアスが負けただけだ。もう負け惜しみでも、負け犬の遠吠えでも、何でもよい。何か少しでも反撃を。実力で負けた、口論で負けた、体格でも負けた。他に何かエリアスが勝っていると今すぐ証明できること──
「そうだ、体格……そんな絶壁で、元男の俺ですらそれなりにあるのに恥ずかしくねえのか!?」
自分でも深く考えずに、思いついたままの煽りは全力で叫んで。その瞬間、場の空気が凍り付いた。
レオンとセレナは呆れたようにため息を付き、ブライアンは楽しそうに笑う。商人は「元男……?」と首を傾げ、ソラはエリアスを捕えたままに一切動かない。
あまりに長い数秒間の静止。その時間でエリアスもようやく自分の発言を認識し終えて。先ほどとは別の意味で赤く染めた顔を横に振り、
「い、いや、ちょっと待て忘れろ。今のはな……」
「──そうだよ絶壁で何が悪いの!?」
その前に別の少女が爆発した。
「いいじゃん! セレナみたいに大きくても刀は振りにくいだけだし、暴れたら痛そうだし、あんなの無くていいの……! 無いんじゃなくて、要らないだけなの!」
「お、おう……?」
声高らかに不満をぶちまける姿を見る限り、エリアスの言葉はかなり効果があったようだ。しかし、反撃という意味では効果てきめんでも、この反応は想定外である。顔面を暴れまわっていた羞恥さえ忘れて、唖然とソラを見上げるしかない。
「別に長身で美人でスタイルもいいセレナが羨ましいとか思ってないからっ! 大体さぁ……!」
エリアスを全身で押さえつけていたソラ。そんな彼女の手が動き出す。背中と腕を抑え込んでいた細い指がエリアスの前面へと回り込んでいく。
「ホントにね、元男のくせしてこんなのぶら下げて恥ずかしくないの!? 今は控えめだけどまだまだ成長しそうな雰囲気だし……!」
「え、ちょ、ひっ……お、お前変なところ触るなっ!」
ソラが程よいサイズの膨らみを乱暴に揉み砕き、エリアスも足りない力を総動員し抵抗する。小柄とはいえ、人間二人が暴れまわる衝撃に荷馬車が悲鳴を上げ始めた。
再び馬が鼻息を荒くし、だがエリアスとソラが大人しくなることは無い。好き勝手に暴れまわる二人は留まるところを知らず、
「毎度のことだけど今日はさすがにな……」
「お二人とも。安全も確保されていない場所で、しかも仕事の最中で、ずいぶん楽しそうですね?」
商人が荷馬車を停止させ、辺りの警戒に専念していたはずのレオンとセレナが、眼の笑っていない笑みで見下ろしていた。ハッとした様子でソラがその顔を見つめ、ようやくソラの魔の手から逃れたエリアスが遅れて見上げる。
「少し、仕事中の態度を叩き直しておくか」
「そうですね。冒険者の在り方をたっぷり説いてあげましょう」
笑顔を浮かべる青年と女性に、二人の少女は青ざめた顔で両手を上げるほか無かった。
今回の移動の足となる荷馬車に私物を乗せながら、エリアスは背後のレオンへ、そして王都の街並みへと振り返った。
早朝の王都の正門前でも、人通りは目を見張るほどだ。人混みが得意ではないエリアスでも、今日ばかりは少しばかり思うところがある。
「これでしばらく王都ともおさらばか」
「ああ、しばらくは目的地の最寄りの都市に滞在する。今後の状況次第としか言えないけど……当分の間、ここには戻ってこないんじゃないかな」
単純にわざわざ王都に戻ってくる理由が無い、ということもあるが、教会にレオンたちが王都にいる滞在していることがバレてしまったのも大きい。いつジェシカが襲ってくるか分からないのだから、少しでも動き回って行方を悟らせないべきだ。
教会もあまり表だって行動はできないため、しばらくの間は時間を稼げるはずである。
「なんか名残惜しいことでもあるの?」
続いて声をかけてくるのは同じく荷馬車に荷物を詰め込み、飛び降りてきたソラだ。王都の街並みを静かに眺めるエリアスへ、意外そうな視線と共に疑問を投げかける。
その質問に僅かに黙り込み。だがすぐに答えを見つけて、エリアスも口を開いた。
「あるっちゃあるな。もうあんまり覚えてねえガキの頃を除けば、村とか町とかで暮らすのはここが初めてなんだよ。これまではその辺の木か、良くてもテントが俺のベッドだったからな……」
「…………」
しみじみとこれまでの思い出──あまり思い出したくない記憶を辿っていく。
「ずっと、キールたちが居てくれたときは違ったけど、それ以外はずっと一人だったからよ。こうやって普通の生活ってやつを送るなんて、それどころかこんな鬱陶しいぐらい人間の居るところで暮らすなんて、驚くことばかりで」
レオンとソラが返す言葉を見つけられずに黙り込んだ。そのことにエリアスは気づかぬままに続けていく。
「それに体も変わっちまって。そ、その、お前らに拾われた場所でもあるし……とにかく色々と変わったところでもあるからな。何と言うか……新しい人生の出発点? ま、上手く言えねえけど──思い入れのある街には違いない」
こうして、何かが変わっていくのはキールたちと出会った時と今回とで二回目だ。一回目はエリアス自身のせいで光を失った。だから、今度は絶対に過ちは犯さない。
それがきっとキールたちへの謝罪になるのだから、今度こそは、
「別にここだけじゃないんだからさ! そういう良い思い出はどんどんこれからも作っていこうよ?」
「ああ、そうさ。思い入れがあることは悪いことじゃないけど、そういう楽しみはこれからいくらでも探せばいいんだ」
妙に力強く主張してくる二人に思わず目を白黒させる。だが、確かにその通りだった。だからその言葉に大きく頷き返す。
「と言っても、これから忙しそうでそれどころじゃ無さそうだけどな」
「それはそれ。これはこれだ。ずっと気を張ってても体に無理がかかるだけさ」
最も、それが少し恥ずかしくて、誤魔化すように付け足してしまうのがエリアスの悪い癖だった。言い残してさっさと立ち去ろうとしてしまうエリアスに、ソラとレオンは顔を見合わせて笑う。
何だか完全に年下のような扱いが定着してしまっている気がする。そのことを指摘したら負けな気がして、無視するしかないのが現在のちょっとした不満である。
「兄ちゃんたち、そろそろ出発するが大丈夫かね?」
「遅れてすみませんね! こちらは大丈夫です」
荷馬車の御者に座った年配の商人が気遣うように尋ねてくる。慌てて返事をするレオンと共に、三人は王都の街並みを後にするのだった。
☆ ☆ ☆ ☆
荷馬車の空いたスペースに腰かけつつ、エリアスたち一行は平原を進む。のんびり雑談しながらの移動だが、いつ野盗や魔獣などの類に遭遇するか分からないため、視線は常に警戒のため周囲に向けられていた。
それがこうして商人の荷馬車を足として使わせてもらう対価だからだ。仕事はきっちりとこなさなくてはならない。
「それにしても、あんたらのパーティーはずいぶんと風変わりだねえ」
「やっぱり俺様みたいなドワーフは珍しいか!」
「うん、こうやって人と関わる仕事をしていれば、それなりに会うことはあるけど……やっぱり珍しいものは珍しい。ヒューマン以外はみんなね」
冒険者ほどではないがやや筋肉質な体を傾けて、商人はそう口にする。確かにレオン率いるパーティーにはエルフのセレナにドワーフのブライアン、そして獣人のソラとヒューマンの方が少ないありさまだ。
王都でも目立っていたように、やはり物珍しい集団なのだろう。
「あとは全体的に若いのもあるかな。エルフのお姉さんは見た目だけじゃ分からないけど、レオンくんも猫のお嬢ちゃんも二十歳を少し越えてるぐらいでしょ? そっちの青髪の女の子なんて十代後半っぽいし……」
「おい待て。今なんて言った?」
何だか聞き捨てならない言葉が聞こえて、思わず警戒もよそに顔を向ける。ソラも一緒に苦笑いを浮かべていた。その姿に気づいた様子も無く、そして何の悪げも無く商人は続けて、
「あれ、もしかしてもっと若かった? そしたらごめんよ、見る眼の無いおっさんだったって忘れて……」
「逆だ! 俺は二十三だっての! そんなガキじゃねえ!!」
堪らず怒鳴り散らされたエリアスの叫び声に、馬が僅かに暴れ出し商人が慌てて宥める。愛馬が落ち着いたのを確認すると、商人は驚いた顔で振り返った。しかし、エリアスは目を合わせる気は毛頭無い。
確かに少女の姿になってしまって、性別の反転と共に若干若返ってしまった疑惑はある。だが、いくら何でも二十歳以下だと思われるのは心外だった。そこまでの子ども扱いはとても許しがたい。
「年上に見られるよりかはマシだと思ってたんだけど、失敗だったかねえ。これだからいつまで経っても女房に怒られるのかな」
「ははは……エリアスが特殊なだけだと思うから気にしないでくれ」
本気で悩む素振りを見せる商人にレオンがカバーに入っていた。下手な失言をした自業自得なのだから放っておけばいいとエリアスは思うのに、どうやらソラ視点では違うらしい。
改めて自分の腕を見回してみる。あまりに細くてそれなのに柔らかな、男の時とは比べ物にならないほど貧弱な腕。
体の線をなぞってみれば、お腹の辺りは細く腰回りは丸いという、エリアスからすると意味の分からない体系を確認できる。胸の大きさは、邪魔ということぐらいしか判断が付かないが、ソラ曰く成長途中らしい。
今でさえ鬱陶しいのに、これ以上重たくなられても困るだけなのだが。そして身長の方は、
「……ソラよりかはさすがに高いな」
「いや、あたしの方が大きいでしょ」
「…………」
ポツリと呟いた瞬間、素早く聞きつけたソラが隣に移動してくる。動く荷馬車の縁を移動してくるのはそれなりに大変そうだが、そこはさすが猫人族というべきか。
「あり得ない、絶対にありえねえ。レオンとかセレナに負けてるのは……悔しいけどそれは諦め付いた。けど、ソラみたいなちびに負けるのはさすがに……」
「ちび言った! ちびは無いでしょ! それにエリィの方が小さいはずだってっ!!」
「なら比べてみるか? 受けて立つぞ!」
目と目の間で火花を散らせ、同時に二人の少女が立ち上がる。ぐらつく荷馬車の上では立つことさえ困難だが、そんなことで屈するほどエリアスは軟では無かった。
これまでの戦歴で培ったバランス感覚を無駄に総動員し、僅かにふらつきつつもソラと向かい合う。そのまま背中を向け合い、ピッタリと密着させて、
「ふんっ、やっぱりあたしの方が数センチだけ高いね!」
「揺れてちゃんと比べられていないだけだ! くっそ、俺が一番ちっちゃいとかおかしいだろうが!」
先に確認を終えたソラが高らかと宣言する。だが、エリアスはまだしっかりと確かめられていないのだ。自分で結果を見るまで、納得などできるはずがない。何だか、背中を合わせた時点で、どうしようもできない差があった気がするが──断じて認める気は無かった。
「お、おかしい、やっぱりこの荷馬車は傾いてるんじゃ」
「新調したばかりだからそれは無いと思うんだけどねえ。あと、危ないからそろそろ座って……」
「今取り込み中だ! 黙れ!」
横やりを入れてきた商人を撃退しつつ、何度も頭に手のひらを合わせてソラの方向へずらす。しかし、何度やってもソラの後頭部にぶつかり、伝わってくるのは手の甲へ当たるふさふさな猫耳の感覚だけである。
何度も何度も、どれだけやっても、一向にエリアスの小さな手がソラの頭上を通り過ぎることは無い。何十回と挑戦しても結果が変わるはずはなかった。
「嘘だろ……そこまでちびなのか俺。元は百八十以上はあったはずなのに、一体どこに行ったってんだよ……」
とうとう現実から眼を背けきれずに、その場で膝を付く。衝撃で小さく跳ねた膝が固い木の荷馬車にぶつかってちょっと痛い。
その時、鼓膜を揺する小さな音、押し殺した笑い声が頭上より響いてきて顔を上げた。
「ふ、くくくっ……! ざんねーんでしたー! エリィはもうちっちゃな女の子なんですっ!」
「──あぁ?」
その煽り言葉に、エリアスは頭の中で何かが音を立てて千切れるのを幻視した。ゆっくりとその場で立ち上がり、ソラを一周回って冷めきってしまった怒りと共に睨み付ける。
そのまま指の関節を鳴ら、そうとして失敗。素直に諦めると正面に拳を構えた。
「よし、表に出ろ……じゃなくてここから降りろ。今の言葉を撤回させてやる」
「えー、どうせやってもあたしが勝つし、やる必要ないでしょ?」
「負けるのが怖いの……」
「残念だけどあたしはそんな挑発には乗らないよ!」
それがエリアスの我慢の限界であり、開戦の合図だった。顔を真っ赤にしたエリアスがソラに容赦なく飛びかかる。ふらつく地面、それでも確かにソラは身構えて見せて、
「甘いねッ!」
エリアスの視界が見事に一回転。ほとんどないはずの荷馬車の空きスペースに背中から投げ飛ばされる。そのまま覆いかぶされ、体を固定されれば小柄なエリアスは身動きが取れなくなってしまった。
「どけええぇぇっ!」
いくら叫んでも、体術だって身に着けてるソラから逃れることはできない。
実を言うと、『勇者』の時はエリアスの体術や剣術は、全て我流の隙だらけのものを『勇者』特有の身体能力の高さで無理やり運用していただけなのだ。それでもそこらの素人などと比べれば、身のこなしだって只物では無いのだが、今の姿になってからはそれが大問題だった。
手足は小さな背丈に似つかわしいものとなり、体は筋肉とは無縁のもの。『身体強化』も体への負担から自重してしまえば、現在のエリアスは気が強くちょっと体の動かし方が上手なただの非力な少女でしかない。
そんな状態では日頃から剣を振り、女性ながらも体を鍛えてきたソラに敵う筈も無かった。
「エリィはこんなにちっちゃいんだから、あたしに負けても仕方ないよね」
「仕方なくねえよっ! くそったれ」
このままでは一方的にエリアスが負けただけだ。もう負け惜しみでも、負け犬の遠吠えでも、何でもよい。何か少しでも反撃を。実力で負けた、口論で負けた、体格でも負けた。他に何かエリアスが勝っていると今すぐ証明できること──
「そうだ、体格……そんな絶壁で、元男の俺ですらそれなりにあるのに恥ずかしくねえのか!?」
自分でも深く考えずに、思いついたままの煽りは全力で叫んで。その瞬間、場の空気が凍り付いた。
レオンとセレナは呆れたようにため息を付き、ブライアンは楽しそうに笑う。商人は「元男……?」と首を傾げ、ソラはエリアスを捕えたままに一切動かない。
あまりに長い数秒間の静止。その時間でエリアスもようやく自分の発言を認識し終えて。先ほどとは別の意味で赤く染めた顔を横に振り、
「い、いや、ちょっと待て忘れろ。今のはな……」
「──そうだよ絶壁で何が悪いの!?」
その前に別の少女が爆発した。
「いいじゃん! セレナみたいに大きくても刀は振りにくいだけだし、暴れたら痛そうだし、あんなの無くていいの……! 無いんじゃなくて、要らないだけなの!」
「お、おう……?」
声高らかに不満をぶちまける姿を見る限り、エリアスの言葉はかなり効果があったようだ。しかし、反撃という意味では効果てきめんでも、この反応は想定外である。顔面を暴れまわっていた羞恥さえ忘れて、唖然とソラを見上げるしかない。
「別に長身で美人でスタイルもいいセレナが羨ましいとか思ってないからっ! 大体さぁ……!」
エリアスを全身で押さえつけていたソラ。そんな彼女の手が動き出す。背中と腕を抑え込んでいた細い指がエリアスの前面へと回り込んでいく。
「ホントにね、元男のくせしてこんなのぶら下げて恥ずかしくないの!? 今は控えめだけどまだまだ成長しそうな雰囲気だし……!」
「え、ちょ、ひっ……お、お前変なところ触るなっ!」
ソラが程よいサイズの膨らみを乱暴に揉み砕き、エリアスも足りない力を総動員し抵抗する。小柄とはいえ、人間二人が暴れまわる衝撃に荷馬車が悲鳴を上げ始めた。
再び馬が鼻息を荒くし、だがエリアスとソラが大人しくなることは無い。好き勝手に暴れまわる二人は留まるところを知らず、
「毎度のことだけど今日はさすがにな……」
「お二人とも。安全も確保されていない場所で、しかも仕事の最中で、ずいぶん楽しそうですね?」
商人が荷馬車を停止させ、辺りの警戒に専念していたはずのレオンとセレナが、眼の笑っていない笑みで見下ろしていた。ハッとした様子でソラがその顔を見つめ、ようやくソラの魔の手から逃れたエリアスが遅れて見上げる。
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笑顔を浮かべる青年と女性に、二人の少女は青ざめた顔で両手を上げるほか無かった。
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