ひとりよがりの勇者

Haseyan

第三話 世界に干渉する言霊

 太陽が頭の頂点から傾き始め、間もなく夕暮れになる頃。一台の馬車が、五人の護衛を引き連れて中規模の宿場街に到着した。

「歩きながらあれは色々と疲れるっての……」

「同感……もう二度と嫌だね」

 その護衛の冒険者の中、二人の少女は異常なまでに疲れ切った様子で足を進めている。エリアスの言葉にソラも賛同し、それを見たセレナは大きくため息を付いた。

「元はと言えば、あなたたちが遊び過ぎるのがいけないんですよ」

「だって! 王都周辺じゃ魔獣だって狩り尽されてるし、次の宿場街ぐらいまでは安全でしょ!」

「それでもだ。万が一があるとも限らないし、その時に油断していたら大怪我してもおかしくないんだ。明日からは気を付けるようにな」

 ソラが激しく主張し、それをセレナとレオンが容赦なく一刀両断する。もちろん、ソラに反論の余地は無い。彼女だって自分が悪かったことは理解しているのだろう。謝罪の言葉を述べて、小さくなるだけだった。

「エリアスさんもですからね」

「……おう」

 それはエリアスだって同じだ。全力で顔を背けながらも、素直に認めて見せる。だが、それだけではセレナは納得がいかないようだった。右の人差し指を立てながら、更なる要求を突き付ける。

「しっかりと“ごめんなさい”ですよ。そこは」

「へ? いや、悪かったのは認めるから……」

「エリアスさん」

 有無を言わさないセレナの口調にエリアスの方が押し負けた。微妙に視線を逸らし助けを探してみるが、どこにもそんな都合の良いものは無い。ニッコリと見た目はお淑やかなのにひどく迫力を感じる笑みを向けられてしまって、

「ご、ごめ……」

 昼間のことはエリアスが全面的に悪いことは理解しているのだ。だから、謝罪することはやぶさかではない。だが、こうやって面向かって口にすることはこれまでに経験が無い。

「ごめんなさいっ……これでいいんだろ!?」

 それでも気合で言い切って見せた。視線はあらぬところに飛びながらだが、それでも言い切って見せた。何だかこれだけでさらに疲労が倍増しになった気分だ。
 今日はさっさと休もう。そう考えながら正面へ振り返った途端、右肩に手を置かれて再び後ろに顔を向けた。もちろん、その先にいるのはセレナだけである。

「それを言うのは私じゃなくて依頼人の方の方だと思うのですが」

「……あー、そうだよな! セレナは別に困ったわけでもねえもんな!!」

 あまりに正論すぎる、そしてエリアスにとっては残酷な事実を突きつけられ、雄たけびを上げながら天を仰ぐ。もうどうにでもなれだった。一日の行軍の疲れからか、妙な気分になりながら小走りで馬車の前に回り込む。

「その、あれだ。昼間は仕事サボって悪かったよ! その……ごめんなさい……」

 もう勢いのままに謝罪の言葉を商人に述べた。その様子があまりに馬鹿馬鹿しいことを言い終えたから気づき、思わず顔を真っ赤にするエリアス。その忙しない表情の変化に商人は目を白黒とさせていたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべる。

「王都周辺の街道じゃ魔獣がほとんど出ないのだって本当だし、実際にそうだったんだから構わないよ。ただ、危険ではあるから次からは気を付けて欲しいかな?」

 それは人の良さそうな雰囲気がにじみ出るような。それでいて娘を見るような温かな眼つきだった。

「まあ、偉そうなこと言ってるけど、たまにはこう騒がしいのも見てて楽しいからね」

 そう言って、何故かエリアスの頭に手を伸ばし撫でてくる。呆然としていたエリアスはしばらくそれを受け入れていたが、数秒後には無性に恥ずかしくなって、同時にこみ上げてくるものがあって、乱暴に払いのけた。

「おら、さっさと今日の宿に行こうぜ。もう疲れたっての」

 それを、加えてその他をもろもろ隠すように進行方向を向くと、先頭を歩いていく。とにかく、今の顔はあまり人に見せたくない。商人の言葉に対して頭を過ってしまったこの考えが残っているうちは、自分でもどんな顔をしているのか分かったものでは無いからだ。

「……ああ、ちくしょう」

 ただほんの少しだけ、思ってしまった。

 ──十年前に死んだ父親みたいだなと。

 あの何も知らなかった子供のころの記憶を引きずり出してしまって。小さくなってしまった体を昔の自分に。目の前の優しげな商人を家族に。重ねてしまって。

「ちくしょう……っ」

 本来なら当たり前に存在したはずの、そして絶対にあり得ない幸せを幻想し、熱くなった目頭に耐えることで精いっぱいだった。




 ☆ ☆ ☆ ☆




「しばらくは移動が続きますから、早く寝てくださいね」

「分かってる分かってる」

 そして時刻は夜へ。レオンの提案で商人とも共に食事を取り、現在、エリアスは女性三人組で宿のベッドで横になっていた。既に体の汚れは落とし、着替え済みである。良いのか悪いのか最近はすっかり慣れてしまった水色の女物の寝巻に身を包んで。
 最早、男のプライドも何もあったものでは無いが、今の体を受け入れると考え始めている現状、それで良いのか思ってしまうエリアス自身が憎い。

「何読んでるの? ってまたそれね」

 隣りのベッドから乗り出して、ソラが手元を覗き込んでくる。その本が、最近エリアスがずっと読み込んでいる魔導書だと気が付くと納得したように体を引き戻した。
 そのまま勢いよくベッドに体を投げ出して、退屈そうに寝返りを打つ。

「あたしは魔法はさっぱりだからにゃー。よく分からないけど、その本って役に立ってるの?」

「役には立ってるんだけどな……どうにも俺には性に合わない」

 魔法の行使に必要なものは主に三つ。“発動するのに必要な魔力”とそれを“操作する技量”。最後に“魔法を発動する意志と、絶対に成功させる確信”。つまりは自信だ。

 この自信というところが実は曲者なのと言われている。少しでも魔法の成功に疑問を持ってしまえば、それだけで効力は大きく落ちてしまう。そして、深層心理でのその思考を改めるのは非常に難しかった。
 それを解決するために詠唱と呼ばれる言霊が存在する。

 魔法の詠唱とは結局のところはただ自己暗示である。詠唱を完璧に決めたのだから、絶対に成功すると、自分自身に暗示をかけることで魔法の行使を補助するのだ。
 最後に魔法名を口にするのも似たようなことである。ただしこちらは“発動する意志”に関わってくるため、排除して魔法を顕現させるのはさらに高い技量を要する。

「今まで通りだったら詠唱なんて無くても、“起動句(魔法名)”だけで問題無かったんだけどな。今の体じゃ無駄遣いできるほど魔力も無いし、下手な攻撃をしたらお前らを巻き込む。もっと技量を上げるか……とりあえずは詠唱を加えて安定させるべきなんだよ」

『勇者』の時なら、多少の乱れを強引に修正するほどの魔力があった。
『勇者』の時なら、巻き込む味方なんて誰もいなかった。

 今は、前者は無いが、後者はある。そのことはもちろん受け入れている。だが、困りものには違いが無かった。

「じゃあ、詠唱を付ければ全部解決なんじゃないの?」

「それが色々とややこしてくて……なんか魔法の要素を並べて詠唱にしろとか。雷の槍を撃ち込むなら、雷鳴の轟きよ、一筋の矛となりて、我が敵を射抜け。みたいな。全部の魔法にこんなの覚えてられるかっての」

 仮に覚えたとしても、それを戦闘中に思い出しながら口にできるかと聞かれると、即答が難しいのが現状だ。世の中の真っ当な魔法使いはよく扱えるなと、これまで脳内のイメージだけで魔法を行使してきたエリアスは感心する。
 性に合わないとはこういうことだ。結局のところ、性格的に体で覚えるほうが得意。こうやって頭の使う方法はエリアスには合わなかった。

 うーっと、うなりながら魔導書を凝視する。そんな姿にセレナは不思議そうな表情を浮かべた後、唇に人差し指を当てた。

「もしかして、それ通りに詠唱しないとダメだと思っています?」

「とりあえずこれ通りに練習しようとな……」

 まさかと、傍から見てもすぐにわかるような表情を浮かべるエリアスに、セレナは小さく笑う。驚愕で固まるエリアスをひとしきり眺めてから、セレナは魔導書を指差した。

「それはあくまで例ですよ。別に毎回決まったものを唱える必要もありませんし、その時の気分で詠唱が変わる人もいます。使いたい魔法を思い浮かべて、後は口が動くがままに任せればいいんです」

「そんなものなのか……」

 これまでの努力が投げ捨てられたような気分だ。思わず魔導書を閉じ、枕に顔を埋める。そのまま大きくため息をして、

「我が同胞を守れ『障壁』」

 短い詠唱を終えると、頭上に小さな魔法の盾が出現する。本当に小さな手のひらサイズの盾だ。体を転がして仰向けになり、その結果を確認。もう一度、大きなため息を付いて盾を消滅させた。

「可能なら今のように詠唱は短いほど良しです」

「隙が小さくなるもんな……こう考えると結構楽だったな」

 酷い遠回りをしてしまっていた。これなら後は実戦で慣れていけば、防御系はすぐに使いこなせるだろう。詠唱以上に魔力の操作が難しい治療系の魔法はまだまだ扱えそうにないのだが。

「じゃあ、セレナの詠唱はどんな感じなんだ?」

 ふと湧いて出てきた疑問をそのまま口にし、枕の上で頭を転がしてセレナに視線を送る。

「私のですか?」

「そういえば落ち着いて聞くことも無いからね。あたしもちょっと気になる」

 二人の少女から期待するような視線を向けられ、セレナは仕方なさげに格好を崩した。少しばかり考えるような素振りを見せてから、

「私、というよりもエルフ族はみんな精霊に祈るような詠唱が一般的ですね。共和国の方が精霊信仰、というよりエルフとドワーフが精霊の子孫という説が有力ですし」

「具体的には?」

「治療を行うときは、世界を見下ろす精霊たちに捧げる。我が魂を糧にこの者に再び命の輝きを。それと治療中はずっと精霊に祈り続けています」

 確かにセレナが治癒魔法を扱うときの集中力がものすごい。それはきっと魔力の繊細な操作の他に祈り続けていることによる負担だろう。そのうち会得したい技術とはいえ、気が遠くなるような難易度だ。

「精霊ねえ……精霊って本当にいるのか?」

「無生型の魔物として存在しますよ。ただある程度の理性を持っていて、人間に敵対しない特殊な生物ですが。滅多に見れない希少な生物でもあって、一説によれば人間の死後の魂を依り代にした魔獣なのではという説も……」

「あー、悪い。難しい話は全く分からない」

 楽しげに語り出すセレナには申し訳ないが、一般教養も怪しいエリアスにはとても理解出来ない。制止されたセレナは珍しくむすっとした様子を見せていた。普段は落ち着いた姿ばかりさらしているため、その様子に僅かにドキッとする。

「はい、長くなってしまいましたね。もう寝ないと明日が持ちませんよ」

 そう言ってセレナは部屋を照らしていた魔水晶の光を消した。真っ暗になった部屋の中で、エリアスも本格的にベッドへ体重を預ける。

「お休みなさい」

「おやすみー」

「……おやすみ」

 就寝の挨拶を残して瞼を閉じる。明日も続く旅のために、エリアスは深い夢の中へと落ちていった。

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