ひとりよがりの勇者
断章 古代からの邂逅
時は僅かに巻き戻る。冒険者たちが魔族討伐に王都を出発した翌日。未だ太陽は登らず夜のとばりに世界が包まれる早朝の時間。
ここ、王都の貧民街で老婆──“情報屋”は一人の中年の男と取引に臨んでいた。
「ひひひ、これで満足かい?」
「……十分すぎる。噂に聞くあんたに頼んで良かった。できれば、もう少し負けてくれたら嬉しんだけどな」
「馬鹿言うんじゃないよ。ここまで金のために信頼を積み重ねてきたんだ。その分の対価はしっかりと頂かなきゃねぇ……」
男性の方も元より軽口のつもりで言った言葉だ。“情報屋”の返答にも特に落胆した様子は見せずに、金貨を数枚手渡す。“情報屋”はそれを満足げに眺めると懐へしまって──ふと空を見上げた。
「もう来たのかい。ずいぶんとまあ、せっかちなことで」
「どうした?」
突然独り言を零す“情報屋”に男性が怪訝そうな雰囲気で視線を向ける。“情報屋”の様子は、明らかにおかしかった。常日頃から不気味なことに間違いはないのだが、その人間味の無い老婆が珍しく笑み以外の表情を浮かべているのだ。
懐かしむような、或いは緊張するような。なかなか探り取れない複雑で薄い表情を顔面に貼り付けている。
だが、数秒後には“情報屋”は普段通りの薄気味悪い笑みに戻り、背後にある細道を指差した。
「申し訳ないけど、次のお客さんだ。予約は無かったはずだけどねぇ」
「そういうことか。じゃあ俺はこれで失礼するよ」
貧民街の空気は湿っぽくてな、と最後に残しそそくさと男性は退散していく。その後姿を見送ることもせずに、“情報屋”は別の小道へ視線を向けて、
「さあ、もう誰もいないよ。出て来るならさっさと来るといい」
「……久方ぶり、と言うべきか」
その暗闇から現れたのは一人の老人。オールバックが特徴的な豪華なローブに身を包んだ初老の男性だった。
その男性が視界に映り込んだ瞬間、どこからともなく大量のカラスが現れ周囲を包囲するように飛び回る。中から少なくない黒い羽根が舞い散る中で、老人と老婆は向かい合った。
「先に言っておくが、私に敵対の意志はない。目的は一つ、貴様を連れ戻しに来ただけだ」
「それをあたしゃが受け入れるとでも思ってるんかい? あんたが“帝国”の奴隷であり続ける限り、それにあたしを巻き込み続ける限り、協力することはあり得ないんだよ」
お互いの要求は単純で、それ故に敵対し続ける。男性の敵対の意志は無いという言葉だって、形式的に絞り出された建前でしかないのだ。そんなことは無駄だと分かっているはずなのに、男性は尚も言い続ける。
その理由を、“情報屋”は知っている。誰よりも知っている。知っていない訳が無かった。
「意志の無い人形を、何時まで続けるんかね」
「それが“我々”の使命である限り。そして使命を果たすためには貴様の力が必要なのだ。分かるだろう? 『アカシックレコーダー』」
「あたしをそれに巻き込もんじゃないよ。そんな道具みたいな名前はとっくに捨てた。今のあたしゃは“情報屋”。金であらゆる情報を売り付ける只の死に損ないさぁ。分かるだろう? “兄さん”」
“情報屋”が珍しく見せる感情の昂ぶりに呼応し、カラスたちの動きはより過激になっていく。今にも一斉に男性目掛けて飛びかかりそうな様子だ。
そのカラスたちが見たままの存在では無いと男性は知っている。それが男性を打倒しうる可能性を秘めていることを知っている。それでも、焦った様子はまるで見せなくて。静かに腰の剣を引き抜くと、真正面に構えた。
「ならば思い出させてやろう。貴様の自由も、平和のための犠牲となってもらわなければならない」
「何が平和だい? 何が使命だい!? あたしは一時の自由を得るために、滅びを受け入れる!」
“情報屋”を中心に黒い魔力が吹き荒れる。しかしそれは、不快なものでは無かった。純粋な闇は、悪とはなりえない。光と相対するからと言ってそれが悪とは限らないのだ。
男性を中心に白い魔力が轟く。闇と拮抗するように光が広がっていく。だが、あまりに眩しすぎるそれは、正義と呼べるかどうかは怪しいものだった。行き過ぎた光は、立場によって正義にも悪にも成りうる。
闇と使い魔を。光と剣を。それぞれに構えて、二人の老人は睨み合う。
「それがあたしゃの願いで……」
「それが私の使命で……」
闇が膨らむ。光が弾ける。
「それがあたしの信念さ──!」
「それが私の信念だ──!」
その日。王都の貧民街の一角が、消滅した。
ここ、王都の貧民街で老婆──“情報屋”は一人の中年の男と取引に臨んでいた。
「ひひひ、これで満足かい?」
「……十分すぎる。噂に聞くあんたに頼んで良かった。できれば、もう少し負けてくれたら嬉しんだけどな」
「馬鹿言うんじゃないよ。ここまで金のために信頼を積み重ねてきたんだ。その分の対価はしっかりと頂かなきゃねぇ……」
男性の方も元より軽口のつもりで言った言葉だ。“情報屋”の返答にも特に落胆した様子は見せずに、金貨を数枚手渡す。“情報屋”はそれを満足げに眺めると懐へしまって──ふと空を見上げた。
「もう来たのかい。ずいぶんとまあ、せっかちなことで」
「どうした?」
突然独り言を零す“情報屋”に男性が怪訝そうな雰囲気で視線を向ける。“情報屋”の様子は、明らかにおかしかった。常日頃から不気味なことに間違いはないのだが、その人間味の無い老婆が珍しく笑み以外の表情を浮かべているのだ。
懐かしむような、或いは緊張するような。なかなか探り取れない複雑で薄い表情を顔面に貼り付けている。
だが、数秒後には“情報屋”は普段通りの薄気味悪い笑みに戻り、背後にある細道を指差した。
「申し訳ないけど、次のお客さんだ。予約は無かったはずだけどねぇ」
「そういうことか。じゃあ俺はこれで失礼するよ」
貧民街の空気は湿っぽくてな、と最後に残しそそくさと男性は退散していく。その後姿を見送ることもせずに、“情報屋”は別の小道へ視線を向けて、
「さあ、もう誰もいないよ。出て来るならさっさと来るといい」
「……久方ぶり、と言うべきか」
その暗闇から現れたのは一人の老人。オールバックが特徴的な豪華なローブに身を包んだ初老の男性だった。
その男性が視界に映り込んだ瞬間、どこからともなく大量のカラスが現れ周囲を包囲するように飛び回る。中から少なくない黒い羽根が舞い散る中で、老人と老婆は向かい合った。
「先に言っておくが、私に敵対の意志はない。目的は一つ、貴様を連れ戻しに来ただけだ」
「それをあたしゃが受け入れるとでも思ってるんかい? あんたが“帝国”の奴隷であり続ける限り、それにあたしを巻き込み続ける限り、協力することはあり得ないんだよ」
お互いの要求は単純で、それ故に敵対し続ける。男性の敵対の意志は無いという言葉だって、形式的に絞り出された建前でしかないのだ。そんなことは無駄だと分かっているはずなのに、男性は尚も言い続ける。
その理由を、“情報屋”は知っている。誰よりも知っている。知っていない訳が無かった。
「意志の無い人形を、何時まで続けるんかね」
「それが“我々”の使命である限り。そして使命を果たすためには貴様の力が必要なのだ。分かるだろう? 『アカシックレコーダー』」
「あたしをそれに巻き込もんじゃないよ。そんな道具みたいな名前はとっくに捨てた。今のあたしゃは“情報屋”。金であらゆる情報を売り付ける只の死に損ないさぁ。分かるだろう? “兄さん”」
“情報屋”が珍しく見せる感情の昂ぶりに呼応し、カラスたちの動きはより過激になっていく。今にも一斉に男性目掛けて飛びかかりそうな様子だ。
そのカラスたちが見たままの存在では無いと男性は知っている。それが男性を打倒しうる可能性を秘めていることを知っている。それでも、焦った様子はまるで見せなくて。静かに腰の剣を引き抜くと、真正面に構えた。
「ならば思い出させてやろう。貴様の自由も、平和のための犠牲となってもらわなければならない」
「何が平和だい? 何が使命だい!? あたしは一時の自由を得るために、滅びを受け入れる!」
“情報屋”を中心に黒い魔力が吹き荒れる。しかしそれは、不快なものでは無かった。純粋な闇は、悪とはなりえない。光と相対するからと言ってそれが悪とは限らないのだ。
男性を中心に白い魔力が轟く。闇と拮抗するように光が広がっていく。だが、あまりに眩しすぎるそれは、正義と呼べるかどうかは怪しいものだった。行き過ぎた光は、立場によって正義にも悪にも成りうる。
闇と使い魔を。光と剣を。それぞれに構えて、二人の老人は睨み合う。
「それがあたしゃの願いで……」
「それが私の使命で……」
闇が膨らむ。光が弾ける。
「それがあたしの信念さ──!」
「それが私の信念だ──!」
その日。王都の貧民街の一角が、消滅した。
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