ひとりよがりの勇者

Haseyan

第二十一話 エリアスの戦い方

 岩ばかりが露出する山岳地帯に竜の咆哮が、大地を揺らす轟音が、そして女性の嘲笑が響き渡る。暴力と悪意だけで構成された歪な音楽が、見るものすべてに恐怖を与えていた。

 ドラゴンゾンビもどきが前足を持ち上げ、振り下ろす。それだけの動作で巨大な岩が粉砕し、辺りに破片が飛び散っていく。動きは鈍足、行動もただ目標を踏みつけるだけなのだ。それなのに、その竜を模した魔獣は何よりも恐ろしい兵器であった。

「まずい……これだと時間の問題だ」

 そしてレオンたち四人はいくつかの岩陰を絶えず動き回りながら、必死に姿を隠していた。幸いにも逃げ出すことは不可能ではない。ジェシカの性格の表れか、少数を相手するには向かない巨大な魔獣を創り出してくれたおかげで機動性は損なわれているのである。

 だから、逃走は決して難しくない。エリアスを見捨てていく、という条件付きだが。

「あのデカブツの『魔核』は分からねえのか? 魔獣ならそれを撃ち抜けば他は関係ないだろう!」

「分かるには分かりますよ。ただ、破壊は現実的ではありません」

「え、どうして?」

 ブライアンの疑問にセレナは苦虫を噛み潰したような顔で答える。同じことを考えていたのか、ソラも小首をかしげた。

「あの女性が持っている『宝玉』が『魔核』の役割を代行しています。そしてあれを破壊するのは物理的に不可能です。皆さんなら知っているでしょう?」

「ああ、けどエリアスは見捨てられない……どうにか尻尾だけでも斬り落として全力で撤退するしか」

 レオンが歯を噛みしめ、覚悟を決めた顔でドラゴンゾンビもどきを睨み付ける。勝算ははっきり言ってゼロに近い。逃走が可能なのは、あくまで居場所がバレていない今から決行した場合の話だ。
 エリアスを拘束する尻尾を落とし、少なからず対峙した後で逃げ切ることは、あまりに難易度が高すぎた。

 しかし、エリアスを見捨てることの方がレオンたちにとっては難しいこと。
 あの泣き顔を。世界の理不尽に晒され、心が壊れぬよう必死に自分を騙し続けてきた少女を。そんな彼女の本音を聞いた後では、見捨てるなんて選択肢は消え失せる。もうエリアスだって幸せになってもいいはずなのだから。

「五分だけ。五分だけ時間を稼いでもらえませんか? その間に“儀式”を行います」

「でもあれってまだ未完成の術式じゃ……」

「それでも『宝玉』を相手にまともに戦うにはこれしかないんですよ。一度も成功したことはありませんが……今回は絶対に失敗はしません」

 セレナもまた、力強い覚悟をみなぎらせていた。その表情に最早誰も声をかけない。
 ただ無言で顔を見合わせると、四人は力強く頷き合う。黙って集中を始めた彼女へ背中に確かな信頼だけを残し、三人は岩陰から姿を陽の下へ現した。

「あら、そこね!」

「散開ッ!」

 ジェシカがレオンたちを見つけた途端、創造主の命に従いドラゴンゾンビが大きく前足を踏み出す。幸いにもその動きは酷く緩慢だ。たっぷり数秒の時間を掛けて振り下ろされる超質量から、それぞれ散り散りに回避する。

 続く攻撃に対処すべくレオンはドラゴンゾンビを必死に睨み付けて、地面を引っ掻くように横合いから襲い掛かる前足を見ると即座に跳躍。器用に高速で移動する前膝の隙間に足を掛けて、

「ぐっ、固すぎる……!」

 背負っていた槍を素早く抜き出し一突き。元になった物質が岩であり、案外脆いのではという希望による攻撃だったが、鉄製の槍を弾き返すには十分すぎる硬度だった。
 明らかに何かしらの魔法による補助が加わっている。その効果、あのジャックをも上回る性能であったが、考えてみれば当たり前だ。

 あれほど巨大な存在が自壊せずに動き回るには、相応の魔法による強化が必要なのである。存在を維持するための魔法が防御の強化にもつながっているわけだろう。冷静にもそう分析しながら、レオンは上空より放たれた火球を見てすぐさま飛び降りた。

「はあ……はあ……!」

「レオン、やっぱり今日の怪我が……」

 しかし、地面への着地に僅かに失敗。膝を強く打ち付け呼吸を荒くしつつも、レオンは降り注ぐ火球から退避するため走り続ける。
 その動きは明らかに精細に欠けていた。ジャックとの死闘、その際に使用した禁忌による反動。そしてエリアスから受けた一撃。レオンはとっくに倒れていてもおかしくない。むしろこうやって走り回っていることが異常なのだ。

「無理するなよ! 俺様たちに任せて……」

「馬鹿言わないでくれ。それは俺自身が許さない!」

 気を使うようなブライアンの台詞を遮り、戦場からは一切引かない。骨は軋みを上げ、酷使された肺と心臓は悲鳴を上げる。“切り札”だって、今日はもう使えなかった。ストックが切れていることもあるが、これ以上のドーピングをすれば“帰ってこれなくなる”。
 さすがにそれはダメだ。道半ばで倒れることは許されない。されど、エリアスを見捨てることも許されない。残った地力でどうにかする他に無かった。

「変な意地を張るもんじゃないわよッ!」

 しかし、走る回るレオンたちへジェシカとドラゴンゾンビは容赦しない。圧倒的質量と長大な歩幅でドラゴンゾンビが追いかけ回し、少しでも隙を晒せばジェシカの魔法が放たれる。
 戦況は絶望的としか言えなかった。まずレオンたちの攻撃はドラゴンゾンビに通用しない。最も破壊力に優れるブライアンが一瞬の隙を狙い殴り掛かったが、僅かに傷を付ける程度に終わっていた。

 ならば創造主であるジェシカを狙うべきだろうが、五メートル以上もの高さに鎮座する彼女にどうやって得物を届かせられるというのか。魔法ならそれも可能かもしれないが、現在自由に動けるのは近接武器を使う三人だけ。

 つまり、セレナの“儀式”の完成まで耐えるしかない。

「ほらほら! いつまで凌げるかしらね!?」

 何度も何度も、大地を揺るがす一撃が振り下ろされる。その隙間を縫うように膨大な魔力に任せた魔法が次々と降り注ぐ。
 受け止めることなど端から考えず、レオン、ブライアン、ソラは全力で逃げ続ける。その様子にジェシカは余裕そうな表情の中で僅かに首を傾げた。

 彼女からしてみればレオンたちの行動の意図は分からないのだ。彼らの目的がジェシカの打倒かエリアスの救出のどちらにせよ、何かしらの攻勢が必要となる。逃げるだけではじり貧でしかないのだ。

 つまり何らかの策がある。そこまで思案したジェシカは圧倒的有利による怠慢を少しは抑え込み、気が付いた。

「セレナ・ハミルトンがいない……! どこに隠れてるの!?」

「こいつは、まずいな」

 ドラゴンゾンビがレオンたちを無視して、あちこちの岩場をやたら滅多らに破壊しだす。自由になったブライアンがドラゴンゾンビの足を殴り付け、注意を向かせようとするが無駄だった。
 ジェシカに生み出された魔獣は、創造主の命令だけを聞く本能無き人形。通常の魔獣と異なり、獣のような本能に従う行動は取らない。

「────」

 やがてドラゴンゾンビの前足が、セレナの潜む岩陰の上空へと掲げられた。片膝を立て、祈るような姿勢で極度の集中状態にあるセレナは、迫りくる暴力に気づけていない。

「止まれえぇ!!」

「おりゃぁ!」

「間に合って──!」

 レオンとブライアンが必死にドラゴンゾンビへ攻撃を加えるがやはり効果は無かった。全くの不動であり続けるドラゴンゾンビの踏みつけは止まらず、早々に諦めたソラがセレナに全力で駆け寄る。
 残り十メートルほど。巨大な岩の影がセレナを飲み込む。残り数歩。超質量が落下を始めた。
 セレナの元にたどり着く。突然背負われたセレナは驚きを露わにしつつも、目の前に迫る死へようやく気が付いた。

 死の範囲から逃れる。ダメだ。僅かに間に合わない。

「せめて……!」

 セレナだけは。彼女だけは死んではいけない。レオンたちの願いを果たすために、セレナの知識は絶対に必要なのだ。それならば、刀を振るい騒ぐことしか能が無いソラなら。この身を捧げることでセレナを助けられるのなら。

 迷わずソラよりも長身なセレナを抱えたままに振りかぶる。そのままセレナだけでも安全圏へ投げ飛ばそうとして、

「な、なに!?」

「え」

 甲高い音と共にドラゴンゾンビの踏みつけが弾かれていた。想定外の現象にソラの動作が眼を見開いたままに固まり、見上げる。

 ──そこには巨大な『障壁』が顕現していた。

 宙に浮く半透明の盾に刻まれた術式は、素人目にも分かるほどに不慣れで、お世辞にも綺麗とは言えない滅茶苦茶なもの。それを膨大な魔力によって、無理やり強固な防御として練り上げている。

 これほどの魔力を持つ存在など早々いない。そしてこの乱暴で力任せな魔法。これほどまでの実力を持っておきながら、防御に関してはさっぱりな人物。それはこの場には一人しかいない。

「もう……もう嫌なんだよ……っ!」

 全員の視線が集中した先で、ドラゴンゾンビの尻尾に縛り付けられたままのエリアスが。涙と共に吼えていた。




 ☆ ☆ ☆ ☆




 固さと柔軟さ。二つを両立したドラゴンゾンビの尻尾に体を締め付けられながら、エリアスは戦場を見下ろしていた。
 小さなエリアスの体に対して、容赦無い主に従ってドラゴンゾンビの力は一切手加減されていない。一応死なないように調整されている程度だ。みしみしと貧弱な体が悲鳴を上げる。

 それでも、エリアスは手放しそうになる意識を懸命に手繰り寄せ、戦いを、一方的な虐めを見つめ続ける。

 何故かは、もう分からない。レオンたちのせいでエリアスは滅茶苦茶だ。長年思い込んできた信念が、間違いだったことを分からされた。
 だが、それなら一体エリアスは何を軸に生きていけば良いのだ。これまでは怒りのままに魔族を殺すだけで良かった。戦争という大義名分がその行いを善とし、何も考える必要も無い。

 しかし、エリアスはそれ以外のことを知らない。いつまでも子供のままであるエリアスは、それ以外の手段を持つことができない。

 これ以上目の前で仲間が、家族が、死ぬのを見たくない。その願いは分かり切っているのに、どうすればいいのか知らない。
 そして“信念無き者に『勇者』の力は扱えない”。今だってエリアスの体に仮初の『勇者』の力は漲っているのだ。だが、先ほどまでとは違って、膨大な魔力はまるで言うことを聞かなかった。

「結局、俺は……自分だけじゃ何もできない……」

『勇者』の力に頼らなければ、エリアスは何もできない。一人きりじゃ何もできないのだ。悔しさから涙が再び溢れる。情けない。これでは本当に見た目相応の少女だ。

「あ……」

「間に合って──!」

 にわかに戦場の様子が変わる。強者が弱者をいたぶるように、これまで余裕の表情だったジェシカが慌てて辺りの岩陰を潰して回る。
 ジェシカが鎮座する頭蓋骨からは見えないのだろう。だが、尻尾に拘束されたエリアスの位置からは、無防備なセレナにドラゴンゾンビの前足が迫るのを確認できた。

 残りの三人が決死の表情で止めようとするが、まるで歯が立っていない。努力は空しくセレナへ終わりが降り注ぐ。エリアスの目の前で、エリアスは何もできずに、一人のエルフが、“仲間”がその命を散らせていく。

 ──そんなこと許したくない。

 気が付けば、記憶の端から術式を引っ張り出し詠唱していた。もう何も考えていない。ただ目の前で“仲間”に死んでほしくない。ただそれだけの願いを胸に、“信念”を胸に唱える。
 再び『勇者』の力がエリアスに従った。何年ぶりに使ったかも覚えていないようなうろ覚えの、それでいて魔法の最も初歩的な術式の一つ。それを発動させるべく。

「もう……もう嫌なんだよ……っ!」

 乱暴すぎる術式へ膨大な魔力が流れ込み、どうにか現象を形作った。祈るようにその空間を涙と共に睨み付け──顕現する。

 巨大な盾が。暴力の塊とも言えるドラゴンゾンビを弾き返し、セレナを守り切る。驚いたような表情でソラがこちらに視線を向けてきた。
 誰もが想定外だった人物の干渉により、戦場へと奇妙な沈黙が流れる。数秒を置いて、我に返ったジェシカが再び動き出して、

「邪魔するんじゃないわよ! あたしが手を出せないからって調子にのっ……」

「申し訳ありませんが」

 ソラの背中から降りたセレナが、魔力の奔流にその銀髪をたなびかせ、ジェシカの言葉を遮った。

「──チェックメイトです」

「あんたまさか……ふざけるんじゃないわよ!!」

「東に業火。西の吹雪に、南の大地。北に轟く雷鳴」

 セレナの言葉に、今度こそ本気で慌てたジェシカがドラゴンゾンビへ命令を下す。宙に浮きセレナを守り続ける『障壁』を叩き割ろうと何度も足を振り上げるが、必死に魔力を送り続けるエリアスが随時修復してしまっていた。

「愛し合う者よ。憎み合う者よ。善悪の狭間に巻き起こりしは反発し合う魂の嵐」

「この弱虫が、すぐにこの術式を消せ──!」

「ぐぅ……嫌だ、絶対にやめねえ……」

 エリアスを締め付ける力がさらに強力になる。それでもエリアスは意識を手放さない。“仲間”を守るべく、たった一つの信念を掲げて。
 エリアスの加護を受け、遂にセレナは瞳を閉じた。エリアスを信じ、攻撃に対しての防御を一切考えていない。ただ己の役目を果たすべく、エリアスへ自らの身を預ける。

 それに答えないわけにはいかなかった。痛む体を、慣れない魔法を使う不自由さを。何もかもを信念のもとに押し込んで見せる。

「潰し合い、呑み合い、殺し合え。永遠に反射し合い、自壊せよ──」

「やめ……」

「『ニュートライズ』!!」

 最初、エリアスは魔法が不発に終わったのかと思った。それほどまでに辺りに何の変化も無かったのだから。それはきっとレオンたちも同じだったのだろう。
 不思議そうに、不安げに辺りを見渡す。だが、セレナだけは会心の表情でドラゴンゾンビを見上げていて、

「いやあぁぁぁぁぁ──」

 上がった悲鳴はジェシカのものだった。半狂乱になってジェシカは手元の水晶、『宝玉』を必死に抱きかかえる。しかし、彼女は何もできない。徐々に輝きを失い、力を失っていく『宝玉』を黙って見届けることしかできていなかった。

「何をしたのよ!? こんな……『宝玉』が、古代の秘宝があんたら現代人如きに……!」

「それを研究していたのは誰だと思っているんですか? 全ては解明できていなくとも、今を生きる人間の中でもっともそれに通じているのは私です。封印する程度なら不可能じゃありませんよ」

「あんたが、裏切り者が偉そうな口を……きゃっ!」

 バランスを崩したジェシカが頭蓋骨の上で転倒し、危うく転落し掛ける。青い顔を浮かべたジェシカがドラゴンゾンビを見下ろした。崩れゆくドラゴンゾンビの姿を、見下ろした。

「グォアァアアアアアア──!!」

 魔力の供給を断たれ、存在を維持できなくなっているのだ。巨大な質量を顕現させ続けるには、肉体を補強する魔法が必須。それを失い、自らの自重で岩の魔獣が崩壊していく。表面から順番に岩が砂へと還っていく。

 やがて一際大きな音を立てたかと思うと、ドラゴンゾンビを支えていた背骨が中心辺りで真っ二つに折れてしまった。それを皮切りにして一気に崩壊が進行する。その中にはジェシカが乗る頭蓋骨、エリアスが拘束されている尻尾も例外では無くて。

「こんなことが……こんなことは認めない! あたしは『宝玉』に適合した新人類で……あんたらただの人間如きに、こんな──」

「ちょ、やばい……!?」

 最早それは中規模の崖崩れのようなものだ。このまま巻き込まれればあまりに危険すぎる。だが、依然として胴体に絡みつく岩の尻尾がエリアスの脱出を阻害し、自由を封じられたままに少女の体が地面へ吸い込まれていった。

「エリアスッ!」

 だが、寸前のところでレオンが大きく跳躍。セレナの風の援護も受け、人一人が驚くほどの飛距離を飛び、見事にエリアスの体を腕に収めて見せた。
 だが、上手く行ったのはそこまでだ。ダメージの大きいレオンは、地面が近づくにつれ徐々に体勢を崩し、そのまま着弾する。どうにかエリアスを庇うように受け身だけは成功させて、二人は抱き合うように地面を転がっていった。

「お、重いっての……!」

「悪い、ちょっと体が言うこと聞かない……」

「はあ!? 無茶しすぎだろ!」

 エリアスを覆いかぶさったまま動かなくなってしまうレオンに、エリアスは思わず叫ぶ。どうにか小さな体をレオンの下から抜き出して、ようやく地面へと降り立った。その姿を見て、レオンは倒れたままに小さく笑い、

「ちょっとは泣き止んだか?」

「う、うるせえ! 泣いてなんかいねえよ!?」

 反射的に全力で否定し、それを見たレオンがさらに安心したような柔らかな表情を浮かべた。その発言がエリアスを元気づけようとするレオンの心遣いだと気づいて、同時にそれに気づける自分に気づいてしまって。

「……ほ、ほら、立てるか?」

 地面へ四肢を投げ出したレオンへ、手を差し出した。眼を見開き、驚いたような表情をレオンは浮かべているのだろうか。
 少なくとも熱を持った顔を隠すように、あらぬ方向へ首を向けているエリアスには確認のしようが無い。ただ一つ、押し殺した笑いだけは耳に届いていた。

「ああ、立つぐらいなら何とかなるさ」

「エリィ! 良かったぁ!」

「ぬわぁ!?」

 ふらつくレオンをどうにか立たせ、その直後目の前に茶色の頭が飛び込んでくる。エリアスよりも僅かに目線の高いそれをどうにか受け止め、首に絡みついてくる腕を引き剥がそうとして、

「もう、あんなことしないよね?」

 同時に肩を湿らすものを感じて、押し黙る。エリアスがやったことはとても許されることではない。己の身勝手で助けに来てくれたレオンたちに牙を剥いたのだ。
 だが、今はどうかと尋ねられれば。レオンたちが許してくれるかを棚に上げておけば、

「本当にごめん……」

 それが今の心からの気持ちだった。それで安心してくれたのか、ソラの締め付けが強くなる。剣士であり、体格も僅かにエリアスを超えるソラに力を込められると、割と本気で息苦しいが今は耐えた。

「謝ったぐらいで済むなら苦労しませんよ……ですが、」

「レオンもセレナも昔は荒れてたからな! 人のことは言えんだろうよ!!」

「……そういうことです」

「あの頃を引っ張り出されたら黙るしかないな……」

 どこか遠い目をする二人に対して驚き気持ちでいっぱいだ。お人好しを絵にかいたようなレオンに、いつも冷静で感情的にはなりそうにないセレナ。どちらもエリアスのように暴走するとはとても思えなかった。
 誰もそのことを否定しない辺り、事実なのだろうが。

「とにかく、こうしてみんな無事なんだ。それでいいじゃ……」

「──勝手に話を進めてるんじゃないわよ」

 地獄の底から湧き出るような声に、溢れ出る殺気。それを感じて、エリアスたちは一斉に声の発生源へ、ドラゴンゾンビの瓦礫へ警戒を向けた。
 その瓦礫の山からはい出てきたのはボロボロになった女性、ジェシカだ。最早崖崩れなどの災害にさえ匹敵した崩壊に巻き込まれても尚、ジェシカは自由に動ける程度には無事だった。

 しかし、怪我が無いわけではない。全身には無数の切り傷から血が流れ、顔は土で汚れている。髪の毛もひどいありさまになっており、あくまでそれだけだ。
 怪我はしている。だが、とても致命傷には遠い。魔法の腕はともかくとして、体の方は特に鍛えていないはずなのに。

 それを怪訝そうに見つめるエリアスたちへ、ジェシカは憤怒に塗れた視線を突き刺した。

「『宝玉』を、抑えたつもりかもしれないけどね……元からあたしが取り込んでいた分はそのままなのよ……! これだけの魔力で防御すれば死にはしない。あんたらを八つ裂きにするにも、十分すぎるわ!!」

「エリアスさんの身柄が目的では?」

「知ったことじゃないッ! あたしをこんな目に合わせておいて、只じゃ置かないわよ……!」

 血走った眼で、ジェシカが膨大な魔力で身を包む。それは先ほどまでとは比べればよっぽど弱まっているとはいえ、只人の身には十分に有り余る力だった。
 状況は未だに不利であり続け、それでもレオンたちは勇ましく武器を構える。そして、その中にエリアスも、僅かに躊躇った後に並んで、

「エリィ……これ以上の『身体強化』は危険だよ」

「分かってる」

 心配げに制止するソラに答えつつ、腰のホルスターから取り出すのは一本の武器。木材をベースに作られ、先端に金色の水晶を備え付けられた短杖。ソラに半ば強制的に押し付けられた杖だった。

「それ、ちゃんと持ってたんだ」

「小さいから持ち運びには困らなかったんだけだ……まあ、それに今は感謝するけどな」

 ずっと剣に拘り続けていたエリアス。それはキールたちとの繋がりを失いたくなかったからだ。決して果たされない約束を守るために。

「けどな、結局はそんなの自己満足だ……剣を振り続けたところでキールたちは戻ってこねえ。それどころか周りに迷惑をかけるぐらいなら」

 違和感だらけの得物を見下ろす。ジェシカから与えられた仮初の力は、そのほとんどを消耗し尽してしまったがそれでも僅かに残っている。それを杖に流し込みながら顔を上げた。その表情に浮かんでいたのは、悲しみか。或いは覚悟か。

「きっとあいつらも分かってくれる。俺は、今の俺にできる戦いをしてやる!」

「調子に乗るんじゃないわよぉぉぉ──!!」

 エリアスの杖から一筋の雷撃が放たれ、それを皮切りにジェシカの周辺から大量の魔法陣が顕現した。
 炎が、氷が、風が、雷が、岩が。ありとあらゆる属性の魔法が降り注ぐ。どれも当たればただでは済まない必殺の一撃。だが、それらは尽くエリアスの雷撃とセレナの突風に撃ち落とされていく。

 二人の援護を受け、レオン、ソラ、ブライアンの三人がジェシカへと肉薄した。

「雑魚如きがぁ!」

 レオンが真正面より槍を叩き込み、ジェシカは強化された動体視力を頼りにどうにか致命傷を避ける。それでも肩口に出血を伴い、続いて左右から挟み込むソラとブライアンに眼を剥いた。

 いくら肉体を強化していようと、ジェシカ自身に近接戦闘力は皆無だ。一瞬の判断を要求される戦いにおいて、経験の差は顕著に表れる。
 事実、迎撃するべきか一瞬迷いを見せたジェシカはワンテンポ動作が遅れて、

「『隆起』!」

 それでも行動が間に合ったのは彼女の実力の賜物だった。地面の一部分が勢いよく盛り上がり、ジェシカの体を空中へと逃がす。目の前の土くれに攻撃を命中させたソラとブライアンを、馬鹿にするように見下した。

「悪いな」

 ──それをさらに見下ろす者がいるとも知らずに。

「剣を使わなくても、俺は剣士だぜ」

 身軽さを生かし背後へ先回りしていたのは剣を構えたエリアス、否、構えているのは先端から刃状に形どった雷を生やす短杖だ。『身体強化』は、使用していない。肉体の強化は本来ならば元から力に優れる戦士が更なる筋力を求めて行う術式。

 見た目相応の膂力しか持たない今のエリアスには負担があまりに大きすぎた。だが、この雷の剣ならばそんなこと関係ない。
 あくまで実体として存在するのは杖の部分だけで、少女の筋力で容易に振り回せる。何よりこの刃は斬るのではなく、相手に直接ぶつけ感電させるのが目的だ。故に攻撃時の抵抗も限りなく存在せず、“斬る”という動作に必要な力はほぼゼロと言って良い。

 素の身体能力だけで動くエリアスの刃が迫る。間近で放たれる魔法の威力は、遠距離攻撃という利点を捨てる代わりに非常に高い。いくらジェシカでも、ダメージは避けられない。

「きゃぁぁぁ!?」

 効果はてきめんだった。激しく全身から煙を立てるほどの一撃を喰らい、ジェシカの体が無防備に地面へと投げ出される。そこに迫るのはレオン、ソラ、ブライアン。彼らのパーティーの接近戦役が容赦なく肉薄した。

「う、嘘よ……こんな、あたしがこんなところで……」

 刺突が、斬撃が、打撃が。三つの一撃に加え、最後の一押しに雷撃と突風までもが襲い掛かる。体の自由が利かないのか、ジェシカはその場で倒れたままだ。
 命取った。全員の脳裏へ勝利の確認が芽生えて、

「な、なんだ!?」

 ──天より降り注ぐ光が、ジェシカを包み込んだ。

 その光の柱はジェシカへ迫る脅威を完全に退けて見せ、驚愕の声を上げたのは誰だったのか。状況を理解できない。ただ分かることは、この神秘的な魔法現象がジェシカに味方するということだけだ。
 眼を見開くのはジェシカだって同じだった。しかし、現状を理解した途端に彼女は歓喜の表情を浮かべた。

「転移魔法……残念だったわね! あたしの部下が先に手を回してくれていたみたいよ!」

「うっ!? だめ、壊すのは無理だよ……!」

「俺様の一撃でも効かんな」

 何度も何度も攻撃を加えるが、光の膜には傷一つつかない。明らかにジェシカを覆う加護は外界からの影響を拒絶していた。せっかくここまで追い詰めたのに。そう思わずにはいられず、全員で攻撃を続けるがどれも徒労に終わってしまう。

 諦めきれないレオンたちをせせら笑い、ジェシカはエリアスへと視線を向ける。憤怒を、煽りを、殺意を。悪意しかない感情と共にエリアスを射抜くように見つめて、

「あんたも馬鹿ね……あたしと一緒に来ていれば目的を達成できたはずなのに。もうあんたは『勇者』に戻れない! 一生その女の体で過ごすのよ! 唯一の機会を逃したこと、後悔するといいわ!!」

 言い終わると同時に一際強い光が放たれると、中にいたジェシカごと光の柱が消え失せる。その残滓として小さな光の粒たちがひらひらと天へと昇っていた。直前までの状況を省みなければ、とても幻想的だと素直に鑑賞できただろうに。
 そんな光景にエリアスは肩の力を抜き、どこか開き直ったような口調でポツリと呟く。

「後悔なんて今更だ……俺の人生なんて間違いだらけだったんだからな……」

 誰にも聞こえない小さな声が光と共に消えていく。その言葉に一体どれだけの葛藤が含まれていたことか。
 だが、少なくとも。全員の無事を確認し、ソラに再び飛びつかれたエリアスの顔は。長年の呪いから解放されたかのように、晴れやかなものだった。

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