ひとりよがりの勇者

Haseyan

第十六話 彼らの怒りを一身に

 血の香りと、鈍い痛みだけが世界を包み込んでいる。主に両手から主張される鈍い痛みが、場違いのように困った様子で会話する男女の声だけを認識できる。怒り、恐怖。二つの激情に支配された精神も、度重なる痛みに襲われた肉体も疲れ切ってしまっていた。
 本来ならば気絶しているはずなのに、女性の持つ『宝玉』とやらをかざされてから妙に意識がはっきりしている。痛みから、苦しみから、逃れるすべは無い。

「こりゃダメね。ほんとに何も知らないみたいだわ」

 女性の声が鼓膜を揺さぶる。だが、エリアスは何ら反応を起こすことは無い。怒りも恐怖もいくらでも湧いてくるのに。それに反応する気力はもう無い。

「……だが、眼は死んでないな」

 それでもだ。エリアスは彼らを睨み付けることは決してやめない。それは最早、意識の外で行っている反射的な行動だ。魔族に屈するな。恐怖では無く、怒りを掲げろ。
 エリアスの深層心理に根付いたどす黒い感情だけが、最後の気力だった。

「じゃあ、さっさと残りを捕まえてきて頂戴。今、七番の入り口から侵入してきた四人と二人がそうよ」

「少し待て」

 女性の命令口調を無視し、ジャックはエリアスの正面へ立つ。その冷たい瞳が、未だ怒りを燃やすエリアスの瞳と絡み合った。

「俺からも一つだけ質問する」

 また“質問”か。答えられない回答を求め、できなければ痛みつけられる。一瞬恐怖が湧いて出てきて、すぐに諦めに飲み込まれた。もう、どうでもいい。
 そんなエリアスの様子を気にすることも無く、ジャックから“質問”が放たれる。

「どうして、あいつらと一緒に行動していた?」

「……? 情報の当てが、あいつ、らしか……いなかったから……」

「違う、そうじゃない。もっと根本的な話だ」

 これまではレオンたちに関係する質問か、もっと訳の分からない単語を交えたものだった。しかし、ジャックの問いはこれまでと違う。そもそもジャックがこうして尋ねてきたのはこれが初めてだ。
 意味が分からない。一体、ジャックは何を聞きたくて──

「お前、本当はこっち側の人間だろう? どうしてあんなまともな連中と一緒にいた?」

 エリアスの思考が完全に停止する。黙りこけてしまったエリアスへ、ジャックは続けていく。

「極限状態で人間の本性は見える。こんな自我が崩壊するような拷問を受けて、それなのにお前の眼は死んでない。そういう眼はな。目的のために手段を選ばない、何なら自分の命も捧げて見せる狂人のものだ。ろくな人生を送れる人間じゃない。お前さんはな」

「…………」

 いや、理解できる。エリアスはまともな人間ではない。確かにジャックのような陽の光の下を歩けない人間に近いだろう。元々、レオンたちと一緒にいたのが間違いだったのかもしれない。
 仲間を思いやり、お互いに助ける合う温かな生活は、エリアスには許されていないのだから。屑は屑らしく、裏路地で泥水でもすすりながら復讐の機会を探っているべきだったのかもしれなかった。

 そんなどこか諦めの入った様子をジャックは黙って見つめる。僅かに迷うように。だがすぐに再び口を開いた。

「……本当にお前の眼はあの『勇者』に似てるな。暗がりの人間の癖に仲間に囲まれて……それを奪ってやったときのあいつの眼によく似てる。髪と眼の色も同じ……案外兄弟だったりしてな」

 ──は?

 今、ジャックはなんと言った。疲れ果てた脳は理解を拒否する。だが、理性が懸命に言葉の意味を読み取ろうとする。絶対に聞き逃してはならない。気が付いた時には、もう動かないと思っていた喉が震えて、

「ま、待て……今なんて言いやがった……?」

「ん? 以前に引き受けた依頼でな。王国軍に扮して『勇者』の部隊を罠に誘導する仕事だ。あれは中々にぞくぞくする仕事だった。殲滅した後に遅れて到着した『勇者』の狼狽えようと言ったらな。戦略兵器が、人間みたいに泣きわめいて。それで関係ない連邦の部隊を襲ったなんて聞いた時には、久しぶりに笑わせてもらった」

 これまで冷静な仕事人と言ったジャックにしては、珍しく私情を挟んだ物言いだった。いや、そんなことはどうでもいい。どうして彼の言っている内容はエリアスの地獄と酷似しているのだ。
 この恐怖さえ押しのけて湧いてくる激情が。真っ赤に燃える感情が。これが本物だとしたら、この男だけは、

「そ、その部隊の隊長の名前は……?」
























「確かキール、だったか。うろ覚えだが……」

「てめえかあぁぁぁぁあああああ──!」

 悲鳴を上げ続け、避けたはずの喉から再び絶叫が放たれる。体が固定されているのが忌々しい。エリアスの復讐の根幹が、目の前で嘲笑を上げているというのに。殺してやる。殺してやる。──コロシテヤル。

「な、なんだ……?」

 腹の底から激情が、黒い何かが溢れかえってくる。久しぶりだ。これはエリアスが魔族を斬り続けていたときに感じていたものと同じだ。
 胸糞悪いクソッタレの気分が、エリアスへ力を与えてくれる。気分が悪い。吐き気もする。だが、それが目の前の男へ復讐する力を与えてくれるのなら、

「やっと見つけたぁ! キールの仇だ……みんなの復讐だ……絶対に逃がさねえぇぇぇ!」

 エリアスを縛っていた縄が急速に崩れていく。洞窟の壁が劣化し砂へと変わっていく。ジャックの部下の男が泡を吹いて倒れた。
 魔力がエリアスの元へと集い、あらゆるものが崩壊していく。この忌々しい力が膨大な魔力をエリアスへと授ける。だが、今の軟弱な少女の体ではそれに耐えきれていなかった。

 沸騰した血液が目から、鼻から次々と溢れていく。それでもエリアスは止まらない。例え刺し違えてでも、目の前の男だけは絶対に殺さなくてはいけない。
 もう少しでロープが千切れる。その瞬間に、ジャックの眼を潰してやろう。目と喉を潰し、四肢を奪って生き地獄を味合せてやる。まだか。早く千切れろ。今すぐにこの怒りをぶつけてやって、

「『ヒュプノス』」

 淡く発光する透明の石を掲げた女性が何やら唱え、エリアスの意識が闇へと覆われていく。まだダメだ。目の前に仇がいるというのに。だが、限界を迎えつつあった肉体は外部からの干渉も合わさり、意識を手放していく。
 ただただ殺意だけを抱えて、エリアスは深い眠りへと沈んでいった。




「おいおい、一体何だってんだ」

 エリアスの意識の喪失と共に崩壊の止まった洞窟を見渡しながら、ジャックは困惑顔で呟いた。どう言う訳か、かなりの量の魔力を奪われてしまった。強制的に魔力を徴兵される不快感は想像以上に大きい。
 体の調子を確かめるように肩を回しながら疑問の声を上げて、それを無視して女性はエリアスの元へと駆け寄っている。

「何をやってる?」

「────」

 ジャックの言葉に反応を示さず、女性はエリアスの服の肩口を掴むと強引に引き裂く。白い陶器のような右肩が露わになり──そこには不思議な形をした紋章が浮かび上がっていた。しかし、次の瞬間にはエリアスの体へ吸い込まれるように消え去っていく。

「ジャック。前言撤回よ。この子は大当たりだわ」

「……訳が分からないな」

 ますます困惑を深めていくジャック。そんな彼を無視して、女性は満面の笑みを浮かべる。その表情は想定外の幸運を得た喜びを最大限に主張していた。

「やっぱり残りの連中は捕まえなくてもいいわ。可能ならしてほしいけど、足止めを優先して。あたしはすぐに脱出するから」

「まあ、仕事なら全力でやるまでだ」

 答えは分からないと諦めたのか。ジャックはその場を後にしていく。その背中を見送ることもせずに、女性はエリアスの体の治療を済ませ、愛おし気に頬を撫でた。だが、彼女に浮かぶのは母の慈悲では無い。欲望に塗れた暗い笑みだ。

「ふふふ、これで将来は約束されたものだわ」

 穢れた笑みが洞窟に木霊する。その女性の腕に抱きかかえられたエリアスは、眠りに付きながら不快気に顔を歪めた。




 ☆ ☆ ☆ ☆




「また分かれ道か……」

 先頭を歩くブライアンが持つ魔水晶の光の元、レオンたち四人は静かに洞窟の小道を歩いていた。成人男性が二人並べば、それだけで埋まってしまうような細い道。高さもせいぜい三メートルほどだろうか。
 その道が二手に分かれているのを見つけると、レオンは手元の簡素な手書きの地図にメモを書き加え、ソラは壁に記号を刻む。そして、すぐ背後にいるセレナに視線を向けた。

「方角的には左です」

「分かった。そっちに向かおう」

 短いやり取り。それに誰も文句は言わずすぐに行軍は再開される。既に洞窟へ侵入してから一時間ほどが経過していた。あまり深いところに拠点は置くことは無いだろうという予想から、そろそろ人影でも見えてもおかしくないはずだ。

 そもそも大穴とは繋がっていないだとか、心配はいくらでも湧いてくる。だが、頭を悩ませる暇があるのなら行動したほうが良い。少なくともレオンはそう考えていた。

 誰もが最低限の声しか出そうとしない。洞窟で下手な音を響かせたくない、というのももちろん小さくない要因だが、それ以上に負の感情が全員を支配していた。
 ジャックに対する敗戦によって失ったものは、何もエリアスの身柄だけでは無い。その雰囲気が不幸を呼び寄せたのだろうか。

「……!? 罠です! 魔力の反応がありま──」

 突然、セレナから放たれた怒号は最後まで聞こえなかった。何かが破裂する音と、大地の震動。フラフラと姿勢を保つことがすぐに困難になり、天井から致命的な響きが聞こえた瞬間、全員はすぐに動き始めていた。

「みんな走れ!」

 先頭のブライアンが珍しく鬼気迫った様子で叫び、全員がそれに従う。形を失っていくのは洞窟の岩盤、天井だ。巻き込まれたら命は助からないだろう。ブライアンを追いかけるように、全員が走り抜ける。

「セレナ、どっちだ!?」

「右です!」

 再び分かれ道。息も絶え絶えの中、セレナの指示に従い全員が右の道へと駆け込んでいき──

「きゃっ」

 背後から小さな悲鳴が聞こえた。慌てて振り返れば、そこには大勢を崩し地面に顔をぶつけるソラの姿が。小柄な彼女の軽すぎる体では、揺れる地面でバランスを取るのが難しかったのだろう。そんな解析をしている場合ではない。

「ソラさん……!」

「セレナは先にいけ!」

 すぐさま踵を返し、ソラの小さな体を抱きかかえる。可能な限り素早く再び走り出すが、絶望的に遅い。一度殺してしまった速度を、もう一度最高速まで加速しきるのは容易では無かった。
 崩壊がすぐ背後まで迫る。すぐ頭上の天井に亀裂が入り、ブライアンたちがいる右への通路が塞がり始める。まずい、間に合わない。そんな情けない心の声が聞こえてきて、

「ブライアン、受け取れッ!」

「ひ、ひぃぃ──!?」

 反射的にソラを全力で放り投げた。先ほどとは裏腹に彼女の軽さが幸いし、予想以上の距離を猫耳少女が飛んでいく。レオンの言葉を聞いたブライアンがソラの体を見事に腕の中へ納めて見せて、その光景が岩石によって遮られる。
 僅かに隙間はあるが、成人男性のレオンが通り抜けるのは不可能だ。咄嗟に反対の左の道へ身を投げ込んで、

「はあ……はあ……」

 分かれ道の始点で崩落は止まった。正に間一髪だ。思わず荒い呼吸と共にその場へ座り込み、状況を再認識すると慌てて立ち上がる。

「ブライアン! セレナ! ソラ! 聞こえるか?」

「こち……はぶ……です。け……せんか?」

「ダメだ! 聞き取れない!」

 真っ暗闇の中、壁へ耳を当てると僅かにだがセレナたちの声が聞こえてくる。だが、壁が分厚いのか内容まで聞き取ることは困難だった。何度か会話を試みて、それが無理だと悟るとポーチから魔水晶を取り出し光源とする。

「また孤立か……エリアスを連れた初仕事でもこんなだったな」

 暗黒の世界を再び光が切り裂いたことを確認して、自嘲気味に呟いた。今だって状況は最悪だ。どこに盗賊団が潜んでいるかもわからない洞窟内で、たった一人で孤立。退路は塞がれ、残ったのは前進のみ。
 だが、あの森でだって似たような状況だった。それなら何を恐れる必要がある。魔水晶の光を頼りに、再び足を進めていく。


 やがてたどり着いたのは、これまでの通路とは比べ物にならない大広間だった。光源不足も手伝って見えないほど高い天井に、冒険者ギルドの訓練場の半分程度はありそうな面積。──そしてその中心で佇む一人の男。

「ジャック……!」

「お前さん一人か。本当は“逆”が良かったんだが、まあうまく分断で来たみたいで何よりだ」

 足元を転がる僅かな魔水晶に照らされて、ジャックはレオンへと言葉を投げかけた。あくまで自然体で、余裕そうな表情で、だ。本当にレオンを敵とは思ってない。絶対なる自信から来る余裕の態度だった。
 それは悔しいながらも事実だ。五人がかりで無理だった相手に、一人で勝てるわけがない。

 ──それがレオン以外だった場合の話だが。

「エリアスは無事なんですか?」

「あのガキなら奥で別の女が相手してる。良く知らないが、有用だったそうで殺しはしないそうだぞ」

 ジャックの様子に嘘は無い。そのことに未だ何も解決していないのに関わらず安心してしまった。すぐに気を引き締め直してから、武器を構えずに対話を続けて、

「エリアスの元まで案内してください。避けれる戦いはやりたくない。降伏するなら、命までは取りません」

「嘘つけ。王国が黙っちゃいない。こんな罪人はな。それにお前ひとりで俺をどうにか……いや、できるのか」

 そこで一度ジャックは押し黙る。僅かに目を伏せ、数秒後には顔を上げる。その瞳にはレオンに対する軽蔑のような感情が含まれていた。

「そんな甘いことを言ってるんじゃないぞ。レオナル──」

 直後、ジャックは言葉を打ち切り、左腕を掲げていた。そこには高速で接近し、槍を叩きつけるレオンの姿がある。その顔は複雑な感情に支配されていて、

「どこでその名前を聞いた……!?」

「やればできるじゃないか。そのまま──本気でかかってこい」

 右腕に軽いながらも切り傷が刻まれたことに、ジャックは好戦的な笑みを浮かべる。真っ暗な戦場で、青年と男性は再びぶつかり合っていた。




 ☆ ☆ ☆ ☆




 崩落した洞窟の分かれ道。その片方、セレナたちが逃げ込んだ道。その道の壁が不可思議に揺らぎ始めていた。
 うねるように壁の一部分が歪んでいき、やがて小さな穴が姿を現す。そこから次々と出てくるのは多種多様な特徴を持った人間、魔族だった。

「間抜けな冒険者が、どうやら気づかなかったみたいだな。突然崩落が起きた時点で人為的なものだって分かるはずなのによ」

 口元を汚く歪めながら、魔族たちは嘲笑を上げる。この狭い通路で奥に行けば別の仲間だって待機している。完全に挟み撃ちに成功という訳である。
 反対側の通路に逃げ込んだ青年もいたようだが、そちらにはあのジャックが待機している。彼もまた、命運は尽きたであろう。

「さーて、それじゃあ隠密魔法を掛けて接近しようや。背後から奇襲でドワーフの首をバッサリ。残りの女は獣人の方は好きにしていいらし……」

「──楽しそうじゃねえか。俺らも混ぜろよ?」

 暴力的な風が放たれ、話していた魔族の首があっけなく落ちる。魔族たちは自分たちが先ほどまで潜伏していた横穴に警戒の視線を集めた。それぞれが剣や爪、或いは嘴など。魔族特有の武器を構え、二つの人影が現れる。

「レオンたちの後ろから付いていってたら、突然天井が降ってきてびっくりしたよ。その後に隠し通路を見つけてもっとびっくりだ」

「次はもっと上手いこと偽造しろよ。幻覚魔法の講座でも受けてくるのがいいんじゃねえか? まあ、地獄に行ってからの話だが」

 殺された魔族が持っていた魔水晶以外に光源は無く、持ち主を失ったそれも地面を転がっている。故に二人の男──それにしては一人は小柄だが、恐らくは声質から男二人であろう二人の全容は確認できなかった。

「でもセレナさんが気づかなかったのはどうしてだ? あの人だってかなりの使い手だろう」

「さあな。まあ、焦ってたんじゃねえか? 一見冷徹そうな雰囲気だけど、意外とあの生意気女の心配で胸がいっぱいだったんだろうぜ」

 まるで王都の街中のように、二人の男は談笑する。それが魔族たちにとって奇妙だった。奇襲で一人減らされたとはいえ、それでも人数は圧倒的差がある。それも、生まれながらに戦う力を持った魔族が、だ。

「んじゃ、そろそろ始めるか」

「了解。それじゃあ、あんたたちは覚悟を」

 次の瞬間、一人の魔族の首がはねられた。暗闇で目が効かない。だが、倒れる正面の目前に男の一人が剣を抜き放ち立っているのだけは分かる。すぐさま包囲するように魔族たちが躍りかかり、

「おっと、うちの相棒に何しやがる?」

 伸ばした腕が、風の刃で切断されていく結果に終わった。何よりも恐ろしいのは魔法の制御だ。狭い空間の中だというのに、風の刃は剣士の男を掠りもしていない。
 続く攻防で剣士の男が激しく動き回り、魔族を斬り捨てていっているのにも関わらず。

「へ、人助けなんてムズかゆい。“依頼人”にバレないようにこっそり終わらせて、すぐにとんずらこくぞ」

「はいはい、分かったよ」

 魔族たちの悲鳴が響き渡っていく。完璧な連携の下で人数差をひっくり返していく男たち。僅かな光源しかない暗闇の中で、金と銀の髪がほんの僅かに輝いた。

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