ひとりよがりの勇者

Haseyan

第十四話 絶叫の響く世界

 絶望に塗れた少女の悲鳴が。何かが崩れ落ちる音が。舌打ちをする男の声が。どこかからか聞こえる。遠いような近いような。或いはこれらも全て幻聴なのかもしれなかった。

 ──いや、幻などでは無い。腹部から流れ出していく命が、未だエリアスが生きていることを辛うじて主張している。それにまだ終わる訳にはいかないのだ。こんなところで終わるわけにはいかない。
 だって、まだ何も果たせていないのだから。どこまでも染み付いた憎しみも、ぶれ始めた信念も、あの日の誓いだって。

『今の俺たちは戦場の仲間、戦友だ。だからそれっぽく剣に誓おうぜ。戦争を終わらせていつか平和を謳歌してやるんだってな。ただずっと剣相手だと物騒過ぎるから……平和になって戦友から友達になれたら、そうなったら別の何かに誓い直すぞ! どれだけ離れようとも、どれだけ時間が経っても“仲間”であり続けるってよ!』

 赤髪の少年が、拳を突き上げて熱弁する姿を幻視する。ああ、そうだ。これだ。何故思い出せなかったのだろう。これこそエリアスが“剣”にこだわる理由なのに。
 もう一生叶わない願いのために、誓いを守り続けていたかった。それを失ったらエリアスに光を与えてくれた少年との絆が断たれてしまうような気がしてしまって。

 結局、エリアスは大事なものを失うことに怯える、ちょっと力が強いだけの子供だ。エリアスの時間は、あの二度の悪夢から止まったままなのだ。

 だがそれを理解していても、頑なに認めようとはしない。この誓いを忘れていたのだって、忘れようとしていたのだってそう。それこそがエリアスの弱さなのかもしれなかった。




 ☆ ☆ ☆ ☆




 短い時間に、妙に長い夢を見ていた気がする。グラグラと揺れる視界が安定するのを待ち、ゆっくりと瞼を開いていく。
 最初に感じた違和感は体の痛みだ。腹を切り裂かれた傷、といった外傷によるものというよりも、無理な体勢を取り続けたことによる関節痛に近い。続いて自分の体を見下ろせば、未だ慣れない小さな少女の体──それがイスに縛り付けられている姿だった。

「くそ。どうなって……」

「お、やっと目覚めやがったか」

 手首と足首、それに加えて腰の辺りを縄で拘束されている。腕はひじ掛けの上に乗せられるように固定される形だ。
 脱出できないかともがいてみるが、血が足りない肉体はまるで力を入れようとしない。それでも諦めずに暴れ続けて、ふと鼓膜を揺らした呟きに顔を上げた。

「魔族……! てめえすぐに放しやがれ!!」

「うひゃあ、可愛い顔して口が汚ねえな。これだから冒険者なんてやってる野蛮な女は」

 恐らくは見張りなのだろう。エリアスを拘束しているイスから少し離れたところで、一人の男がエリアスを嘲笑っていた。彼は下種な笑みを浮かべたままにこちらに歩み寄って来る。
 せめて意志だけは屈しないと殺気まで込めて睨み続けるエリアスへ、男は目線を合わせるように中腰になった。

「けど、そういうやつを屈服させるのもまた一興なんだよなあ」

「き、気持ち悪い顔を近づけるんじゃねえ……!」

 息遣いが鼻にかかるような距離に男の顔があるのは正しく悪夢だ。そんな趣味はこれっぽっちも無い。全身で拒絶を示すエリアスを気にする様子も無く、男は撫でつけるように頬へ手を触れる。

「ほんと見た目だけなら好みなんだぜ。許可が出たらヒイヒイ言わせてやるからよぉ」

「やめ、ろ……今はこんなんでも、俺、は男だぞ……」

 こんな屑男でも魔族は魔族だ。絶不調で武器まで手元にない現況では勝てるわけがない。さらに拘束までされていては、罵倒ぐらいしか抵抗する手段が無くて──それさえも喉が震えてまともにできないことに、自分のことながら驚く。

「ハハハハッ! もうちっとうまい言い訳をしてくれや」

 自分の体なのに主導権は相手にある。もしも男が何かエリアスへ、それこそ言葉通りの行為を実行したら抵抗は不可能で。一度自覚したらもう止まらなかった。震えが伝染していって奥歯がかみ合わない。

 気持ち悪い。離れろ。いくらでも言葉は見つかるのに、口から漏れるのは少女のような悲鳴だけだ。一体この感情は何だ。魔族を斬るときと似ている感覚。
 少し違うのは心の底から湧き上がるのが燃え滾る熱なのでは無く、そこ冷えするような寒気だということ。

 ──これまで一度たりとも敗北したことの無い『勇者』は恐怖という言葉を知らない。

 或いはそれは女性としての本能的なものなのかもしれない。それなら余計に、男性だったエリアスには理解などまだ不可能な感情だ。

「あーあーすぐに怯えちゃって……ちょっと胸ぐらいならバレない……」

「──まだ許可を出しちゃいないはずなんだが?」

 調子に乗り出した男が、エリアスの胸の膨らみは手を伸ばす。その直前、彼のすぐ背後からドスの効いた声が放たれた。
 錆び付いた機械のように、男が恐る恐る背後を振り返って、

「あ、兄貴……これはその……」

「言い訳は聞きたくないな。こいつには色々と聞き出すことがあるんだ。用済みになった後なら知らないが、それまでに“壊されちゃ”困るんだよ」

 淡々とあくまで自然体で語りかけるジャックに、男は背筋を伸ばして「申し訳ありません!」と頭を下げた。それから邪魔にならないように一歩下がった位置で直立不動になる。
 その慌てようにため息を吐きつつ、ジャックは男と入れ替わるようにエリアスの前へ。

「お前さんも、まさかあの状態で飛び出してくるとはな。ギリギリで力を緩めたから腹を開くだけで済んだが、内蔵までいってたら死んでたぞ」

「……それでも出血だけで十分死ぬ傷だったろ。なんで俺は生きてる?」

 ひとまず直接的な接触は無くなり、落ち着いてきたエリアスは一番の疑問を投げ掛ける。
 縛られているためしっかりと確認できないが、引き裂かれた服の隙間から見えるお腹には傷一つ無い。それどころか傷跡さえも。
 ジャックの言動からしてあれが幻覚だったとも思えず、それに答えたのはジャックとは別の人間だった。

「あたしが治してやったのよ! ほんとは全員捕まえてこいって頼んだはずなのに、一人だけで、しかも血塗れで運んできたときは驚いたわ!!」

 ジャックと並びヒステリックに叫ぶのは、赤い髪をサイドテールに結んだ女性だった。妙に露出の多い服装で大げさな動作で喚いている。心底うんざりと言った様子で視線を逸らすジャックに気づいているのか、いないのか。
 彼を突き飛ばすように押しのけると、腰に手を当てエリアスの顔を覗き込んだ。

「しかも! この子、たぶん外れよ。見事に最低限の仕事だったわね?」

「俺に言うな。そもそも聞いてた面子が揃ってなかった。伝えていた情報を狂わせておいて、完璧な仕事を求められても困る」

 続いてジャックへと顔を寄せる女性。眼を合わせず、淡々と受け答えするジャックに敵わないと判断したのか。再びエリアスへ視線を降ろす。

「まあ、いいわ。時間も無いし、さっさと済ませちゃうわよ」

 エリアスは完全に置いてけぼりだ。ただ一つだけ分かるのは、エリアスにとって今の状況がかなりマズイということだけ。仮に拘束を抜け出したところで、この三人から逃げ切るのは無謀だろう。
 辺りの様子からここが洞窟の中、恐らくは戦場になっていたところからさらに奥に位置する、盗賊団の潜伏地だった。戦況がどうなっているのか知らないが、冒険者たちが盗賊団を殲滅するのを期待する、のはあまり得策とは思えない。

 その前に口封じに殺されるか、人質にされるのがオチである。どうにか、自力で脱出しなくてはならなかった。

「いくつか質問するわ。拒否権は無いから。まず一つ目、セレナ・ハミルトンの研究はどこまで進んでる?」

「は、はあ? あのエルフが元学者だったのは確かに知ってるけど、その内容なんて……ぶぁ──」

 そこまで口にしたところで、エリアスは黙ることになる。エリアスの顔面に女性の足が叩き付けられたからだ。少女が出してはいけないような悲鳴を上げ、想像以上の威力に足を退かされた後もエリアスは苦悶の表情を浮かべる。

「余計なことは喋らないで貰えるかしら! 時間が無いの。あたしの質問にだけ答えればいいわ」

 そんなエリアスを見ても、女性に容赦は無かった。ただひたすらに冷たい視線だけを寄越し、一方的な応答を押し付け続ける。

「もう一度ね。セレナ・ハミルトンの研究成果について、分かることを全て吐きなさい」

「だからッ! 何も知らねえんだよ!!」

 理不尽だ。知らないことを尋問されるほど、非生産的な行いなどありはしない。その苛立ちを視線に乗せて女性へと叩きこむ。どうしてエリアスがこんな目に合わなくてはならないのだ。
 先ほどの恐怖も押し退け、再び怒りがぷつぷつと湧いてくるのを感じる。その怒りをひたすらに主張し続ける。

「強情なのか、ほんとに知らないのかしら。まあ、どっちかなんて分からないし……体に聞けば早いわね?」

「左を一本」

 女性が口元を邪悪に歪め、ジャックが短く吐き捨てる。それを聞いた見張りの男は慌ててエリアスの元へ駆け寄って、ひじ掛けに固定されている左の手を掴む。反対の手には適当に拾ってきたであろう、鋭利な先端を持つ石が握られていて、

「了解っす」

「……おい。待て、てめえらそれ以上ふざけて──」

 代わりに響いたのは少女の絶叫だった。左の人差し指から焼けつくような痛みが走り、断続的に脳へと苦痛の信号を送り込む。
 戦いの最中のような興奮状態で痛みが和らげられることも無い。それどころか、鈍器としても中途半端な石は、威力こそ低いが即席の拷問用具としては優秀な部類だった。

 チラリと左手に視線を向けて、すぐに後悔する。白く細い指は、血塗れになり目視しがたい光景を生み出していた。

「ほんとに、研究については何も知らないのね?」

「はあ……はあ……。知らねえって、言ってるだろうが……!」

「じゃあ、次の質問行くわよー。あんたらが雇ってる密偵は何者? そいつのせいでこれまで接触もできなかったんだけど」

 またエリアスの知らないこと。まずい、本当にこの女性たちは容赦が無い。答えなくては、殺される。密偵とは何だ。秘密裏に情報を集める人間のことだ。情報、レオンたちが関わっていた人物。それならエリアスも面識が──

「……知ってたとして話すかよ。てめえらなんかの言いなりになるぐらいなら」

「左を二本」

「ああぁぁぁあっ──!?」

 再び絶叫。だが、この痛みで今自分が何をしようとしていたのか思い出せ。エリアスは、魔族共に命惜しさで屈服し掛けたのだ。
 それもレオンたちの情報を売ってまでして。魔族も、魔族と協力しているあの女も。決して屈するものか。何度悲劇を繰り返せば気が済む。

 地獄を思い出せ。怒りを、憎しみを、悲しみを思い出せ。またエリアスが原因で周囲の人間が殺されるなど、もう見たくない。魔族の好き勝手になどさせてはならない。

「この糞どもが……後で覚えてや……」

「何を強情になってるのよ!? 時間が無いって言ってるじゃない! この、この! 威勢だけの良いガキが!」

「がぁ──ぶぅ──ごぇ──」

 繰り返し繰り返し、ヒステリックになった女性に顔面を踏み潰される。痛い、いたい、イタイ。
 歯が欠けた。鼻が潰れた。血の味がする。だが、それでも屈してはいけない。誰でもない、エリアスだけは負けてはいけない。

「ジャック!」

「……右を全部だ」

「やめ、や……ぎゃぁぁぁあああ──!」

 男が真っ赤に染まった鈍器をエリアスの右手へ叩き付けた。一度では足りず、二度、三度まで行ってようやく彼は仕事を達成する。
 右手の感覚が残っているのが鬱陶しい。いっそのこと無くなってしまえ。苦しい。もう嫌だ。そう脳裏を過るたびに、どうにか歯を食い縛って弱音を飲み込んで──唐突に痛みが嘘のように引いていった。

「え……?」

「これが『宝玉』の力……素晴らしいでしょ? あんたのその傷だって、一瞬で無かったことにできるの。そして……」

「うがぁ──」

 治されたばかりの左手が再び叩き潰される。一度引いた痛みが、一気に押し寄せてくる。一瞬だけとは言え苦痛から解放された体は、より一層元気な反応を返していた。
 いっそのこと、このまま死んでしまえばいいと思っていた。彼女のヒステリックな様子を見ていれば、行き過ぎた拷問でうっかり命を落としてもおかしくない。

 だが、それさえもエリアスには許されていなかった。エリアスには、死という平穏さえ与えられていない。生き地獄に浸され続ける。それがエリアスの運命だ。

「次の質問。あんたたちの持っている『宝玉』はどこにあるの?」

「もう、やめて……本当に何も知らないから……頼む、頼むか────ッ!!」

 声にならない悲鳴が響き渡る。ひたすらに肉体の破壊と再生を繰り返されて、生きているのか死んでいるのか分からないほどに。喉が裂け、脳が意識を逃がしても、すぐに現実へと引き戻される。

 地獄の終わりは見えない。時間の感覚さえ失い苦痛は続いていく。

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