ひとりよがりの勇者
第五話 幸せとは
エリアスにとっては拷問まがいの着せ替えショー開始から三時間後。服屋近くのカフェの一角で満面の笑みのソラと、テーブルに突っ伏したエリアスは昼食を取っていた。だらしなく周囲の目も気にせずに頬を木の板に押し付けるエリアスの格好は、やはりと言うべきか普段とはかけ離れたものだ。
「ちくしょう……一生の恥だ」
ソラたちと生活を共にした一か月の間。エリアスの服装は冒険者が仕事中に身に着ける頑丈な作りのもの。さらに言えば、動きやすさを重視したズボンなどの男装に近いものだった。それでもあくまで、男装に近いだけの女物にされていたのは不満ではあったが、全てソラたちの財布から出ている以上文句は言えない。
それに、その装備はあくまで戦闘に耐えうるものであり、現在の体のサイズに合わせて着ているだけなのだと、常在戦場の考えからによるものからだと、自分に言い聞かせられた。
しかし、だ。さすがに現在の服装は許容範囲を明らかに超えている。
白を基調にしたワンピース。所々に用途不明のフリフリや水色の刺繍を施された少女趣味全開の格好は一体何なのだ。短パンでも無いのに、足が丸出しになっているのは何故なのだ。
その姿が、青髪と碧眼のエリアスには妙に似合ってしまっているのもまた、羞恥心を煽ってきている。元の姿と唯一変わらない、髪と眼の特徴まで女にされてしまったようで。
テーブルに突っ伏しているのは何も疲労からだけでは無い。周囲の目から逃げてしまいたい心の表れだ。
「いいじゃんいいじゃん。たまには可愛い格好でも……」
「俺はんなこと求めてねえんだよ!」
からかうような口調のソラへ怒鳴りつけるが、いつも通りに笑って流されるだけである。やはり少女の高い声ではいまいち迫力に足りない。改めて今の変わり果ててしまった姿を悩ましく感じた。
「すみませーん! このイチゴパフェと」
「俺はこのハンバーグで」
ソラに目線で催促され、メニューから適当な肉料理を選択。注文を受け付け下がっていく店員の背中を何となく見送る。
「少しは生活にも慣れてきたにゃ。最初は注文の仕方もよく分からなかったのに」
「……初めての経験でいきなりうまくやれってのがおかしいんだよ」
仕事に汗を流し、貨幣を得て、それで生計を立てる。それが一般的な“当たり前”の生活であることは知っている。だが、あくまで知っているだけだった。エリアスにとっての“当たり前”は戦場での血塗れの日々。戦争という大義名分を得た、圧倒的な『勇者』による殺戮行為だ。
長年続けてきたそれが正しいことだとは、他ならぬエリアス自身が信じられずにいたが。
「ま、慣れても仕方ねえよ。お前たちから情報を聞き出したお別れだ。こんな生活も一生ないかもしれないな」
それでも、エリアスはあの日々を求めている。決して願ったことではなくても、確かに求めたことなのだ。
そう言い切ったエリアスを見て、ソラは悲しげに同情するかのように目を伏せる。だが、エリアスが何か物申す前に顔を上げ直すと、
「別にそんなことせずに、ずっとあたしたちと一緒に冒険者を続けてもいいんだよ?」
彼女にしては躊躇いがちに紡がれた言葉にエリアスの瞳が僅かに揺れて──だが、それを悟らせるような下手はしない。僅かに溢れ出そうになった激情を無意識の内に抑え込んで見せた。
「無理だ。俺にはやらなくちゃいけねえことがある。それを放っておくことは、許されねえ」
「それがあの組織に、エリィの探しているおじいちゃんに関係することにゃの?」
「ああ、それ以外に何が……」
「──その割には、あたしたちに一度も追及してにゃいよね?」
ソラの放った言葉に、エリアスは一瞬思考が停止する。確かに記憶の中でソラたちに、老人の情報をせがんだことは一度たりとも無い。
それはつまり、エリアスが情報に固執していないという意味であり、
「い、いや、まだ一か月だからな。時期を見て話すって言ったんだから……」
「あたしたちが嘘を言っている可能性もあったのに?」
咄嗟に出た否定の言葉は容易くソラに両断される。そしてそれは、エリアスの心にまで突き刺さる刃だ。
何度も何度も、ソラは、彼女たちは、エリアスの心に土足で上がり込んでくる。優しく、温かく、ゆっくりと。それがエリアスをどれだけ苦しめるのか知らずに。
「冒険者ってのは訳ありな人がいっぱいいる職だからね。……あたしも含めてパーティー全員が、特にレオンとセレナだってそう。だから、あまり深くは聞きたくないんだけど……今回ばかりは許して」
本気で申し訳なさそうに、だが頑なな意思の元で宣言した。そのまま、エリアスの返事すら待たずに言葉が再び紡がれる。
「最初は、エリィはスラム街の出身だと思ってたの。身なりと、乱暴な口調からね。だけど、計算ができたり文字を読めたりしてて、全く分からなくなっちゃった」
ソラは一度、そこで呼吸を置いてから、
「あたしで良かったらエリィが誰なのか、これまでに何があったのか、聞かせてくれにゃい? ひとりぼっちで閉じこもってないで、口にするだけで楽になることもあるよ」
優しく染み込むように、ソラの声がエリアスの内へと染み込んでいく。エリアスの憎悪を口にするだけ。たったそれだけで彼女の言う通り、この苦しみが少しでも和らぐのなら、心優しい彼女らに相談してみることだって──
「嫌だ……話したくない」
それは拒絶、というよりも子供のわがままのようなものだった。合理的な判断に基づいた言葉どころか、深い理由さえない。ただただ、エリアスが話したくない。それだけが理由だ。
「本当の俺を知ったら、絶対にお前らは俺を見下すようになる。これまでのことが間違っちゃいねえとは思ってる。それでも、正しいことでもねえんだ……」
これまでは戦い続けることを、間違えたことでは無いと思い込んでいた。今でもそれは変わらないが、ソラたちと出会って正しいことでも無いと気づいてしまった。
「そんな、後悔してるんでしょ? 後悔できるなら、直すことだってできるんだよ。反省してるんだったら、それだけで悪く思ったりは……」
「──後悔は、してねえよ」
ソラの慈悲だけの詰まった説得の言葉の数々。しかし、それはエリアスからどす黒い激情を呼び覚ます結果しか起こさなかった。
──これまでの行いを後悔している?
それはダメだ。それだけは許されないことだ。これまでの人生に後悔するなど、それこそもういない仲間たちへの、キールへの侮辱だ。
「後悔もしてねえし、今度もやめる気はねえ。どうしてかは……思い出せねえけど……俺がやらなくちゃいけねえことなんだ……!」
どうして魔族を殲滅しようと決意したのか、思い出すことはできない。だが、やらなくてはならないのだ。それはエリアス以外には、『勇者』以外には務まらないのだから。今更やめることなどできない。
「結局、望んではいないんでしょ? 使命感にばかり駆られても、心と体を壊すだけだよ」
「それでボロボロになって死ぬってんなら……仕方ねえことだよ」
例え何と言われようと、エリアスの信念は変わらないのだ。血と憎悪に塗れた時から、既にまともな人生など諦めている。最悪の最期を迎えようと、後悔は、後悔は、
「しちゃいけねんだよ……後悔なんて、絶対に」
「……あたしなんて、後悔だらけの人生だけどね」
自分に言い聞かせて、迷いを振り切る。思わずと言った様子で零されたソラの言葉には、彼女らしからぬ暗い感情が混じっていたが、エリアスに気づく余裕は無かった。
二人が同時に沈黙し、気まずい空間が即座に発生する。しかし、それを払拭する体力も、気遣いもエリアスには存在しない。
「ご注文のイチゴパフェとハンバーグステーキになります。ごゆっくりー」
そんな難しい空間を、慣れた様子で業務を片付ける店員が見事に切り裂いて見せた。まるで動じる気配も見せずに、普段通りの仕事を完遂していく。それを見て、ソラがバカバカしくなったかのように笑って、
「まあ、食べようか。あたしは暗い会話は嫌いだし、エリィも眉間にしわを寄せすぎ」
「猫耳はよくそんなに切り替えを早くできるな……」
悪気を抜かれたような気分になり、エリアスも大きくため息を付くと、呆れた言葉と共に料理へ手を伸ばした。
「ちょっと食べてみる?」
「男がそんな甘ったるいもん食べてられるか」
ニヤニヤしながら掛けられた誘いを軽く受け流し、肉を口に入れる。純粋に旨い。食事ばかりは、楽しいと認めてもいいかもしれない。エリアスにしては珍しく、素直にそう考えることができて、
「……後で一口だけ寄越せ」
「え、何? ちゃんと言わないと聞こえ……」
「わざとらしいんだよ!? やっぱり忘れろ」
せめてこの楽しみを、失うその日まで精一杯刻み込もうと思った。
失うことを避けようとは、思わなかった。
「ちくしょう……一生の恥だ」
ソラたちと生活を共にした一か月の間。エリアスの服装は冒険者が仕事中に身に着ける頑丈な作りのもの。さらに言えば、動きやすさを重視したズボンなどの男装に近いものだった。それでもあくまで、男装に近いだけの女物にされていたのは不満ではあったが、全てソラたちの財布から出ている以上文句は言えない。
それに、その装備はあくまで戦闘に耐えうるものであり、現在の体のサイズに合わせて着ているだけなのだと、常在戦場の考えからによるものからだと、自分に言い聞かせられた。
しかし、だ。さすがに現在の服装は許容範囲を明らかに超えている。
白を基調にしたワンピース。所々に用途不明のフリフリや水色の刺繍を施された少女趣味全開の格好は一体何なのだ。短パンでも無いのに、足が丸出しになっているのは何故なのだ。
その姿が、青髪と碧眼のエリアスには妙に似合ってしまっているのもまた、羞恥心を煽ってきている。元の姿と唯一変わらない、髪と眼の特徴まで女にされてしまったようで。
テーブルに突っ伏しているのは何も疲労からだけでは無い。周囲の目から逃げてしまいたい心の表れだ。
「いいじゃんいいじゃん。たまには可愛い格好でも……」
「俺はんなこと求めてねえんだよ!」
からかうような口調のソラへ怒鳴りつけるが、いつも通りに笑って流されるだけである。やはり少女の高い声ではいまいち迫力に足りない。改めて今の変わり果ててしまった姿を悩ましく感じた。
「すみませーん! このイチゴパフェと」
「俺はこのハンバーグで」
ソラに目線で催促され、メニューから適当な肉料理を選択。注文を受け付け下がっていく店員の背中を何となく見送る。
「少しは生活にも慣れてきたにゃ。最初は注文の仕方もよく分からなかったのに」
「……初めての経験でいきなりうまくやれってのがおかしいんだよ」
仕事に汗を流し、貨幣を得て、それで生計を立てる。それが一般的な“当たり前”の生活であることは知っている。だが、あくまで知っているだけだった。エリアスにとっての“当たり前”は戦場での血塗れの日々。戦争という大義名分を得た、圧倒的な『勇者』による殺戮行為だ。
長年続けてきたそれが正しいことだとは、他ならぬエリアス自身が信じられずにいたが。
「ま、慣れても仕方ねえよ。お前たちから情報を聞き出したお別れだ。こんな生活も一生ないかもしれないな」
それでも、エリアスはあの日々を求めている。決して願ったことではなくても、確かに求めたことなのだ。
そう言い切ったエリアスを見て、ソラは悲しげに同情するかのように目を伏せる。だが、エリアスが何か物申す前に顔を上げ直すと、
「別にそんなことせずに、ずっとあたしたちと一緒に冒険者を続けてもいいんだよ?」
彼女にしては躊躇いがちに紡がれた言葉にエリアスの瞳が僅かに揺れて──だが、それを悟らせるような下手はしない。僅かに溢れ出そうになった激情を無意識の内に抑え込んで見せた。
「無理だ。俺にはやらなくちゃいけねえことがある。それを放っておくことは、許されねえ」
「それがあの組織に、エリィの探しているおじいちゃんに関係することにゃの?」
「ああ、それ以外に何が……」
「──その割には、あたしたちに一度も追及してにゃいよね?」
ソラの放った言葉に、エリアスは一瞬思考が停止する。確かに記憶の中でソラたちに、老人の情報をせがんだことは一度たりとも無い。
それはつまり、エリアスが情報に固執していないという意味であり、
「い、いや、まだ一か月だからな。時期を見て話すって言ったんだから……」
「あたしたちが嘘を言っている可能性もあったのに?」
咄嗟に出た否定の言葉は容易くソラに両断される。そしてそれは、エリアスの心にまで突き刺さる刃だ。
何度も何度も、ソラは、彼女たちは、エリアスの心に土足で上がり込んでくる。優しく、温かく、ゆっくりと。それがエリアスをどれだけ苦しめるのか知らずに。
「冒険者ってのは訳ありな人がいっぱいいる職だからね。……あたしも含めてパーティー全員が、特にレオンとセレナだってそう。だから、あまり深くは聞きたくないんだけど……今回ばかりは許して」
本気で申し訳なさそうに、だが頑なな意思の元で宣言した。そのまま、エリアスの返事すら待たずに言葉が再び紡がれる。
「最初は、エリィはスラム街の出身だと思ってたの。身なりと、乱暴な口調からね。だけど、計算ができたり文字を読めたりしてて、全く分からなくなっちゃった」
ソラは一度、そこで呼吸を置いてから、
「あたしで良かったらエリィが誰なのか、これまでに何があったのか、聞かせてくれにゃい? ひとりぼっちで閉じこもってないで、口にするだけで楽になることもあるよ」
優しく染み込むように、ソラの声がエリアスの内へと染み込んでいく。エリアスの憎悪を口にするだけ。たったそれだけで彼女の言う通り、この苦しみが少しでも和らぐのなら、心優しい彼女らに相談してみることだって──
「嫌だ……話したくない」
それは拒絶、というよりも子供のわがままのようなものだった。合理的な判断に基づいた言葉どころか、深い理由さえない。ただただ、エリアスが話したくない。それだけが理由だ。
「本当の俺を知ったら、絶対にお前らは俺を見下すようになる。これまでのことが間違っちゃいねえとは思ってる。それでも、正しいことでもねえんだ……」
これまでは戦い続けることを、間違えたことでは無いと思い込んでいた。今でもそれは変わらないが、ソラたちと出会って正しいことでも無いと気づいてしまった。
「そんな、後悔してるんでしょ? 後悔できるなら、直すことだってできるんだよ。反省してるんだったら、それだけで悪く思ったりは……」
「──後悔は、してねえよ」
ソラの慈悲だけの詰まった説得の言葉の数々。しかし、それはエリアスからどす黒い激情を呼び覚ます結果しか起こさなかった。
──これまでの行いを後悔している?
それはダメだ。それだけは許されないことだ。これまでの人生に後悔するなど、それこそもういない仲間たちへの、キールへの侮辱だ。
「後悔もしてねえし、今度もやめる気はねえ。どうしてかは……思い出せねえけど……俺がやらなくちゃいけねえことなんだ……!」
どうして魔族を殲滅しようと決意したのか、思い出すことはできない。だが、やらなくてはならないのだ。それはエリアス以外には、『勇者』以外には務まらないのだから。今更やめることなどできない。
「結局、望んではいないんでしょ? 使命感にばかり駆られても、心と体を壊すだけだよ」
「それでボロボロになって死ぬってんなら……仕方ねえことだよ」
例え何と言われようと、エリアスの信念は変わらないのだ。血と憎悪に塗れた時から、既にまともな人生など諦めている。最悪の最期を迎えようと、後悔は、後悔は、
「しちゃいけねんだよ……後悔なんて、絶対に」
「……あたしなんて、後悔だらけの人生だけどね」
自分に言い聞かせて、迷いを振り切る。思わずと言った様子で零されたソラの言葉には、彼女らしからぬ暗い感情が混じっていたが、エリアスに気づく余裕は無かった。
二人が同時に沈黙し、気まずい空間が即座に発生する。しかし、それを払拭する体力も、気遣いもエリアスには存在しない。
「ご注文のイチゴパフェとハンバーグステーキになります。ごゆっくりー」
そんな難しい空間を、慣れた様子で業務を片付ける店員が見事に切り裂いて見せた。まるで動じる気配も見せずに、普段通りの仕事を完遂していく。それを見て、ソラがバカバカしくなったかのように笑って、
「まあ、食べようか。あたしは暗い会話は嫌いだし、エリィも眉間にしわを寄せすぎ」
「猫耳はよくそんなに切り替えを早くできるな……」
悪気を抜かれたような気分になり、エリアスも大きくため息を付くと、呆れた言葉と共に料理へ手を伸ばした。
「ちょっと食べてみる?」
「男がそんな甘ったるいもん食べてられるか」
ニヤニヤしながら掛けられた誘いを軽く受け流し、肉を口に入れる。純粋に旨い。食事ばかりは、楽しいと認めてもいいかもしれない。エリアスにしては珍しく、素直にそう考えることができて、
「……後で一口だけ寄越せ」
「え、何? ちゃんと言わないと聞こえ……」
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