ひとりよがりの勇者
第三話 日陰者には眩しすぎて
もう何度も座った、宿一階の食堂のイス。そこに座りながら目の前の冒険者たちの話も耳を通らず、エリアスは朝食を口に運んでいた。
「…………」
「それと“情報屋”からは特に何も無いってことだった。しばらくはこの近辺で活動しても大丈夫だと思う」
「一々移動するのは面倒だからな! 平和で結構だ!!」
どこか遠くの風景のようにレオンたちの会話を聞き流しつつ、パンを一口大に千切る。元の体ならともかく、今の体では口さえも小さくて一気に頬張ることができないのだ。
「じゃあ、少し遠出する依頼を受けるのも視野に入りますね。王都周辺の魔獣の巣窟など調べてみますか」
それをスープに浸けてから口に入れ、その予想以上の熱さに眉をしかめながらも飲み込む。
「それと……エリィの腕もせめて薬か何かで処置した方がいいよね」
食事が暖かい、というのは未だに慣れないことだ。人生の半分近くを戦場で暮らしてきたエリアスにとって、食事とは固くて冷たい野戦食料が最初に脳裏をよぎる。
「食べ終わったら専門の魔法品店にでも行くにゃ。いいよね?」
食事に喜びを見出すこと自体、存在しなかった概念なのだ。だから食事の度に疑問に思うことはある。
本当に自分はここに居て良いのかと。真っ当では無い人生を送ってきた自分が、今更まともな生活を送ってよいのだろうかと。
「おーい! 聞いてる!?」
「うるせえな! 耳元でギャーギャー騒ぐんじゃねえっ!!」
思考の海の中へ、ソラの声が響き渡り堪らず怒鳴り返す。若い少女特有の高い声が二人分、食堂を貫くと他の冒険者たちが何事かと視線を運んで──それがエリアスとソラのものだと気が付くと再び朝食へ手を付け始めた。
「一か月も続けると……当たり前のように受け流されてるな」
「節度のある方しか泊まれないようにはなっていますが、それでも冒険者ですからね。多少騒がしい程度なら気にしないのでしょう」
レオンとセレナ、それから一部の年配の冒険者たちが少女の戯れを微笑ましげに眺める。肩に腕を回し、妙に顔を近づけてくるソラを引き剥がしたエリアスは、その視線に気が付くと納得いかなげに咳ばらいを一つ残した。
「んで、何の話だ?」
「本当に聞いていなかったんですか……。治療用の薬ですよ、その腕を放置するわけにはいかないでしょう」
今は服の袖で隠されているが、それを捲れば紫色に変色を始めている細い腕が露わになる。確かにそれを放置しておくのは、よろしくないことは頷けた。だが、その話題は昨日のことに繋がることであり──
「エリィって色々とドジな所あるし、あたしが付き添っておくにゃ。みんなは次の依頼でも探しておいて」
「……そうだな。二人なら何かあっても対処できると思うし、そうしてくれ。今日は予定も無いし、少し遊んできてもいいんじゃないか?」
特にそのことに触れられることは無く、会話は続いていく。そのことに引っかかるものを感じつつも、追及されないのならエリアスの方からほじくり返す必要は全く無かった。
「じゃあ、ご飯食べ終わったらすぐに出発しようか!」
「余計なことはしねえぞ。その薬だけ買ってすぐに戻るからな」
えぇー、と頬を膨らませるソラを努めて無視しつつ、残りの食事も口に押し込んでいった。
☆ ☆ ☆ ☆
結局、ソラの言葉通り、エリアスは猫耳少女に連れられて王都の商店街に足を運んでいた。
「ねえ、どこに寄っていく?」
「どこにも行かねえよ!」
相変わらず、下手をしたら普段以上にテンションの高いソラの対応に追われ、うんざりとした気分だ。それを隠さずに態度に表しているはずだが、ソラが遠慮する様子は微塵も無い。
それこそ本物の猫のように、エリアスの周囲を動き回るソラは酷く煩わしいものに感じられてしまった。
「ちょっと落ち着けねえのか?」
「いやー、今は無理だね。エリィとのお出かけでテンション上がっちゃって」
満面の笑みを向けられて少し目線を逸らす。
「……俺と一緒に居ても何も楽しくねえだろ」
そのままあらぬ方向に視線を向けたまま、ポツリと小さく呟く。彼女がこうして過剰なほどにエリアスに絡んでくるのは、よくよく考えてみると不思議で仕方がない。
コミュニケーション能力は最低限のものしか備えていないうえに、ソラへの扱いも非常に雑だ。それは意図してやっていることであり、ソラも理解しているだろうが。
しかし、それなら猶更、エリアスと一緒に居ても何も面白くないはずである。
大雑把で剛胆な性格をした少女が、この時ばかりは見た目相応に小さく感じられたのか。ソラは満面の笑みを含んだものに変化させた。
「なに? ちょっと気にしてるの? 仲良くしたかったらもっと素直に言ってくれていいんだよ」
「そういう意味じゃねえよっ!」
反射的に怒鳴り声をあげ、ソラがわざとらしく怯えた演技をする。だが、すぐに真面目な表情を浮かべると、少し考え込むように背中で手を組みながら、
「やっぱり年が近い女の子、だからかな。こんな荒っぽい仕事をやる子なんて今時いないからにゃー」
「俺は男……」
「はいはい、分かってる分かってる」
その返答に何度も繰り返したやり取りを交わしつつ、自嘲気に小さく笑う。結局のところ、彼女の好意も、少女の姿に変化してしまったことの副産物でしかないのだ。
もしも、エリアスが元の姿のまま『勇者』の力を失っていたならば──ソラがここまで親しげに接してくれることは無かったのだろう。そのことが妙に痛々しく、同時に当たり前のことだと納得もしてしまった。
「けどまあ、それだけじゃにゃいけどね」
小さく呟かれた声はエリアスに届くことは無く、二人は一軒の店の前にたどり着く。少々暗い雰囲気を漂わせる、木製の小さな店だ。
明らかに古い建造物なのに不思議と弱々しさを見せず、むしろ堅牢な印象さえ与えてくるような。森の大木を見ているような店でもあった。
「ここからでも魔力が分かるって、まさに魔法品店だな」
「あたしは魔法もさっぱりだからにゃー。ただ、変な匂いがするのは分かるね」
エリアスは魔法で、ソラは獣人族特有の嗅覚の良さで。お互いに理解し合えない感覚ながらも、奇妙な雰囲気には同意し合い、店のドアを潜っていく。
中の様子も外観から見たものと大差あるものでは無かった。照明は少なく、やや黒味のかかった木材を使った店内。魔導書の類も取り扱っているようで、ぎっしりと本の詰まった棚を見ていると、古びた図書館にいるかのようにも錯覚する。
「えっと……魔法薬はあっちだね」
全体の構図を把握しづらい店を見渡し、目的の品を見つけたソラの指差す方へ一緒に向かう。店の一角であるそこにたどり着いてみれば、色とりどりの液体の入った容器が並べられていた。
「へえ、色々あるな。お肌の保湿用にこれ一本、何だこれ……?」
興味本位から適当なものを手に取り、ラベルを読み取って呆れた声を零す。こんな魔法薬などエリアスは聞いたことも無い。
基本的には傷の応急処置、一時的なドーピング、はたまた炎対策に全身に被るなどと荒事に関わるものばかりだ。肌の手入れ用などという、くだらない用途には使うのなんて見たことが無い。
「あ、これ聞いたことある! 普通のと何か違うのかな。うわ、倍以上するんだけど……」
「こんなのに掛ける金額じゃねえな……」
ソラがエリアスの手の内を覗き込み、その値段を確認すると苦虫を噛み潰したような表情を作った。釣られて確認してみれば、確かにお高い。どのくらい高いかと言えば、エリアスが密かに気に入っている飲食店に、数回行けるほどのお値段だ。
「いや、無理しない範囲でも買えなくは──いや、止めておこうかな」
それでも尚、悩んでいたソラだが、ふととある場所で視線を止め、あっさりと商品棚に魔法薬を戻した。その突然の変わり身を怪訝そうに見つめる。
そんなエリアスを、ソラは迷うように一瞥して、それから覚悟を決めたようにエリアスの細い腕を掴んだ。
「ちょっとこっち来てよ」
「お、おい、何だよ」
やや強引に引っ張られれば、僅差ながらも体格で負けているエリアスに抵抗は難しい。そのまま引きずられるように別の陳列棚に移動させられる。
押し黙ってしまったソラにため息を付いてから、一体何なのだと商品たちへ目線を落とし、そこでようやくソラの意図を理解した。
「……これ、エルフに言われてたのか?」
「いや、セレナは違うにゃ。偶然目に入ったから引っ張ってきただけ」
そこは魔道具、所謂魔法の杖を売っている場所であった。短い杖に長い杖。中には魔法金属製の鈍器にもなる物騒な杖まで、色とりどりだ。
その中からソラは一本の短い杖──先端に淡い黄色の水晶を取り付けた短杖を取り出す。それをエリアスに差し出しながら、
「仮にエリィが使うとしたら、身のこなしを生かせるように小さな物になるでしょ? 一応は雷属性の魔水晶みたいだけど……」
「なあ、ふざけるなよ」
勝手に話を進めるソラを、エリアスの声が遮った。怒りを押し殺したかのように激情に塗れた言葉は、ソラの口を閉ざすには十分すぎる力を持っていた。
「俺が、いつ、剣を諦めるって言ったんだ?」
「あたしだって刀は、剣は大事なもので絶対に手放せないものだから、気持ちは分かるよ。でも、このままじゃ本当に体をおかしくしちゃう。お願いだから、しっかりと考えてくれない?」
優しく子供を論するように、ゆっくりと言葉を紡ぐソラの口調に今度はエリアスが押し黙る。ソラの言い分は正しい上に、全てエリアスのことを思っての発言だ。
──だからこそ、エリアスは苦しい。
「……ダメだ。剣は、俺にとって存在意義だ。これを持ってねえと俺は忘れちまう。あの日のことを忘れて、今に慣れたら……俺は目的を見失う」
過去の明るい記憶にも、最悪な記憶にも、剣はいつでもエリアスの腰をぶら下がっていた。剣を見る度に、エリアスの中で覚悟が固まり続けるのだ。それを失ってしまえば、失ってしまえば──
「俺は……どうして戦ってるんだ……?」
エリアスから何もかもを奪っていった魔族を滅ぼす。それこそがエリアスの信念だ。だが、そんなことをしても、故郷も、かつての仲間たちも、帰ってくることは無い。
それならどうしてエリアスは戦うのか。持っていたはずの答えが、今は分からない。
「とりあえずあたしが買うから、持つだけ持っててよ。短杖だったら持ち運びも苦労しないからさ」
黙ってしまったエリアスを見て、ソラは治療用の魔法薬と杖を持ったまま、さっさと会計を済ませてしまう。駆け足で戻ってきたソラにその二つを押し付けられ、反射的に受け取ると、
「じゃあ、気分転換にどこか遊びに行こう!」
「は、は? この流れでそんなこと言うか……?」
先ほどの真剣な雰囲気もどこへやら。エリアスの手首をつかんで、無理やり腕を振り上げさせるソラ。その姿に困惑した目線と言葉を向ける。
「暗い話の後だからこそだよ! エリィはいっつもしかめっ面ばかりして。せっかく可愛い顔してるんだから、あたしが笑わせてあげよう!!」
手首を掴んだままに店の外に出るとソラが駆け出し、それに引っ張られるようにエリアスも走る羽目になる。そんな明るく元気な姿にエリアスは仕方ないとため息を付いて、
「────」
眩しいものを見るかのように眼を細めていたことを、ソラは知るよしも無かった。
「…………」
「それと“情報屋”からは特に何も無いってことだった。しばらくはこの近辺で活動しても大丈夫だと思う」
「一々移動するのは面倒だからな! 平和で結構だ!!」
どこか遠くの風景のようにレオンたちの会話を聞き流しつつ、パンを一口大に千切る。元の体ならともかく、今の体では口さえも小さくて一気に頬張ることができないのだ。
「じゃあ、少し遠出する依頼を受けるのも視野に入りますね。王都周辺の魔獣の巣窟など調べてみますか」
それをスープに浸けてから口に入れ、その予想以上の熱さに眉をしかめながらも飲み込む。
「それと……エリィの腕もせめて薬か何かで処置した方がいいよね」
食事が暖かい、というのは未だに慣れないことだ。人生の半分近くを戦場で暮らしてきたエリアスにとって、食事とは固くて冷たい野戦食料が最初に脳裏をよぎる。
「食べ終わったら専門の魔法品店にでも行くにゃ。いいよね?」
食事に喜びを見出すこと自体、存在しなかった概念なのだ。だから食事の度に疑問に思うことはある。
本当に自分はここに居て良いのかと。真っ当では無い人生を送ってきた自分が、今更まともな生活を送ってよいのだろうかと。
「おーい! 聞いてる!?」
「うるせえな! 耳元でギャーギャー騒ぐんじゃねえっ!!」
思考の海の中へ、ソラの声が響き渡り堪らず怒鳴り返す。若い少女特有の高い声が二人分、食堂を貫くと他の冒険者たちが何事かと視線を運んで──それがエリアスとソラのものだと気が付くと再び朝食へ手を付け始めた。
「一か月も続けると……当たり前のように受け流されてるな」
「節度のある方しか泊まれないようにはなっていますが、それでも冒険者ですからね。多少騒がしい程度なら気にしないのでしょう」
レオンとセレナ、それから一部の年配の冒険者たちが少女の戯れを微笑ましげに眺める。肩に腕を回し、妙に顔を近づけてくるソラを引き剥がしたエリアスは、その視線に気が付くと納得いかなげに咳ばらいを一つ残した。
「んで、何の話だ?」
「本当に聞いていなかったんですか……。治療用の薬ですよ、その腕を放置するわけにはいかないでしょう」
今は服の袖で隠されているが、それを捲れば紫色に変色を始めている細い腕が露わになる。確かにそれを放置しておくのは、よろしくないことは頷けた。だが、その話題は昨日のことに繋がることであり──
「エリィって色々とドジな所あるし、あたしが付き添っておくにゃ。みんなは次の依頼でも探しておいて」
「……そうだな。二人なら何かあっても対処できると思うし、そうしてくれ。今日は予定も無いし、少し遊んできてもいいんじゃないか?」
特にそのことに触れられることは無く、会話は続いていく。そのことに引っかかるものを感じつつも、追及されないのならエリアスの方からほじくり返す必要は全く無かった。
「じゃあ、ご飯食べ終わったらすぐに出発しようか!」
「余計なことはしねえぞ。その薬だけ買ってすぐに戻るからな」
えぇー、と頬を膨らませるソラを努めて無視しつつ、残りの食事も口に押し込んでいった。
☆ ☆ ☆ ☆
結局、ソラの言葉通り、エリアスは猫耳少女に連れられて王都の商店街に足を運んでいた。
「ねえ、どこに寄っていく?」
「どこにも行かねえよ!」
相変わらず、下手をしたら普段以上にテンションの高いソラの対応に追われ、うんざりとした気分だ。それを隠さずに態度に表しているはずだが、ソラが遠慮する様子は微塵も無い。
それこそ本物の猫のように、エリアスの周囲を動き回るソラは酷く煩わしいものに感じられてしまった。
「ちょっと落ち着けねえのか?」
「いやー、今は無理だね。エリィとのお出かけでテンション上がっちゃって」
満面の笑みを向けられて少し目線を逸らす。
「……俺と一緒に居ても何も楽しくねえだろ」
そのままあらぬ方向に視線を向けたまま、ポツリと小さく呟く。彼女がこうして過剰なほどにエリアスに絡んでくるのは、よくよく考えてみると不思議で仕方がない。
コミュニケーション能力は最低限のものしか備えていないうえに、ソラへの扱いも非常に雑だ。それは意図してやっていることであり、ソラも理解しているだろうが。
しかし、それなら猶更、エリアスと一緒に居ても何も面白くないはずである。
大雑把で剛胆な性格をした少女が、この時ばかりは見た目相応に小さく感じられたのか。ソラは満面の笑みを含んだものに変化させた。
「なに? ちょっと気にしてるの? 仲良くしたかったらもっと素直に言ってくれていいんだよ」
「そういう意味じゃねえよっ!」
反射的に怒鳴り声をあげ、ソラがわざとらしく怯えた演技をする。だが、すぐに真面目な表情を浮かべると、少し考え込むように背中で手を組みながら、
「やっぱり年が近い女の子、だからかな。こんな荒っぽい仕事をやる子なんて今時いないからにゃー」
「俺は男……」
「はいはい、分かってる分かってる」
その返答に何度も繰り返したやり取りを交わしつつ、自嘲気に小さく笑う。結局のところ、彼女の好意も、少女の姿に変化してしまったことの副産物でしかないのだ。
もしも、エリアスが元の姿のまま『勇者』の力を失っていたならば──ソラがここまで親しげに接してくれることは無かったのだろう。そのことが妙に痛々しく、同時に当たり前のことだと納得もしてしまった。
「けどまあ、それだけじゃにゃいけどね」
小さく呟かれた声はエリアスに届くことは無く、二人は一軒の店の前にたどり着く。少々暗い雰囲気を漂わせる、木製の小さな店だ。
明らかに古い建造物なのに不思議と弱々しさを見せず、むしろ堅牢な印象さえ与えてくるような。森の大木を見ているような店でもあった。
「ここからでも魔力が分かるって、まさに魔法品店だな」
「あたしは魔法もさっぱりだからにゃー。ただ、変な匂いがするのは分かるね」
エリアスは魔法で、ソラは獣人族特有の嗅覚の良さで。お互いに理解し合えない感覚ながらも、奇妙な雰囲気には同意し合い、店のドアを潜っていく。
中の様子も外観から見たものと大差あるものでは無かった。照明は少なく、やや黒味のかかった木材を使った店内。魔導書の類も取り扱っているようで、ぎっしりと本の詰まった棚を見ていると、古びた図書館にいるかのようにも錯覚する。
「えっと……魔法薬はあっちだね」
全体の構図を把握しづらい店を見渡し、目的の品を見つけたソラの指差す方へ一緒に向かう。店の一角であるそこにたどり着いてみれば、色とりどりの液体の入った容器が並べられていた。
「へえ、色々あるな。お肌の保湿用にこれ一本、何だこれ……?」
興味本位から適当なものを手に取り、ラベルを読み取って呆れた声を零す。こんな魔法薬などエリアスは聞いたことも無い。
基本的には傷の応急処置、一時的なドーピング、はたまた炎対策に全身に被るなどと荒事に関わるものばかりだ。肌の手入れ用などという、くだらない用途には使うのなんて見たことが無い。
「あ、これ聞いたことある! 普通のと何か違うのかな。うわ、倍以上するんだけど……」
「こんなのに掛ける金額じゃねえな……」
ソラがエリアスの手の内を覗き込み、その値段を確認すると苦虫を噛み潰したような表情を作った。釣られて確認してみれば、確かにお高い。どのくらい高いかと言えば、エリアスが密かに気に入っている飲食店に、数回行けるほどのお値段だ。
「いや、無理しない範囲でも買えなくは──いや、止めておこうかな」
それでも尚、悩んでいたソラだが、ふととある場所で視線を止め、あっさりと商品棚に魔法薬を戻した。その突然の変わり身を怪訝そうに見つめる。
そんなエリアスを、ソラは迷うように一瞥して、それから覚悟を決めたようにエリアスの細い腕を掴んだ。
「ちょっとこっち来てよ」
「お、おい、何だよ」
やや強引に引っ張られれば、僅差ながらも体格で負けているエリアスに抵抗は難しい。そのまま引きずられるように別の陳列棚に移動させられる。
押し黙ってしまったソラにため息を付いてから、一体何なのだと商品たちへ目線を落とし、そこでようやくソラの意図を理解した。
「……これ、エルフに言われてたのか?」
「いや、セレナは違うにゃ。偶然目に入ったから引っ張ってきただけ」
そこは魔道具、所謂魔法の杖を売っている場所であった。短い杖に長い杖。中には魔法金属製の鈍器にもなる物騒な杖まで、色とりどりだ。
その中からソラは一本の短い杖──先端に淡い黄色の水晶を取り付けた短杖を取り出す。それをエリアスに差し出しながら、
「仮にエリィが使うとしたら、身のこなしを生かせるように小さな物になるでしょ? 一応は雷属性の魔水晶みたいだけど……」
「なあ、ふざけるなよ」
勝手に話を進めるソラを、エリアスの声が遮った。怒りを押し殺したかのように激情に塗れた言葉は、ソラの口を閉ざすには十分すぎる力を持っていた。
「俺が、いつ、剣を諦めるって言ったんだ?」
「あたしだって刀は、剣は大事なもので絶対に手放せないものだから、気持ちは分かるよ。でも、このままじゃ本当に体をおかしくしちゃう。お願いだから、しっかりと考えてくれない?」
優しく子供を論するように、ゆっくりと言葉を紡ぐソラの口調に今度はエリアスが押し黙る。ソラの言い分は正しい上に、全てエリアスのことを思っての発言だ。
──だからこそ、エリアスは苦しい。
「……ダメだ。剣は、俺にとって存在意義だ。これを持ってねえと俺は忘れちまう。あの日のことを忘れて、今に慣れたら……俺は目的を見失う」
過去の明るい記憶にも、最悪な記憶にも、剣はいつでもエリアスの腰をぶら下がっていた。剣を見る度に、エリアスの中で覚悟が固まり続けるのだ。それを失ってしまえば、失ってしまえば──
「俺は……どうして戦ってるんだ……?」
エリアスから何もかもを奪っていった魔族を滅ぼす。それこそがエリアスの信念だ。だが、そんなことをしても、故郷も、かつての仲間たちも、帰ってくることは無い。
それならどうしてエリアスは戦うのか。持っていたはずの答えが、今は分からない。
「とりあえずあたしが買うから、持つだけ持っててよ。短杖だったら持ち運びも苦労しないからさ」
黙ってしまったエリアスを見て、ソラは治療用の魔法薬と杖を持ったまま、さっさと会計を済ませてしまう。駆け足で戻ってきたソラにその二つを押し付けられ、反射的に受け取ると、
「じゃあ、気分転換にどこか遊びに行こう!」
「は、は? この流れでそんなこと言うか……?」
先ほどの真剣な雰囲気もどこへやら。エリアスの手首をつかんで、無理やり腕を振り上げさせるソラ。その姿に困惑した目線と言葉を向ける。
「暗い話の後だからこそだよ! エリィはいっつもしかめっ面ばかりして。せっかく可愛い顔してるんだから、あたしが笑わせてあげよう!!」
手首を掴んだままに店の外に出るとソラが駆け出し、それに引っ張られるようにエリアスも走る羽目になる。そんな明るく元気な姿にエリアスは仕方ないとため息を付いて、
「────」
眩しいものを見るかのように眼を細めていたことを、ソラは知るよしも無かった。
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