ひとりよがりの勇者
第十五話 許された願いだけ
月明かりと焚き火の光に照らされながらエリアスは目を覚ました。記憶の最後を読み取っていき、魔獣と交戦中だったことを引っ張り出すと、跳ねるように飛び起きる。
上半身を起こした体勢のまま、腰に差した剣を抜こうとして、
「良かった。目を覚ましたか」
柔らかな言葉が耳に届き、その動作をやめる。よく見てみると鞘は腰にではなく、寝ていたエリアスの傍らに置かれていた。エリアス自身も寝袋の上に体を横たわらせている。
いつの間にか戦いは終わっていたのだ。エリアスが気絶している間に殲滅したのか、撤退したのかは分からないが。
「結局あの後どうなっ……!?」
それを火の番をしていたレオンに聞き出そうとして、視界に彼の姿を捉えた瞬間に絶句する。
──レオンの体をおびただしい量の血痕が覆っていた。
右腕から胴体、特に腹部にかけて酷く服が真っ赤に染まり切っている。一度血が乾いた上から、さらに血を重ねて塗りたくったかのようなどす黒い色合い。
エリアスの見立てでは出血死するには十分すぎる量であり──
「おい、あっちは何だよ……?」
「ちょっと魔獣の何体かがここまで追ってきてさ。それを撃退した跡だよ」
レオンを挟んで向かい側、月明かりでうっすらと映る森の一角が盛大に荒らされていた。
地面は盛り返し、木々は薙ぎ倒され、その上で粉砕されている。激しい戦闘を思わせる光景であり、辺りにレオンしかいないことで疑惑はさらに深まる。
「他のやつらはどうした……? まさかあれ、お前一人でやったのか」
「残念だけど、逃げるので精一杯で俺たちは孤立無援。二人きりだよ」
つまりレオンは、一人で無謀な戦いを挑み意識を失ったエリアスを庇いながら、ゴーレムの群れから単独で脱出し追いかけてきたゴーレムは一人で全て相手したということか。
その代償が、疲弊しきった顔と大量の血なのか。
「……どうして、どうして俺を助けた? 状況を掻き乱した身勝手な野郎を、そこまでして助ける意味はねえだろ……」
だから、彼の行動原理が理解できなかった。下手をしなくてもレオンが死ぬ可能性は十分に存在した。それほどのリスクを背負ってまで、エリアスを助けた意味が理解できない。
「そう合理的に判断したら見捨てたかもな。けど、仲間なんだ。命張ってでも守り通すさ」
「──出会って四日程度の足手まといが仲間か。相変わらず薄っぺらい言葉だな」
エリアスから溢れ落ちた言葉はあまりに冷たいものだった。内包する意味から、声質まで。若い少女から放たれるには冷たすぎる。
エリアスの様子にレオンは驚いた様子を見せながらも、弱々しく笑みを浮かべた。
「出会って四日の足手まといでも、一緒に食事を取って、同じ仕事をすればそいつは仲間だ。だから君も……」
「──綺麗事ばかり並べてるんじゃねえよっ!!」
この時、喉から溢れでた激情はエリアス自身にも予期していないものだった。ただ、何度も何度も耳が腐るほどに聞かされてきた言葉の欄列に、エリアスの中で何が千切れたのだ。
「どうせ、お前らもあいつらと同じだ。俺のことなんか見ちゃいねえ。俺じゃなくて、俺の力を目当てにすり寄ってくるんだろ!?」
レオンと同じようなことを言うだけなら誰にだってできる。実際、『勇者』であったエリアスの元には綺麗な言葉を並べる貴族やその使いが多く訪れていた。
「聞こえの良い言葉ばかり並べて、俺を傀儡にしようと企んで、それができないと分かったらすぐに見捨てて……!」
だが、誰もエリアスを見ていなかった。彼らはエリアスではなく『勇者』に、王国の人間兵器にばかり目を向けていた。
エリアスを己の陣営に組み込むことで手に入る権力と戦力にしか意識を向けていなかった。
所詮、エリアスと言う人格はおまけでさえなかったのだ。
「ふざけるな……ふざけるな! 俺は道具じゃねえ! 俺はもう騙されねえ!」
心を揺さぶられる時もあった。戦いに明け暮れ、それだけが己の全てだと思い込もうとし、そんなときに優しい言葉を投げ掛ければ感傷的にもなる。
──この人なら信用してもいいのではないか。
だが、エリアスが期待したところで、最後には「お前の力を貸してくれ」と、そう言われるのだ。一体何度期待を裏切られたのか、数えたくもない。
散々叫び散らして、肺の中の空気を吐き出しきってしまう。だが、まだ激情を解消するには足りなかった。
「けどよ……だからよ」
そう絞り出すように呟いてから、もう一度声を放つ。
「……意味が分からねえ。どうしてお前はそこまでして俺を助けた? 仲間だなんて言うバカは、みんなろくでもないやつばかりのはずなんだよ……」
綺麗事を語る貴族ならいた。瞳の奥に欲望をぎらつかせて。
聞こえの良い言葉を並べる騎士ならいた。嫉妬の炎をその内に燃やして。
優しく接してくれる女性ならいた。笑みの裏でこちらを見下して。
上っ面だけの偽物ならいくらでも見てきた。なのに、それなのに、レオンに暗い感情は窺えない。
彼だけではない。ソラもセレナもブライアンも。皆エリアスに良くしてくれた。純粋な好意だけでだ。
まだ出会って数日なのに、かつての仲間たちとその姿を重ねてしまいそうになって、
「本当は、いたんじゃないのか? しっかりとエリアスを見てくれる人たちも」
「分かったような口を……!」
思い出の中で笑みを浮かべる少年が頭を過り、そこにレオンの言葉が重なる。まるで心を読まれたような気分になり、反射で言葉を投げ返そうとして、
「──いいや、分かるさ」
それは、妙に力の籠った声だった。レオンが真っ直ぐエリアスを見つめてくる。その瞳はエリアスに確かに向けられていた。
否、正確には半分をエリアスに。もう半分をどこか遠くにだ。まるで過去を回想するかのような瞳には、どこか説得力を纏っていた。
それこそ、彼自身が見てきたことのように言葉が紡がれる。
「寂しかったよな。怖かったよな。悲しかったよな。自分の周り全部が暗闇に見えて、誰も信用できなくて、誰も頼れなくて。全部自分一人でどうにかしないといけないって、苦しかったよな」
「何言ってるんだよ……!? やめろっ黙れ!!」
それはどれもエリアスの想いを捉えていた。エリアスが決して認めたくなかった願いを、十年間押さえ続けてきた心の扉を、強く揺さぶっていく。
認めたくなくても、それは事実、エリアスの叫びだった。
「けど、そんなのは全部思い込みなんだ。本当は善意だけで手を差し出してくれたやつもいるはずさ。その手をすぐに取れなかったのは、俺たちが臆病だったからだ」
思考の隙間に、かつての光景が割り込んでくる。しつこいぐらいに絡んできた少年が、共に笑いあった戦士たちが、戦場で肩を並べた騎士たちが。
──そして血の海に沈む仲間たちが。
「ああ、そうだよ!? 確かに居たぜ、俺も仲間って呼ぼうかと本気で考えたやつらだって……」
そうだ、確かに彼らは仲間だった。無愛想なエリアスの根気良く声をかけ続け、ろくでもない話題をぶつけてくる。
『勇者』には助けなんて要らないのに、必死にエリアスの負担を減らそうと戦場を駆け巡る。
それに少しずつ、笑みと感謝を向けられるようになったエリアスと彼らは、確かに仲間だった。
初めて素直な笑みを返せたときに、どれだけ心が軽くなったか。心配げな視線に、不謹慎ながらもどれだけ救われたか。
「だけどな、みんな死んじまった! 俺を置いてみんな逝っちまった! 俺の力が、俺の欲が、優しかったキールたちを殺したんだよ!」
しかし、もう彼らはいない。エリアスが悪かったのだ。
あの日全てを失って戦う道を選んだエリアスが、強欲にも温かな人の生活を惜しく思ったのが。戦場に居座りながら、当たり前の生活を願ったのがいけないのだ。
そして、罰はエリアス自身ではなく、エリアスが望んだ彼らに落とされた。
「俺がッ、仲間だって呼びたかったやつらは……もういねえんだ。誰でもない俺自身が殺してな……!」
結局、天はエリアスを許さなかったのだ。平穏な暮らしを送っていた故郷を滅ぼされ、新たな安楽を欲すれば根絶やしにされ、何もかもを失った。
──仲間なんて要らない?
──違う。仲間を得ることを許されていないのだ。
しかし、絶対に手の届かないものを、願い続けていては心が耐えきれなかった。
なんて滑稽なのだろう。本当の願いを誤魔化して、憎悪に突き動かされた虐殺には虚無感すら持っていた。
それなのに、自ら命を絶つことは怖くてできなくて。どこか期待してしまうエリアスがいて。
過ぎた願いで二度も全てを失ったのに、またもやレオンの言葉に揺れ動いている。
失う苦しみを知っているのに、それが必ずエリアスを襲うと理解しているのに、それでも尚、懲りずにエリアスは願ってしまう。
「もうやめてくれ……ほっといてくれ……。俺に優しくするな、俺に期待させるな……! どうせ無くなるものに、期待するなんて無駄なんだよ!!」
期待して、その温かみに慣れてしまって、それから奪われるのは耐えられなかったから。十年前のあの日からエリアスの心は閉ざされた。
本当は弱々しい心を護るために。それを自覚しないために、底なしの憎悪を向けていた魔族の殲滅へ『勇者』として動き続けていた。それだけを生きがいだと自分自身に思い込ませていた。
その気持ちは紛れもない真実だ。並々ならぬ恨みを魔族に持っているのは本当だし、魔族の軍隊を壊すことに快感を得ていたのも否定しない。しかし、それだけで人生を満足していたかと言われれば──とても頷くことはできなかった。
「結局、怯えてるだけじゃないか。俺もそうだったから気持ちはいくらでも分かる。だけど、怯えて前に進まないで立ち止まっているだけじゃ、一生そのままだ。ほんの少しでいいんだ。勇気を出せ! 今なら、俺たちが手を差し出してやるから」
そう言って差し出される手を震える眼で見つめる。顔を一度上げてレオンの瞳を再び覗き込み、そして理解した。何故出会って数日のエリアスにここまで良くしてくれるのか、今まで分からなかったし、分かろうともしなかった。
レオンはエリアスに対して確かに手を差し出している。だが、それと同じぐらいに、過去の自分をエリアスに重ねているのだ。彼が救いたいのは、エリアスと過去のレオンなのだ。
「こんな危険な仕事だ……どうせお前らもすぐに死んで……」
「死なない! 俺にだって、今でこそ冒険者で食っていってるけど大きな目的は持ってるんだ。それまで、絶対に死ぬつもりは無い。エリアスの怖がってる未来なんて、絶対に来させやしない!!」
無意識の内に手を伸ばしそうになっている自分に気が付き、エリアスは頭を振って思考を弾き出そうとする。だが、一度救いを求めだしたそれを引っ込めることなど今更できやしない。
迷うように、フラフラと揺れ動く小さな白い手が、無骨なレオンの手と重なって、
「……無理だ。まだ、お前らを信用しきることなんてできねえ」
あくまで握られることは無く、それで止まる。ただ乗せられただけのエリアスの手を、レオンも急かして掴んだりはしない。ただ真っ直ぐと、エリアスの言葉だけを待つ。
「俺の目的は変わらねえ。お前らから情報を聞き出したら、力を取り戻すために冒険者は続けるつもりもねえ。だけど、」
力を、『勇者』の力を取り戻すために動く。その目的は決して変わらない。
「──それまでは、よろしく頼む……」
しかし、少しだけならこの生活を続けても良いかもしれないと、そう思った。
そのままお互いに無言で時間が過ぎ去っていき、重なっている手から伝わってくる体温を自覚すると、咄嗟に手を引っ込める。
それから恥ずかしさを誤魔化すように声を張り上げて、
「お前は少し寝てろ! 火の番ぐらい、俺がやっておくからよ!」
荷物からレオンの寝袋を見つけると、力任せに顔面へ叩き付ける。剣を腰に差し直し火に向かって座り込むと、必死にレオンから顔を逸らしていた。
その姿にレオンは無言で苦笑。素直に寝袋に潜り込むと、地面に横になった。血の香りが強烈だが、今は我慢するしかないのだろう。
「……それと、悪かった。今日みたいなことはもうしねえよ」
「それと、変な呼び方も直してくれないか? 俺なんて金髪だぞ」
「今更変える気はねえっての! さっさと寝やがれ!!」
ぼそりと呟いたエリアスの言葉を目ざとく聞き取ったレオンが、からかうように言葉を返し、その返礼は小石が投げつけられることで払われた。
寝たふりをして一瞬だけエリアスへ視線を向けてみるレオン。表面上は怒りを見せつつも、青髪の少女の横顔はどこか軽やかになっていた。
上半身を起こした体勢のまま、腰に差した剣を抜こうとして、
「良かった。目を覚ましたか」
柔らかな言葉が耳に届き、その動作をやめる。よく見てみると鞘は腰にではなく、寝ていたエリアスの傍らに置かれていた。エリアス自身も寝袋の上に体を横たわらせている。
いつの間にか戦いは終わっていたのだ。エリアスが気絶している間に殲滅したのか、撤退したのかは分からないが。
「結局あの後どうなっ……!?」
それを火の番をしていたレオンに聞き出そうとして、視界に彼の姿を捉えた瞬間に絶句する。
──レオンの体をおびただしい量の血痕が覆っていた。
右腕から胴体、特に腹部にかけて酷く服が真っ赤に染まり切っている。一度血が乾いた上から、さらに血を重ねて塗りたくったかのようなどす黒い色合い。
エリアスの見立てでは出血死するには十分すぎる量であり──
「おい、あっちは何だよ……?」
「ちょっと魔獣の何体かがここまで追ってきてさ。それを撃退した跡だよ」
レオンを挟んで向かい側、月明かりでうっすらと映る森の一角が盛大に荒らされていた。
地面は盛り返し、木々は薙ぎ倒され、その上で粉砕されている。激しい戦闘を思わせる光景であり、辺りにレオンしかいないことで疑惑はさらに深まる。
「他のやつらはどうした……? まさかあれ、お前一人でやったのか」
「残念だけど、逃げるので精一杯で俺たちは孤立無援。二人きりだよ」
つまりレオンは、一人で無謀な戦いを挑み意識を失ったエリアスを庇いながら、ゴーレムの群れから単独で脱出し追いかけてきたゴーレムは一人で全て相手したということか。
その代償が、疲弊しきった顔と大量の血なのか。
「……どうして、どうして俺を助けた? 状況を掻き乱した身勝手な野郎を、そこまでして助ける意味はねえだろ……」
だから、彼の行動原理が理解できなかった。下手をしなくてもレオンが死ぬ可能性は十分に存在した。それほどのリスクを背負ってまで、エリアスを助けた意味が理解できない。
「そう合理的に判断したら見捨てたかもな。けど、仲間なんだ。命張ってでも守り通すさ」
「──出会って四日程度の足手まといが仲間か。相変わらず薄っぺらい言葉だな」
エリアスから溢れ落ちた言葉はあまりに冷たいものだった。内包する意味から、声質まで。若い少女から放たれるには冷たすぎる。
エリアスの様子にレオンは驚いた様子を見せながらも、弱々しく笑みを浮かべた。
「出会って四日の足手まといでも、一緒に食事を取って、同じ仕事をすればそいつは仲間だ。だから君も……」
「──綺麗事ばかり並べてるんじゃねえよっ!!」
この時、喉から溢れでた激情はエリアス自身にも予期していないものだった。ただ、何度も何度も耳が腐るほどに聞かされてきた言葉の欄列に、エリアスの中で何が千切れたのだ。
「どうせ、お前らもあいつらと同じだ。俺のことなんか見ちゃいねえ。俺じゃなくて、俺の力を目当てにすり寄ってくるんだろ!?」
レオンと同じようなことを言うだけなら誰にだってできる。実際、『勇者』であったエリアスの元には綺麗な言葉を並べる貴族やその使いが多く訪れていた。
「聞こえの良い言葉ばかり並べて、俺を傀儡にしようと企んで、それができないと分かったらすぐに見捨てて……!」
だが、誰もエリアスを見ていなかった。彼らはエリアスではなく『勇者』に、王国の人間兵器にばかり目を向けていた。
エリアスを己の陣営に組み込むことで手に入る権力と戦力にしか意識を向けていなかった。
所詮、エリアスと言う人格はおまけでさえなかったのだ。
「ふざけるな……ふざけるな! 俺は道具じゃねえ! 俺はもう騙されねえ!」
心を揺さぶられる時もあった。戦いに明け暮れ、それだけが己の全てだと思い込もうとし、そんなときに優しい言葉を投げ掛ければ感傷的にもなる。
──この人なら信用してもいいのではないか。
だが、エリアスが期待したところで、最後には「お前の力を貸してくれ」と、そう言われるのだ。一体何度期待を裏切られたのか、数えたくもない。
散々叫び散らして、肺の中の空気を吐き出しきってしまう。だが、まだ激情を解消するには足りなかった。
「けどよ……だからよ」
そう絞り出すように呟いてから、もう一度声を放つ。
「……意味が分からねえ。どうしてお前はそこまでして俺を助けた? 仲間だなんて言うバカは、みんなろくでもないやつばかりのはずなんだよ……」
綺麗事を語る貴族ならいた。瞳の奥に欲望をぎらつかせて。
聞こえの良い言葉を並べる騎士ならいた。嫉妬の炎をその内に燃やして。
優しく接してくれる女性ならいた。笑みの裏でこちらを見下して。
上っ面だけの偽物ならいくらでも見てきた。なのに、それなのに、レオンに暗い感情は窺えない。
彼だけではない。ソラもセレナもブライアンも。皆エリアスに良くしてくれた。純粋な好意だけでだ。
まだ出会って数日なのに、かつての仲間たちとその姿を重ねてしまいそうになって、
「本当は、いたんじゃないのか? しっかりとエリアスを見てくれる人たちも」
「分かったような口を……!」
思い出の中で笑みを浮かべる少年が頭を過り、そこにレオンの言葉が重なる。まるで心を読まれたような気分になり、反射で言葉を投げ返そうとして、
「──いいや、分かるさ」
それは、妙に力の籠った声だった。レオンが真っ直ぐエリアスを見つめてくる。その瞳はエリアスに確かに向けられていた。
否、正確には半分をエリアスに。もう半分をどこか遠くにだ。まるで過去を回想するかのような瞳には、どこか説得力を纏っていた。
それこそ、彼自身が見てきたことのように言葉が紡がれる。
「寂しかったよな。怖かったよな。悲しかったよな。自分の周り全部が暗闇に見えて、誰も信用できなくて、誰も頼れなくて。全部自分一人でどうにかしないといけないって、苦しかったよな」
「何言ってるんだよ……!? やめろっ黙れ!!」
それはどれもエリアスの想いを捉えていた。エリアスが決して認めたくなかった願いを、十年間押さえ続けてきた心の扉を、強く揺さぶっていく。
認めたくなくても、それは事実、エリアスの叫びだった。
「けど、そんなのは全部思い込みなんだ。本当は善意だけで手を差し出してくれたやつもいるはずさ。その手をすぐに取れなかったのは、俺たちが臆病だったからだ」
思考の隙間に、かつての光景が割り込んでくる。しつこいぐらいに絡んできた少年が、共に笑いあった戦士たちが、戦場で肩を並べた騎士たちが。
──そして血の海に沈む仲間たちが。
「ああ、そうだよ!? 確かに居たぜ、俺も仲間って呼ぼうかと本気で考えたやつらだって……」
そうだ、確かに彼らは仲間だった。無愛想なエリアスの根気良く声をかけ続け、ろくでもない話題をぶつけてくる。
『勇者』には助けなんて要らないのに、必死にエリアスの負担を減らそうと戦場を駆け巡る。
それに少しずつ、笑みと感謝を向けられるようになったエリアスと彼らは、確かに仲間だった。
初めて素直な笑みを返せたときに、どれだけ心が軽くなったか。心配げな視線に、不謹慎ながらもどれだけ救われたか。
「だけどな、みんな死んじまった! 俺を置いてみんな逝っちまった! 俺の力が、俺の欲が、優しかったキールたちを殺したんだよ!」
しかし、もう彼らはいない。エリアスが悪かったのだ。
あの日全てを失って戦う道を選んだエリアスが、強欲にも温かな人の生活を惜しく思ったのが。戦場に居座りながら、当たり前の生活を願ったのがいけないのだ。
そして、罰はエリアス自身ではなく、エリアスが望んだ彼らに落とされた。
「俺がッ、仲間だって呼びたかったやつらは……もういねえんだ。誰でもない俺自身が殺してな……!」
結局、天はエリアスを許さなかったのだ。平穏な暮らしを送っていた故郷を滅ぼされ、新たな安楽を欲すれば根絶やしにされ、何もかもを失った。
──仲間なんて要らない?
──違う。仲間を得ることを許されていないのだ。
しかし、絶対に手の届かないものを、願い続けていては心が耐えきれなかった。
なんて滑稽なのだろう。本当の願いを誤魔化して、憎悪に突き動かされた虐殺には虚無感すら持っていた。
それなのに、自ら命を絶つことは怖くてできなくて。どこか期待してしまうエリアスがいて。
過ぎた願いで二度も全てを失ったのに、またもやレオンの言葉に揺れ動いている。
失う苦しみを知っているのに、それが必ずエリアスを襲うと理解しているのに、それでも尚、懲りずにエリアスは願ってしまう。
「もうやめてくれ……ほっといてくれ……。俺に優しくするな、俺に期待させるな……! どうせ無くなるものに、期待するなんて無駄なんだよ!!」
期待して、その温かみに慣れてしまって、それから奪われるのは耐えられなかったから。十年前のあの日からエリアスの心は閉ざされた。
本当は弱々しい心を護るために。それを自覚しないために、底なしの憎悪を向けていた魔族の殲滅へ『勇者』として動き続けていた。それだけを生きがいだと自分自身に思い込ませていた。
その気持ちは紛れもない真実だ。並々ならぬ恨みを魔族に持っているのは本当だし、魔族の軍隊を壊すことに快感を得ていたのも否定しない。しかし、それだけで人生を満足していたかと言われれば──とても頷くことはできなかった。
「結局、怯えてるだけじゃないか。俺もそうだったから気持ちはいくらでも分かる。だけど、怯えて前に進まないで立ち止まっているだけじゃ、一生そのままだ。ほんの少しでいいんだ。勇気を出せ! 今なら、俺たちが手を差し出してやるから」
そう言って差し出される手を震える眼で見つめる。顔を一度上げてレオンの瞳を再び覗き込み、そして理解した。何故出会って数日のエリアスにここまで良くしてくれるのか、今まで分からなかったし、分かろうともしなかった。
レオンはエリアスに対して確かに手を差し出している。だが、それと同じぐらいに、過去の自分をエリアスに重ねているのだ。彼が救いたいのは、エリアスと過去のレオンなのだ。
「こんな危険な仕事だ……どうせお前らもすぐに死んで……」
「死なない! 俺にだって、今でこそ冒険者で食っていってるけど大きな目的は持ってるんだ。それまで、絶対に死ぬつもりは無い。エリアスの怖がってる未来なんて、絶対に来させやしない!!」
無意識の内に手を伸ばしそうになっている自分に気が付き、エリアスは頭を振って思考を弾き出そうとする。だが、一度救いを求めだしたそれを引っ込めることなど今更できやしない。
迷うように、フラフラと揺れ動く小さな白い手が、無骨なレオンの手と重なって、
「……無理だ。まだ、お前らを信用しきることなんてできねえ」
あくまで握られることは無く、それで止まる。ただ乗せられただけのエリアスの手を、レオンも急かして掴んだりはしない。ただ真っ直ぐと、エリアスの言葉だけを待つ。
「俺の目的は変わらねえ。お前らから情報を聞き出したら、力を取り戻すために冒険者は続けるつもりもねえ。だけど、」
力を、『勇者』の力を取り戻すために動く。その目的は決して変わらない。
「──それまでは、よろしく頼む……」
しかし、少しだけならこの生活を続けても良いかもしれないと、そう思った。
そのままお互いに無言で時間が過ぎ去っていき、重なっている手から伝わってくる体温を自覚すると、咄嗟に手を引っ込める。
それから恥ずかしさを誤魔化すように声を張り上げて、
「お前は少し寝てろ! 火の番ぐらい、俺がやっておくからよ!」
荷物からレオンの寝袋を見つけると、力任せに顔面へ叩き付ける。剣を腰に差し直し火に向かって座り込むと、必死にレオンから顔を逸らしていた。
その姿にレオンは無言で苦笑。素直に寝袋に潜り込むと、地面に横になった。血の香りが強烈だが、今は我慢するしかないのだろう。
「……それと、悪かった。今日みたいなことはもうしねえよ」
「それと、変な呼び方も直してくれないか? 俺なんて金髪だぞ」
「今更変える気はねえっての! さっさと寝やがれ!!」
ぼそりと呟いたエリアスの言葉を目ざとく聞き取ったレオンが、からかうように言葉を返し、その返礼は小石が投げつけられることで払われた。
寝たふりをして一瞬だけエリアスへ視線を向けてみるレオン。表面上は怒りを見せつつも、青髪の少女の横顔はどこか軽やかになっていた。
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